髪叩き
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と内容に関する、記録の一篇。
あなたも共にこの場へ居合わせて、耳を傾けているかのように読んでくださったら、幸いである。
うーん、このウィッグをつけるのも、今日でおしまいかしら。
どうも、長い髪のほうがキャラのイメージに合うからって、練習からずっとお世話になっていたもの。本番が終われば、お役御免になると分かりきってはいたけれどね。
つぶつぶは、自分の髪のこととか気にしてる? また適当なタイミングで床屋とかにいって、切ってもらうんでしょ? あんたの場合。
男も女も、たとえ方向性は違ったとして、髪の毛にかける情熱には並々ならぬものがあるわよね。それはどうしてかしら?
私が「ひょっとしたら……」と思うようになった、きっかけの話。聞いてみない?
あれは幼稚園のころだったかしら。
一緒の組の友達に、「みわちゃん」て子がいた。
ひとり遊びが好きな子で、みんなで行動する必要があるとき以外、めったに他の子と絡むことなく、部屋の隅で絵を描いたり、石並べをしたりして遊んでいる。
お迎えだって、なかなか来ない。少なくとも私は、どれだけお迎えの親が遅れても、みわちゃんが自分より先に帰ることを見たことがなかったわ。
自分から積極的にかかわろうとしてこないだけで、こちらから誘えば遊びとかには付き合ってくれる。
嫌がるわけじゃなく、さほど周りに関心がないような。マイペースな子だと感じたわね。
そのみわちゃんが、ある日の遊びの時間に、私を手招きしてきた。
いつも彼女がうずくまっている、部屋の隅。そこに案内された私は、彼女が手に握っていたものを見せられたわ。
それは一本の髪の毛。一本だけでも、その特徴的な髪の色は間違いない。
私自身の髪の色。みんなの中で、茶髪だといじられた経験がすでに何度かあったけれど、正真正銘の地毛。組の中でこの色を帯びる髪は、私しか持っていない。
「さっきね、部屋に落ちていたのを拾ったの」
ニコニコしながら話すみわちゃんに、私はどうリアクションをしたものか迷う。
確かに少し前の時間に、部屋の中をちょろちょろしていたのは見ていた。でも、それで拾っていたのが、私の髪の毛だったなんて。
それを後生大事に持っているなんて。それをわざわざ本人に見せつけてくるなんて。
つくづく変で、気味の悪い子だと思った。
そうやって、「かっこ」だけで終わっているなら、笑って終わらせられたんだけど。
「これでねえ、ちょっとおもしろいことができるんだよ」
彼女が人に笑いかける機会も、そう多くなかった。そうとう琴線に触れることじゃない限り、こうも見せびらかすこともない。
いったい、何が始まるのか。
彼女は私に見せた髪の毛を、また軽く握り込むと、その握りこんだ指を上向ける。
手の甲を下にしたままの状態で、空いているもう片方の手で、握った指たちを渦巻くようにいくらかさすったかと思うと。
「ぽん」と声に出しながら、彼女がさすった手を打ち付けた。
瞬間、私の視界を何度か塞ぎながら、舞い落ちるいくつかの影。
私の前髪、いやそこも含めたつむじよりの髪が何本か、はらりと落ちていったの。
床の上に転がる幾本もの毛を見て、私は目を丸くしたわ。ここに風など入り込んでいないし、私ももちろん手を触れて、抜くようなマネだってしていない。
ただ彼女が、髪を握り込んだ手をさすった上で、軽く叩いただけ。そこから生じる風圧を原因にするには、かの勢いはあまりに弱すぎる。
「ぽん」
また叩いた。やはり触れてもいないのに、私の髪はひとつまみ勝手に抜けて、床へと落ちる。
「ぽん」
三度叩いた。また抜けた。
「ぽん」
叩いた。ごっそり抜けた。
「――いいかげんにしてよ!」
私は彼女の手につかみかかっていた。
握っていた手を無理やり開き、髪をもぎ取る。同時に、そこへ散らばってしまった、自分の髪も回収した。
幼い私の手にあまるほどの、髪の束。いずれも彼女が叩くたびに、なんの痛みも抵抗もなく、抜け落ちてしまった、私の一部分。
みわちゃんは私の突っかかりに対し、小さく首をかしげるだけ。やられる方が、どのような思いをするか、分かっていないらしかった。
トイレの鏡で見る私の髪は、真ん中より右と左の前髪を比べれば、明らかに斜めへずれているいびつな姿に。
抜け落ちる髪が、もろともバランスを崩していってしまった。それをあの子は、拾った髪の毛一本でやってのけてしまった。
それだけでも十分、怖いことだというのに。まだ私はその恐ろしさを理解していなかったの。
それから何日か経って。
みわちゃんは、めずらしく先生に注意をされたわ。工作をする時間で、はさみをなかなか返していなかったためだったと思う。
いらだち気味の先生が、しまいには強引にみわちゃんからはさみを取り上げてしまうけれど、多くの子が先生を見る中で、私は嫌な予感がしてみわちゃんの様子をうかがっていたわ。
予想通りというか、みわちゃんは口を「へ」の字にしながらも、その手に長い長い一本の髪を握っている。先の作業の間は、あのようなものを持っていなかった。
そのつややかな黒と、握った手からたっぷりとあふれる長さ。先生のものに違いない。
そう、みわちゃんはすでに握りこんでいたのよ。髪の毛を。
先生がみんなから回収したグッズを入れた道具箱を手に、いったん部屋から出ていく。
その背中を向けたときから、彼女はもう髪の毛を握り込んだ手をさすり始めていた。
そして。
「ぽん」
「ぽん」
「ぽん」
次々と、その手を打ち始めたの。
そばにいなくては音が聞こえない、小さく抑えたもので。けれども、数えきれないほど手を叩く姿を見て、私はつい固唾を飲んじゃったわ。
いつもなら1分と経たずに戻ってくる先生。けれどもそれが、何分経っても戻ってこずに、みわちゃんをのぞいたみんなは、いぶかしげに顔を見合わせ始める。
先生を探す代表になった私は、いつも道具箱がしまわれている部屋へ。
先生は道具箱を床に放り出しながら、床に突っ伏していたわ。手足の投げ出し方からして、その場でとうとつに気を失ったかのような無防備さ。
声をかけてみるけど、返事はない。私がそっと近寄って、倒れる先生の肩を叩いてみたんだけど。
ずるりと、先生の黒髪が頭からずれ落ちたわ。
丸ごと全部。それこそカツラかと思うほどきれいに、先生の頭皮から完全に外れてしまったの。
それだけじゃない。髪の毛をどけられた先生の頭皮からは、なお小さな噴水のように、ゴボゴボと水音を立ててにじむ、血とは異なる体液らしきものがあふれつつあったのよ。
他の先生方に連絡して、救急車も呼ばれて、一大事になったわ。
結局先生は、私たちが園にいる間、戻ってくることはなかったの。聞いたところによると、入院中に不自然なほどやせ細ってしまい、別の大きな病院へ移ることになったとか。
それから私はみわちゃんから、距離を置くようにしたわ。
だって、いつ髪と一緒に弱みを握られるか分からないもの。直接的な証拠はなくても、あれはみわちゃんの仕業だと私は思っている。
あれ以来、みわちゃんには逢っていないけれど、彼女はあれからも気に入らない相手にあんなことしているのかしら……。