アタシの初恋の記憶
中学生の頃、同い年のいとこの男の子が部活の大会でたまたま近くに来ているって知った時、アタシは居ても立っても居られなくなった。
応援席で、知ってる顔の人を見つけて声をかけた。
「おじさん、こんにちは。白石萌です」
「ん? あなたは、萌ちゃんか! 大きくなったね」
「はい! お久しぶりです。あの、淳くんって来てますか?」
「会場内にいる、あそこ」
そう言って指さして教えてくれた。
アタシの視線の先に、部員同士仲良く笑い合ってる輪の中にいる雨野淳を捕らえる。
とても楽しそうで、なんだかアタシなんかが声をかけると場を乱すんじゃないかと臆してしまう。
「会うのは、不味いですかね」
「そんなこと無いだろ。会いたがってるって伝えてくるから、ちょっと待っててくれないか」
『会いたがってる』なんて言われるのはなんだか気恥ずかしい。だけど、それでも会いたかった。
しばらくして、おじさんから会場の隅の方に行くよう伝えられて、向かうと、そこには雨野淳が一人で立っていた。
後ろの方をやたら気にしているようで、彼の視線の先には同級生くらいの部員仲間が待機している。
途端に、なんて声をかけたらいいかわからなくなった。
お互いの視線が合う。
けど、ものすごく気まずい空気が流れた。
結局、何を話したのか覚えていない。最後はお互い避けるように別れた。無理もないって思う。
だって、ここで会う前に、最後に会った日のこと、はっきり覚えているから。気まずいこと、しちゃったのはわかってる。
だから、正直、顔を見せにすら来ないのではないかと思ったくらい。でも、淳くんは来てくれた。
嫌ってる感じじゃないって、表情をみればわかるから。それがわかって、アタシはうれしかった。
今はまだ、ここまででいい。普通に話したかったけど、中学生の頃のアタシは、意識しすぎてしまって、そこまでグイグイ迫ることはできなかった。
高校に入って、アタシは自分磨きに専念した。
周りからは変わったとか、カッコよくなったとか言われたけど、自分自身では何も変わってなどいないとわかっている。
意識して、クールな自分を見せる、いわゆるキャラ作りできるようになった。
高校生になるとともに、髪型をベリーショートスタイルにして、応援団に志願して、臆せず正々堂々と胸を張って懸命に存在感を出した。
今までだったら、活発さはあっても、自ら目立つようなことはしてこなかったけど、あえて凛とした佇まいで応援団らしくバンカラな学ランを着て過ごした。
自然と、ファンクラブみたいな女子の取り巻きができた。一部の男子から告白もされたけど、それらは毅然とした態度ですべて断った。
「恋愛に興味ないです。ごめんなさい」
本当は、他に好きな人がいるからなのだけど、そんなこと言ったらファンクラブみたいなこの子たちが黙ってないだろうことは目に見えていた。
恋愛に興味ないだなんて、真っ赤な嘘なのに。冷たい表情で隠した。
いつしかアタシのことを男子の一部が、炎の応援団の中にいる氷の女帝、なんて大袈裟なことをコソコソと言うようになった。
周りから一目置かれた存在になったアタシではあったけど、本質は何も変わってない。
周囲の見る目が変わっただけで、それに合わせるようにうまくキャラ作りしただけだった。
中学の頃までを知ってる子からは、激変したって驚かれてる。
同級生だった友達曰く、
「あの運動神経抜群で成績優秀な文武両道の優等生さんが、生徒の模範だったあなたが、こんなにも変わるだなんて」
たしかに、そうかもしれない。中学生の頃、アタシは何をやっても楽しくて手を抜かなかったからほとんどのことは人並み以上に出来ていた。スポーツも、勉強も、ずっと続けたピアノや水泳も好成績ばかりで、自分でも恐くなるくらい出来すぎている。
何がアタシをここまで変えたのかなんて、考えなくてもわかっていた。
決定的だったのは、中学3年の、部活動の大会でアタシの地元に来ていた淳くんへ、会っても何も伝えられなかったあの日のことがあったから。
あの時は、それでもいい、なんて思っていたけど。やっぱり、あのまま終わるなんて嫌だった。納得できないでいる自分がいた。
だからこそ、自分を変えてやろと、自分磨きを高校でしてきた。
そう、恋なのだ。人は恋をすると変わる。
ただ、このことを周りに悟られるのは抵抗があった。実は恋する乙女だなんて、恥ずかしくてたまらない。
とくにも、高校のキャラ作りでクールな振る舞いをしたばっかりに、余計も女の子らしい態度は出しにくくなってしまった。
結局、花の高校生のうちに、意中の男子と出会うことはなかった。ただの一度も顔を合わせずじまい。
たった一度だけ、高3のお正月に家族連れで家を訪れたのは知っていて、その時ぐらいしかチャンスはなかったのに、声をかけることはできなかったな。
あの時は、おばあちゃんとおじいちゃんに挨拶して、すぐ帰ったみたいだったけど。
でもね、アタシは知っている。淳くんが、こっそり2階まで一人できてアタシの机を眺めて、モジモジして帰って行ったのを影から見て知っているのだ。
向こうも話したかったのかもしれない。お互い、変に意識しちゃってるよね。未だにそういうところはあるかもだけど。
高校デビューして、アタシが変わったことを、淳くんはまだ詳しく知らないはず。
知ったら驚くかな。アタシの高校生の頃の話、聞いてほしいな。
淳くんとのことは全部大事なエピソードだけど、何よりも忘れられないのはあのときのこと。
二人で出掛けた地元のお祭りの日の、あの出来事は印象に残って忘れられない。
雄大に太鼓を震わせる獅子舞を、熱心にキラキラした眼差しで眺める淳くんもまた、それはそれとして素敵ではあるけど。
お祭りに子ども相応な表情で夢中になっている淳くんと違って、アタシは手をつないで歩いているときからすでに、淳くんしか見えていなかったんだなぁ。
恋って、ものすごく盲目。ひどいくらいに。
アタシのこの想いが、確固たるものだと確信したのは、二人で手をつないで地元のデパートを仲良くぶらぶら歩いている時に起きた、あの出来事がきっかけだった。
「白石、男とつきあってるの? てか似合わなすぎ」
この声、三俣くん? え? なんで!?
同級生の三俣くんから、突然からかわれてなんとも言えない気持になってしまう。だって、
だって、三俣くんは小学生だった当時の、アタシの初恋の人だったから。
初恋っていっても、クラスで人気者のイケてるサッカー少年に、アタシが勝手に淡い期待を抱いただけの話。クラスでは面と向かって話をしたことがなかった。
そんな淡い恋心を抱いていた同級生の彼から、つまりは好きな男子から唐突に酷いことをいわれたのだ。
そんなこといわれたら傷つかないはずがない。ショックだった。
こんなことになるなら、スカートなんか履かなきゃよかった。普段履かないのに、なんでかわいい格好しちゃったんだろう。お洒落なんてしなきゃいい。慣れないことだから、これからはこういうことやめよう。
そう悲観的になってしまう。
追い打ちをかけるかのように、三俣くんの言葉が続く。
「野蛮人でもそんな格好するのか。変なの」
アタシは学校で活発な子で、得意のソフトボールでは男子より上手。なんでもやりたがるおてんば娘で、おしとやかな子のイメージとはかけ離れてる。
だから、スカートが似合わないと言われても仕方ないの。ただ、野蛮人、だなんて。
そりゃあ、可愛くはないよ。言われなくたってわかってる。クラスのかわいい子と比べたら、自分でも笑えるくらいなのだから。
でもね。だからといって、少し気になってる、好きな男子からはっきりとそんなこと言われるなんて堪えられない。
当時は、全く理解できなかったけど、今はわかってる。
三俣くんのこの発言の真意。実は好きの裏返しだったって。
それでも、小学生の女の子は理解できないのが当たり前。男の子が、特に小学生の男子が好きな女子にちょっかい出す心理なんてわかるわけないじゃない。
こんなことはあとから友達に言われなかったら、絶対知らなかった。
「実はね、光くんって、萌のことがね、‥‥好きだからからかってるらしいよ」
え!? そんなことってあるのって思うでしょ。アタシも最初そう思った。だけど、あるんだな、これが。
そしてさらに驚きなのが、実は、裏でアタシが男子にモテてたこと。だったら、普通に告白したらいいのに。そんなにコソコソしなくていいのに。
まったく、男子心はよくわからないなぁ。
アタシは今でこそ、当時の小学生男子の三俣光くんの気持ちが理解できる。でも、それは今更の話。
当時はこれっぽっちも理解なんてできなかった。
とにかく、小学生のアタシは好きな子からからかわれてショックだった。だから、震えて泣きそうになるのを堪えることしかできなかった。
そんなときに、淳くんは真っ直ぐに、声をかけてきた三俣くんを睨んでいた。そして、目をそらさずに、臆することなく言い返したよね。
あの時のこと、あの台詞。淳くんは覚えてるかな。
アタシは、あの時のことが一生忘れられないよ。
「言っていいことと悪いことがあるだろう。女の子泣かせるとか、男として恥ずかしくないのか?」
そう言い返したよね。そして、さらに続けて言ったんだ。
「お前みたいなやつ、萌ちゃんは好きになんかならないよ」
「ちくしょー!! おぼえてろよー」
アタシをからかってきた三俣くん、それに対して毅然とそういった淳くんの今の台詞と逃げながら叫んだ三俣くんの捨て台詞。
それを聞いて、スッと心が軽くなるのを感じた。からかってくる男子を好きにならなくていいんだって思ったら、気持ちが楽になったからなのかもしれない。
でも、アタシが本気で心が動いたのは、この台詞ではない。
この後に言われたことのほうが、はるかに大きな影響を受けたのを覚えている。
三俣くんが居なくなったあと、優しい顔で、こう言ってくれたよね。
「女の子泣かせるとか信じられない。オレだったら一生大切にするくらいかわいいのに」
なんて、ちょっとカッコつけて、しかも柄にもなく一人称はオレとか言っちゃってる割に、妙に様になってる。単純にかわいいって言われて嬉しいし、ちょっとドキッともした。
「か、かわいいなんて‥‥そんなこと言ってくるの淳くんだけだよ」
そう返したあとで、淳くんは今頃になって恥ずかしくなったのか、落ち着かないようで
「あ、あんまり見つめられても‥‥‥照れるんだけど」
「え? あ、うん」
なんだろう。好きになっちゃいそう。この流れで、こんな照れた顔なんかされて、
これでかわいいなんて言われたら‥‥‥。
「だから、かわいい女の子が見つめてくるのは、照れるって話‥‥萌ちゃん? 聞いてる?」
かわいいだって? 嘘じゃないよね。え? ど、どうしよう。これが、恋、ってやつか!
この時から、アタシは本気で恋してる。あなたにかわいいって言われて意識して、本当に恋をした。
曖昧なんかじゃなくて、心が弾けて、熱いものがどんどん湧いてきて、温かい気持ちになる。
それ以来、淳くんを見ると心がザワザワするようになった。
離れているから安心できなくて、ずっと一緒にいたくてたまらなかった。
もっと、もっと、って求めるとキリがない。この想いをどうにも止められなかった。
気がつけば、知らず知らずのうちに熱い視線を送ってしまっている。
アタシは今でも、しっかり覚えているよ。あの時のこと。あの台詞も、照れた顔も、すべて。
一生、絶対、絶対、忘れない。
なぜなら、あの瞬間、アタシは恋に落ちたから。
淳くんは初恋じゃないけど、それ以上に初めての、本気の恋だから。
あのね、アタシね、‥‥なんてね。
色々と、困らせるから言わないよ。好きだなんて。その一言だけは、心にしまっておくことにする。
そんなことをアタシは思い出しながら、大好きな淳くんに会いたい気持ちを抑えきれなくて、お父さんに頼んでみたのだった。
淳くんに会いたい一心で、でも、はっきりと恋心を見せないようにして。なるべく平然を装って落ち着いた声で
「春休みだし、いとこにでも会いたいな。たしか、仙台にいるとか言ってたよね」
お父さんにそう言った。
そうして、アタシのお父さんから淳くんのお父さんへ話が行き、今に至る。
すでに、アタシがいる場所は淳くんのいる仙台だ。
新幹線に乗ってる間に、淳くんの電話番号は教えてもらった。
さて、どうしよう。なんて話したらいいかな。電話かけるのにも緊張しちゃう。