肉に至る病
……………
山口コウは夢を見ていた。
白昼夢にも似た、意識の混濁するまどろみの中で彼は過去にさかのぼっていた。
彼は過去の記憶について酷く曖昧で、ほとんどハッキリとは覚えていなかった。覚えていることと言えば自分の名前、そして『暴力こそが相手に意思を伝える唯一の方法である』ということへの漠然とした理解だけだった。
飢餓、恐怖、孤独、苦痛、暴力、暗い部屋の中で幼い頃の彼は彼を取り巻くそれらの状況にひどく鈍感であることによって生きながらえてきた。そして、彼は自分でも年齢を知ることはないが12歳程度の年齢となったある日、親を気絶するまで殴り倒しその場所から脱出した。
山口コウがそれについて覚えていることは一つ。強いものを殴り倒し、踏みつけにする快感。
それからの山口はその異常なタフネスと天性の格闘能力で街の不良やチンピラを手当たり次第に殴り飛ばし、強請と強盗で日銭を稼いだ。
いつの間にか彼の周りには彼の力、あるいは彼の危うげな心に惹かれた仲間がいた。彼はよくわかっていなかったが、彼と何度か殴り合い、勝利と敗北を繰り返した彼らは彼にすり寄ってはその粗暴さに去っていく人々とは全く異なる、対等な友だった。
山口コウはこの頃のことをよく思い出して、覚えていた。
彼がその仲間たちと日々を過ごしたのは四年程だったが、彼にとってそれは色彩に溢れた日々だった。平穏とは言えず、何度も死の危機があったが、仲間たちと共に逃げ、戦い、立ち向かい、かばい合い、時に別れた。
その日々は突然、終わりを告げた。
その頃、山口コウは周辺のヤクザすら闇討ちや奇襲、本部への襲撃で壊滅させていく狂気の集団と化し、暴対法で縮小を余儀なくされていたヤクザ達を更に急速に減少させていた。その抗争の始まりは特に彼は覚えていない。大方、仲間の誰かが殺されたのか、チンピラを殴った因縁か、組員を殺した因縁か。
その時からすでに山口コウの『異常性』は顕著に表れていた。早すぎる自然治癒能力、銃弾を受けた事も何度もあり、ひどいときには六発の弾を身体、そして頭部に受けたが一か月ほどで生還した。そしてそのひどい傷を受ける度に、彼の身体は強靭さを増しているようであった。
それは天性の魔力適性と彼を取り巻く異常な量の呪い、恐らくは人を殺してきた呪いであろう。それらが絡み合い、徐々に彼の身体と魔力が適合し、魔術師となっていった証左である。
―――――
ある夜。彼がアジトとしている場所に帰ると、その場所には皮のない人間の死体が幾つも天井から首を括り吊り下げられていた。その死体の表情は全て苦悶に固められ、凍ったように死んでいた。
彼は、その時の光景はいつも不思議と白と黒のモノトーンで思い出す。
そして、アジトの家具全てに、見覚えのある顔がへばりついていた。仲間の皮が家具になめしつけられていたのだ。丁寧に均され、加工されたそれは、昼間、つい二時間ほど前まで山口が一緒に居た人々の面影がハッキリとわかった。
アジトには数枚のDVDが残され、その現実離れした拷問の様子がハッキリと収められていた。黒い装束に身を包んだ怪し気な老爺が奇妙な呪文を唱えた後、椅子に縛り付けられた仲間の一人を小さなナイフで皮を剝いでいく様子だった、苦痛の悲鳴が鳴り響くが、皮は果実のそれのようにするりと剥けて行き、血は一切流れない。たちまちのうちに、仲間の身体は肉の露出した人体模型の如き状態となる。
術者の老爺はそれを楽しむようにニヤリと笑い、そして、また奇妙な針を取り出すと、仲間の頭部にするりとそれを撃ち込んでいく。悲鳴は続く、だが、死には至らない。
そのような拷問がたっぷりと一時間30分、ディスクの中には納められ、最後には仲間たちは天井から吊り下げられた。しかし、それでも彼らは生きていた。ディスクの最後に、調整された声で音声が流れる。
『お前の仲間は、お前がこの部屋に入る瞬間に死ぬ。ドアを開けた事によってな。嘘だと思うなら、そこに仕掛けたカメラで見てみな……。ハッハッハッハーッ! ウチの組からさっさと手を引け、お前がこうなりたくなけりゃなァ!』
山口はそのカメラの映像を確認することはなかった。アジトの何もかもを破壊しつくすと、彼はその足でそのまま単身、組へ特攻した。
その日のうちに、彼は組員320人を素手で惨殺し、皮を剥ぐナイフ使いの老爺の皮を素手で引き剥いた。その時のことは、彼はあまり覚えてはいなかったが気分が良かったのだろうと思っている。
彼の身体には合計230発の銃弾、28か所の刺し傷、口元の『皮』の喪失と火傷といった傷が刻まれ、そのうち数か所が魔術、魔力による攻撃だった。
この魔術攻撃を生き延びた彼は完全に魔術師として覚醒し、そしてこの街、この国から去り、世界で違法魔術師傭兵として戦場を巡った。
まるで死に場所を求めるように、まるで戦いこそが唯一の快楽のように。
それからの彼の記憶は戦いの時だけが色彩を帯びていた。
「おじさん!」
「?」
山口コウは少年のその呼び声で目覚める。彼はすぐさま周囲に気を張るが特に変わりはない。時計を見ると時刻は既に23時25分。一時間近く眠っていた。
彼はゆすり起こしてきた子供に目を向け、ややまどろんだ様子で訊く。
「何だ?」
「さっきから何度も地震が……。それに、近くでドカンって音が何度も」
「……」
心配そうな子供の表情を見るよりも、彼は窓の方へと立ち上がり、外を確認する。だが、見える範囲は全くの平穏。未だに天出仁が残した『オカグレサマ』の結界が効力を発揮しているのだ。
山口コウは自らの感知能力に集中を始める。彼の身体はひどい骨折や外傷もやや治り、動くことや集中は問題なく行えた。魔力もかなり回復しており、彼の感知能力範囲を拡大するには十分である。
彼は意識を集中し周囲の状況を把握していく。丁度『オカグレサマ』の結界外縁、30メートルほど離れた地点で激しく動く強力な魔力、西園寺ミサキの存在が確認された。そして、そのすぐ近くに天出仁のわずかな魔力が存在する。
――あのミサキとか言った秘匿課員。とんでもねえ強度の魔術を使いやがる。あの天出仁も押され気味か……? 他の秘匿課員が……。この結界の中でまごついているな、精神操作術の巨大結界か……。
「!?」
だが、彼の感知能力はある異変を感じ取る。
西園寺ミサキの魔術が急速に力を失い、魔力が弱まっていく。天出仁は何か魔術を行った様子も魔力を消費した様子もない。
そして、その数分後、天出仁は急速に移動を開始しその場を離れていく。ミサキはその場に残ったままである。
――なんだ? 何が起きた? 何故魔術を解除した? それにこの魔力出力の減り方は……。
彼には心当たりがあった。
それは戦場で幾度となく見た光景。死地において闘志を燃やしていた兵士が死ぬ寸前、あるいは、深い絶望を覚えた時に起きる現象。『諦観』。
魔力は呪い、つまり感情の力に大きく左右される。術者の精神状況によっては操る魔術も、湧き上がる魔力も、本来の力を発揮することはない。
だからこそ、山口は歓喜以外の感情を戦場において徹底的に排除し、記憶すらも忘れかけるほど集中する、一種のトランス状態へと身を置いていた。動揺による、ミスを排除するためだ。
だが、復讐に燃える彼女をそこまで絶望させることは可能なのか。
そんな疑問が押し寄せる中、山口コウは室内に響く微かな声に気づく。
「お……。おじさん……」
彼が振り向くと、彼を揺り起こしていた少年が床に倒れ、苦しげな表情を見せていた。額は汗に濡れ、息は絶え絶えとなっている。




