降板者
……………
時刻は23時40分頃。
夜は更けながらも、満月の光は今までの月蝕をすでに終えて曇りのない光を放っていた。電灯の消え切った異様な街はそれでもなお明るく、地面をナメクジのように這う肉塊は先程から活発に移動を開始していた。それはまるで獲物を探す生き物のような様子であった。
その肉塊の爬行を歯牙にもかけず、ひどくひび割れたアスファルト道路を駆ける魔術師たちが居た。彼らは遥か前方の角を曲がってやってくる折口レイと土御門シュウメイの様子を認めるとその表情に緊張を覚える。
ヨシノリは二人の表情を見るなり、驚きや不安、悲しみや困惑など今までにないほど酷く動揺していることを直ぐに覚った。
その理由は先程の心念の報告にあるということも容易に想像できる。
――ミサキさんは……。天出仁に操られているのか?
『精神操作術』、前に香室さんが天出に施していたが、あの時は結構な制約があった。いくら天出が手練れとは言え、あのミサキさんをそこまで自在に操るような術を……?
走ってくる二人は魔術師たちに懇願するような様子で叫んでいた。折口は瞳に涙を浮かべている。
「ミサキを、ミサキを攻撃しないで! とにかくここから離れてください!」
香室雅はその様子を見て何か異常な雰囲気を察する。
何より先刻彼女の発言に触発されて決意を改めたあの折口がその見る影もなく心をへし折られたような表情と言動をしていることに、並々ならぬ『大事』を感じ取っていた。
忍如、アナスタシヤは既に臨戦態勢を整え、前方二人を追う『恐らくはミサキと思われる存在』が現れることを待っていた。心念は感知能力によってその『存在』の仔細を感じ取り、やや呆気に取られている。
感知に頼っていないヨシノリは、ミサキの姿が現れるのを目にする。
彼女の体格、彼女の体型、彼女の服、完全にミサキと同じ格好。だが、その頭部だけが沸き上がる泡のような水疱に覆われ、目も口も鼻も耳も無い肉の塊となっていた。
『!?』
全員に少なからず動揺が走る。
アナスタシヤは動揺の中でも冷静にその状況から魔術の推論を始める。
――街中の『世俗人』の多くが『肉塊』となっている魔術と同系統の術!
やはり、術者か黒幕は天出仁だったか……?
手練れの第一級相当魔術師をあのように肉体から精神まで支配する強力な魔術。少なくとも天出仁単体ではなく呪物か神霊による作用……。
これが、『封印されていた神霊』の魔術ということか……?
一行がどよめく中、走り迫ってくる『ミサキだった者』はその頭部、顔があった部分の肉塊がぱっくりと裂け、巨大な眼球を露わにする。眼球の虹彩には刻み文字のような紋章が浮かんでいた。
香室と忍如はその行動が攻撃であることをいち早く覚り、忍如が叫ぶ。
「避けろッ!」
その一声に直線状に居た魔術師たち全員が一斉に飛び退く。
そのわずか一瞬後、レーザー光線の如くアスファルト上の空中を呪いの瘴気がほとばしる。それは黒い雷のようなものであり、ヨシノリは間近を駆け巡ったその瘴気に『死』を覚えた。
――今まで見てきたあの『第一級怨霊』達にも引けを取らない魔力だ……!
とてつもない魔術の攻撃、これが天出仁に通用しなかったというのか?
瞳より魔術が発せられた後、香室、忍如は即座に反撃のため打って出る。
忍如は仏像を背後に展開し再び発動の予備動作を始める相手の前に躍り出る。香室は近接戦のため立ち並ぶブロック塀や塀を駆け、勢いよく突進していく。
だが、香室の動きを止めるように折口が叫ぶ。
「やめてください! ミサキは、まだ……!」
だが、その静止に香室は反論しつつ迷いなく突撃を続ける。
「とにかく動きを止めないことには始まりませんわッ!」
『ミサキ』だったものは二度目の呪術を発動させる。
忍如はその攻撃を正確に受け止め、自身の反撃魔術を発動させた。
――何という火力!
儂の防護魔術を一撃でここまで……!
予備動作の少なさといい、連続使用の簡易さといい、難敵は必至。全員でかかったとして、無力化で留めることは不可能に近い……。
忍如はそのまま重機関銃のような火球掃射を行う。同時に香室が飛び蹴りから即座に地に軸足を置き蹴りの連打を浴びせる。
だが、その蹴りの連打を受け身や防御することなく『ミサキだったもの』は攻撃を受け止め続ける。魔力操作による防御の無い身体は火球や香室の攻撃で軽々と四肢が吹き飛び、肉が飛び散る。しかしながら、即座に再生していく。その様子は正に先程戦った『怨霊』のそれであった。
香室はその攻撃の最中、智衆の声を脳裏に聞く。
――『離れろ!』
香室は蹴りを繰り出す最中、その命令を即座に実行。背後に飛び退く。だが智衆の声はなおも必死に指示を続ける。
――『後ろだ、右に飛んで……。いや、左……。『肉塊』を避けるんだ!』
――『肉塊』?
私の感知にはそんなもの引っ掛かって……。
香室が背後を見るとそこには今までにない速度で地を這い、香室を呑み込もうと口を広げるように膨らむ水疱だらけの『肉塊』があった。
――何故、私の感知に……。いや、それより。
彼女はすぐに向かって左方向に避ける。
だが、既にその近辺には他の肉塊が迫りつつあった。
――『私が飛ぶ』
その言葉の直後、姿が智衆に切り替わると彼はすぐ空へと飛びあがり浮遊術によって離脱を試みる。
しかし、その跳躍の向かう先には『ミサキだったもの』が彼以上のスピードで飛び上がり、頭部の『肉塊』を大きく広げ、彼を覆い隠してしまう。
「クソッ! せめて君だけで」
だが、その言葉もむなしく、肉塊に彼の身体は包み込まれ、閉じ込められる。
肉塊は何の引っ掛かりも無くするりと『ミサキだったもの』の頭部に収まる、まるで一瞬で香室/智衆の身体が消失したかのように。
忍如、心念、アナスタシヤ、ヨシノリらはその光景を目の当たりにして、一種の絶望を覚える。あまりにもあっさりと目の前で香室は行方不明となった。
シュウメイが叫ぶ。
「とにかく今は逃げるんだ! 『肉塊』が迫ってくる!」
その叫びにヨシノリは周囲を見る。
何故か『感知』にかかることのない肉塊が今までにない機敏さでずるずると彼らの周囲に迫り始めていた。ポコポコと沸き立つように水疱が肉の表面を覆う肉塊たちの大群は肉の海のように気味の悪い光景を作り出していた。
――気づかぬうちにここまで!?
忍如は浮遊術を操りつつ火球掃射を肉塊へと向ける。
だが、肉塊たちも『ミサキだったもの』同様に攻撃に無抵抗でありながら簡単に再生し攻撃の衝撃を歯牙にもかけず動いている。
――何たる再生力……。
そしてこの肉塊、人間の慣れの果てと考えると……。
この強度、この効能、この範囲……。
やはり『封印』されていたのは『疱瘡神』と考えるべきだが……。だが魔術の効果発動条件が分からん。
ヨシノリを背負う心念やアナスタシヤ、シュウメイ、レイらが浮遊術により地上から逃避を開始する中、『ミサキだったもの』は恐るべきスピードで彼らを追跡してくる。
忍如は火球掃射を続けて何とかその速度を押しとどめようとしているが『ミサキだったもの』はその攻撃をものともせずに加速を続けていた。
浮遊術の練度とヨシノリを背負う事から心念は魔術師たち一行の中でも最も追跡者との距離が短い。このままでは数分の内に心念とヨシノリはあの肉の中へと取り込まれるだろう。追跡者は刻一刻と加速を続けその距離をじわじわと詰めていた。




