1、行方不明者
ピピピッ…
スマホのアラーム音が部屋に鳴り響く。
俺、村島博士16歳は、いつまでも鳴り止まないアラーム音に不快さを感じながらも重い瞼を上げる。
カーテンは閉め切っているが、それ越しからでも分かるくらい日差しは強い。
朝というのは何故こんなにも憂鬱なのか。早起きは三文の徳と言うが、この起床する段階で精神的に損をした気分に苛まれる。
そんな事をウダウダ考えていたが、このまま横になってたら二度寝をしそうなので、無理にでも体を起こした。ベッドに座り、覚醒しきっていない頭でスマホのアラームを止める。
時刻は6時50分。その時間を見るのさえも憂鬱だが、恐らくそう感じるのは睡魔のせいだろう。
「はあ…起きるか」
俺は深いため息をついた後に重い腰を上げ、ひとまず顔を洗おうと洗面所へと向かった。
***
顔を洗い、歯を磨き、私服に着替えた後、俺はリビングへと行く。
テーブルに母親からの置き手紙が置かれていた。
今日はいつもより早い出勤のため、朝食は二人分だけで良いこと。それと、帰りも遅くなるから夕食を作っておいてほしいという内容だった。
俺はその手紙を冷蔵庫のドアに貼り付け、ひとまず朝食の準備を始める。
目玉焼きとハムを焼いていると、暫くして妹の和葉が上から降りてきた。既に彼女は制服姿だった。
「お兄ちゃんおはよ〜」
「おう」
そう軽い返事をすると、俺は焼き上がった目玉焼きとハムを皿に乗せ、テーブルへと置く。そして前菜のサラダもその横に置いた。
「パンは自分で焼けよ」
「はーい」
和葉はトースターにパンをセットし、冷蔵庫からジャムを取り出した。
パンが焼けるまでの間の暇つぶしなのか、和葉はテレビをつける。
今の時代、食べながらスマホいじる人間なんて珍しくも無いだろうが、母親が行儀が悪いと注意してくるので、我が家では食事中はスマホ禁止令が出されている。
まあ、テレビ見ながらの食事も大して変わらない気もするが。
テレビが映り、ニュースキャスターであろう女性の声が耳へと入ってくる。
「××県××市に住む〇〇さん(35)が一週間ほど前に外出したっきり帰って来ないと〇〇さんの母親から110番通報がありました。警察はーー」
「また行方不明?最近多いね」
和葉が焼き上がったパンにジャムを塗りながらそう言ってきた。
そういえば最近SNSなどでも行方不明というワードがトレンド入りしていた気がする。
これは他国による仕業だとか政府の陰謀だとかさまざまな憶測が飛び交っているが、正直この周辺ではそんな話全く聞かないし、記者などが大袈裟に取り上げている可能性もある。
実際、本当に誰かの仕業ならすぐ分かるものだと思うんだが、俺みたいな一般人が考えたところで答えなど出るはずも無い。
ただ、行方不明となっている人間の殆どが無職や不登校、引きこもりなどばかりらしい。
そんな話を聞くと尚更、何だか嘘くさく聞こえてしまう。
どうせ国がそういう脅しをして、無職の人間にもちゃんと働いてもらおうとかそういう魂胆でもあるんだろう。
あくまでこれも俺の憶測でしか無いが。
もし、本当なら俺だって行方不明になっててもおかしくない。
何故なら俺もここ数年は学校に行っていない、外出すらもあまりしていない引きこもり体質の人間だからだ。
ふと、和葉が俺の方へと振り向き、ふふふっと怪しげに笑ってきた。
「お兄ちゃんも気をつけた方が良いよ。行方不明になってる人の大体が学校行ってないとか無職とかだったりするらしいから」
お前までそれを言うか。
俺は呆れながらも何と言い返そうか考えた。
そして、頑張って捻り出した返しがこれだった。
「うるせえ、俺は殆ど外に出ないからそんな心配は無いんだよ」
悲しいくらいに虚しい言い訳。
まあ、ある意味外に出なければ安全なのは確かだ。
実際引きこもりから脱却しようと外に出た人がその日に行方をくらましているだとか聞いている。
つまり外に出たら危ない、という事だ。
「それ自分で言ってて悲しくならない?」
和葉は冷たい視線を俺に向けてくる。やめろ、そんな目で俺を見るな。メンタルに来るから。
「まあ、良いや。じゃあ、私学校に行くから。ちゃんと掃除しといてね」
「へいへい」
和葉はテレビを消した後、弁当を鞄に入れ、家を後にした。一人となった家内は途端に静かになる。
俺はもそもそと朝食を食べ、朝食の食器を片付けた後に、和葉に言われた通りにリビングやトイレの掃除をした。
本当なら一日中ダラダラしときたいが、さすがに学校にも行かずバイトもせずな自分が何もしないのは罪悪感に苛まれるので、せめて妹や母親がいない時くらいは家事の手伝いはしようと自らやっている。
始めは洗濯機の使い方すらも分からなかったが、今ではそれなりにサマになって来た気がする。
料理だって目玉焼きや味噌汁、肉じゃがくらいは作れる様になった。
このまま家事を極めて逆玉と結婚し、養ってもらうのも悪くないかもしれない。まあ、そんな冗談は置いといて…。
今日は祝日だが、妹は受験勉強の補修の後に塾だし、母親も仕事により帰りが遅くなるらしいため夕食も俺が作らなければならない。
念のため何か材料はあるかと冷蔵庫や冷凍庫を確認したが、見事に調味料しか入ってなかった。
朝食や弁当に材料を全て使ってしまったんだった。しまった。
となると買い出しに行かないといけない。最悪な気分だ。
行方不明の件も少し、本当に少しだけだが心配ではあるし、あと、それとは別の事情により外には出たくなかった。
その理由に関しては、またおいおい話すという事で。
しかし、これは困った。さすがに夕飯無しとなると母親から殺されてしまう。いや、殺されはしないがそれくらい叱責を受けるのは間違いない。
「はあ…行くしかねえか…」
一応財布の中を確認する。三千円だけ入っていた。買い出しに足りるか微妙なラインだが、まあ、大丈夫だろう。多分。
玄関の前に立つと酷く緊張する。
俺は恐る恐るドアを開け、周りに人がいない事を確認して外に出た。
約1カ月ぶりくらいの外出。まだ暑さの残るこの季節、ヤケに眩しい日差しが更に気持ちを落ち込ませる。陰キャな俺にはこの陽の光がキツイ、そして暑い。早く買い物済ませて帰らないと具合が悪くなりそうだ。
さあ、店に向かおうと少し歩き始めたところで
「あれ、ヒロじゃん」
突然、背後から声をかけられて心臓が跳ね上がった。そして反射的に声のした方へと振り向く。
が、その緊張もすぐに解かれた。
「…なんだ、悠人かよ…驚かせんなよ」
「ごめんごめん。久しぶりに顔を見たからさ。元気にしてた?」
「お前のせいで元気なくなったわ」
「はは、相変わらずだねヒロは」
コイツは如月悠人。小さい頃からの顔見知りであり、いわゆる幼馴染というやつだ。
俺にとって唯一の友人である彼と約3カ月ぶりに会うという何とも変な話ではあるが、俺がほぼ家から出ないから仕方ない。
顔は合わせてなくても通話やチャットなどはしているからあまり久しぶりという気持ちも湧かないが。
「で、何で外に出てるの?」
「俺が外にいるのが異常みたいな言い方やめろよ。俺は吸血鬼か何かかよ」
「でも実際そうでしょ?」
「おう、正論パンチやめろや。地味に傷つくんだぞそれ」
「冗談だよ冗談。でも珍しいなって思ったのは本当」
あの…ワザっと俺の心えぐってきてません?
俺は内心そう思いながらも口には出さずに代わりにため息をついた。
「…買い出しだよ。夕飯、今日俺が作ることになってるから」
「そういえばヒロ、家事してるんだっけ。偉いじゃん」
「別に…家にいてもやる事も無いしな。ゲームするのも飽きたし」
「勉強すれば良いんじゃない?」
「絶対ヤダ」
「まあ、そうだよね」
あっさりとした返答。実際勉強大嫌いなのだが、そこまで潔く納得されるのも悲しい。事実なのだが…。
「で、お前は?」
「僕は今から剣道の稽古」
悠人は手に持った竹刀を軽く見せてきた。
そういえばコイツ剣道やってるんだったな。久しぶりに竹刀持ってる姿を見たかもしれない。
「あー、まだやってんだなソレ」
「もう日課みたいになってるからね。やめるのも違和感があって」
「真面目な事で」
「そんなんじゃないよ」
悠人は、はにかんだ。
彼の親戚が剣道道場をやっている様で悠人も3歳の頃からずっと習っているらしい。悠人は一見か弱そうな穏やかな印象の男子だが、案外しっかりと筋肉のついた体つきをしている。(前に腕を触らせてもらったけど、結構硬くてびっくりした)
そして勉強面でも成績が良くて女子からたまに告られてるとかなんとか。しかし、その告白も全て断っているとか。何とも勿体ない男である。その内モテ期が終わって後から後悔しても知らんからな。
説教くさくなってるのは決して羨ましいとかではない。断じて違う。
「…チッ、青春を謳歌しやがって」
「え、何…?」
「何でもねえよ。お前はすげえな〜て思ってさ」
「そんな風には見えなかったけど…」
そんなたわいもない話をしながら、俺たちは住宅街を抜け、繁華街前へと来た。
ふと、悠人がこっちまでついてきてる事に違和感を覚える。確か道場って住宅街付近だった筈。
「あれ?悠人、お前稽古は?」
「まだ時間あるからヒロについて行っても良い?」
「俺は良いけど、別に楽しいことなんて無えぞ?」
「僕は楽しいから気にしないで」
悠人はニコニコとしながらそう言ってきた。
俺が思うに、この言葉は嘘だ。
恐らく、俺の身を案じて付いてきてくれたに違いない。俺が長年対人恐怖症だという事をコイツは知っているからだ。
案の定、俺は悠人がいる事でだいぶ精神的にも落ち付いている。繁華街に一人で来るのですら俺にとっては大きなハードルになる。
正直本音を言うと、悠人と鉢合わせ出来て良かったと思っている。
ここまで友人という有難かさを感じたのは久しぶりかもしれない。
…本人には照れ臭くさいから絶対言えないけど。
「どうかした?」
「別に何でもない」
何だか変に恥ずかしくなってきた。さっさと買い物を済ませよう。
俺は早歩きで先に進んだ。
***
買い物を済ませて、また俺たちは住宅街へと戻るために足を進めていた。金はギリギリ足りたため何とかなった。
「お金足りて良かったね」
「ああ。ただ、財布が空になったから後で母さんに小遣い貰わないとなあ…」
すっかり寂しくなった財布を振りながら俺はガックリと肩を落とす。母親に叱られるよりは何倍もマシか…。
突然、ザワッと強い風が吹いてきた。
雨でも降るのかと空を見上げるが、今日は恐ろしいほどの快晴だった。
しかし、暫くして自身にも何処か不安感が襲ってきた。何かに追い込まれるようなそんな感覚。
チラッと悠人の方を見る。悠人は普段と変わらない。どうやら俺だけがこの不安感を感じている様だ。
そんな俺を見て、悠人は何か感じ取ったのか話しかけてきた。
「ヒロ?大丈夫?顔色悪いみたいだけど」
「いや…別に何でも…暑さにやられたのかも」
「何処かで休憩する?」
「家まであと少しだし、平気だよ」
「そう…」
が、体調が徐々に悪くなっていく感覚はあった。いや、これは精神的に追い詰められている?何故急に?
それすら分からないこの感情に俺は思わず発狂しそうな気持ちを何とか抑えながら、一歩一歩ゆっくりと足を進める。悠人は黙って隣をついて来ていた。
ふと、前を見る。
するとそこには、全身黒い服を見に纏った人間が立っていた。フードを深く被り顔は分からないが、体格的に男である事は間違いなさそうだ。
俺はその男を見た瞬間、酷い恐怖感と不快感に苛まれる。
もしかして、この男のせいなのか?
俺はその場で立ち止まった。
悠人から話しかけられた様な気がするが、内容が上手く聞き取れない。
俺はその男から目を離す事が出来なくなっていた。そして、声も出す事が出来ず、身体も動かす事が出来なかった。まるで自身の時間が止まったかの様に。
男がこちら側に近づいてきた。俺の心臓の鼓動が早くなるのを感じる。
相手との距離があと1メートルといった辺りで男はまた立ち止まった。
そして、相手は俺へと手をかざしてきた。
すると突然、俺の足元に突然紋様が浮かび上がり、光りだす。よくあるファンタジー世界の魔方陣の様だった。
(…え?)
俺は身動きが出来ない状態で、なす術なくその場に立ち尽くす。身体がみるみるうちに白く輝いていく。
あ、これはひょっとして、かなりまずい――
「ヒロッ!!」
今までに聞いたことの無い大きな声量で悠人が俺の名を呼ぶ声がはっきりと聞こえた。悠人が俺の腕を掴もうと手を伸ばしてくる。
そして、腕を掴まれたのとほぼ同時に、
目の前が真っ白になり、静寂に包まれた。