配信4回目 映ってはいけない切り抜き【後編】
後編です。
死んだあとからが本番です。
ぬいが少しだけ役に立ちます。
――最初に戻ってきたのは、音だった。
ぴ、という短い電子音。
ぶつっ、と切れるノイズ。
誰かの笑い声みたいなもの。
拍手に似ているのに、拍手よりずっと湿った、気持ちの悪い反響。
次に光。
暗い。
いや、真っ暗じゃない。
黒い空間のあちこちに、縦長の光の板が浮いている。
スマホ画面みたいな。短尺動画みたいな。切り抜きサムネみたいな。
そのひとつひとつの中で、何かが繰り返し動いていた。
女の顔。
誰かの手。
驚いて振り向く横顔。
口を開けた瞬間。
転ぶ足元。
泣きそうな目。
全部、短い。
全部、“そこだけ”だ。
「……さいあく」
声が出た。
自分の声が、少し遅れて聞こえた。
私は黒い床みたいな場所に座り込んでいた。
そして、腕の中にはぬいがいた。
「え」
思わず抱え直す。
見た目は、こっちでもぬいぐるみのままだ。
くたっとした布の器。丸っこい頭。曖昧な顔。
でも現世と違うのは、その内側だ。
ぬいぐるみの輪郭の奥に、別の生き物の気配がある。
形代の中に押し込まれていた寄生霊獣の本来の位相が、こっち側では少しだけ滲み出している。
布の奥で、耳が立つ。
小さな獣みたいなものが身を丸める。
琥珀色の目みたいな光が、一瞬だけこちらを見た気がした。
「……うわ」
「なんじゃ、その反応は。もう少し敬意を持てい」
ぬいが口を開いた。
「しゃべった」
「前からしゃべっておる」
「さっき死ぬ前もしゃべってたけど、今ちょっと輪郭が狐っぽい」
「高位霊獣じゃからな」
「絶対ちがう」
ぬいはふん、と鼻を鳴らした。
でも、耳は少し寝ている。怖いのは怖いらしい。
周囲の光板のいくつかが、ざっとノイズを走らせた。
そこに映ったのは、私だった。
階段を踏み外す私。
頭を打つ私。
床に血を広げる私。
「っ……」
しかも一つじゃない。
角度違い。寄り。引き。スロー。サムネ向きの静止フレーム。
【反応いい】
【この子かわいい】
【ここ使える】
【もっと寄れ】
【泣き顔ほしい】
「死んだあとまでコンテンツ化すんな!!」
叫ぶと、声が何度も小さく反響した。
「人間はすぐ騒ぐ」
「騒ぐでしょ、こんなの!」
「わしも帰りたい」
「帰れるなら帰ってる!」
ぬいが、ぽふ、と私の腕を叩いた。
それから、前を指す。
「……あっちが核ってこと?」
「たぶんあっちじゃ。境界の匂いが濃い」
「たぶんなの?」
「わしに完璧を求めるな」
私は立ち上がった。
奥に、他より少し大きい縦長のフレームが見える。
そこだけ、光が安定していない。ノイズが溜まって、何かを隠しているみたいだった。
近づくたびに、浮かんだ光板が勝手に再生を始める。
ナナミの部屋。
配信者たち。
ドアガラスに映る女の横顔。
ズーム。
赤丸。
テロップ。
煽り文。
その奥に、もっと古い映像が混ざっていた。
公開版じゃない。
編集前の元データだ。
「……これか」
問題のフレームの少し前。
配信者がまだ気づいていない数秒。
カメラがぶれて、廃部屋の奥を一瞬だけなめる。
そこにいた。
女。
でも、ただの映り込んだ幽霊じゃない。
顔の輪郭が、何重にも切れている。
目の位置が少しずつ違う。
口元だけ別フレームで笑っている。
首の角度が不自然に飛ぶ。
まるで、何度も何度も
「ここが怖い」
「ここが使える」
「ここが映える」
と切り分けられたせいで、ひとつの人の形が崩れてしまったみたいだった。
「……ああ」
分かってしまった。
この怪異は、最初から化け物だったんじゃない。
映った。
見つかった。
切り出された。
強調された。
拡散された。
面白がられた。
そのせいで、“そこだけ”が増幅して、元の輪郭ごと壊れたんだ。
「つまり……あんた、“切り抜かれて”怪異になったの……?」
フレームの中の女が、こっちを向いた。
その瞬間、空間全体の光板が一斉に明滅した。
【その子の顔かわいい】
【笑ってるの見たい】
【口元アップ】
【泣き顔抜ける】
【喉寄れ】
次の瞬間、私の右腕が急に軽くなった。
「え?」
見れば、肘から先が消えていた。
切断されたわけじゃない。血も出ていない。
ただ、そこだけ“別のカットへ移された”みたいに、なくなっている。
「やだ!! 最悪!!」
少し離れた光板の中で、私の右手だけがぴくぴく動いていた。
「ぬい!」
「むりむりむり。いや、でも放っておくと面倒じゃな……!」
ぬいぐるみの布地の奥から、細い光の筋が伸びた。
糸というより、神経に近い。
ぬいが私の霊体に半寄生している、その繋がりそのものが外へ引き出されたみたいだった。
光の筋は、別フレームに切り出された私の右手へ絡みつく。
ぐい、と引く。
私の右腕が、ずるっと元の位置に戻った。
「えっ、いまのなに」
「褒めても何も出んぞ」
「そのセリフ今使う!?」
ぬいは得意げにふんぞり返ろうとして、すぐ耳を伏せた。
「……でも、そろそろ本当にまずい」
女のフレームが、にや、と笑う。
今度は私の顔の筋肉が勝手に引きつった。
「や、やだ……」
笑いたくないのに、口元が上がる。
怖いのに。
泣きたいのに。
「いやじゃな。サムネ顔にされるぞ」
「実況するな!」
ぬいが私の胸元から飛び出した。
小さいくせに、その瞬間だけやけに存在感が強い。
ぬいが女のフレームにぶつかる。
ばちっ、と音がした。
ノイズが弾ける。
フレームが一瞬だけ乱れ、その奥の“元データ”がむき出しになる。
私は反射的に、その中心へ手を伸ばした。
冷たい。
でも、触れた。
そこにあったのは、一本の編集マーカーだった。
デジタル上の目印みたいな、細い赤い印。
たぶんこれが、最初に「ここを切れ」と指定した痕跡。
「これ……!」
掴んだ瞬間、イヤホンの向こうで、ようやく朔夜の声が割り込んだ。
『ゆら! 今どこだ!』
「遅っっっっっそ!!」
『核を見つけたか』
「見つけた! 最初の切り抜き指定! たぶん編集マーカー!」
『壊すな! 固定しろ!』
「その前に助けて!」
『今やってる』
その声と同時に、空間の上部に黒い亀裂が走った。
ばき、ばき、と画面ガラスが割れるみたいな音。
そこから、現実の光が差し込む。
夜見朔夜が降ってきた。
比喩じゃなく、ほんとに。
黒いコートをひるがえして、片手に札束、もう片手に呪符の束。
登場の仕方がいちいち気に食わない。
「派手すぎるでしょ!」
「黙れ。高くついてる」
「まず私の心配しろ!」
「してるから赤字なんだよ」
朔夜は空中で着地し、光板の群れを見渡した。
「……は。最悪だな」
「今さら?」
「登録者を食って増殖してる。二次転載まで根を張ってる」
朔夜が札束をばら撒く。
紙幣が空中で燃え、黒い文字列になって広がった。
「権限接続。収益変換。無断転載経路、逆探知」
光板のいくつかが一斉に燃え落ちる。
女のフレームが悲鳴みたいなノイズを上げた。
「やっぱそういうことできるなら、もうちょい早く来られなかった!?」
「別件の封じを閉じてから来た。文句があるなら蘇生なしにするか」
「それは困る!」
私は赤い編集マーカーを掲げた。
「朔夜! これ!」
「よし。寄越せ」
朔夜は赤い編集マーカーを受け取る直前、ぬいを見た。
「おい、寄生霊獣」
ぬいがぽてっと振り向く。
「形代ごとそいつの位相を固定しろ。消すな」
「理不尽」
「できるな?」
「……できるが、あとで甘いものを要求する」
「安いな」
「足元を見るでない」
ぬいは私の胸元に戻り、ぴたりと張りついた。
その瞬間、私の周囲の輪郭が少し安定する。切り抜かれかけていた頬や喉の感覚が、ようやく戻った。
「ぬい、有能じゃん……」
「わしは高位霊獣じゃ」
「便利枠だろ」
「横暴」
朔夜は赤い編集マーカーを呪符で挟み込んだ。
「最初の“切れ目”を封じる。拡散先ごと焼く」
「え、そんなことしたら」
「再生数は死ぬ」
「いやそこじゃなくて!」
「収益も死ぬ」
「だからそこじゃなくて!」
朔夜が、ほんの少しだけ笑った。
戦うときだけ浮かぶ、性格の悪い笑い方だった。
「無断転載のゴミどもにくれてやる金はない。全部、燃やす」
呪符が開く。
札束が燃える。
黒い空間全体に、数字みたいな光が走る。
登録者権限、強制封鎖。
転載経路、切断。
最初期フレーム、凍結。
切り抜き指定、無効化。
女のフレームが、大きくひび割れた。
何重にも切れていた顔が、一瞬だけ元の輪郭に戻る。
悲しそうなのか、怒っているのかも分からない表情だった。
でも最後に、その口元だけが少しだけ緩んだ気がした。
次の瞬間、光板の群れが一斉に砕ける。
切り抜かれた顔。
切り取られた手。
笑わされた口元。
全部が光になって、ばらばらに散った。
視界が反転する。
黒い空間。
光。
ノイズ。
床。
血。
目を開けたとき、私はナナミの部屋の床に寝かされていた。
「げほっ……!」
激しく咳き込む。
喉が焼けるみたいに痛い。頭も痛い。体も重い。
蘇生って、全然気持ちよくない。
「おはよう」
最悪の声がした。
「最悪の挨拶やめて……」
視線だけ動かすと、朔夜が壁にもたれて立っていた。
ナナミは机の前でへたり込み、放心した顔でこっちを見ている。
鏡は割れていた。モニターは二枚とも落ちている。スマホは沈黙していた。
そして、私の胸の上にはぬいがいた。
さっきまで少しだけ滲んでいた“中身”の気配は、もうほとんど引っ込んでいる。
また、くたっとしたぬいぐるみの形に戻って、何事もなかったみたいにぺたりと乗っていた。
「……ぬい」
指先でつつくと、ぬいはぽて、と横に倒れた。
「撫でるな」
「しゃべる元気はあるんだ」
「……いや、やめるな」
「めんどくさ」
起き上がろうとして、頭痛にうめく。
朔夜が淡々と紙を差し出した。
「今回の請求」
「早っ!!」
「蘇生費、緊急介入費、封印実行費、収益損失補填、機材破損、位相固定補助費」
「ぬいにも請求入ってる!?」
「当然じゃ」
「お前は黙ってて!」
紙を見た瞬間、私は絶叫した。
「高っっっ!?!?」
「割引してある」
「どこが!?」
「お前が核を見つけた分」
「見つけなかったらもっと高かったの!?」
地獄の成果報酬制である。
私は請求書を握りしめたまま天井を仰いだ。
「……なんで毎回、被害者の私が払うの」
「被害者であり、労働者であり、たまに囮だから」
「最後が一番おかしいんだよ」
朔夜は肩をすくめた。
「帰るぞ、ゆら」
「歩けると思う?」
「歩け」
「やさしさゼロ」
ぬいを抱き上げる。
軽い。
でも、ほんの少しだけぬるい。
今夜も最悪だった。
でも、終わっただけまだマシだ。
……たぶん。
そう思った直後、朔夜のスマホが震えた。
彼が画面を見て、ほんの少しだけ眉を寄せる。
「なに」
「次の相談だ」
「は?」
「動画投稿者が一人、行方不明」
「今!?」
「今だな」
私は頭を抱えた。
「帰らせろよ!!」
ぬいが私の腕の中で、ぽふ、と小さく跳ねた。
「やれやれじゃ。次も死ぬのう」
「縁起でもないこと言うな!!」
最悪の夜は、まだ終わらないらしい。
* * *
■今回の登場人物
・影森ゆら
死後でもわりと安定して怪異の内側へ潜れる、最悪な適性持ち女子高生。今回も死後調査担当。
・夜見朔夜
登録者数と現金を燃料に術を使う怪異相談屋。遅れて来るくせに登場だけは格好つける。
・ぬい
下級寄生霊獣。形代であるぬいぐるみの中に収まっている。偉そうで小物だが、境界感知と半寄生補助はできる。
・篠崎ナナミ
切り抜き編集によって怪異の入口を開いてしまった依頼人。今回は生還。
■今回の話の解説
後編では、切り抜き怪異の“正体”を、映像そのものではなく、面白半分に消費されて壊れた輪郭として描きました。
ぬいは今回はじめて、ただのマスコットではなく、寄生霊獣として少しだけ役に立っています。
ただし、強敵の前ではちゃんとビビる小物感も残しています。
ゆらと朔夜の関係は最悪ですが、結局この二人は現場で命を預け合っている、という後編でもあります。




