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配信2回目 出口が増える地下通路 ――八番目の出口は、外へ出ない

地下は、地上より明るいくせに、逃げ道が少ない。

見落とした異変ひとつで、帰れなくなる夜がある。

あと今回も私は、ちゃんと死にます。

 白すぎる蛍光灯が、地下通路を平たく照らしていた。


 昼なら人の流れに紛れてしまいそうな、ただの乗り換え通路。なのに深夜に近い時間帯のそこは、妙に広く、妙に静かで、足音だけが遠くまで響く。閉店した店舗のシャッターが並び、壁の広告パネルだけがやけに明るい。タイル張りの床はうっすら湿っていて、空気はぬるいのに、首筋だけが寒かった。


 そして、出口案内板には、ありえない数字が並んでいた。


 出口1。

 出口2。

 出口3。

 出口4。

 出口5。

 出口6。

 出口7。


 その隣に、はっきりと。


 出口8。


「……ねえ」


 自分の声が、思ったより小さかった。


「ねえ待って。待って待って待って。八番出口なんて、ないって言ってたよね?」


 隣でスマホを構えたままの男――夜見朔夜は、面倒くさそうに答えた。


「言った」


「言った、じゃないのよ!」


 配信画面にはコメントが流れ続けている。


《ゆらちゃんかわいい》

《JK最高》

《今日も悲鳴助かる》

《8番あるじゃん》

《さっき7までしかなかった》

《後ろ見ないで》

《案内板増えてる》

《ゆらちゃんガチ顔で草》

《いや笑えん》

《奥に誰かいる》


「コメント欄の温度差どうなってんの!?」


 半泣きで怒鳴った私の足元で、灰白色の小さなかたまりが尻尾を揺らした。狐みたいでもあり、子犬みたいでもあり、くたびれたぬいぐるみみたいでもある、手のひらサイズの変な霊獣。片耳だけがへたり、金色の目だけが妙に生意気だ。


「騒ぐでない。深くなるぞ」


「お前もなんでそんな落ち着いてんのよ!」


「慌てても出口は減らん」


「減らせよ!」


 朔夜が、配信画面から目を離さず低く言う。


「影森。次に表示が変わったら走るな」


「そういうフラグ立てるなって言ってんの!」


 その瞬間だった。


 案内板の蛍光灯が、ぴし、と小さく弾けるみたいな音を立てた。出口8の隣、まだ形になりきっていない数字の影が、じわりと滲む。


 出口9。


 同時に、通路の奥から、ぴた、ぴた、と濡れた足音が近づいてきた。


 見えない。けど、いる。


《9出た》

《増えた》

《やばい》

《走れ》

《走るな》

《左の床》

《奥に赤いのいる》

《ゆらちゃん逃げて》


 私は反射的に一歩下がった。


 その一歩先の床が、なかった。


「……え」


 出口8の先は、地上へ続く階段なんかじゃなかった。黒く口を開けた、底の見えない落差だった。支えが消える。視界が傾く。


「いや――」


 落ちる。


 白い光。案内板。朔夜の声。足元で逆立つ灰白色の尻尾。


 全部が一度に遠ざかって、視界が裏返った。


 ――話は数時間前に戻る。


     ◇


 私は、夜見よろず相談事務所の机に突っ伏していた。


 古い書類のにおい。配信機材の熱。半分飲みかけのコーヒー。積み上がった怪しい札。延長コード。ソファに投げられた上着。人が働く場所というより、雑居ビルの一室に生活感と心霊現場の残骸を無理やり共存させたみたいな、終わってる空間だ。


「なんで死んだ翌日も普通に働かされてるの……」


 相談メールの返信文を打ちながら呻く私に、背後から朔夜が答える。


「死亡中は休憩扱いだが、生還後は通常勤務だ」


「その就業規則作ったやつ、今すぐ地獄行け」


「もう呪われてる業界だから問題ない」


「よくない!」


 机の端には、私の人生を破壊する紙が置いてある。蘇生費、護符消費、呪具破損、出張費、雑費。意味の分からない項目が整然と並んでいて、見るたびに呼吸が浅くなる。


「四千九百八十万円って何。何回見ても数字が犯罪なんだけど」


境界写鏡きょうかいしゃきょうは一点ものだ。安いほうだ」


「どこが!?」


 その時、メールの着信音が鳴った。


 朔夜がスマホを見て、ほんの少しだけ眉を寄せる。


「……妙だな」


「なにが」


「件名」


 嫌な予感しかしない。私は椅子ごとにじり寄った。


 件名には、こうあった。


出口が増える 助けて 夜見


「怖っ」


 本文を開く。差出人は若い会社員女性。毎晩同じ地下通路を使って帰宅しているが、ここ数日、出口表示が増えているという。最初は見間違いだと思っていた。でも昨夜は、絶対に存在しないはずの八番出口があった。さらに、自分のスマホの下書きに覚えのない文章が残っていた。


8に行くな

増える前に呼べ

夜見


「いやなんでうちの名前が入ってんの」


 朔夜は少しだけ黙ってから、ぽつりと呟いた。


「……呼ばれてるな」


「人間にじゃなくて怪異に!?」


「たぶんな」


「やだよそんなの! 怪異にも口コミで広がる相談事務所とか終わってる!」


 少しして、相談者本人が事務所に来た。


 細身のスーツを着た二十代後半くらいの女性。顔色が悪い。寝不足なのか、あるいはそれ以上の何かに削られてるのか、目の下にうっすら影がある。部屋に入ってきた瞬間から、何度も背後を気にしていた。


「すみません……急に」


 朔夜は営業用の顔で椅子を示した。


「内容次第で対応します」


「その“内容次第”の言い方、毎回ちょっと腹立つ」


 私が小声で言うと、当然無視された。


 相談者の話は、こうだった。


 毎晩、同じ地下通路を通って最寄り出口へ向かう。最初に違和感を覚えたのは一週間前。案内板の数字が少し違った。次の日には、同じ広告ポスターを二回見た。その次の日には、非常口ランプのひとつが赤くなっていた。そして昨夜、ついに見た。


「……その地下通路、出口は七つまでなんです」


 彼女の声が震える。


「でも、八番出口の表示があって……写真を撮ったんですけど、朝見たら写ってなくて」


「他には」


 朔夜が促す。


「スマホのメモにも、メールの下書きにも、覚えのない文章がありました。あと……同じ通路を使ってた同僚が、先週から来てなくて」


 私は思わず肩を抱いた。


「やだ……」


「体調不良って聞いたんですけど、その前の日に“出口がひとつ多かった”って言ってて……。あと、ニュースにはなってませんけど、あの辺で行方不明になった人がいるって話も」


 空気が少し重くなる。


 朔夜はスマホで何かを確認して、低く言った。


「……半年で数件。失踪、不審死、転落。監視カメラに映ってるのに出口へ到達してないケースもある」


「それ、もう普通に人死んでるじゃん」


「そうだな」


「そうだな、で済ますな!」


 相談者は膝の上で指を強く握りしめたまま続けた。


「最近、帰宅しても靴の裏が濡れてるんです。地下の水みたいな汚れが、部屋の玄関までついてて。あと、寝ると夢でも地下通路にいるんです」


 ぞわっとした。


 朔夜の目だけが、少し冷たくなる。


「案件受理だ」


「即決!?」


「放置すると死者が増える」


「その言い方だと私もカウントに入ってるよね!?」


「入ってる」


「嫌すぎる!」


 相談者が帰ったあと、朔夜は机に地下通路の地図を広げた。


「通路そのものが怪異化してるわけじゃない。出口の認識が食われてる」


「出口の認識?」


「人間が“ここが出口だ”と理解する情報だ。案内板、矢印、現在地表示、進行方向。そういうものが少しずつズレて増えてる」


「最悪なバグじゃん……」


「異変を見落とすほど深度が進む。最終的には本来の地上へ戻れなくなる」


「ゲームのルール説明みたいに言うな」


「配信映えする」


「その発想を捨てろ!」


 さらに朔夜は、相談者のスマホに残った文面についても仮説を立てた。


「“夜見”への誘導は、怪異側の微弱接触だろうな」


「つまり怪異が“助けて”って言ってるってこと?」


「助けて、か。あるいは“片付けろ”だな」


「嫌な二択!」


 そして当然のように言う。


「影森、同行」


「なんで!?」


「霊的反応を拾いやすい。あと配信で視聴者の反応が取れる」


「私をセンサー兼リアクション担当にするな!」


「時給三百円」


「安すぎる!!」


     ◇


 その夜、私たちは問題の地下通路へ来ていた。


 中京圏の巨大な街は、地上のネオンと高架の音だけでできてるわけじゃない。地下へ降りれば、そこにももうひとつ別の街がある。飲食店街の灯りが落ち、シャッターが半分閉まり、案内板と自販機と広告の光だけが残る時間帯の地下通路は、妙に清潔で、妙に古くて、だから余計に怖い。


「もう帰りたい」


 階段を降りた瞬間に言った。


「まだ始まってない」


「始まる前から嫌なの!」


 朔夜は配信機材を起動する。画面には、いつものようにコメント欄が流れ始めた。


【深夜検証】出口が増える地下通路、本当にあるのか


「煽りタイトルやめろ!」


「見られないと維持費が出ない」


「命のかかった案件に収益構造持ち込むな!」


《ゆらちゃん今日もかわいい》

《JK最高》

《悲鳴待機》

《この事務所ほんと終わってる》

《地下はガチで怖い》

《左の広告同じの二枚ない?》

《今の通行人、顔見えなくなかった?》

《ゆらちゃん無理すんな》

《朔夜顔いいな》

《後ろ見て》

《え、今なにか横切った》


「“JK最高”じゃないのよ! こっちは仕事で来てんの!」


「配信の視聴者はそういうものだ。異変拾え」


「コメント欄をデバッガーみたいに言うな!」


 それでも、軽いノリのコメントの中に本気の警告が混ざるのが、逆に嫌だった。

 現代っぽすぎて。

 ほんとうに今ここで起きてることを、誰かが見てる感じがして。


 通路を進む。最初の異変は小さい。


 案内板のフォントが少し違う。

 同じ広告ポスターが二度出てくる。

 ゴミ箱の位置が一メートルだけ違う。

 シャッターに水跡が増えている。


「……ねえ。今のポスター、さっきも見たよね」


「見た」


「じゃあアウトじゃん!」


《同じ広告》

《右の時計の位置変わってる》

《さっきなかった汚れある》

《引き返せ》

《でも戻るのもやばい》

《異変見つけたら戻れ》


「ルール分かんないタイプのホラーが一番やなの!」


 その時、通路の端、案内板の影から小さな声がした。


「それ以上、奥へ行くと面倒じゃぞ」


「ひゃっ!?」


 壁際にいたのは、灰白色の小さな獣だった。


 狐みたいな耳。犬っぽい鼻先。ふわふわの尻尾が一本。全体的には、少し古びたぬいぐるみみたいな見た目だ。片耳だけへたれているせいで、なおさら頼りない。


「……犬?」


「犬ではない」


「しゃべった!!」


「人間、騒がしいのう」


 朔夜が目を細める。


「……なるほど」


「なにこれ!?」


「怪異だろ」


「ざっくりすぎる!」


 そいつは通路の隅に座り込んで、いかにも事情通みたいな顔をした。


「増えた出口は数えるな。同じものを三度見たら引き返せ。後ろの案内板は長く見るな。八番出口には近づくでない」


「なんでそんなに詳しいの」


「長くおるのでな」


「その“長くおる”が怖いんだけど」


《狐きた》

《犬じゃん》

《ぬいぐるみみたい》

《かわいい》

《CG?》

《でも普通に怪しい》

《ゆらちゃん気をつけて》


 私はそいつを見ながら言った。


「……なんか、ぬいぐるみみたい」


「は?」


「じゃあもう、お前“ぬい”でいいや」


「よくない」


「でもぬいぐるみっぽいし」


「わしはその辺の愛玩物ではない」


「じゃあ何よ」


「高貴なる霊獣じゃ」


「ぬいでいいね」


「人の話を聞け」


 そこで私は、こいつをぬいと呼ぶことにした。

 雑な命名だとは思う。でも、ぬいぐるみみたいなのだから仕方ない。見た目だけなら、だ。


 朔夜はぬいをじっと見ていた。


「詳しすぎるな」


「知らぬと生き残れん場所じゃ」


「なんか頼れそうかも」


「そういう時にいちばん裏切る」


 その言い方が妙に引っかかった。


 さらに進んだところで、私は案内板の裏に変な傷を見つけた。


 金属フレームの影。普通なら見逃す場所に、爪で引っ掻いたみたいな細い線がある。


夜見

助け

8に行くな


「……朔夜」


「なんだ」


「これ、相談者さんのスマホに入ってた文と同じ」


 朔夜が近づいて目を細める。

 ぬいは、ほんの少しだけ目を逸らした。


「……ねえ。お前、なんか知ってる?」


「さあの」


「怪しい!」


《今の裏に文字あった》

《夜見って書いてない?》

《相談誘導?》

《こいつ呼んだのでは》


 コメント欄の推理が速すぎる。嫌だ。


 そのうち、異変は“変”の範囲を越え始めた。


 案内板の矢印が全部同じ方向を向き始める。

 自販機の明かりが赤い。

 シャッターの下に、靴先みたいな影が見える。

 そして通路の奥に、誰かが立っていた。


 動かない。

 顔が見えない。

 でも、こっちを見ている。


「……あれ、なに」


 ぬいの耳がぴたりと寝た。


「……深くなりすぎたのう」


「何それ」


 朔夜が低く言う。


「お前がやったんだろ」


「全部ではない」


「全部じゃない、って」


 その瞬間、人影がぐしゃりと首だけ曲げた。ありえない角度でこちらを見る。


「ひっ」


《あれ見えてる?》

《人いる》

《首》

《今の無理》

《後ろにもいる》

《ゆらちゃん逃げて》

《出口8の表示出た》


「もう帰ろう!!」


「お前は出口を増やして、何を食ってた」


 朔夜の問いに、ぬいは少し黙った。


「……少し道を増やしただけじゃ」


「それで!?」


「迷った人間の霊気を、少し」


「最悪!!」


 朔夜が、感情のない声で言う。


「下級寄生霊獣。余った出口、忘れられた案内、認識のズレに寄生して、迷った人間の霊気を吸う。そういう類だろ」


「え、こいつそんな感じなの!?」


「わしが直接殺したわけではない」


「でも、お前のせいでここが薄くなって、もっとやばいやつが来てるんでしょ!」


 ぬいは目を逸らした。


「……否定はせん」


 見た目だけで油断したらだめだ。こいつは小さい。ぬいぐるみみたい。でも、やってることは全然可愛くない。

 その時、通路の奥の足音が一気に増えた。


 ひとつじゃない。

 ふたつでもない。


 帰れなかった誰かたちが、一斉にこちらへ歩いてくるみたいな音。


 案内板がまた増えた。出口8が、今度ははっきり光る。その先には、地上へ続く階段と、遠い街の明かりが見えた。


「出られる……!」


 思わず口に出した私へ、ぬいが叫ぶ。


「今はそこしかない!」


 同時に、朔夜が怒鳴る。


「影森、行くな!!」


「どっちなのよ!!」


 人影が増える。首の曲がったやつ。顔の濡れたやつ。案内板の下に立ったまま動かないやつ。


 怖い。考えられない。私は出口8へ走った。


 外の風が吹いた気がした。街の灯りが見えた。


 次の瞬間、床が消えた。


「――え」


 落ちる。


 案内板が、白い光の輪みたいに上へ遠ざかっていく。8、7、6、見覚えのない数字。出口の表示だけが何層にも重なって、視界を埋める。


「いやああああああ!!」


 気づいた時、私は冷たい床の上に立っていた。


 いや、立っているというより少し浮いている。つまり、まただ。

 また私は死んだ。


「……うそでしょ」


 そこは地下通路の裏側みたいな場所だった。


 細長い。暗い。でも真っ暗ではない。赤い非常灯みたいな光が一定間隔で点滅している。頭上には、無数の出口案内板がぶら下がっていた。


 出口1。

 出口4。

 出口7。

 出口8。

 出口8。

 出口12。

 文字化けした表示。


 全部が少しずつ違う。全部がどこにも繋がっていない。


 足元には落とし物があった。


 片方だけのパンプス。

 ひび割れたスマホ。

 濡れた定期券。

 社員証。

 折れた傘。


「……これ、冗談じゃなく……死んでるじゃん」


 その時、背後で小さな足音がした。


 振り向くと、ぬいがいた。さっきより少し輪郭が濃い。でも相変わらず小さいし、相変わらずぬいぐるみみたいだ。


「お前のせいで、また死んだんだけど!!」


「……死ぬとは思わんかった」


「思え!!」


 私は詰め寄る。


「なんで朔夜の名前が案内板にあったの! なんで相談者さんのスマホに、あの下書きが残ってたの!」


 ぬいは視線を逸らした。


「……このままでは、あれが深くなりすぎると思っただけじゃ」


「え」


「案内板にも、端末にも、少しだけ混ぜた。“夜見”と、“助け”と、“8に行くな”を」


 私は言葉を失う。


 つまりこいつは呼んだのだ。

 自分で手に負えなくなった怪異処理屋を。

 相談者を使って。

 人間を媒介にして。


「……じゃあ、助けを呼んだの」


「善意ではない。このままでは、わしも食われる」


「最悪……」


「否定はせん」


 ほんとうに小悪党だった。

 でも最後の最後で、こいつなりにSOSは出していた。

 それが余計に腹立つ。


 非常灯の赤が強くなる。


「……まずい」


「なによ」


「そやつらは、わしの餌ではない」


 暗い奥から、人影がいくつも浮かび上がった。帰れなかったもの。出口だと思って進んだ先で落ちたもの。地下で死んだもの。顔は見えない。けど全員がこちらを向いていた。


「なんでこっち来るのよ……」


「おぬしだけが、まだ戻れる側の魂だからじゃ」


 冷たい一言だった。


 私は逃げる。泣きそうになりながら裏通路を走る。すると壁の向こうの構造が、少し透けて見えた。案内表示の裏。工事で塞がれた出口。誰にも選ばれなかった矢印。その全部が一箇所に集められたような場所がある。


 案内板の残骸の山だ。出口の認識だけを寄せ集めたみたいな塊。そこへ地下通路全体の霊気が吸い込まれている。


「……これだ!」


 私は叫ぶ。


「朔夜! 核見えた! 出口そのものじゃない! 案内板の残骸の塊! これが呼び水になってる! その奥にもっとやばいのいる!」


 現実側から、朔夜の声が返る。


「十分だ」


 ぬいが驚いたように私を見る。


「見えるのか、おぬし」


「見えるよ! 死んでるし!」


 次の瞬間、現実側で術が起動する気配が走った。護符の焼ける匂い。数字が減っていく配信画面。朔夜の大事なものが、また平然と燃料にされている気配。


《出口消えてる》

《案内板落ちた》

《ノイズやば》

《ゆらちゃんどこ》

《小さいの映った》

《狐?犬?》

《ぬいぐるみじゃん》

《赤い人影いる》

《うわ無理》


 朔夜の声が低く響く。


「境界固定。誤認切断。帰路再接続」


 案内板の残骸が光を噴いて燃えた。奥の人影たちが一斉に軋む。濡れた足音が怒ったみたいに跳ね返る。ぬいの小さな巣もまとめて焼けていく。


「待て待て待て! それは話が違う!」


「違ってない」


「今回は私もない!!」


 封印が進むにつれて、ぬいの輪郭が薄くなっていく。ふわふわした毛並みの端が煙みたいに消え始めた。


 現実側から朔夜が言う。


「相談者へ辿り着く導線を作ったのも、お前だろ」


 ぬいは黙る。


「案内板に混ぜた文字列。端末に残った下書き。微弱干渉にしては上出来だ」


「……もっと死ぬと思った」


 ぬいの声は小さかった。


「このままでは、ここが底まで裂ける。わし一匹では、どうにもならんかった」


 その直後、裏通路が崩れ始めた。私は帰路の光へ引っ張られる。

 その瞬間、ぬいが飛びついてきた。


「ちょっ、なに!?」


「消えたくない」


「知らないよ!」


「住処を失った!」


「それ私のせいじゃない!」


「おぬしに少し寄れば維持できる!」


「寄るな!!」


 でも、ぬいは私の肩口に必死にしがみついた。完全に寄生する力はない。でも離れたら消える。その情けなさがちょっとだけ哀れだった。


 気づけば、現実側へ戻っていた。


「げほっ……! いたっ……!」


 床に膝をついて咳き込む。肺に空気が流れ込む。つまり蘇生だ。


 朔夜は相変わらず平然としている。足元で、ぬいがふらふらしながら座り込んでいた。


「……なんでいるの」


「勝手についてきた」


「住処を失った」


「私こいつのせいで死んだんだけど!?」


「知ってる」


「じゃあ剥がしてよ!」


「使えるなら残す」


「判断が早い!」


 ぬいはまだ弱々しいくせに、偉そうに言った。


「勘違いするな。いずれ乗っ取る」


「宣言が最低!!」


挿絵(By みてみん)


     ◇


 事務所へ戻ったあと、私はソファに沈み込んでいた。


 ぬいは当然のようにテーブルの端にちょこんと座っている。灰白色の毛並み。へたれた片耳。小さい鼻先。ほんとに、見た目だけならそこらのぬいぐるみと大差ない。


「……ていうか、なんでぬいなのか説明しとくけど、ほんとにぬいぐるみみたいだからだからね」


「不本意じゃ」


「だってぬいぐるみみたいじゃん」


「高貴な霊獣じゃ」


 朔夜が横から挟む。


「低級寄生霊獣だがな」


「低級ではない」


「いや、思いっきりそういう感じだったでしょ」


 私はぐったりしたまま、改めて言う。


「ぬい。こいつが私たちを呼び寄せた。案内板に文字を混ぜて、相談者さんのスマホに変な下書きまで残して。でもこいつ自身が、地下通路を薄くしすぎて、もっとやばいのを呼び寄せてた」


 言葉にしてみると、ほんとにろくでもない。


「最低じゃん……」


「否定はせん」


 朔夜は帳簿を開いた。


「監視下で保留だ」


「ペットみたいに言うな!」


「雑霊避けくらいには使える」


「雑霊ではない!」


 私はテーブルに突っ伏した。


「なんで加害者が居候してんの……」


 しばらく黙っていたぬいが、ぽつりと言った。


「……あの奥まで落ちて、戻ってきたのか」


「なによ」


「おぬし、ほんとうに変な人間じゃの」


 その返しだけが妙に静かで、私はちょっとだけ言葉に詰まった。


 ぬいは見たのだ。私が“戻ってくる側”の魂だってことを。地下通路の底まで落ちても、それでもこちらへ戻ってくる、変な人間だってことを。


 まあ、それとこれとは話が別だ。


 朔夜が電卓を叩き始めた時点で、私はすべてを察した。


「……やめて」


「今回の蘇生費、出張費、護符、配信赤字、機材調整費」


「やめてって言ったよね!?」


「あと、ぬいの維持コスト」


「なんで加害者の維持費まで私持ちなの!?」


「甘いものが欲しい」


「図々しい!!」


 その時、またメールの着信音が鳴った。


「いやだ!!」


 朔夜が画面を見て、短く言う。


「次だな」


「やだって言ってる!!」


「件名。

 “配信アーカイブにだけ知らない人が映る”」


 私はソファの背もたれに頭を打ちつけた。


 中京の大都市の夜は、思っていたよりずっと怪異に近い。

 そして私の借金は、思っていたよりぜんぜん減らない。

 そのうえ、ぬいぐるみみたいな最低怪異まで増えた。


 ほんとうに、最悪の職場だった。


 つづく

ここまで読んでくださってありがとうございます。

配信2回目では、地下通路案件と新レギュラー(?)のぬいが登場しました。

次はたぶん、配信アーカイブでまたひどい目に遭います。


今回の登場人物


影森ゆら

死んでも働かされる女子高生。今回もちゃんと落ちて死んだ。


夜見朔夜

夜見よろず相談事務所の主。今回も配信しながら助けたが、当然のように請求する。


ぬい

ぬいぐるみみたいなので、ゆらに「ぬい」と名付けられた低級寄生霊獣。今回の地下通路異変の原因の一端であり、同時に夜見たちを呼び寄せた張本人。見た目は可愛いが、性格は小悪党。

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