神意のままに、主のものは主へ返しなさい
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隠者の薔薇諜報員アナスタシヤは4体の霊を操りそれぞれ異なる位置へと飛来し、ほぼ同時に攻撃することで夜叉母の防御地点を分散させていた。だが彼女の魔力操作による渾身の連撃は、夜叉母の圧倒的魔力操作技量によって彼女よりも少ない消耗で的確に防がれる。彼女の操る四体の霊魂もまた同じ結果を示していた。
――魔力操作の効率、予知能力、感知能力、全てにおいてこの怨霊が勝っている……。やはりこちらも『忍如』と同じく、強度の高い魔術を使っていくか……。
彼女はそう考えると右耳に付けたままの小型通信機に魔力を送る。隠者の薔薇技術部特注の魔導機械であるそれは彼女の魔力によって駆動し、口元に魔術結合を展開する。そして、彼女は通信の機能を果たすことができない通信機に向け、戦闘の最中、報告を行う。
「RLからHQへ、HQへの帰還任務遂行のため、敵対的怨霊排除の緊急追加任務を遂行する。排除対象の怨霊推定能力評価を報告。推定等級特別指定級。推定最大魔力量8トン。推定魔術強度1ギガトン級。この推定は二体の第一級相当怨霊を吸収したことから推測される」
諜報員アナスタシヤはそう語りながら夜叉母本体への攻撃を続けていたが、感知能力によって下から『火球』と怨霊たちが迫っていることを把握する。
――あのミスラの術を……! 攻撃を続けるのは難しい、せめてダメージを!
彼女は浮遊術によりその場から抜け出しつつ、手で空を切る。描かれた六芒星が魔術となり夜叉母の幹の如き霊体に針の如く突き刺さる。だが、そのダメージもわずかなものであった。彼女はその間も通信機に向け報告を続ける。
「推定される予知・感知能力共に第一級相当。感知範囲は直径200メートル弱、眷属の怨霊と感知範囲共有の可能性あり。魔力操作技量、魔術技能についても第一級相当の魔力効率、知識を有すると考えられる。任務の最大目標である『帰還』遂行のため居合わせた違法魔術師忍如、心念、周智衆、香室雅、そして民間人只野修典と共に協力して怨霊に対処する。任務のため全力で帰還を達成することを誓う。記録終了ッ……!」
返答はない。だが、その言葉は確かにその機器に記録された。そのことが彼女の魔術、そしてそれを実現する力の源たる彼女の『意志』には重要な事であった。
――『必ず帰還せよ』……。始めて貴方の任務を遂行した時に仰せつかった、至上命令。『組織』の幹部となった貴方が、未だ私に与える唯一絶対の命令。以前に居た『組織』では絶対に聞くことのなかった、考えることもなかった命令。私の意志はこの命令と共にある。
彼女は懐かしき記憶を反芻しながら、呪文を詠唱する。
『正しき意志に勝利は輝く、力は正しき意志に宿る、主の前に己の意志を示せよ』
――『神意』
彼女の詠唱完了と共に、彼女自身の身体、そして彼女が操る四体の霊魂が纏う魔力が劇的に上昇する。それと同時に、彼女の神経には電気が走るような激痛が響き渡り、彼女の集中力と意識を揺さぶる。
「ウグァアアアアアアアアアアアアッ!」
激痛に悶えるように彼女は叫び声をあげながら、今までとは比にならない速度での飛行から、追いすがる火球を軽々とかわし、怨霊たちに守られる夜叉母の幹へ一直線に突進する。夜叉母本体を守る防壁のように何層にも重なる怨霊たちを彼女は飛行の勢いそのまま足先に集中した莫大な魔力でぬるりと溶かすように消し飛ばしていく。
そして、そのままの勢いで夜叉母本体を蹴りつけ、魔力防御を貫いた。
「まだだァアアアッ!」
無数の怨霊たちが彼女に覆いかぶさろうとしてくる中、彼女は一心不乱に、両手に持った仕込みナイフを振り、夜叉母の霊体を斬りつける。他の地点では同じように追いすがりしがみつこうとする怨霊に目もくれず攻撃を続ける怨霊たちが居る。
彼女は脳が震える様な激痛の中で、四体もの霊体の動きを並列処理し、自身の魔力操作と攻撃を続けていた。四つの視界とそれぞれでの夜叉母の魔力の動きから次なる攻撃すべき位置を決めて動かす。この処理を瞬時に、自分を含め五人分同時に行う彼女の脳は通常ではありえない負荷を掛けられていることは言うまでもない。
『ザバババババババッ!』
予知で勝る夜叉母とはいえ、忍如という動き回る機関銃砲台を牽制しつつ、異なる五か所の猛烈な連続攻撃への対応は至難の業。当初は堅い防御を前に何とか傷をつけていたアナスタシヤの攻撃も徐々に傷は深くなっていく。
――奴の防御と対応力の限界が見えてきた……! このまま相手が弱まってくれれば……。
しかし、彼女の視界、そして彼女の霊たちの視界はほとんど同時に無数の怨霊たちによって覆い隠される。彼女の攻撃を前にして近づくだけで消し飛んでいた怨霊たちが彼女の視界を塞いだのだ。
――湧きだす!? いや、それ以上に……!
夜叉母の幹に似た部位へ彼女が付けた傷から正に樹液が如く現れる下級怨霊たち。その中にはミスラが操った火球の姿もあった。
『ドガァアン! ドドドドドドドガオァアアアアアン!』
数十発の爆発に耐えたものの、終わりの見えない爆発の応酬に彼女は溜まらず距離を取る。そして、巨大なる大木が現在全体として同のような様相を示しているかがその時わかる。
――マズい、『守り』に入ったか……!
夜叉母は枝のように上へ広げていた無数の腕を格納し、同時に大量の下級怨霊を果実のように地面へ産み落とす事を完全に停止していた。その代わりに、その幹のような部位に着いた六つほどの顔が呪文を詠唱し続け全身に魔術的防壁を張り巡らす。そして生産の止まった下級怨霊たちはぞろぞろと夜叉母の幹にしがみつき、ゆっくりと同化していく。完全に防御を意識した形態と行動である。
忍如はその動きに対して叫び、夜叉母へ火球を掃射し続ける。
「愚かなッ! 当て放題というものだッ!」
火球は一瞬肉をかき分ける様な水音に似た音をあげながら、夜叉母の本体、魔術による装甲さえもガリガリと削りとり、霊体を攻撃する。
だが、その弾も致命傷となる前に撃ち止めとなる。カウンター型魔術は攻撃されない限り、強力な反撃を続けることはできない。
それを見たアナスタシヤは、しかし、突撃を行う。
――防御姿勢に入るというのなら好都合! 機動力で反撃を避ける、避けられないのならば反撃を受けてなお攻撃を続ける。とにかく攻撃を続ける!
彼女と同じく、忍如もまた手で印を作りつつ呪文を詠唱し、自身の身体を強化。空を切るスピードで夜叉母へと突っ込んでいく。
四体の霊魂、アナスタシヤ、忍如らは巨大な枯れ木の周囲を舞う虫のようにヒットアンドアウェイを凄まじいスピードで繰り返していたが、忍如の攻撃では火力不足であり、無数の怨霊たちに加え魔術の装甲で守られる夜叉母に傷をつけることができない。アナスタシヤと霊魂たちでは夜叉母の傷から現れる火球たちのダメージを避けることはできず、さらに夜叉母は予知によって彼女らを足止めするツタのような触手を伸ばしダメージを稼ぐ。
長期戦、不利は必至。勝ち筋はまたも失われ、怨霊たちは主の元へ帰り、夜叉母は魔力を取り戻す。厄災の主たる大木は枯れることでより力を回復し続けているのだ。




