降臨
「目が覚めると泣いていた」という書き出しの恋愛小説が、高校時代に流行っていた。友達が少なかった私は、本を読んでいることが多かった。本を読んでいる間だけは、嫌な現実を忘れることが出来た。私は本に守られていたのだ。だから私も誰かを助けられるような小説、いつか書きたいと願っていた。でもその夢は叶えることが出来なかった。私には才能が無かったし、何より、書くべきことが見つからなかった。
なぜか私は、両足を抱えて座っていた。目を開かなくても周囲が暗闇に包まれているのが分かった。辺りはしんとしていて、音と呼べるものは何もなかった。空気はひんやりとしていて肌に優しかった。私はさらさらとした振袖を着ていて、下着は着けていなかった。おしりのごつごつとした感触から、岩の上に座っているのが分かった。
洞窟? あーと試しに声を出してみる。残響がないのでそれほど広い空間では無いのだろう。私の部屋位の大きさだ。狭いところは落ち着く。現世にいた時も良く電気を消して真っ暗な部屋の隅で膝を抱えて座っていた。闇はやさしい。
やさしい気持ちでじっとしていると、遠くから朗らかな数名の男女の声が聞こえてきた。耳をすませてみると、どうやらこちらに近づいてくるらしい。声がどんどん大きくなってくる。外に出られないかと思って目を凝らしてじっと周囲を見回してみると岩の切れ目から一筋の光が入って来ている。私は立ち上がって、切れ目に向かって歩き出そうとした。するとぎりぎりと音を立て切れ目が大きくなっていった。陽光が洞窟の中を照らし出した。私はまぶしくて手をかざした。
「やはり降臨していらっしゃる」初老の男性の声がした。ほとんど泣きそうな声だった。
「やっと降臨なされたのですね! 父上」女の子の声だ。こちらはなんだか楽しそうだ。
「こ、これ! 大御神の御前であらせらるるぞ! 口を慎みなさい」とたしなめて、
「天照大御神よ、どうか我が神州をお救いください」と叫んだ。
私は岩のスキマからするりと外に抜けだした。そこは丘の上だった。辺り一面が薄紫色の花で埋め尽くされていて、空は雲一つない快晴だった。暖かい風が私の頬を撫で、短い髪を揺らし、甘い蜜のような香りを運んで来た。岩のスキマから一段下がった土の上で、神主の恰好をした先ほどの男性と、巫女の恰好をした女性、そしてやはり巫女の恰好をした少女が地面に頭を擦り付けるように土下座していた。
「えーっと、ごめんなさい。全然話が分からないのですが、天照というのは私の事、なのですか? そしてここは一体どこで、あなた方は誰なのですか?」
「はえ~。失礼いたしました。私は猿田彦次郎左衛門、後ろのは娘のアリスとすずにございます。我が猿田彦一族は代々この岩屋と高天原の管理を仰せつかっておりまする。我が神州に存続の危機が訪れた際、天照大御神が天の岩屋に美しい少女のお姿で降臨されるというのが神代からの言い伝えにございます。ですので、あなた様が天照大御神であることは間違いないのでございます」
猿田彦次郎左衛門さん、略して、さるじろさんはやはり地面に向かって叫ぶのであった。
「え、待って。私、25歳なんだけど」私は確かに童顔だが、少女というには無理がある。
「アリス、鏡を。大御神よ、ご自分のお姿をご覧ください」
さるじろさんはほんの少し頭を浮かせ、左後ろのアリスさんを見た。アリスさんはうやうやしく立ち上がった。彼女は色白で、彫が深く目鼻立ちが整った美人だった。20歳位だと思う。頭には大きな花の冠をつけていたが、前髪とおでこにかすかに土が残っていた。彼女は恐る恐る私の方に近づいてきて、小さな手鏡を貸してくれた。
その鏡に自分の顔を映してみた。鏡には丸顔で目がくりっと丸く、鼻は低めの女の子が映っていた。美しいかどうかは分からなかった。
私は25歳だったが、今生まれ変わった。太陽神天照大御神として。
「なるほど。確かに私が天照のようですね」自分ではない自分の顔をじっくりと観察しながら私は言った。自分に言い聞かせるように。もう流れに身を任せよう。転生とはそういうものだ。
「おっしゃる通りにございます」さるじろさんは少しだけ安心したようだ。
「正宮へご案内いたしまする」少しだけ顔を上げて初めて私の顔を見た。さるじろさんはやはり初老の男性で、平安時代の貴族が被るような黒い帽子の下から灰色の髪がのぞいてい見えた。
私が軽くうなずくと、彼はうやうやしく立ち上がり「すず」と短く呼んだ。すずちゃんもゆっくりと立ち上がって、私の方をちらっと見た。一瞬驚いたような顔をしたがすぐに目を伏せた。彼女も目鼻立ちの整った少女だったが、アリスさんよりもずっと幼く、まだあどけなさを残していた。そして笑いを堪えるように口角が上がっているのが見て取れた。この子もアリスさんと同じような花の冠をかぶっていた。
さるじろさんたちは私を正宮まで案内してくれた。岩屋から正宮までは歩いておよそ一時間かかるらしい。この高天原と呼ばれる丘陵地帯はこの国の役所の管理する土地であり、さるじろさんはその要職を務めているという。そして、猿田彦一家はふもとの神社に住んでいた。
「天照様が降臨されるまで、私たち、毎日毎日岩屋に通っていたんですよ。雨にも負けず風にも負けず、雪にも夏の暑さにも負けず」とすずちゃん。
「これ! すず! 余計なことを言うな!」とさるじろさん。しかし、すずちゃんは、気にも留めず「本当に、天照様が降臨されて本当に良かったです。もしも天照様が降臨されなかったら、父上は腹を切って自害なさるおつもりでしたのよ」私の方を見て笑いながら続けた。
「良い加減にしなさい! すず」アリスさんが怖い顔で叱った。すずちゃんはぎくりとした。さすがに応えたようで、しばらくしょんぼりしていた。
そんなこんなしているうちに、私たちは丘のふもとにある神社の境内までたどり着いた。境内の門の中には中年の巫女さんと若い巫女さんが立っていて「お帰りなさいませ、猿田彦様」と深々と頭を下げた。
「当社の巫女にございまする」とさるじろさんは紹介してくれた。
境内にはいくつかの建物があった。正宮は木で作られた大きな平屋建ての建物で、最も新しかった。
「大御神をお迎えするために昨年建て直したのでございまする」とさるじろさんは嬉しそうに言った。取らぬ狸のなんとやら。本当に私が転生して来るかどうかも分からないうちにお社だけ建ててしまうなんて、気が早い。
「さあ、この部屋にてお休みください」と私が案内されたのは何十畳もある、時代劇でお殿様と家臣たちが一堂に会するような広さの部屋だった。
「いやいや、広すぎて落ち着かないんですけど。一番狭い部屋はありませんか? 」
「さようですか……」さるじろさんは困惑したようだが、
「こちらでいかがでしょうか」と六畳ほどの板張りの部屋に案内してくれた。
「落ち着きます」なんとなくこの部屋が気に入った。
アリスさんとすずちゃんが布団やら衣装掛けやらを持って来てくれた。私は真っ白な振袖を着ていて、紅の帯をしめ、肩には金と銀に光り輝くストールを掛けていた。衣装掛けにストールを掛け、私は振袖のまま寝転がった。
敷いてもらった布団に包まってゴロゴロしていた。この国を救って欲しいとさるじろさんは言っていたが、私に一体何が出来るだろうかと考えていた。すずちゃんがやって来た。
「天照様、お疲れではございませんか?」やはりこの子は笑いを堪えているようだ。
「そうね。長く歩いたから疲れました」正直に言えば、全く疲れてなどいなかった。この世界に来てから私の体は羽のように軽かった。
「それでは、足や腰をお揉みいたします」
被っていた布団と器用に入れ替わって、掛け布団の上にうつぶせになった。
すずちゃんは両手を重ね私の腰の上に体重を掛けてくれた。重くはなかった。その後も腰やお尻をむにむにと揉んではくれるのだが、子どもで力が無いためか、ああ揉まれているな、と思うくらいで気持ちよさは全くなかった。一通り揉みまくると満足したようで、
「いかがだったでしょうか?」と言った。私はクソ真面目に
「結構な腕前でした」と心にも無いことを言った。
「天照様はやっぱり神様なんですね」と意味が良く分からないことを言って、すずちゃんは去って行った。
「大御神様、お風呂の支度が出来ました」
日が沈んでから、アリスさんがタオルや着替えなどを抱えてやって来た。彼女は水色の浴衣に着替えていた。
「こちらにございます」アリスさんの後ろを私は歩いた。彼女の歩き方はなんだかぎこちなく見えた。しばらく歩いて脱衣所に到着した。私たちが脱衣所の中に入ると、彼女は脱衣所の引き戸を閉めて
「大御神様、お見せしたいものがございます」覚悟を決めたように言った。彼女は私に背中を向けてするすると帯を解きはじめた。私は声を出すこともできず、ただその光景を眺めていた。彼女はゆっくりと浴衣を脱いでいった。彼女のしっかりした肩と背中が露わになって行った。肌は透き通るように白かった。浴衣が床にはらりと落ちてアリスさんは全裸になった。彼女のお尻も肉付きが良くて真っ白で、丸く張っていたのだが、私の目は別のものに釘付けになった。腰の下の方、お尻の割れ目の始まりの所に何か生えていた。
「あ! 尻尾!」