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私のためだけの勝利を掴み取り、快哉を挙げるまでは諦めない

作者: とも

「ざまぁ」はありません。

周囲への意趣返しを決心する話。

 これは小説などでよく見た、異世界転生では?


 はたと思いついたのは、燦々と光あふれる祭壇の前だった。

 目の前に立っている美丈夫は、たった今将来を誓い合った夫?である。いや、夫の筈。


 何故疑問形か?


 苦虫をかみつぶしているかのような表情からも一目瞭然だろう。「不本意だ」と顔中で表現している。


 望んでいない結婚?

 お前を愛することはない?


 上等だ。自分だけが不幸だと思い込んでいる勘違い男が。

 そちらがそのつもりなら、こちらも同じだと何故思い至らない。


 些かも心がこもっていない手つきでベールを持ち上げられる。

 推定夫はベールの中から現れた、自身がしているのと同じくらい、いや現在進行形でどんどん険しくなっていく私の顔をみて、ぴくりと眉を上げた。










「おめでとう、お姉様」


 式後の宴席で、ドレスの裾をひらりと翻しながら、金髪碧眼、ザ・美少女といった風情の娘が祝福を告げる。


 祝福?いや、呪いだろう。


 証拠に、笑顔を作る瞳は隠しきれない愉悦でほの暗い底光りを帯びていた。

 甚振る気、満々だな。おい。殺意が強い。


 式の間、式が終わって宴席用のドレスに着替える間。

 ちっとも丁寧ではないメイド達の手によって、流れ作業の如く整えられる自分の顔を鏡で見ながらこれまでの事を思いだす。


 先程までの私は、なるほど、不幸な身の上だった。ドアマット極まれりといった風情である。


 よくある話だ。生母が亡くなってすぐ、愛人とその娘を引き入れた父に、呆然とした。

 直ぐもすぐ、葬式が終わった翌日だ。

 今の私なら、常識を弁えろ、と殴っていたに違いない。


 それでも。


 引き合わされた当日は、呆然としたまま就寝をしたものだったが、次の日にはなんとか飲み込んで、「こんにちは」と挨拶をした私は、我ながら健気だった。


 母が生きていた頃から、冷たい夫婦関係は見て取れていたから。

 執事が申し訳なさそうな目で見ていたから。

 継母と連れ子もぎこちなさはあったものの、「こんにちは、宜しくお願いいたします」と返してくれた。

 「仕方ない」の諦念と共に、少しだけ明るい、仲の良い家族といった希望を持ってじりじりと歩み寄っていた私たちをぶち壊したのは他でもない父だった。


 それからいくらも経たないうちに、家に帰ってこなくなったのだ。


 仕事が忙しい、と嘯いていたが十中八九新しい女だろう。

 今なら判る。あれは手に入った女には興味を無くす、厄介なタイプの下劣な男だ。


 仕事と女にしか目がないあの男は、家の中を顧みない。

 結果、溜まりに溜まった継母の苛立ちをぶつけられる私はたまったもので無かった。

 思えば彼女も可哀想な境遇だ。

 愛人から正妻にステップアップした途端に興味は無くなったとばかりに放置されて。

 末は前妻と同じになる、すなわち死もあり得ると思い至れば恐怖だろう。

 しかも夫は貴族だ。妻側からの離婚は、社会通念上ほぼ不可能である。


 将来に対する恐怖、顧みない夫への怒り、上位貴族への妬み。


 諸々ひっくるめた結果、恐らく正常の域から少し足を踏み出したのだろう。

 目の前に居る前妻の面影を持った私に、全ての鬱憤をぶつけたのだ。


 かろうじて使用人ではない、といった程度には冷遇されていた私は、今思うと何故耐えた?と思うほど、只闇雲に耐え忍んだ。

 躾と称した体罰もあった。家政を押しつけられて寝る暇も無かった。

 中央府に席を持つ父は、領政が疎かになりがちだった。

 手の回らない部分は執事と私に押しつけられていたが、継母は「貴方のためですもの」と言って、その手柄を取り上げてしまう。

 褒美にと、金のかかるドレスや宝飾品を買いあさる継母と義理の妹に苦言を呈しては、頬を叩かれ、背に鞭を食らった。


 没落男爵家の娘で王宮でメイドとして働いていた継母は、貴族としての知識と矜持は残っていたのか、目にみえる部分に傷を残したり決定的に身体を損ねるような真似はしてこなかった。


 その分、心を折りにかかったのには参ったが。

 おまけに連れ子もいつの間にか、母に習って私を虐げにかかってきた。

 まるで継母が二人になったようだった。


 そりゃあ四六時中、私への呪詛めいた言葉を聞いていれば、貶めて良い存在と誤解するだろう。

 本当にたまったものではない。


 そしてそして。


 最大の嫌がらせとして、「結婚はしない」「真実の愛に準じる」と嘯きながら幼なじみの女を屋敷に囲う男の妻の座に、私をねじ込んだのだ。

 ほぼ帰宅することも無い父も、諸手を挙げて賛同した。

 家族に興味の無い父は、継母がことある毎に吹き込んだ「出来の悪い、見目が地味な娘」「愛想が無い。これでは嫁入りに苦労するだろう」といった、私を下げるために吐かれた言葉を真実のものと信じていたせいだ。


 私への嫌がらせのためだろうが、外から見れば義娘のために東奔西走し、無事成功を収めた継母は、父に褒められて頬を染めて喜んでいたのを覚えている。


 顧みることのない夫を支える妻として自分と同じ境遇に、いや、お飾りの妻として周囲から侮られ、詰られる分より不幸な境遇が確定な家に私をたたき込んで、溜飲を下げようとしたのか。


 本当に、哀れだこと。


 皮肉に口の端を歪めて嘲笑う。

 全く、哀れだ。私も、継母も。









 宴席に向けた衣装替えが終わったのか、侍女達が前触れも無く身を離す。

 そのまま一言も無く控え室に取り残された。

 この後どうしろと?このまま待機していろと?


 ため息を吐いたとき、いきなり扉が開かれ、つい先ほど永遠の愛なるものを誓った男がどかどかと足を踏み入れてきた。


 私を見て、ふんと鼻を鳴らして蔑みを隠さない目を向けて。


「来い」


 たった一言告げて二の腕を取られる。

 引きずるように連れて行かれた宴席でも渋面を隠さない男の横で、私も表情を消す。


 ただならない雰囲気を発する新郎新婦に、ざわりと周囲は響めくがそこは招待客は皆貴族だけある。当たり障りのない挨拶を寄越し、それに答える内に、着実に時間は過ぎていった。






 ようやく湯浴みも終わり、またしても不機嫌そうなメイドに身を整えられて寝室に放り込まれた。

 見回すと、設えられた高級そうなソファに座った推定夫はただ只管に酒を煽っているようだった。


「なんだ?」


 見つめる私に気がついたのか、斜に構えた様子で吐き捨てられる。


「いえ。義務を果たすおつもりは?」

「義務?そうだな義務だ。仕方ない」


 立ち上がり、またしても手首を取られて強い力で引っ張られる。


 蹈鞴を踏んだ私に頓着することなく、乱暴にベットに私を放り投げると、渋面を崩さないまま乗りかかってくる。

「どうして、私が」

 つぶやきながら、憎々しげな瞳を隠そうともせずに夜着に手をかけられ。


 盛大にキレた。


「ふざけんなよ」

「は?」

「この世の不幸を全部背負った顔をして。どうして自分だけが不本意だと思えるのか気が知れませんわ」

「なんだと?」

「貴方が不本意なように、私も不本意だと何故考えないのです」

「何を言うか、お前は」

「貴方に、爪の先ほどの好意も持っておりません」


 強い調子で断言すると、呆気に取られた顔をする。

 その間抜けな様子に、思わず歪んだ笑みが漏れる。


 言葉も出ない様子に、さもありなん、と思う。


 昨日までの私は何を言われても唯々諾々と従い、理不尽な怒りにも「申し訳ございません」と答えるばかりだった。

 ひっそりと佇む様子に、自分への恭順と思慕を感じ取っていたのだろう。

 これまでの「私」は、確かに彼からの好意を希っていた。

 哀れな境遇の中に差し込む、一筋の光のように。

 辛い環境から救い出してくれる、ただ一人の英雄として見ていたのだから。


 驚いた顔を見せながら動かない夫にじれ、彼の顎に手をかけ、ぐいと押し込む。


 ざり、という手応えがあった。あらいやだ。髭があるじゃないの。

 髪と同じ、銀寄りの薄い金色と同じ色だから目立たないのか。この世界の刃物の質はあまり良くないのかもしれない。


「なに、を!」


 苦しげな声が上がるのを無視して、腹に膝を当てて押し上げる。

 さらに体が浮いたのを確認し、少し無理な体勢だが膝を織り込んで足の裏を胸に当ててから、思い切り足を伸ばすと蹴り上げるような形になった。


「うわ!」


 はじけ飛ぶ、とまではいかないが、ごろりと寝台の下に転がった夫…とは言いたくない 男の顔を見て、さっきの仕返しとばかりに鼻で笑ってやった。


「囲っている女と結婚するなら、嫡男の座から降りろと言われたそうですわね。それで売り込みに来た我が継母の話にうまうまと乗ったと。なんとまぁ卑劣な」

「何だと?」

「そうでございましょう?せっかく手の内にある次期当主の座は惜しいですものね。ああ。嫡男の座から降りて、新しい当主に頭を下げるのは我慢ならないといったところでしょうか?」

「貴様!」

「お静かに。どうせ近くに執事か侍女長でも控えているのでしょう?踏み込まれて困るのは貴方よ」


 ぐっと息を詰め、憎々しげな目で睨まれるが、全く怖くない。


 伯爵家嫡男であるこの男、無駄に顔が良い。

 当然か。大体の男性貴族は顔の良い女が好きだ。

 結果、美形の遺伝子が受け継がれ淘汰されて、綺羅綺羅しい顔の男女ばかりが生き残る。

 王家など最たる物だ。貴族名簿の最初に掲載されていた美麗な一家の肖像を思い出す。


 そう言えば、継母は冗談かと思うほど美しかった。

 初めて相まみえた時は見惚れたものだ。

 父に囲われて数年。既に「行き遅れ」と称される年齢だった継母だったが、その美貌はかなりのものだった。

 今思えば、よく父になど引っかかったものだ。あの容貌ならもっと良い結婚も望めただろうに。

 ああ、でも地位だけなら言い寄った男の中で最高位だったかもしれない。

 何せ腐っても侯爵だ。かつての男爵令嬢からすれば雲の上の存在だったかもしれない。

 父もご面相は頗る良かったし。

 同じような年齢だし、ひょっとして過去、学園で面識があったのかも。


 つらつらと余所事を考えながら視界に入れていた男の喉が、怒りのためか、ぐぅと鳴る。

 

「好いた女は手放せない。爵位も勿論手放したくない。あれも欲しい、これは嫌だと。我が儘で強欲だこと。それを自覚して、こちらの顔を立てればまだ救いのあるものを被害者面で「辛い理解し機嫌を取れと」。子どもか」


 けっ、と吐き出す。ついでに舌打ちまでしてしまった。

 あらいやだ。最後に素が出てしまったわ。 


 前世の「私」は50代の女だった。

 一応、小さいながらも会社を経営していて忙しく働いていた記憶が薄らある。


 流石、今の「私」の倍近い年齢だけあって、一気に蘇った大人の精神と経験は、「今の私」の自我を押し潰し、磨り潰し、洗い流してしまったらしい。

 柔らかで気弱な部分は不貞不貞しさと可愛げの無さに取って代わったのか、辛かった今生の「私」の体験を改めて俯瞰して見てみると、「何故唯々諾々と耐えていたのか?」としか思えない程馬鹿馬鹿しい。


 あの教会の光あふれる厳粛な空気の中、出来るだけ辛さを感じ取らないようにぼんやりと眺めていた周囲の景色が、急に鮮やかな色を伴ったように見えた。


 恐らく辛いことから目を背けて全てを他人事とすることで殻に閉じ籠り、自分の精神を守っていたのだろう。余計な苦労をしたものだ。


 例えば夜会なんかで泣いて、嘆いてみせればよかったかもね。「不本意だ」と叫んでもよかった。

 世間体を気にする父だ。撤回まではされずとも多少は条件が良くなったかもしれない。

 余計な辛抱はいらなかったのにね、「私」。

 既に以前の「私」を筆頭に、父や元の「家族」は遠い知り合い程度の印象に過ぎなくなっている。


 ふと足下に目を向けると、床を見るに座り込んで唇を噛み締め、ぶるりと震える情けない風体の「夫」がいた。

 もう一度鼻を鳴らしそうになったが危ない危ない。

 あまり煽りすぎても危険かも。何しろ権力だけはあるのだ。このお子様は。


「さて。如何いたしましょうか」

「何がだ!」

「嫌ですわ。これからの事に決まっておりましょう。貴方の大事な大事な「お嬢様」は、他の女に手を出す恋人を想ってさぞ悲しんでおられるでしょう」


 はっと息を飲むのを見て、やれやれとばかりに肩を竦める。


「早くお顔を見せて慰めて差し上げれば?」

「い、いや。だが今夜は…」

「あらあら。初夜を済ませる必要がおありと?」


 ころころと笑ってやると、ぎゅっと眉間に峡谷を刻み込みながらぷいと顔を背ける。


「父と約束させられた。結婚と子どもを持つことが家督を継ぐする条件だ。契約書まで書かされた」

「なるほど」


 今も元気に伯爵家当主として辣腕を振るう御尊父は、我が子の事をよく理解しているらしい。適当な女と婚姻だけ結び「白い結婚」などされては堪らない、と言うことだろう。甚だ迷惑な話である。


「無理矢理、事に及びますか?良いですよ?」


 ふらりと立ち上がり、夫の目の前に立ちはだかる。


「願ったりです。どんな様子だったか、貴方の大事な「お嬢様」に事細かくご説明差し上げる話の種ができますからね」

「何を!」

「あら。妻を娶ること、勿論ご理解頂いているんでしょう?ご挨拶をしなくては。妾を遇するのも妻の役割ですもの」

「妾だと?馬鹿にするな!」

「あらあら。淑女ばかりの茶会など、そんな話題ばかりでしてよ。それに妾に対する予算も家から出すとなれば女主人の権限からですし。妾という名がイヤなら愛人?第二夫人?いえいえ、第二夫人にはとてもとても。いざという時、わたくしの代役が出来て?読み書きさえ覚束ない、教育のなっていない貧乏男爵令嬢と聞き及んでおりますが」


 悔しそうに握る拳を見て、阿呆が、と吐いて捨てそうになる。

 愛人に根回しの一つもしていないと見える。新婚早々、禍根ありまくりじゃないか。


 ごろりと転がってシーツに潜り込んだ。


「おい」

「もう少し時間を潰したら出て行って良いと思いますよ。「ヤり疲れて寝てる」とでも言っておいてください。この時間で愛しの君に対する言い訳でも考えれば良いのでは?」


 下品な物言いに絶句する気配を感じながら、気分的に疲れ果てていたせいか落ちるように眠りに就いていた。






 翌日、ぱかりと目を開けると、推定夫の姿は既に無かった。


 通例では「蜜月」と呼ばれる、婚姻式から1週間ほどの休みは夫婦で過ごすとされているのだが。昨晩煽りにあおったせいか、あのお子様は大事なお嬢様の所に意気揚々と乗り込んでいることだろう。

 「操は守った」とでも言うつもりか。乙女か。


 側卓に載った華奢な作りのベルを鳴らす。

 程なくして現れた使用人は、明らかにこちらを見下す目をしていた。

 主に愛されない女主人に仕える気は無いといった所か。


「湯の用意を」

「……畏まりました」


 不承不承、といった雰囲気で踵を返す彼女の背に声をかける。


「辞めたければ辞めても良いのよ?紹介状は書かないけどね」

「は?」

「女主人に仕える気が無い、不忠義者は要らないの。安心して頂戴。代わりの伝手はいくらでもあるのだから」


 絶句しながらこちらを見る様子に、思わず笑いが出る。


「お義父様とお義母様は領地に戻ると伺っていたけど昨日の今日だし、まだ滞在中よね。お茶をご一緒したいと先触れを出しておいて。あと、カーターを呼んできて頂戴」

「は、はい。わかりました」


 筆頭執事のカーターを呼びつけると、程なくして不機嫌な様子でずかずかと部屋に押し入ってきた。


「お呼びと伺いましたが」

「勿論お呼びよ。この家の帳簿を見せて頂戴」

「は?」

「家政は女主人の役割でしょう?これまでご苦労だったわね。今後は代わるから、楽をして頂戴」


 にこりと笑みを浮かべて申し付けると、判りやすく頬が引きつるのが見て取れた。

 酷薄な光を浮かべた目をすぅと細め、こちらを侮りきっているのだろう。鼻で笑われる。


「奥様。ご無理をなさらなくて結構ですよ。これまで通り、お任せいただければ」

「安心して。これまで実家で手がけていた仕事に比べれば、ここの家政だけなんてどうということもない規模だもの。知らなかった?私、実家では忙しい父に代わって領政もそこそこ熟しておりましたのよ」

「生意気な」

 ぽつりと小声で漏らされた声が可笑しくてしょうがない。

「生意気も何も。これは提案でもお願いでも無く、命令よ。職を失いたければ好きにすれば良い」


 にい、とふてぶてしく笑って見せる。


 昨晩の夫同様、これまでの気弱な様子からがらりと変わった私の様に、びくりと肩をふるわせる。戸惑いと驚き。


 そうでしょうとも。そうこなくては。


 青い顔をした男を見ながら目を細めてくつくつと笑ってみせる。

 今度はみるみる土気色に変わる顔色を見て溜飲を下げる。



 さてさて。夫が再び顔を見せる前に、打てる手は全て打っておく必要がある。

 まずは義両親。次は実家。

 時間は有限である。さっさと動き出さなくては。







 「これほどの物は、この王都でもなかなか見られなくてよ」と義母が散々自慢をしていたコンサバトリーは、作りも美しいが規模も大きく、花々の他に立派な木々も鉢植えとして据えられていた。

 確かに見応えがある。小鳥を放しているのか、ぴちぴちと可愛らしい鳴き声が聞こえた。


「おはようございます、お義父様、お義母様」

「ああ、おはよう」

「よく眠れまして?」

「ええ、とても」


 にこやかに挨拶を交わして用意された席に歩み寄る。

 食事は自室で済ませた。その後約束の時間までこの家の帳簿を目を通し、約束の時間になったので使用人の案内にされて自慢のコンサバトリーに足を踏み入れたが、なるほど、義母が自慢するだけの物である。

 婚約者の時分に足を踏み入れたことは無かったが、何故だろうと考えて腑に落ちる。


 きっとここは、伯爵家の完全なプライベート空間なのだろう。

 つまり今まではこの家の一員として認められて居なかったのだ。

 婚姻の式と初夜を無事通過したからこそ初めて踏み込む資格を得たのだと考えた。


「ところで、アルマンはどうしたのかしら?まだ寝ているの?」

「いいえ?愛しのお嬢様の所でしてよ」

「なんだと?」


 ぴりりと場の空気に緊張が走る。

 いやだわ。私を責められても。


「それを許したのか」

「許すも何も。私との婚姻は不本意極まることだと伺いました。家督を継ぐため嫌々娶ったことを感謝するようにとのお申し付けです」

「何てこと。執事からは恙なく、と報告がありましたよ」

「ああ、それは私が誤魔化しておくように入れ知恵をしたからです。今頃お嬢様に言い訳を一生懸命されているのでは?」

「何故そのような事を!」

「何故?」


 茶器を静かに持ち上げて香り高い茶を一口。唇を湿してから伯爵の目を真っ直ぐに見据える。

 責められるべきは彼らの息子であり、自分では無いはずだ。

 甚だ不本意である、というのを敢えて表情に出してみる。


「乱暴に扱われるのを許容するほどの被虐趣味はありませんから」

「何を言うか!」

「これをご覧になってくださいまし」


 ひらりと手首を振ると、昨晩掴まれた所にくっきりと指の痕がついている。

 次いでぐいと襟元を広げると、白い胸元に爪で掻いたあとが三本。赤々と浮かび上がっているのが見て取れるはずだ。

 実は男を蹴り飛ばしたときに爪が掠った物であったが、そんな事は判らないだろう。


「事に及ぶ以前にこれほどの狼藉。終わったあと、どれほどの痛手を受けることか」


 息を呑む二人に、にこりと笑ってみせる。


「『お嬢様』がどのようなご嗜好をお持ちかは存じませんが、わたくしは進んで痛い思いはしたくありませんの。ああ、お義母様も同じような?はて、見える所には何もございませんね。それとも、お義父様が余程「上手」でいらっしゃる?世の中には変わった趣味嗜好をお持ちの方が多うございますから。ああ、ご安心を、余所様にお話しするようなことではございませんから」


 ねぇ、とわざと挑発するような言葉と不躾な視線を義両親に向けてみる。

 明確な脅しだ。

 この顛末を茶会などで漏らせばどれだけの醜聞になることか。

 まして、現当主の「特殊な性癖」なんて、ちらりと匂わせるだけでゴシップ好きには堪らない餌になるだろう。


 ぐう、と声にならない呻きを絞り出しながら、義父がこちらを睨み付ける。

 昨日の結婚式で見せていた晴れやかな、にこやかな表情とは真逆だ。


 然もありなん。


 彼らにとって思いもしなかった、青天の霹靂であろう「嫁の反逆」だろうから。


「お前を閉じ込めても良いのだぞ」

「あら、それはお勧めできませんわ」

「何だと?」

「私を此方様に売り込んだ実家の継母とその娘。嫌いな私を甚振る機会を猟犬のように待ち望んでおりましてよ。生憎こちらは伯爵位。侯爵家からの正式な茶会や夜会、招待されれば断れるものではないでしょう」


 ふふ、と目を細めて笑って見せる。


 予想通りなら夜会、若しくは茶会の招待状が今日くらいに届くはずだ。より大勢に私の『不幸な境遇』を知らしめたいだろうから、恐らく夜会。

 丁度良いことに三ヶ月後には建国祭がある。それに託けて盛大な物が開かれるだろう。


 止めとばかりに、ため息を吐きつつ嘆いてみせる。


「必ず『あなたの夫には「真実の愛」のお相手がいるそうよ、愛されなくて可哀想ね』などと大勢の前で囀ることでしょう。まぁ、嘘ではありませんから致し方ありません」


 義両親の青い顔は既に土気色だ。

 そんな、新婚早々「浮気者」のレッテルが息子にべったりと貼り付けられるのは、間違い無く醜聞と言える。おまけに私が怪我の事や初夜の出来事を今と同じようにため息交じりに漏らしでもすればどうなることか。


「ゆ、許しませんよ!そのような!!」


 義母が勢いよく立ち上がって喚くが、無駄である。


「私を処分しますか?そうすれば継母は『新婚早々義娘を亡くした可哀想な私』として朗々と語ってくれること請け合いです。閉じ込めますか?表に出ない私の『不幸』を見るために何が何でも呼び出されます。その時はお義母様、貴女の同道も求められるでしょうね」

 

 痛いほどの沈黙が場に落ちる。


 壁際に控える使用人達も息を殺して成り行きを見守るばかりで、身じろぎ一つできないでいる。


「貴方がた、息子の教育に失敗されましたわね」


 にんまりと笑ってみせる。

 昨日までの私なら、恐らく文句の一つも言えないで唯々諾々と流されていたことだろう。

 公の場で継母達に貶められようが夫に見下されようが、目の前の義両親に冷たくされようが、必死になって婚家である伯爵家や夫の事を庇っていたはずだ。




 しかし、『私』は目覚めてしまった。残念でした、としか言い様がない。




「そこで、ご提案がありますが。よろしくて?」


 今から『私』は、自分のための『生存戦略』に勤しむこととする。

 既に元家族への情も、新しい家族への信頼も希望も捨てている。

 この家の何もかもを踏みつけて、私は私の尊厳を守るのみだ。


 その結果、伯爵家がどうなろうが元家族の実家がどうなろうが知ったことではない。

 色々な策を高速で頭の中巡らせて、迎えるだろう結果を想像して、ぞくぞくする。



 今の『私』なら出来る。

 自信を持ってそう言える。


 何なら前世と今世、足すと目の前の義両親より年嵩だ。

 おまけに父の傲慢さ、継母の抜け目なさと計算高さを目の前で見てきたのだ。  


 負けない。負けるはずが無い。



 にっこりと出来るだけ友好的に見えることを意識しながら笑って、呆然とする夫婦に手を差し出した。



中途半端な終わりかもしれませんが、「これからやったるでーー!」という強気女性を書きたかったので満足。

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― 新着の感想 ―
中途半端過ぎませんか? 続きを書いて欲しいので星は1つだけにしました
「ざまぁ」はなくてもいいけど話の「オチ」は短編として起承転結しっかりして。
続きを切望!
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