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公園での再会

 淳が去ったあと、残された伊藤と萌たちは顔を見合わせた。

 伊藤は思った。待ち合わせ相手はもういないってことは、解散、かと。


 萌以外の女子3人は、伊藤という男に興味なく、どうでも良さそうだ。

 どこ行こうか、とかなに食べようか、とか萌の恋バナをもう少し聞きたかった、とか浮かれた表情で女子会トークをしている。


 しかし、萌の様子は周りとは違っていた。

 何か考えるように走り去った先を見ている。

 その表情に迷いはなかった。


 「淳くんを追いかけたい! だから、伊藤さん、アタシと付き合ってください」


 他の人たちが、一斉に萌へと目を向けた。

 伊藤は、戸惑っているようだ。

 てっきり、もう解散で自分は用済みなものだと思っていた。

 それが、どういうことか。付き合ってほしいと頼まれている。断る理由はない。


 「俺で良ければ、力になるよ」


 「よかった! ありがとうございます」


 頭を下げるとすぐ、萌は淳を追いかけるように駆け出した。

 勢いについていけず、やや遅れて伊藤が慌てて萌を追いかける。

 なし崩し的に、友達もついていく。

 その時、5番バス停からはもう出発寸前で、扉はしまっており乗車はできそうになかった。


 「白石さん、次のバスを待ちませんか」


 そう言って、伊藤が静止しなかったら、間違いなく走るかタクシーを捕まえるかして追いかけただろう。残念そうに萌はガックリと肩を落としている。


 「大丈夫です! 心当りはあります」


 伊藤は、前日に電話で話して聞いていた。気になる人が市立病院にいることを。

 そして、5番バス停から行く先には市立病院が含まれている。


 「安心してください。俺は、あなたを悲しませたりなんてしませんから」


 その言葉は、萌の心に、ちょっとだけ響いた。綻ぶように笑う。

 それは、伊藤にとっては天使の笑みだったに違いない。なぜなら、直後に赤面したからだ。そして、呟く。可愛いかよ、と。

 


 温かな日差しが差し込む麗らかな春の公園近く、ベンチの下を覗き込む女の子が1人いる。

 その公園は市立病院の近くにあった。

 女の子はなぜかパンダの着ぐるみのようなパジャマを着ており、その隣りに看護婦さんが1人いる。


 「ちさちゃん、無理はしないでね」

 「わかってます。私は全然、平気です。大丈夫、大丈夫」


 平然と笑って、何事もないかのように返す女の子の足取りはふらついている。

 それでも、自分自身に言い聞かせる口癖の言葉を繰り返す。


 「大丈夫、大丈夫」


 「まったく、何が大丈夫なんだか」


 そんなことを言いつつも、看護婦さんは千紗の行動になんだかんだ付き合っている。

 少し離れたベンチへ、そろり、そろりと近づいていく。

 

 「怖くない、大丈夫。私がついてるよ」


 視線の先、ベンチの下には姉妹らしき4匹の仔猫がいた。

 白と黒のぶちネコたち。なぜか、母猫は一緒ではないようだ。

 生まれて1ヶ月くらいだろうか。目はクリクリとしていて、とにかく小さく、弱々しい。それでも懸命に生きている。

 警戒、怯え、不安、苛立ち。白黒の仔猫たちからそんな思いを感じる。

 対して、千紗はそれをみても動じる様子はない。当たり前のように慣れた手つきで抱き上げた。

 やさしく、大事に、包み込むように。

 そんな千紗の行動に他3匹がシャー、と鳴く。

 抱かれた仔猫は爪をたて暴れている。


 「よしよし。大丈夫、怖くないよ」


 千紗は見事なまでの保定をして上手に抱え込んでいる。ように見えるが、手から血が滴った。

 

 「ちょっと、ちさちゃん! 普通と違って、あなたは血が止まりにくいのよ! 傷口から感染症も起こしやすいのよ!」


 看護婦さんが慌てていても、千紗は全く動じない。痛い素振りを微塵も出さず、真摯に向き合っている。


 「普通って、なんですか? 傷は猫飼いの勲章ですよ! 仲良くなるには多少の傷くらいなんてことないです」


 「全く、頑固もので困る。どうせ言っても聞かないのよね」


 「はい! そうですね」


 満足そうに、千紗は笑みを浮べた。


 

 それはお昼前のことだった。病室へ食事が届く時間帯、9階のとある病室よりナースコールが押された。要件を伺いに新人の看護婦が病人の元へと向かう。


 502号室。

 4人部屋の多床室で、病室前のネームプレートには4人の人物名が明記されている。

 その中にナースコールを押した人物、福永千紗の名前があった。


 福永千紗は、その病棟の中で1番症状が重かった。本来、こういった症状の患者が一般病棟にいる事自体が珍しかった。

 なぜ、彼女がそこにいるのかと問えば本人が希望したからに他ない。特別室にいてもおかしくないというのに、だ。

 本人曰く、病院なんて退屈で、誰か話し相手でもいないと生きた心地がしない、とか。とにかくつまらないし、寝てるだけの生活に嫌気が差すのだそうだ。

 できることなら、さっさと安心して落ち着ける自分の家に帰りたい、というのが本音だろう。

 そんな寂しがりやでわがままな子どもみたいなことをいうからなのか。あるいは、柔らかく人当たりがいい雰囲気から可愛がられるからだろうか。

 看護婦たちからは、名前の後に決まって「ちゃん」付けで呼ばれることが浸透しきっていた。

 おまけに、幼い頃より身体が弱く通院や入退院を繰り返し、様々な病院を転々としていたため顔を覚えられやすかったようだ。

 何よりも、千紗自身が病院慣れしていた。

 そういった環境で人慣れし、社交性を高めてもいるから可愛がられ、実年齢より若くまるで子どものような扱いをされて育っているのも事実だ。

 

 新人さんが要件を伺うと、

 

 「ごめんなさい。婦長さんを呼んできてはいただけませんか」


 そう、丁寧に謝るかのように言った。

 何事かあったのだろうか。


 「ちょっと、ご飯が食べられなくて」


 そう言われて、慌てて婦長を呼びに行く。


 数分後、駆けつけた婦長は千紗を一瞥した後、笑顔を見せた。いつものことだと言わんばかりに落ち着いている。


 「あれかい? 気晴らしに散歩なら許可するけど、少し条件があるよ」


 「なんでしょうか」


 外に出たい。出してくれないとご飯いらない。そんな子どものわがままを平気で言えるのが千紗だ。

 偏食が酷くて、一度いらないと言ったら二度と食べようとしない。

 そして、かなり子ども舌な味覚をしており、好き嫌いがはっきりしている。

 下手なことをして、否定しようとか強制しようものなら、ごねられて治療拒否されかねない。

 だから、ある程度、本人の意志を尊重した対応をしている。


 「1人は看護師つけること。それから、身の危険がある場合は即病室へ戻ること」


 「了解です! 1つ目は納得しました」

 

 引っかかる言い方がなんとも千紗ちゃんらしくもある。


 「しっかり頼むよ! 約束だからね」


 「善処します」


 婦長は、やれやれ、といった感じでため息ついた。


 「いつもなら、そろそろ来る時間なので病室へ戻りたくないです。せめて、1時間だけだめですか?」


 「あ、もしかして、例の人?」


 コクリ、と頷いた千紗を見て婦長は腑に落ちた。なるほど、ね。


 「ストーカー、ね」


 お見舞いと称して、ラブコールを送ろうとしているのが見え見えの、ちさちゃん曰く、ただの元同僚が休日のお昼頃になると現れるのだとか。


 人伝に聞いたはなしだが、ちさちゃんは男嫌いでもあるとのこと。

 高校生の頃、痴漢の被害にあい、ひと悶着あったらしい。

 それから、学校自体ほとんど通えなかったが、女子高卒とのことで男性経験はほぼない。

 あまり通学していないとはいえ、病院内の学級で勉強する機会も多く、学力はけして悪くない。


 「ある程度までなら妥協するけど、限度があるからね」


 そう言いつつも、なんだかんだで婦長は外出を許可した。

 そして、車イスの使用を拒否し、自分の意志で歩いて看護婦さんと2人で公園へ出掛けたのだった。



 千紗たちが公園にいる頃、雨野淳は市立病院に着いた。道中では、色々と考えごとをしていた。

 前日、ちさちゃんという女の子はなんて言ったか。


 「私は、もうそんなに長くないんです。親とかにはまだ内緒なんですけど」


 そう平然と言ったのだ。

 変だ。おかしい。そう思う。


 なんで、僕なんかに、そんな大事なことを、あの人は話したのだろう。

 今まで話したことがない、接点のなかった人からの、とんでもない発言。少なくとも、僕はあの人のことをよく知らない。

 本当に、なんで僕なんだろう。僕なんかにする話ではないじゃないか。そんな疑問が浮かんで、どうしようもない。

 とにかく、会って確かめるしかない。なんで、そんなことを言ったのか話さないとわからない。

 ただ、話をしたことろで、僕にできることは限られてるし、何ができるかはわからない。

 それでも、話くらいは聞けると思った。だからこそ、僕はそこへ会いに行かないとダメなんじゃないかと考えて行動した。



 僕が公園に着いてた時、昨日来たベンチには先客が2名と4匹いた。


 「もー」

 

 最初こそ攻撃してきた仔猫だったが、一瞬で手懐けている。

 まるで猫使いのように、千紗はその辺の草を振り回して、その草を仔猫が追い掛け回す。

 草と見せかけて、指、草、指。

 仔猫の視線をくすぐるように刺激していく。仔猫はすっかりパンダのちさちゃんの虜となっているようだ。

 子猫は戯れては駆け回り、そのうち、おなかを目掛けて飛びかかる。


 「もー、やったなー」


 とても楽しそうに、千紗は仔猫と遊んでいる。もー、にゃー、もー、にゃーって騒いでる。


 そうだ、今度からこの子は『もにゃー』と呼ぼう。僕はそう思った。


 看護婦さんと会話してるのが聞こえる。


 「ちさちゃん、猫の扱い上手ね」


 「すべての生き物は、尊いですから。人も動物も、昆虫でさえも命は等しく尊い、そう思いませんか」


 言われて、看護婦は考え込んでしまう。等しく、か。

 人間相手の仕事をしていると、人の命と動物は別だし、昆虫や魚と人が同レベルとはどうしても考えにくかった。

 それを、この子は、同じ命としてかけがえのないものだと言い切った。


 「どうしても、そう思うの?」


 「そもそも、人と比べることじゃないですよね? 三上さんは、命を粗末にできますか?」


 言われて、ハッとする。大切なことを忘れていた自分が恥ずかしくなる。

 

 「命を大事にできない人を、私は信用なんかできません。それが、私の生き方だから」


 その言葉は、僕の心にズシンと響いた。生きること、命を大事にすること、その意味。

 それこそ、僕が本当に求めていたことの核心ではないだろうかと思った。

 人も、動物も、昆虫も、生きとし生けるものは、必ず死ぬ。

 自分に親しい存在の死に立ち会った時、僕はどうだったか。今まで、どうだったか。

 僕は、ここ数ヶ月、生きてるようで、死んでいたのではないか。

 まさに生きる屍の如く、思考はぐるぐると回れど行動には至らず、前を向いて歩くことなどできっこない感覚が鮮明に思い出された。

 だからこそ、考えていたのだ。何のために、僕は生きているんだろうか、と。

 恋なのか? いや違った。

 じゃあ、なんだ、と問われたら言葉にできない。

 でも、その答えが、いま、目の前にあるように思えた。


 「命を大事にすると、必ず良いことがある。私はそう信じているんです」


 その瞳にくもりなど有るはずもなく、惹き寄せられるかのような魅力で輝いている。

 顔を見ていて、僕は思った。

 失いたくない、と。どうか、居なくならないで、と。

 どうしても、そう思ってしまった。理由を自分では全くわからなかった。


 「もしも、私が死んだとしても、私が大事にしてきた命は、虹の橋のたもとにいるはずですから」


 悲観などではない。むしろ、嬉しそうに話す。人によっては、死だなんて生々しい話をすること自体を憚られ、不謹慎だとお叱りを受けたかもしれない。

 しかし、千紗に対して、三上さんは、黙って聞いて考え込んでいるようだった。

 虹の橋、という考え方をどうとらえるかは人それぞれだろう。

 考えた末、三上さんは天を仰いだ。そこに、大切な人の面影があるかのように、遠い目を向けた。


 千紗は甘えてくっつく仔猫に語りかける


 「私が来るのを、待っててね」


 親がいない、哀れな仔猫。

 そこに救いの手を差し伸べる優しい女の子。その女の子は身体が弱く、この先、どうなるかわからない。

 だけど、そこにいる生後1ヶ月ほどの命は、放っておけば、女の子よりもあっさりと脆く、儚く散るだろう。


 今まで関わったすべての生き物が虹のたもとで待っていてくれるから。私は何も怖くない。そう言ってるように思えてならなかった。


 だから、あえて、言ってしまった。


 「もにゃーさん、死ぬのが怖くないのですか?」


 言われて、なんのことだがわからない様子の千紗は、ポカン、としていた。

 代わりになぜか、三上さんが答えている。


 「あのね~、あなたは病人に向かって無神経なこと言わないで」


 三上さんは、流石に怒っていた。

 しかし、その様子で、自分が『もにゃー』と呼ばれたことにようやく気付いた千紗がニコッと表情を緩める。


 なにその呼び方。そんな呼び方されたの初めてだし、おかしくて笑えてくる。

 だけど、言葉の響きは嫌いじゃないかも。


 「じゅんくんは、どうですか? 死ぬのは怖いですか? 命を大事にできますか?」


 ハッとさせられた。

 いきなり名前を呼ばれたことも、質問された内容も、想定範囲外だった。

 困ったように俯いてると、励まされた。


 「がんばってください! 人生はまだまだこれからじゃないですか」


 そんなことを言われて、だまってなどいられない。しかし、声がうまく出てこなかった。情けない自分。悔しさが込み上げた。

 このままじゃ駄目だ。そう思った。

 天涯孤独になろうとしている捨て猫を拾う猫使いの女の子が、生きる意味を教えてくれた。


 僕は、この子を救いたい。何ができるかわからないけど。


 

 しばらく、考えていた三上さんが千紗ちゃんに話しかける。

 

 「その猫、どうするの? まさか‥‥‥」


 「違いますよ。ストーカー対策ですよ。定期的に餌やり、じゃなかった散歩しに来て秋葉さんをやり過ごしたいだけです」


 「やっぱり育てる気だったのね」


 「当たり前じゃないですか! 生きたいように生きる、が私のモットーですからね」


 えっへん、と胸を張る千紗を三上さんは軽く叩いた。

 

 「偉そうに言うんじゃないよ、まずは自分の身体をなんとかしなさい」


 えー、不満。とでも言いたげに頬を膨らませている。


 「三上さん、命を大事にしないと

地獄行きですよ」


 「ちさちゃんはどうなのよ」


 「そんなの決まってます。私は極楽浄土の一択しかないですよ。人や生き物には善い行いしかしてません。」


 たしか、浄土真宗の考え方だったか。

 阿弥陀経というお経に出てくる言葉の『倶会一処』について思い出していた。

 その意味は、なんだったか。

 よく、お墓なんかに刻まれているけど、意味を考えたことなかった。


 そうこうしているうちに、13時になろうとしていた。

 

 「ちさちゃん、そろそろ」


 「そうですね。今日のところはここまでにします。じゅんくん、明日からこの子たちのこと、よろしくお願いします」


 あれ、そういえば名前。いつから僕は、名前で呼ばれていたっけ。

 それから、なんだったか。この子たちをよろしく、だと!?


 考えた。何ができるかわからない。でも、今逃げたら、この先も何もしないままなんじゃないだろうか。

 たかが猫。しかし、この子は言った。すべての命は尊い、と。

 なら、僕が助けてあげてもいいんじゃないか。

 この子たちの親になろう。


 「あ、良い忘れてましたが、私は福永千紗。ナースさんたちは、ちさちゃんって呼んでます」


 すると、三上さんが可笑しくてたまらないといった表情になる。


 「もにゃーって、笑える。名前をいえばいいのに」


 福永千紗は考えていた。

 すぐに答えは出たようで、まっすぐに僕の方を見てきた。

 

 「私は、それでもいいですよ。もにゃー、でも」


 そう言って、2人は去っていった。跡に仔猫を4匹残して。

 

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