第五話 ニッケル男爵一家
ニッケル男爵家の屋敷前に赤いドラゴンが降り立つと、懐かしい屋敷の中から、小さな子どもが子犬のように勢いよく飛び出してきた。
「お帰りなさいっ! おねぇちゃま!」
アデリアがドラゴンから降りた途端、アデリアのお古を仕立て直した黄色地に小さな花柄の散ったドレスを着たソフィアが飛びついてきた。
「ハハハッ。ただいま、ソフィア」
アデリアは、ドラゴンから降りた途端に自分の胸元に飛び込んできた末っ子を、嬉しそうに抱きしめた。
茶色の髪に茶色の瞳という地味な色の末っ子は、性格のほうは全く地味でない。
ソフィアは、アデリアの首に両手を回しながら言う。
「ワタシに会えて、うれしい? ねぇ、うれしいでしょ?」
「ハハッ。うん、とっても嬉しい!」
生意気な末っ子は、とてもしつこかった。
アゴに頭をグイグイ押し付けながら聞いてくる妹に、アデリアは苦笑を浮かべた。
(わたしが嬉しいというまで、何度でも聞くのよね)
性格に難ありの妹だが、久しぶりに会えた可愛いソフィアを抱っこしたアデリアの頬は緩んだ。
茶色の髪のつむじ辺りにキスを何度も落としながら、アデリアはソフィアの体をゆらゆらと揺らした。
「うーん……はっ、この重さは! ソフィア、また体重が増えたでしょ?」
ソフィアは見上げるように顔をバッと上げると、柔らかそうなモチモチの頬をプクッと膨らめた。
「ワタシは太ってないもん。育ちざかりなんだもん。背も伸びたもん」
ソフィアは、拗ねたように言った。
アデリアは、柔らかほっぺをツンツン突きながら、クスクスと笑う。
「そっか。背も伸びたんだ」
「うん」
大きく頷いたソフィアは、ニコッと笑って言う。
「すぐにおねぇちゃまに追いつくからね。楽しみにしてて」
「そっか。うん。楽しみにしてるね」
アデリアの言葉を聞いたソフィアは、満足したように笑みを浮かべた。
そして、勢いよくアデリアの腕の中から飛び降りると、クルリと踵を返して叫びながら屋敷へと走っていく。
「お父ちゃま~、お母ちゃま~! おねぇちゃまが帰ってきたよぉ~!」
元気な妹の後ろ姿を、アデリアは笑って見送った。
「ふふ、ソフィアは相変わらずね」
「ああ。元気すぎて困るくらいだ」
ラヴァから鞍を外したライアンが、アデリアの背後から声をかけた。
鞍を外されたラヴァが、自由時間を楽しむために飛んでいく。
一瞬の強い風にアデリアが耐えていると、屋敷の中から両親が姿を現した。
「アデリア!」
「アデリア、お帰り」
父が、嬉しそうに笑いながら駆け寄ってくる。
その後ろから母が、ゆっくりとコチラへ歩いて来るのが見えた。
アデリアの父であり、現ニッケル男爵であるサミルは、茶色の髪に茶色の瞳、中肉中背のごくごく普通の貴族だ。
人柄はよくて真面目だが、魔力量は普通。
普通過ぎて貧乏領地の改革を行うことはできていないが、妻や子供を愛する善良な男性だ。
アデリアの母であるイルダは、紫色の髪に金の瞳と色合いはアデリアと似ている。
しかし、癖のないサラサラストレートヘアなので、あまり似ているようには見えない。
魔力は生活魔法も怪しいくらいしか持っていないが、夫と子供を愛する善良な女性だ。
「ただいま、お父さま、お母さま」
アデリアは挨拶をしながら、両親をそれぞれハグした。
(お父さまも、お母さまも、ずいぶんと細い……)
もともと細身な両親は、抱きしめると不安になるほど細く感じる。
(わたしが大人になったから、細く感じるのかな? いえ、そんなことはない。冬休みで帰ってきたときより、痩せている……)
アデリアは改めて見慣れた二階建ての屋敷を見た。
もともと小さくて質素な建物であるが、よく見れば、あちらこちら傷みが目立つ。
(窓や壁も傷んでいるけれど……屋根は早めに直さないと、屋敷全体がダメになってしまう)
幸いなことに、アデリアには豊富な魔力がある。
力仕事は苦手だが、魔力を他人に渡すことで動いてもらうことは可能だ。
(誰に頼むのかを、考えるのが先か。どこから手を付けるかを、考えるのが先か)
アデリアは、そんなことを思いながら敷地内を見回した。
傷みが目立つのは屋敷だけではない。
パッと見ただけでも、敷地のあちらこちらに傷みの目立つ箇所がある。
何処を見ても手入れの行き届いた王立学園から帰ってきたばかりのアデリアにとっては、ギャップが激しい。
(どうしたものか……)
少し物思いにふけったアデリアの肩を、ライアンがポンッと叩いた。
「こんなところで立ち話もなんだから、屋敷の中に入ろう」
「そうね」
アデリアが兄と両親と共に屋敷へと向かうと、玄関からソフィアが右腕を上げて大きく手招きしていた。
「早く~、おねぇちゃま~!」
その姿を見て、皆の頬が緩む。
(心配事の処理なんて後! 今は楽しもう)
「ふふ。ソフィアは大騒ぎね」
「朝から楽しみに待っていたのよ」
アデリアの言葉に、母が笑いながら言った。
「ああ。もう耳が痛くなるくらいの大騒ぎだ」
「はしゃぎすぎて、待ちきれずに何度か泣いてたよ」
「まぁ!」
父がおどけて言えば、ライアンもソフィアの秘密を教えてくれた。
驚くアデリアに、ライアンが情報を追加で伝える。
「おねぇちゃまが帰ってくる、からの、おねぇちゃまはまだ? の間隔がドンドン短くなって泣く、ってのを何度繰り返したか」
ライアンはケラケラと笑いながら言った。
「おいおい、それは言っちゃダメだろ? ソフィアに聞かれたら、恥ずかしさで真っ赤になって、また泣くぞ?」
「そうよ、ライアン。あの子はあなたのことも、アデリアのことも大好きだから、大騒ぎするのよ? わかってあげて」
「はいはい、わかりました」
両親の言葉に、ライアンは両手を上げておどけてみせた。
「ハハハッ。我が家は相変わらず賑やかね」
アデリアは大歓迎を受けながら、屋敷の中へと入っていった。