第八話 パレット商会とニッケル男爵家
アデリアが自宅へと戻った翌日の午後。
よく晴れた空の下、セルゲイと、その父であるパレット商会の会長パイクを乗せた馬車が、沢山の土産とアデリアの荷物と共に、ニッケル男爵家に現れた。
「あっ! セルゲイが来たっ!」
屋敷の前に止まったパレット商会の馬車に、いち早く気付いたソフィアが、屋敷の外へと飛び出していく。
馬車から降りてきたパイクは、飛んできたソフィアを抱き留めた。
「こんにちは、おじちゃまぁ~」
「こんにちは、ソフィアさま」
地面にトンッと降りたソフィアは、次に馬車から降りてきたセルゲイに飛びついた。
「セルゲイも、こんにちは」
「こんにちは、ソフィアさま」
セルゲイに抱っこされたソフィアはご満悦だ。
細い両腕をセルゲイの首にギュッと巻き付けると、ソフィアは彼からポンと降りた。
二人への挨拶を済ませたソフィアは、満足げに鼻の孔を膨らめて、満面の笑みを浮かべた。
そしてトトトッと玄関に向かって室内に向かって叫ぶ。
「パイクおじちゃまたちが来たよー!」
そしてまた、トトトッとセルゲイたちのもとへと戻っていった。
アデリアが表に出た頃には、ソフィアは馬車から降ろされていく大量のお土産を見ながら目を輝かせていた。
「こんにちは。パイクおじさま。セルゲイも」
アデリアが挨拶をすると、白髪交じりの黒髪を後ろになでつけた中肉中背の男が、黒い瞳に人の良さそうな笑みを浮かべて頭を下げた。
「こんにちは、アデリアさま」
パイクは、商売人としての抜け目なさよりも、人当たりの良さで商売を手広くやっていますよ、という雰囲気を持った人物だ。
「ご卒業、おめでとうございます。アデリアさま」
「ありがとうございます。ご援助のおかけで無事卒業できました」
自分のことのように喜んでいるパイクに、アデリアは自然と感謝の気持ちを言葉にした。
「ありがとうございました、パイクさん」
「いえいえ、どういたしまして。ヨハンさまから受けた御恩に比べたらこのくらい……」
祖父ヨハンが、ニッケル男爵領で一番出世したと言われているパイクに、どんな助力をしたのかはアデリアは知らない。
だが、援助を素直に受け取るくらいには、ニッケル男爵領の状態も、男爵家の台所事情も悪かった。
(本来なら、王立学園へなど行けるような経済状態ではなかった。パイクおじさまには感謝しかない)
アデリアは、両親や兄がパイクと社交的な会話をしているのを聞きながら、終わってしまった学園生活にしばし思いをはせた。
(失敗だらけだったけど……楽しかったなぁ)
そんなアデリアに、セルゲイが声をかけてきた。
「どうしたのアデリア? 無事にぼくとの婚約も解消できて、気が抜けた?」
「もう、セルゲイってば」
アデリアとセルゲイは顔を見合わせて笑った。
パイク親子を招き入れたニッケル男爵家の食堂は賑やかだ。
土産にもらった紅茶をイルダがさっそく淹れたので、食堂には良い匂いが漂っている。
これまたパイクの土産である菓子がテーブルの上に並べられて、ソフィアが目を輝かせた。
それぞれ席に着くと、サミルがアデリアとセルゲイの顔を見比べながら言う。
「アデリアも、セルゲイ君も、無事に卒業できてよかった」
「ありがとうございます、ニッケル男爵さま」
セルゲイがサミルにお礼を言った。
「ハハッ。セルゲイ君とアデリアが、本当に結婚してくれたら良かったのに」
サミルが残念そうに言う横から、ソフィアが口をはさんだ。
「おねぇちゃまと結婚しないなら、ワタシが結婚してあげる」
「ハハハッ。ありがとう、ソフィアさま。でも年齢差があり過ぎるからね……」
五歳児から結婚を申し込まれた十八歳児のセルゲイは、より落ち込んだ様子で背中を丸くした。
「えー、ワタシは本気だからねっ」
ソフィアは、隣に座るセルゲイへ向かって、握りしめて拳を作った右手を見せて力説している。
「ふふふ。ありがとう。うれしいよ……」
五歳児に口説かれ始めたセルゲイは、更にどんよりとした空気をまとった。
「ソフィア。貴女に婚約は、まだ早いわ」
「もうっ。みんなでワタシのことを、子ども扱いするんだからっ」
たしなめるように言う母に向かって、ソフィアはプクッと頬を膨らめてむくれてみせた。
「そうだぞー、ソフィア。大好きなかわいいソフィアを手放したくないから、お父さまはソフィアの婚約を認める気はないぞー」
「えー。大好きなら仕方ないかぁ」
父の言葉に、ソフィアはご機嫌を直した。
ソフィアは首を傾げて、正面に座っている父に聞く。
「なら、おとぅちゃま。ソフィアが何歳になったら、婚約していいの? 七歳? 八歳?」
「んー……。どうかなぁ……十二歳?」
父は腕を組み、悩みながら答えた。
母がその隣で笑いながら言う。
「十五歳ではないかしら? 王立学園への進学を考える頃になったらね」
「んんーん。十五歳っていうと……あと十年?」
ソフィアは指を折って数えて言った。
「そうだねぇ。あと十年だねぇ。その頃には、ぼくは、おじぃちゃんだねぇ」
「そんなことないよ。ワタシがお嫁さんになってあげる」
ガックリとうなだれるセルゲイの背中を小さな手でポンポンと叩きながら、ソフィアは言った。
アデリアは、それを見ながらケラケラと笑っていた。
(経済状態は深刻だけど、顔を合わせると深刻な雰囲気には、ならないんだよねぇ~)
そんなことを思っていたアデリアの耳に、さりげなく世間話のついでのようにパイクが話しているのが聞こえてきた。
「それで、ニッケル男爵さま。領地経営のほうは、どうですか?」
「んー……天候不順なこともあって、芳しくはないねぇ~」
苦笑いしながら返すサミルに、アデリアの心は痛んだ。
「魔石は沢山埋まってるんだから、アレが売り物になればいいのだが」
「ニッケル男爵領の魔石は、瘴気の含有量が多くて扱いが難しいですね」
パイクは顔をしかめた。
溜息を吐いたサミルは、情けなさそうに眉を下げて言う。
「そうだよねぇ。手間がかかっちゃうから、価値が低いよねぇ」
そこにライアンも加わった。
「魔石は植物に干渉して生育に影響を与えますからね。掘り出してしまえば、作物の出来もよくなると思うのですが。掘り出した魔石が売れないと、保管が大変ですからね」
「そうなんですよ、ライアンさま。厄介ですよね、この領の魔石は」
男三人が眉間にシワを寄せて、ウーンと唸った。
アデリアは、そんなサミルたちに気づかわし気な視線を向けた。
(魔石の処理魔法を覚えてくればよかった……今からでも研究しようかな? 土地の改良とか……あ、そうだ)
アデリアは思いついたことを実行するために足りないものを依頼することにした。
「ねぇ、パイクさん。黒砂糖を安く手に入れられたりしませんか?」
「黒砂糖ですか? 手には入りますが値段のほうは、ご期待にそえるか分かりませんねぇ」
「値段は仕方ないわ。この金貨で買えるだけ欲しいのですが」
アデリアは金貨を一枚、テーブルの上に置いた。
「あ、ぼくの金貨!」
「ん? どうした、セルゲイ」
思わず声を出したセルゲイをパイクが不思議そうに見る。
「なっ……何でもないよ、父さん」
セルゲイは、慌てて誤魔化した。
(ふぅ~ん。婚約破棄劇のことは、パイクさんには内緒なのね)
セルゲイの隣に座っていたアデリアは、揶揄うようにニヤニヤしながら彼を見た。
アデリアの視線に気づいたセルゲイは、燃え尽きた灰のようになってサラサラと消えてしまいそうだった。