第二十一話 到着
山を越えて北側から王都に入った一行は、そのまま南を目指した。
「食事の用意をして待っているはずですから、昼食は別邸のほうで摂りましょう。ちなみにハーランド公爵家の本宅は、王宮のすぐ隣にあります。外からでも、見て行かれますか?」
ティンドルがとんでもないことをサラッと言った。
「いや、そのまま別邸のほうへお願いするよ」
「あっ、あの、兄はドコでハーランド公爵さまにお会いしたのですか?」
アデリアとハーランド公爵の婚約にあたって、連絡係は主にライアンが務めていた。
(まさか魔獣の血の臭いをプンプンさせて、王宮の隣まで⁉)
出入り業者ならいざしらず、ライアンは男爵家の跡継ぎだ。
下級貴族とはいえ、血の付いた作業服のような身だしなみで行っていたのなら、いくらなんでも不作法である。
アデリアは青ざめた。
「ライアンさまと旦那さまの面会は、魔獣引き取り所のなかの応接室をお借りしました」
「そ、そうなのね」
ティンドルの言葉に、アデリアはホッと胸をなでおろした。
(魔獣引き取り所なら、臭いはそんなに気にならない……かな?)
臭い以前に、ライアンは貴族としての礼儀作法などにも不安がある。
公爵家へ行くよりも、魔獣引き取り所のほうが気楽だろう。
もっといえば、ハーランド公爵に直接会うよりも、ティンドルに会うほうが楽だと言っていた。
(ハーランド公爵さまは、キラキラしていらっしゃるから……)
対してティンドルは茶色い。
細長くて茶色の髪と瞳を持つティンドルは、ニッケル男爵家にとって馴染み深いタイプである。
(キラキラタイプは、近い所で見かけたことがないから……慣れる前に婚約解消かしら?)
アデリアは、これから婚約者と会いに行くというのに、呑気にそんなことを考えていた。
馬車は王都をゆっくり移動していく。
アデリアは王立学園を卒業したばかりだが、街中をゆっくり見て回ったことはない。
(お小遣いもないのに遊びにきてもつまらないから、魔法の練習してばかりいたなぁ……)
王都だけあって、街中は賑やかだ。
ティールームに土産物店、役所や劇場、神殿などが並んでいる。
(緑と茶色で出来ているニッケル男爵領とは大違いでカラフル。ピンクや青のレンガに金の縁飾り、白の漆喰。植物の緑まで違う色に見えるっ)
アデリアは見ているだけでも心がワクワクした。
フワフワした笑顔を浮かべたアデリアは、思わずティンドルに話しかける。
「可愛らしい街並みね」
「はい、アデリアさま。この辺は庶民も来るエリアですから、豪華というよりも可愛らしいのです」
(こんなに可愛い街なら、見に来るだけでも来ればよかったかなぁ……あぁ、ダメダメ。うっかり街を散策したら、買い物したくなっちゃうもの)
アデリアは歩きやすそうなレンガの埋まった道と、可愛らしく並ぶ漆喰とタイルで出来た建物を眺めながら思った。
サミルが左の手のひらを右手を拳にして叩いて言う。
「ああ、そうか。上位貴族は、買い物になんて出かけないよね」
「ええ、サミルさま。基本的に屋敷へ商人が持ってきた物から選ぶのが普通です」
「うちも同じようなものだよ。パレット商会の馬車で運ばれてくる物から選ぶから。もっとも理由は予算が厳しいのと、ニッケル男爵領に店らしい店がないからだけどね」
サミルはそう言って笑った。
ティンドルは、どう答えていいものか迷っているようで、曖昧な笑みを浮かべている。
アデリアは話題を変えようと、父の袖を引いて声をかけた。
「あ、あの店。ソフィアのお土産を買うのによさそう」
「ん? どれどれ」
馬車の窓からサミルがアデリアの指が差す方向を見る。
そこからは父娘で、あーでもないこーでもない、と言いながら馬車の外を流れていく景色を眺めていた。
遠くに見える王宮の尖塔についての解説をサミルがしていると、ティンドルが笑顔で馬車の窓から右手の指先を揃えて行く先を指し示した。
「こちらがハーランド公爵家の別邸となります」
そこには立派な門があった。
高くて黒い鉄柱が等間隔に並ぶ正面には、大きな門扉がある。
細めの黒い鉄柱で作られた門扉には、金色に輝くハーランド公爵の家紋が掲げられていた。
「随分と広いお屋敷だね」
サミルが感嘆の声を上げ、アデリアはその隣でコクコクと頷いた。
門扉の向こうには手入れの行き届いた芝生に花壇、正面の玄関前には池もある。
建物はニッケル男爵家と同じ二階建てだが、外観はもちろん大きさも全く違う。
白がベースの建物は、所々に散っているペパーミントグリーンが効いた爽やかな印象の屋敷だ。
金色の装飾もキラキラと輝いている。
(風雨にさらされる外側へ設えられた飾りすら曇りがないなんて。本当にハーランド公爵はお金持ちなのね)
アデリアは目を丸くして建物を眺めた。
そして屋敷の前に広がる庭へと目をやった。
「立派なお屋敷! 庭の芝生もスッキリと手入れが行き届いていて、花壇の花は艶やかで……素晴らしいわ。でも人影すら見えなくて、誰もいないみたい」
アデリアの言葉に、ティンドルが微笑みながら答える。
「姿が見えなくても、使用人がいないということはないのでご安心ください。警備のほうも頼りになる門番たちが見張っていますし、屋敷はぐるりと高い鉄柵で囲まれていますから安全ですよ」
「あら、私はこれでも魔法使いよ? 怖がりではないわ」
アデリアはおどけて右手の人差し指を立てると、胸の前で無限大の記号を作るようにクルクルと回して見せた。
「そうですか? 頼もしいですね、アデリアさまは」
アデリアは、クスクス笑うティンドルをちょっと睨んで、それを見ていて噴き出したサミルと共に笑った。
(立派な屋敷で気が引けちゃうけど……。私は婚約者とはいえ奥さまになることはない、ただのお客さま。すぐニッケル男爵家へ帰るわけだけだから、気楽にやろうっと)
門扉が開かれ、馬車はレンガの敷かれた道を通って玄関前で止まった。
そこには屋敷のイメージにビッタリの、キラキラした美丈夫が待ち構えていた。
「ようこそいらっしゃいました、ニッケル男爵、アデリア嬢」
ハーランド公爵はアデリアが馬車から降りるのをエスコートしながら、軽い感じで挨拶をした。
「お招きに預かりありがとうございます」
馬車から降りたアデリアは、ドレスの両端を軽くつまんで挨拶をした。
ハーランド公爵は柔らかな包み込むような笑みを浮かべて言う。
「いえいえ、どういたしまして。堅苦しいのはナシで大丈夫だからね、アデリア嬢」
「はい。お気遣いありがとうございます」
(今日のハーランド公爵さまも、安定の美形~)
ハニーブロンドの美青年に手を取られて、アデリアはホゥ~と溜息を吐きながら見惚れた。
スラリとした体に金刺繍と金コードをたっぷり使った貴族服をまとい、華麗な笑みを浮かべるハーランド公爵は文句なく美しい。
(見惚れるな、というほうが無理っ! とても生きてる人間だとは思えないっ。絶対に我が家の人間とは、違う成分で出来てるっ)
アデリアが興奮と感激で意味不明な結論を出している横で、父と仮初の婚約者は丁寧な挨拶を交わしていた。
「彼は私の執事のアーシャルだ。何か用があったら、アーシャルかティンドルに言ってください」
「お心遣いありがとうございます」
サミルがハーランド公爵にお礼を言っている横で、アーシャルがアデリアのほうへと振り向いた。
黒い執事服に白いパリッとしたシャツを着た高齢の執事は、スッと背筋を伸ばしたままサッとアデリアの側に近付て、コソッと聞く。
「アデリアさまには、メイドのほうがよろしいですか?」
「ええ。女性同士のほうが気を使わなくて済みます。けれど私は男爵家の娘ですから、あまり身分の高いご令嬢だと……」
(公爵家は使用人といっても、伯爵令嬢とかゴロゴロいそう。流石に身分が上の令嬢に身の回りの世話をしてもらうのは気を使うわ)
アデリアの気持ちを察した執事は、コクリと頷いた。
「承知しました。侍女は伯爵家の者しかおりませんが、メイドは子爵家の者がおりますので手配いたしますね」
「はい。よろしくお願いします」
少しだけ緊張した面持ちのアデリアに、涼やかな笑みを向けた高齢の執事は一礼するといち早く屋敷の中へと戻っていった。
(当たり前のことだけど、玄関も我が家とは全然違うし。本当に別世界ね。ここが別邸とは恐れ入るわ)
アデリアは、自分の婚約者だとは全く思えないキラキラの公爵さまにエスコートされて、父と共に屋敷のなかへと入って行った。