配信3回目 映ってはいけない切り抜き【前編】
放課後です。
今回は学校帰りから始まります。
ゆらの普通の日常が、通知ひとつで壊れます。
放課後のチャイムが鳴った瞬間、教室の空気は一気にゆるんだ。
椅子を引く音。
笑い声。
廊下へ飛び出していく運動部の足音。
窓の外から差し込む、少しだけオレンジがかった夕方の光。
こういう、なんでもない時間は好きだ。
誰も死なないし。
変な声も聞こえないし。
床下から手が生えてくることもない。
最っ高である。
「ゆらちゃ〜ん……かえろぉ〜……?」
頭の上から、ふわふわした声が降ってきた。
顔を上げると、親友の夜宵るなが、いちごミルクの紙パックを持ったまま首をかしげていた。
親友のるな。
背は小さいし、顔もふわふわしててどう見ても守られる側なのに、胸の大きさだけはどうやっても勝てない。
そのせいで学校の男子からはラブレターをもらいまくっているが、本人は毎回「わたしはぁ〜、なんでかなぁ〜?」で済ませている。納得いかない。
「ゆらちゃん、きょうもぉ……顔しんでるぅ〜……」
「縁起でもないこと言わないで」
「えへへぇ〜……でもぉ、ほんとにしんでそうなんだもん〜……」
「笑って言うな」
私は鞄に教科書を雑に突っ込み、るなと一緒に教室を出た。
夕方の廊下は、どこにでもある高校の放課後そのものだった。
西日が差して、窓ガラスが赤く光る。
グラウンドからは掛け声。
廊下の向こうでは、誰かが明日の小テストの話をしている。
こういう普通の時間を、普通のまま終えたい。
切実に。
「ゆらちゃ〜ん、きょうバイトぉ〜?」
その一言で、一気に気分が落ちた。
「……たぶん」
「たぶん、ってなぁに〜……?」
「私がいちばん知りたい」
“バイト”という言い方をしているけど、あれを一般的な意味のバイトに分類していいのかはかなり怪しい。
時給三百円。危険手当なし。深夜手当なし。労災なし。死亡中は休憩扱い。蘇生費は天引き。
終わってるどころか、労働条件が地獄の概念そのものみたいな職場である。
「またぁ〜、あのひとぉ〜……?」
「うん。あのひと」
「やだねぇ〜……」
「ほんとにな」
るなは霊感がない。
びっくりするくらい、ない。
でもなぜか、怪異の近くにいる。嫌な場所を踏む。よくない入口を引く。本人に自覚がないのが、いちばん怖い。
朔夜に言わせると、
『見えないくせに寄せる一般人が一番面倒だ』
らしい。
全面的に同意だ。
昇降口を出ると、夕方の空気は少しぬるかった。
校門の向こうには、見慣れた帰り道。コンビニ、細い商店街、古いマンション、電柱、信号。
どこにでもある街だ。
でも、夕方を過ぎると急に、知らない顔を見せる。
「ゆらちゃ〜ん、コンビニよるぅ〜?」
「寄る。甘いの買いたい」
「わたしもぉ〜、あまいのほしい〜……」
「さっきいちごミルク飲んでたじゃん」
「あれはぁ〜、のみものだよぉ〜?」
「甘いの分類じゃないんだ」
るなはえへへぇ〜、と笑った。
そのとき、スカートのポケットでスマホが震えた。
嫌な予感がした。
こういう予感は、だいたい当たる。しかも最悪の方向で。
画面を見た瞬間、私は足を止めた。
表示された名前は、夜見朔夜。
「うわ」
「どうしたのぉ〜?」
「うわまじサイアクなやつから連絡きたわー」
「えぇ〜……だれぇ〜?」
「人の人生をブラック労働に変える男」
「わぁ〜……それはぁ〜、だいぶやだねぇ〜……」
通知を開く。
【今から来い。軽い回収案件。人手が足りない。逃げるな。】
「軽い案件、ね……」
私は真顔になった。
軽かった試しがない。
こいつの言う“軽い”は、だいたい「まだ即死じゃない」の意味でしかない。
「どうしたのぉ〜……?」
「大丈夫じゃないやつ」
「きょうもぉ、いくのぉ〜……?」
「行かないと後で余計に面倒なんだよね……」
るなが少しだけ不安そうに、でもいつもののんびりした調子のまま私の顔をのぞきこむ。
「ゆらちゃん、それほんとにぃ……だいじょうぶなのぉ……?」
「大丈夫じゃないけど、まあ死ぬほどじゃ――」
言いかけて、口をつぐむ。
「……」
「……え、なんで黙るのぉ〜?」
「いや、今の言い方、縁起悪いなって」
「こわいこと言わないでよぉ〜……」
るなが、ふと商店街のガラス張りの店先を指さした。
「あれぇ〜……いまのひと、首へんじゃなかったぁ〜……?」
「は?」
振り向く。
でも、ガラスには赤っぽい空と、通行人と、私たちの姿が映っているだけだった。
「……見間違いじゃない?」
「うぅ〜ん……そうかもぉ〜……」
本人は、もう忘れたみたいな顔だ。
忘れられないのは、だいたいこっちだ。
追加通知が来る。
【映像案件だ。コメント監視要員がいる。早く来い。】
「最悪」
「そんなにぃ〜?」
「そんなに」
私はため息をついた。
「……ごめん、るな。今日、寄り道なし」
「えぇ〜……」
「今度おごるから」
「ほんとぉ〜……?」
「ほんと」
「じゃあ、いっかぁ〜……」
安い。
でも助かる。
「ゆらちゃん、きをつけてねぇ〜……」
「うん」
「しんじゃだめだよぉ〜?」
「だから縁起でもないって」
るなと別れて電車に乗り、私は夜見よろず相談事務所へ向かった。
夜見よろず相談事務所は、表通りから一本入った細い路地の三階にある。
雑居ビルの外階段は古く、踊り場の蛍光灯はいつも半分くらい死んでいる。
知らない人が見たら、占い師か探偵か、すぐ潰れそうな便利屋にしか見えないと思う。
だいたい合ってる。
私は諦めて扉を開けた。
「お邪魔しま――」
最後まで言う前に、紙の束が顔面に飛んできた。
「うぶっ」
「遅い」
低くて気だるい声が、事務所の奥から飛んでくる。
「一応来た人間に対して、第一声がそれなの終わってない?」
「早く座れ。説明する」
机の上のタブレットには、動画サイトの再生画面が開いていた。
【心霊】配信中に映った“知らない女”がやばい【切り抜き】
「うわ、最悪そう」
「最悪だ。三時間で拡散した」
朔夜がキーボードを叩くと、同じ動画の別バージョンがずらっと並んだ。
古びたマンションの一室で、若い男二人が心霊配信をしている映像。
その中の数秒、奥のドアガラスに、見知らぬ女の横顔らしきものが映る。
そして、その瞬間だけが何度も繰り返される。
「依頼人は、元配信者じゃない。編集担当」
「編集担当?」
「切り抜き担当の女だ。バズると思って、その数秒を強調して上げた。そこからおかしくなった」
「具体的には」
「鏡で、首から上が映らなくなった。動画を見返すたびに、自分の動きが数秒飛ぶ。今朝、モニターに自分の首だけ映った」
「帰る」
「帰るな」
朔夜は机の端を指で叩いた。
「今回は映像怪異だ。切り抜かれた瞬間だけを食うタイプだ。お前は先行で入れ。コメント監視と異常察知をしろ」
「なんで私が」
「向いてるからだよ」
そのとき、事務所の隅のソファの上で、何かがもぞ、と動いた。
「……え?」
見れば、くたっとした小さなぬいぐるみが、ソファの背にもたれかかるみたいに座っている。
「なんでいるの、ぬい」
そう。ぬいだ。
ぬいぐるみみたいなので、ぬい。
名前の付け方は雑だけど、実際そうとしか言いようがない。
ただし、これがただのぬいぐるみではないことも知っている。
中に入っているのは、配信二回目で私に住み着いた下級寄生霊獣。
本体をむき出しでふらつかせると現世で安定しにくいから、いまは小さなぬいぐるみを形代にして収まっている――らしい。
ぬいは、ぽて、と横に倒れたあと、えらそうに口を開いた。
「やれやれじゃ。呼ばれたからには仕方あるまい」
しゃべった。
しかも今日も偉そうだ。
「持ってけ」
朔夜が当然みたいに言う。
「わしを荷物みたいに言うでない」
「お前は便利枠だろ」
「横暴」
「ほら、便利」
「会話成立してるようでしてないんだけど?」
私はソファへ近づいた。
ぬいはころんと起き上がって、布の短い手足をじたじたさせる。
「今回は映像系じゃろ。位相が切られやすい。わしの形代があった方がよい」
「ぬいまで同じこと言うの?」
「褒めても何も出んぞ」
「褒めてない」
ぬいを持ち上げる。
軽い。
でも、ほんの少しだけぬるい。誰かがさっきまで抱いていたみたいな変な温度がある。
「……きみ、ほんと何者なの」
「高位霊獣じゃ」
「絶対ちがう」
私はぬいを片腕に抱えた。
「恥ずかしいんだけど」
「誰も見ておらん」
「誰も見てない」
「ハモるな」
最悪だ。
依頼人、篠崎ナナミの部屋は、駅から少し離れた古い賃貸マンションの五階だった。
オートロックは壊れているのか、エントランスの自動ドアは半開き。
共有廊下の蛍光灯は白すぎて、逆に血の気が引くみたいな色をしていた。
片腕に抱えたぬいが、マンションに入ったあたりからやけに静かだった。
ぬいぐるみの布の奥で、何か小さな獣が身を縮めているような気配がある。
「……やな感じ」
「それ強いやつじゃ」
「急に弱気になるな」
五階。
廊下の奥で、女の人が手を振った。
「影森さん……? 一人、ですか?」
「はい。所長はあとから」
篠崎ナナミは、思っていたより普通の人だった。
ラフな部屋着。細い体。顔色は悪い。
でも目だけがひどく赤く、ずっと寝ていない人みたいだった。
部屋に入る。
ワンルームだけど、編集環境だけはちゃんとしていた。
大きなデスク。デュアルモニター。ノートPC。外付けSSD。配信用ライト。
そして壁際には、小さな全身鏡。
入った瞬間、空気が少し重かった。
「それで、症状をもう一度整理してもらってもいいですか」
ナナミは机の前に座ったまま話し始めた。
最初は、ただのバズだった。
いつもみたいに見どころを抜いて、短尺を作った。
そのとき、奥のガラスに映る女の横顔に気づいた。
怖かった。でも、怖いほど伸びる。
だから、その数秒を何度も強調した。
「そこから、おかしくなったんです」
ナナミの指先が震えている。
「最初は、自分のスマホのカメラだけだったんです。写真を撮ると、指が一本足りなかったり、肩のところが変に切れてたりして……」
「はい」
「だんだん鏡でもおかしくなって……三日前から、首が映らないときがあるんです。昨日は動画を見返してたら、自分が椅子に座った記憶だけなくて……気づいたら床に倒れてて。今朝、モニターに、自分の首だけ映ってました」
ぞわ、と腕に鳥肌が立つ。
私はイヤホンを押さえた。
「朔夜。聞こえてる?」
『聞こえてる。右奥、編集モニターの反射見ろ』
黒い待機画面になっているモニターに、部屋が薄く反射している。
デスク。椅子。ナナミ。私。
……私?
一瞬だけ、反射の中の私は、こちらより少し遅れて瞬きをした気がした。
「っ」
『拾ったな』
「やだなに今」
「やっぱり何かいるんですよね……?」
ナナミの声が震える。
私は努めて平静を装った。
「まだ軽い異常です」
「この時点で軽くないじゃ」
「黙っててぬい」
私はPCの前に座り、問題の動画のタイムラインを開いた。
古いマンションの廃部屋。配信者の喋り。ノイズ。懐中電灯の揺れ。
そして、ドアガラスの端に映る女の横顔。
さらに少し戻す。
少し進める。
その瞬間、タイムラインの下に、本来ないはずの短い黒いクリップがひとつ挟まっているのが見えた。
「……なにこれ」
「え?」
「このクリップ、追加しました?」
「してないです」
クリックする。
真っ黒な数フレーム。
そのあと、ぶつっと音が鳴って。
女の口元だけが、画面いっぱいに映った。
にや、と笑っていた。
「っ、やば――」
『開いたか。ナナミから離れろ。鏡を見るな』
背後で、ナナミが悲鳴を上げた。
振り返る。
全身鏡に、ナナミは映っていなかった。
いや、正確には違う。
体は映っている。首から下だけ。
肩の上が、すぱっと切り落とされたみたいに、何もなかった。
「いやぁっ!?」
『ゆら、ナナミを鏡から離せ!』
「分かってる!」
私はナナミの腕を掴いて引いた。
その瞬間、モニターの黒い画面に映る反射の中で、私たち二人だけがまだ鏡の前に立ったままだった。
ワンテンポ遅れている。
反射の中のナナミは首がない。
反射の中の私は、笑っていた。
「は?」
現実の私は笑っていない。
なのに、反射の私は口元だけゆっくり吊り上がる。
机の上のナナミのスマホが勝手に震えた。
コメントみたいな文字が、どのアプリも開いていないのに連続で流れていく。
【そこ、抜ける】
【顔いいね】
【喉寄って】
【その子の反応使える】
【笑ってる方かわいい】
「……なにこれ」
『ゆら、出ろ。今すぐ部屋から出ろ』
「ナナミさん、行きます!」
玄関へ向かった、その一歩目で違和感があった。
床が近い。
「え?」
視界がぐらっと傾く。
ナナミが二歩進んだ位置にいる。
私はまだ一歩目のはずなのに、感覚が飛んでいる。
『カット飛びだ! そのまま壁沿いに――』
遅い。
胸元のぬいが急にぶるっと震えた。
「え」
「むりむりむり。強いやつじゃ。わし帰る」
「今それ言う!?」
ぬいぐるみの布の奥で、本体の寄生霊獣が身を縮める気配がした。
次の瞬間、床の感覚が切れた。
踏んだ、と思った。
でも踏んでいない。
立っている、と思った。
でももう落ちている。
世界が、変なふうに切れた。
前後の繋がりだけがなくなって、途中が丸ごと抜け落ちる。
視界が反転する。
玄関の段差。床。壁。ナナミの悲鳴。
モニターに映る、笑ったままの私。
嫌だ、と思う間もなく。
頭が、硬い角にぶつかった。
ぐしゃ、という鈍い音が、やけにはっきり聞こえた。
痛い。
と思ったのは一瞬で、次にはもう痛みが遠くなる。
床に広がる血だけが、やけに鮮やかだった。
あ、これ。
私、また死――
そこで、意識が途切れた。
* * *
【後書き】
■今回の登場人物
・影森ゆら
普通の日常が好きなのに、またしても最悪な案件へ駆り出された女子高生。今回は学校帰りから災難。
・夜宵るな
ゆらの親友。のんびりふわふわ系。霊感はないが、なぜか嫌なものを引き寄せやすい。
・夜見朔夜
顔はいいが性格と雇用環境は最悪な怪異相談屋。今回もゆらを先行で投げ込んだ。
・ぬい
下級寄生霊獣。ぬいぐるみの形代に入って持ち運ばれている。偉そうだが小物。強い相手にはすぐ弱気。
・篠崎ナナミ
動画編集フリー。バズ狙いの切り抜きが、怪異の入口を開いてしまった依頼人。
■今回の話の解説
前編では、ゆらの学校側の日常と、そこへ通知ひとつで怪異案件が侵入してくる流れを描きました。
“切り抜き”という現代的な消費のされ方そのものが怪異化するのが今回の肝です。
そして、ゆらはいつも通り前半ラストで死にます。
後編では、死後空間での調査と、ぬいの本領が少しだけ出ます。




