元子爵令嬢のひとり語り
よろしくお願いします!
「お前は本当にバイオリンが好きだね」
「お父様。私バイオリニストになりたいです」
「まあ、いくら気楽な末っ子の身だからと。子爵令嬢がバイオリニストにはなれないのよ」
「ええ⁈どうしてなの?」
「もう八歳なのだから、夢物語のようなことを言ってはだめですよ?あなたもお姉様たちのように立派な方へ嫁ぐのです」
「まあ、まだ結婚なんて早いよ。ああ、拗ねないで。そんなに頬を膨らませたら可愛い顔が台無しだ」
「でもリスみたいで可愛いですわね」
「本当だ!」
「もう!お父様もお母様も笑わないで!」
ーーーああ、夢だ。
ずいぶん昔の頃の夢を見たな。
あの時はまだお父様もお母様も、屋敷も使用人もいて、みんな楽しく暮らしていた。
でも、もう存在しないーーー。
「は〜い、おまちどぉさん!熱いから気ぃつけてな」
「まいどおおきにぃ!」
カンカンと金属の擦れる音。
香ばしいソースの香りが部屋にも漂ってくる。
「お父さん、お母さん。おはよう」
「“おはよう”ちゃうで!今何時や思っとるねん。もう昼過ぎやで」
「せやで。王都から夜通し馬車に揺られて帰ってきたからて、こんなに遅くまで寝てたら体内時計狂ってまうで」
「だけど、ずーっと馬車に揺られて疲れたんだもん」
「なんや標準語かいな。えらい王都に染まってもうて」
「いやお父さん、うちらかて昔は標準語で喋ってましたよ」
「せやな!」
はい、この二人は元子爵と子爵夫人です。
カーンサーイ語で話すとなんでこんなにイメージが変わるかな。
肩意地張らずに、大きな口を開けて笑い合っている方がいいけどね。
お父様が友人の保証人になって桁違いの借金を抱え込んだのは、私が十歳の頃。
屋敷や所有している土地や美術品を売りに売って、国王陛下に申し訳ないからって爵位を返上した。
それから両親と私は平民となり、外国にあるお母様の故郷、カーンサーイ地方に住居を移した。
裸一貫からのやり直し。
両親はフェイバリット焼きという郷土料理の店を開いた。ちなみに料理名が長いのでフェイ焼きと巷では言うらしい。
金属のテコと呼ばれる料理道具で作る、丸いホットケーキのような惣菜。
スパイシーな風味のソースを塗って出来上がり。おやつによし、昼食や夕食によし!庶民の味方フェイ焼き。
ありがたいことにフェイ焼き屋さんはとても繁盛して、私は王都の王立音楽学院に通うことができた。
・・・バイオリン。
たくさんの愛用品や美術品を売る時、お父様はバイオリンだけは手放さなかった。
これだけは持っておくように、とお父様は辛そうな顔をしていたのを今でも覚えている。
カーンサーイ地方はお父様の肌に合っていたみたい。子爵だった時より健康そうなおっちゃんになった。
もし、お父様があの時、バイオリンを売ってしまっていたら・・・。
王都で楽団員兼バイオリニストをする私は存在しなかった。
休暇を使って実家に帰ってきたのだ。フェイ焼き屋さんのお手伝いをしよう。私は身支度をして店に立った。
「もぉ!あんたなんて願い下げよ!結婚なんてしてやらない!」
「ちょっ!待てよエマ!」
「知らない知らない!あんたなんてその泥棒猫と一生一緒にいればいいのよ!」
なんなん、なんで店の前でまた・・・。
「いやっ、お父さん見て。男の方の頬っぺた手形があるで」
「あ〜、かなんなぁ(困ったなぁ)。店の前でやで」
「痴話喧嘩はよそでやってほしいわ」
「まあ痴話喧嘩はどこでやってもあかんけどな。嫁さんは優しいぃしたらな」
「お父さんみたいなねー」
「・・・ほんまに優しくできてるやろか」
「できてるできてる!うち、カーンサーイ地方に帰ってきて、こうやってお父さんとフェイ焼き屋さんできて・・・幸せやで」
「おおきに、そんなん言われたら嬉しいわ」
おーい、痴話喧嘩の前で夫婦でイチャイチャしないで。どんなカオスよ。
「こわーい。ウチ泣いてまうぅ」
「あ〜アンナちゃん、泣かないで」
「いやや、あの人怖いねんもん。離れんといてぇなぁ」
「うううう・・・」
アンナ?とやら甘ーいお菓子みたいな女は男の腕を離さない。男も無理に引き離せないのか眉を下げるだけ。これは、流され男ね。
「アンナって、不良グループの女の子ちゃう?」
「あ〜〜あ〜〜!美人局の!この前捕まったんとちゃうん?」
「いや、釈放されたって聞いたで。知らんけど」
「誰にやねん!」
ああ、これがカーンサーイ地方で近年流行していると言う、話の後に付け足す『知らんけど』。なぜだろう、ここ数年ずっと王都にいるのにしっくりくる。付け足したい、話の後に!
くっ!
だけど、もし付け足す快楽を味わってルナ様の前で使ってしまったら?
そ、それだけは回避しなくては!
またいじられてしまう!
いつも何か言おうものなら、面白いわねーって言いながら心を突くようなお嬢様だから、絶対、『知らんけど』なんて言ったら目をキラキラして突いてくるに決まってる。
「ねぇ〜ウチ疲れたわ。リオ君、まだここで宿取ってないんやろ?ウチお勧めの宿屋があんねん。そこ行こう?」
「えっ、でもエマが・・・」
「え〜リオ君ほったらかしにしてどこか行ってしもうたやん。そんなんリオ君かわいそうやん」
「・・・でも・・・」
「ん〜ウチ、なんか暑いわぁ。シャワー浴びたい〜。ねぇ、リオ君。宿屋に行ったら、ね?」
いや、これめっちゃあかんやつやん。知らんけど。
「ほな、ちょっと警備隊呼んでくるわ」
「お父さん、気ぃつけてな」
「任しとき!こんなんひとっ走りやで」
「いやっ!お父さん、めっちゃカッコいい!」
うちの両親、仲良いなぁー。
久しぶりの実家だったけれど、なんだかいつも通りだったな。
両親と私が平民になる前に嫁いだ姉たちは、婚家である貴族の身分のままだ。その上、私たちは違う国に暮らしている。
記憶の中にある姉たちは優しかったし、ふと思い出した時には寂しく思うのだが、両親は私よりもっと寂しいだろう。
また両親に顔を見せに実家へ帰ろう。
ちなみに、私がルナ様の前で『知らんけど』を言ったかどうかは・・・秘密である。
おしまい
ありがとうございました!