突然死
人生は小説よりも奇なり、とはよく言ったものだ。この言葉を呟いたお方は、きっと波乱万丈な人生を生き抜いてきた事であろう。
まだ、16年しか生きていない若輩者であるが、察しますよ。ほんと、人生は空想によって作られた物語なんかよりも奇想天外だ。
何せ凡人の中の凡人が、あろう事か正義の味方の真似事をしているのだから、おかしいにも程がある。
「小僧、その娘をよこせ! そうすれば、命だけは助けてやる」
どすの利いた声で忠告するお方は平成ライダーのお面を装着している、いかにも怪しいお方であった。背丈は180前後って所で、筋肉質な上腕二頭筋が見える所から見ると、かなりガタイは良い方であると推測できる。
あの腕で掴まれたら貧弱な俺の体など軽くもげるかもしれない。
ただでさえ、体格のハンデがあるにも関わらず、なんちゃってライダー仮面様はナイフを所持しておられる。いや、ナイフなんて可愛げのあるものじゃないな。刃渡りは20センチは優に超えているし。
対する俺は徒手空拳。対抗するための武器を持ち合わせていないのだ。当たり前だが、一高校生がこんな予想外な事態に備えて武装しているはずもない。こんな事もあろうかと、と用意している奴がいるとすれば、中二野郎との溜まったはずだ。
俺が無言のままでいたのが気に食わなかったのか、なんちゃってライダー仮面様は、再度どすの利かせた厳つい声で忠告してくる。
「ビビッて、声も出せないのか。もう一度言うぞ、その娘をよこせ、クソガキ!」
なんちゃってライダー様のお怒りは頂点に達したみたいだ。赤く染まっているナイフを見せる様に突出す。
その一連の動作を見ていた姫君が「ヒッ」と甲高い声を上げたと思うと、俺の右足を抱える様に抱きつくのだ。
そう。このクソライダー様は、まだ小学生にも満たない子供を攫おうとしている最中なのだ。身代金目当ての人さらいか、またはこの子の両親に恨みを持っている奴か、理由は定かでないが、真昼間の公園で堂々と犯行に及ぼうとする根性は腐っていると思う。
「……なぜ、この子を狙う?」
「そんな事、貴様には関係ないだろうが!」
仰る通りで。
「そこは、刑事ドラマよろしくで、事情の一つや二つ話してくれるのが普通だろう?」
「小僧。いいからどけ、さもなければ……」
クソライダーの重心が下がる。臨戦態勢に入りやがった。へらへらと、話しを長引かせて時間を稼ごうと思ったのに。
こっちも迎撃態勢に入らないといけないが、俺の脚にしがみ付いている姫君が邪魔で、満足に構えることすら出来ない。
……まだなのか。
まだ来ないのか、お巡りさんよ。
通報してから、数分で現場に到着するのが基本だろ。職務怠慢も良い所じゃないのか。
「考え直すつもりはないのか、おじさん」
無理と分かっていても、どうにか時間を稼ぎたかった。
そんな俺の何気ない一言が、クソライダーの導火線に火をつける事になるとは思えなかった。
「考え直す? お前に、何が分かるって言うんだ! 俺は、その娘の親父にリストラされて、家族を、俺の人生を滅茶苦茶にさせられたんだ。考え直すだと。俺がそう言ったとき、あいつはなんて言ったと思う。「考え直すだけ金の無駄だ」と言ったんだぞ」
「だからって、大人の事情に子供を巻き込むな!」
「黙れ! たまたま、犯行に鉢合わせしたガキが、大人の事情に口をはさむんじゃない」
激怒するライダー。刀身が怪しく光るナイフを突き出したまま、特攻してくる。直線的な動き故に避けるのは容易かったが、俺の選択肢はない。右足を姫君ががっちりと掴んでいるのもあるが、ここで横に回避行動をとってしまえば、確実に凶刃は姫君の下へ降りかかってしまう。
――ザシュ。
肉が裂ける音が耳を劈く。
両手と胸に激しい痛みが走るが、痛みの気を取られている暇は俺にはなかった。
あの野郎、こんなけったいな凶器を二つも持っているのかよ。
両腕と胸を貫いたナイフを離し、クソライダーは二つ目の凶器を取り出し、再三の警告を突き出す。
「これが、最終通告だ小僧。大人しく大人の言うとおり、そのガキを寄越せ。さもなければ――」
――殺す。
殺す。その言葉を口にして、ようやく奴さんは殺す覚悟を得たのだろう。
さっきまでの戸惑う仕草はなくなり、仮面の奥に潜む双眸がぎらつくのを感じる。
この瞬間、このクソライダーは殺人鬼に転職なされた訳だ。
対する俺も、どうやら覚悟ができてしまったようだ。……ほんと、ガラにもなく、無関係のはずなのに、どうしてこんな覚悟ができてしまうなど、不思議で仕方がない。俺の心は気まぐれの秋の空ってか?
両腕に力を込めて、刃を胸から抜く。傷跡から多量の血が飛沫を上げる様に噴き出すが、もうどうでも良かった。
今度は右腕に力を込め、串刺し状態になっている両手を自由にさせ、ナイフの柄を握った。
「……俺、子供が好きなんだ」
突然の俺の告白に、殺人ライダー(仮)の体が揺れる。「こいつ、何を言うんだ」と言いたげに俺を注視している。
「ロリコン発言って訳じゃないぞ? 純粋に子供が好きなんだ」
柄を握る手に力を込め、貫通している左手などお構いなく、力一杯ナイフを抜き取る。
「――だから、純粋にお前のような外道を見ていると腹が立つんだよ、この大馬鹿野郎が!」
自分でも信じられない怒りが大声量となって放たれる。
凡人である俺の最初で最後のクライマックスに俺自身が興奮を隠しきれなかったのかもしれない。
そう、クライマックスだ。泣いても笑っても、次で最後だ。
何せ、エンディングの音が俺と殺人ライダーの耳に届いているからだ。
――サイレンと言う名のエンディング音が。
「け、警察? 貴様、まさか!」
「普通に考えろよ、お前。観衆の目の前で犯行を行おうとしたんだ。通報されて当たり前だろ?」
「く、くそ!」
「大人しく降参しろよ。お前、悪行を行うにはマジ向いていないや」
項垂れる殺人未遂ライダーに、今度は俺が警告を出す。もう、これ以上の悪行を行った所で、警察が来れば意味がない。
下手に悪行を重ねて無駄な時間を留置所で過ごす事になる前に、慈悲のつもりで忠告したのだが――奴はどうやら諦めないらしい。
「まだ、だ。まだ、俺はこんな所で捕まるわけにはいかないんだ」
「無駄だよ。もうすぐ、ここは警官によって包囲される。……何より、俺が逃がすと思っているのか、クソ野郎」
「……そうさ。まだ、まだだ。俺は、俺は――」
どうやら、錯乱状態に陥っている様子。俺の言葉など耳も貸す事無く、少年漫画のワンシーンを彷彿させる自己催眠を慣行中。
「――そうだ、まだ、まだだ。だから……お前を殺せば、丸く収まる!」
どこをどうまとめれば、そんな結論に導くのかツッコミどころが満載であったが、相手の意思は俺を殺す事でこの場を乗り越えようとしているようだ。
敵意が真直ぐ俺に向けられる。項垂れている間に一撃でも放てればよかったが、コアラの様にしがみつく女の子がいる以上、俺はそれをただ黙って見ているしか術はない。
けど、いつまでもこのままではいかないよな。この子を護る為には、この子にも勇気を振り絞ってもらわないといけない。
「大丈夫だよ」
震える女の子に、出来るだけ優しい声で話しかける。生憎、目線はクソ野郎から目を離す訳にもいかなかったので、女の子が俺の声に反応したのか分からなかったが。
「どこか怪我はしていないかい?」
女の子は答えなかった。
「お迎えにご両親は来るかい?」
女の子は答えない。
……まいったね。あまりの恐怖に声が出せないのか、出したくても出せなくなったのか知らないが、相手からの返答がないと意思疎通が出来ない。けど、時間の猶予など俺達にはない。今も、目の前のクソ野郎が静かに立ち上がり、血走った眼で俺を凝視しているのだ。今にも襲いかねないと言わんばかりの相手に、彼女の返答を待っている暇などない。
「俺の合図と同時に、思いっきり走って逃げてくれ。……出来るよね?」
俺が言いきったと同時にクソ野郎が動いた。
さっきと同様にナイフの先端を突出し、突進してくる。録画した情景を再生している気分になるな、これ。これがデジャブってか?
俺はそれを迎撃する訳でもなく、野郎の凶刃を迎える様に、己の体で受け止めた。
刃が俺の左胸を捉え、背中から刃の先端が生える。尋常じゃない痛みが全身を駆け巡る。込みあがる嘔吐感に堪え切れず吐出すと、血の塊が口から放出される。意識が急激に落ちていくのを感じるが、それじゃ困るんだよ。
左手でクソ野郎の右手を掴む。可能な限りの力を込め、クソ野郎を捉えた。
「今だ!」
捉えると同時に、俺は女の子に向けて逃げる様に言った。
最初は戸惑う女の子だったが、俺の言葉に押されてか、泣きながらその場から離れていく。
その女の子の後を追おうと、クソ野郎が動こうとするのだが、俺が奴の右手を掴んでいるから思う様に動けないでいる。
「くそ、離せ。離せ、このクソガキ」
「黙れよ、クソ野郎。よくも子供の教育上に悪い汚物を見せてくれたな、この野郎」
腕を振り解こうと激しく抵抗を見せるクソ野郎だが、俺の力の方が勝っているらしく、振り解こうとしても一向に俺の右手を振り解けないでいる。……これが火事場の馬鹿力って所か。最後の最後で秘められた力が覚醒したのかもしれない。
「悪いが、俺もなんとなく覚悟は決めていたんだ。お前に殺される覚悟を……同時に、殺す覚悟をな」
知っているか?
今どきの子供って直ぐ切れるんだぞ。感情の赴くままに暴れるなんて普通なんだぞ。
「だから、お前も死ねよ」
右手に持つナイフを逆手に持ち替え、俺の血で彩られた刃をクソ野郎の側頭部に放つ。
「んがっ!」
俺の刺突はクソ野郎の側頭部に命中し、串刺し団子の様に刃が頭を貫通した。
クソ野郎は小さな悲鳴を上げ、俺に向けて倒れてきた。
俺もクソ野郎の体を受け止める力などなく、クソ野郎と共に大地へ倒れ伏したのであった。
そこで、俺の意識は消失する。
沢渡優音の短き人生の終焉を迎えた瞬間であった。