配信5回目 行方不明配信者と呪われたアーカイブ【前編】
削除済みのはずの心霊動画から、また一人いなくなった。
しかも今回は、消したはずの怪異がネットのどこにも消えていない。
安物で済ませようとした時点で、たぶんもう終わっていたのかもしれない。
蘇生の次の日は、だいたい最悪だ。
頭の奥に鈍い鈴でも仕込まれてるみたいに重いし、喉は焼けたあとみたいにひりつくし、全身がうっすら他人の体みたいに遠い。
私は夜見よろず相談事務所のソファに沈み込んだまま、スマホを顔の上にかざしていた。
「……これでよくない?」
「よくない」
即答。
机の向こうでコーヒーを啜っていた夜見朔夜は、私の画面すら見ずに言った。
この男、顔だけは今日も無駄にいい。
「だって見てよ。“霊障対策スターターセット”。塩、護符、浄化済みUSB、怪異避けスマホシールつき」
「レビューを読め」
「読んでるよ。“効きました。夫の浮気も止まりました”」
「知らん」
「“高波動ノイズカット・リングライト”」
「閉じろ」
「“除霊済みマイクカバー”」
「閉じろ」
「“呪いに映えないサムネ補正フィルム”」
「今すぐ閉じろ」
私の膝の上で、ぬいがぽてっと転がった。
「それ、本当に買う気じゃったんか」
「買う気っていうか、藁にもすがりたいっていうか」
「藁のほうがまだ効く場合もある」
言い返そうとしたところで、事務所の共有端末が鳴った。
画面に映ったのは、眠そうなのに目つきだけ妙に鋭い女だった。
「それ全部だめです」
出た。
毒島 真琴。
配信編集、切り抜き、炎上管理担当。怪異より炎上を怖がるタイプの現代人。たぶんこの街で一番、コメント欄に絶望している人だ。
「今、安いので済ませようとしてました?」
「努力はした」
「努力の方向が終わってます」
真琴さんは淡々と端末を操作しながら続けた。
「行方不明になった配信者、最後に触ってたの、前回と同系列の削除済み動画です」
「削除済みなんでしょ?」
「だから危ないんです」
その言い方で、ソファの温度が少し下がった気がした。
「元データは消えてるのに、派生だけ残ってる。切り抜き、画面録画、匿名掲示板の再掲、ローカル保存、海外ミラー。全部で微妙に中身が違うんです」
「……きっしょ」
「はい。かなり」
「それ、動画じゃなくない?」
「もう動画じゃありません。増殖条件を獲得した記録です」
嫌な言葉だ。
でも、すごく分かる。
前回燃やしたはずの“切り抜き怪異”が、まだどこかで口を開けたまま残っている気がして、背中が冷えた。
その時、朔夜のスマホが震えた。
画面を見た瞬間、あからさまに嫌そうな顔になる。
「誰」
「槙野」
その名前だけで、空気が少し現実寄りになる。
槙野 恒一。警察側の窓口。怪異という言葉を使いたがらないくせに、説明不能案件だけはこっちに流してくる苦労人。
朔夜が通話を取った。
「……ああ。聞いてる。部屋は?」
数秒の沈黙。
「争った形跡なし。本人だけ消失。モニターはついたまま。再生履歴は空。なのにバーだけ進む……は、最悪だな」
私は半分だけ起き上がった。
「もう嫌な予感しかしないんだけど」
「失踪者が出た」
「それをサラッと言うな」
「サラッと言わないと重すぎる」
そう言って、朔夜は私のスマホを奪い取り、通販ページを閉じた。
「安物で済むなら、とっくに済ませてる」
「いや、さっきちょっと探してたじゃん」
「確認だ。期待はしてない」
それから、ものすごく嫌そうに言った。
「こういう時だけ、本物しか効かない。……銭原のとこ行くぞ」
「出た」
「名前からして嫌」
「安心しろ。中身は名前よりひどい」
――嫌な安心をするな。
◆
銭原 呪助の店は、裏路地のさらに奥、雑居ビルの三階にあった。
昼なのに薄暗い。
階段は湿っている。
壁には剥がれた護符と、何に使うのか分からない古い広告。
途中の踊り場には片方だけの革靴。
帰りたい。
扉を開けた瞬間、線香とも薬品とも鉄錆ともつかない匂いがした。
「おお、夜見はん。えらい貧乏くさい顔しとるやん」
出た。
派手な柄シャツにくたびれたジャケット、金歯、片耳ピアス、笑ってるのに目だけ全然笑ってない男。
胡散臭さを人型にして、そこへ関西と九州を雑に流し込んだみたいなやつ。
「金を使わせに来る相手に会えば、誰でもこうなる」
「冷たいのう。お嬢ちゃんもおるやん。今日も死にかけとる顔しとる」
「死にかけじゃなくて、だいぶ死んだあとです」
「ええ買い手や」
「最低」
ぬいが私の肩の上で小さく唸る。
銭原はそっちを見てにやっとした。
「ほう。寄生霊獣つき。欲張りセットやな」
「売るなよ」と朔夜。
「まだ言うとらんやろ」
言う気だったんだ。
朔夜が用件だけを切り出す。
「アーカイブ怪異だ。削除済み媒体から派生してる。失踪者一名。拡散済み」
その瞬間だけ、銭原の笑いが少し薄れた。
「……あー。そら安もんじゃ無理や」
「だから来た」
「ならこれやな」
銭原はガラスケースの奥から、黒い釘と、銀色の細いテープ、それから墨文字の札を取り出した。
「《原版追跡釘》》。複写呪いの最初の傷ば辿る」
「高いんでしょ」
「高い」
「うわ素直」
「《逆再生封止》》。再生、逆再生、巻き戻しを止める。これも高い」
「でしょうね」
「《複写返》し》。増殖拒否。二枚は要る。ちょい高い」
「“ちょい”の基準を言え」
「命より安い」
「毎回その言い方なんなの?」
銭原は肩をすくめた。
「消した、は通らんよ。見られた時点で、もう持ち帰られとる。ネット怪異はそこが質悪い」
「……終わるの?」
「終わらせる道具はない」
さらっと言われて、店の奥が一段冷えた気がした。
「止める道具ならある。追う道具もある。でも終わらせるんは別や」
「言い方が最悪」
「商売人やけん」
結局、今回の持ち込みはこうなった。
《原版追跡釘》》
《逆再生封止》》
《複写返》し》×二
《既視遮断膜》》
《還呪杭》》×二
《黙祓布》》
値段を見た瞬間、私はほんのり死にたくなった。
いや、もう何回か死んでるけどそういう意味じゃない。
「高っっっ!?」
「学割つけたる」
「何その地獄みたいな響き」
「呪い増しで」
「帰れ!!」
◆
行方不明配信者の部屋は、繁華街から少し外れたワンルームだった。
昼なのに薄曇り。
廊下の窓は白く濁っていて、安い賃貸の扉だけが妙に軽い。
なのに、その前に立っただけで空気が重い。
槙野さんが腕を組んだまま言った。
「これはまだ事件じゃない。……そういうことにしてある」
「失踪者がいるのに?」
「証拠が足りない。説明もつかない。だが、二人目が出たら隠しきれん」
中に入ると、部屋は妙に整っていた。
配信ライト。
マイク。
ノートPC。
外付けモニター二枚。
飲みかけのペットボトル。
椅子だけが少し引かれている。
そして――再生していないのに、モニターの再生バーだけがじわじわ進んでいた。
「うわ」
画面は黒い。
でもコメント欄だけが流れている。
【まだいる?】
【見えてる見えてる】
【そこ違う】
【もっと右】
【笑った?】
【今の顔やば】
私は首元に《黙祓布》》を引き寄せた。
耳の奥で、小さな拍手みたいな反響がする。嫌だ。
朔夜が低く言う。
「《権限接続》》」
空気が少しだけ張り詰めた。
朔夜が部屋全体に干渉権限を通す。こいつの技は、毎回いちいち名前が格好いいのが腹立つ。
「ゆら。画面は直視するな」
「言うの遅」
「今言った」
「最悪」
その時、廊下の向こうから、聞き覚えのある高いヒールの音がした。
「……あー、やっぱり来てた」
真っ先に嫌そうな声を出したのは真琴さんだった。
振り向かなくても分かる。
来た。案件荒らし。
「夜見、まだそんな地味な現場やってるの?」
赤と黒がよく似合う女が、スマホを片手に立っていた。
長い髪、強い目元、アクセまで“見せる”ために作られてるみたいな派手さ。
紅坂ミリア。
同業の怪異配信者。朔夜を好きすぎて、ついでに私を敵視して、案件すら映えで荒らす最悪の女。
「封鎖前に入るな」と槙野さん。
「公務執行ってやつ? でもまだ事件じゃないんでしょ?」
「お前な……」
「数字は待ってくれないの」
ミリアは私を見て、口元だけで笑った。
「へえ。その子が例の“よく死ぬ子”?」
「紹介の仕方どうなってんの」
「趣味変わった? 夜見」
「黙れ」と朔夜。
「嫉妬?」
「違う。邪魔だ」
真琴さんがイヤホン越しに、心底うんざりした声を出す。
『あの人の配信、コメント欄がもう燃えてます。やめさせてください』
「無理。やめるタイプに見える?」と私。
『見えません』
「でしょ」
ミリアは部屋の暗がりを見回しながら、すっと表情を変えた。
こいつは嫌な女だ。
でも、本物を前にした時だけ、ちゃんと目が仕事になる。
「……いるわね」
「いるから来てる」と朔夜。
「で、どこから食べてる?」
「まだ絞ってる」
「遅いじゃない」
その瞬間だった。
黒い画面に、ふっと女の顔が浮いた。
いや、顔じゃない。
顔の断片だ。
泣きそうな目。
笑っている口元。
驚いて振り向く横顔。
怖がっている喉の筋。
全部が別々のタイミング、別々の角度で、無理やり一枚に縫い合わされている。
「っ……」
息が止まる。
そして、その顔の奥にもう一つ、別の顔が混ざっていた。
行方不明の配信者だ。
でも“本人”じゃない。
もっと都合よく切り抜かれた、怖がる瞬間だけを集めた素材だ。
「……これ、動画を見てたんじゃない」
思わず声が出る。
「動画の中に、編成されてる」
朔夜の目が細くなる。
真琴さんの声が端末越しに低くなった。
『正解です。コメント欄が今、同じワードで偏ってます』
「何」
『“もっと見たい”“その顔固定”“泣いてるところだけほしい”』
「最悪」
『はい。視聴者側の欲望で再構成されてます』
つまり、今回の怪異は前回の続きでありながら、もう別物だった。
最初の霊がどうとかじゃない。
見たい顔だけを抜き、怖い瞬間だけを保存し、伸びるサムネだけを残した結果、輪郭そのものが壊れて増殖した怪異。
【その子もかわいい】
【泣き顔ほしい】
【今の黒髪の子アップで】
【サムネ向き】
【右の子もいい】
「……は?」
コメント欄に、私への反応が混ざる。
嫌な寒気が走った次の瞬間、右の頬の感覚がふっと消えた。
「え」
壁際のモニターに、私の口元だけが映っていた。
笑っていないのに、勝手に笑ってる形に固定されている。
「っ、やば……」
「ゆら!」と朔夜。
「《位相固定》》」
けれど、その前に、足元の床が一段ぶれた。
世界がずれる。
耳鳴り。
ノイズ。
拍手。
再生バー。
サムネ。
黒いフレーム。
完全に死んではいない。
でも、生きてる側から半歩だけ滑った。
落ちる、と思った瞬間、私は反射的に《還呪杭》を握りしめた。
冷たい感触が掌に食い込み、現実と向こう側のあいだに、細い一本の帰り道みたいなものがかろうじて残る。
「ゆら!」
朔夜の声が遠い。
ミリアの舌打ちも、真琴さんの焦った声も、槙野さんの怒鳴り声も、全部まとめて水の底みたいに鈍くなる。
黒いフレームが、私の足元から開いた。
その奥で、誰かがまた笑った気がした。
■今回の登場人物
・影森ゆら
死にたくないのに、今回も危ないところに真っ先に引っかかる女子高生。今回は右頬の感覚を持っていかれた。
・夜見朔夜
金と数字を燃料に術を使う怪異相談屋。今回は珍しく最初から本気で嫌そうだった。
・ぬい
口の悪い半寄生霊獣。今回も文句は多いが、ちゃんとついてきた。
・槙野 恒一
警察側の窓口。説明不能な失踪案件を、ぎりぎりのところで外に出さずに抑えている苦労人。
・銭原 呪助
胡散臭いが本物も持っている呪物商人。今回も高危険度案件用の品を容赦なく売りつけた。
・毒島 真琴
編集・切り抜き・炎上管理担当。ネット怪異の嫌さを最初に言語化した人。
・紅坂ミリア
怪異系配信者。今回も勝手に乱入してきたが、現場の空気がおかしいこと自体はすぐに察した。
■今回の話の解説
前編では、「燃やしたはずなのに終わっていない」不穏さと、ネット怪異の構造説明、新キャラ導入を中心に置きました。
特に今回は、ただの幽霊動画ではなく、「見たい顔だけを切り出す視線そのもの」が怪異を育てている、という構造が肝です。
ラストは、ゆらが半歩だけ向こう側へ滑るところで切っています。
後編では、死後側で見えるものと、現実側で止められる限界がはっきりしてきます。




