Last Christmas & Happy new life
クリスマスの夜、ビルの屋上。一人の女がショートケーキを食べていた。年は25歳だが、実際の年齢よりいささか年老いて見える。頬はこけ、目の下には隈が目立ち、肩にかからない位の短い髪は乱れていた。女はケーキを食べ終えると、黒いパンプスを脱いだ。そして「遺書」と書かれた封筒の上に揃えて置いた。
「さて、そろそろ行きますか」と独り言を言って、女はフェンスを登り始めた。フェンスを越えると、屋上の縁、すなわち、一段高くなっている所に腰を下ろし、両足をぶらりと垂らした。地面まで20mはある。
「人生最悪のクリスマスになっちゃったな」女は少し笑った。女の頬に涙が光った。
何故こうなってしまったのか、女はしばし考えた。子どもの頃の事、高校時代、少しだけ楽しかった大学生活、就活の失敗、そして今の会社での自分の立場。今まで何度も何度も考えてきた。考えて、考えて、考えた。そうしてそれから、死ぬことを決めた。
ここから飛べば死ねる。
「運命」女は唇の上でつぶやいた。未練はない。あるとすれば今着ているお気に入りのウールのコート。この真っ白なコートが赤く汚れてしまうことだけだ。
女はしばらく目を閉じていたが、最後には開き、唇を少し噛んだ。そして飛んだ。数秒ののち、何かが弾けるような音がした。星乃明日香は死んだ。彼女が死んでしばらくすると、空から雪が舞い降り始めた。
失うことばかりだった彼女の世界を、赤く染まったコートをも塗り潰すのだった。白く。
私は酷い頭痛に耐えかねて目を覚ました。直接脳がダメージを受けているような、頭蓋骨内にガラスの破片をねじ込まれたような痛みだった。目を瞑ってじっと大人しくしていると、痛みが少し和らいできた。
私はサラッとしたパジャマを着て、ベッドに寝ているようだった。掛け布団は羽のように軽かったが、しかし、とても暖かかった。
薄目を開けて周りを見てみると、そこは真っ白な世界だった。きっと病院だ。記憶のカケラでしか思い出せないけど、私は死のうとしたんじゃなかったかしら? 6階建てのビルの屋上から飛び降りて、死なずに済んだなんて奇跡以外の何物でもないわ。神様、仏様、サンタ様。クリスマスは過ぎてしまったけど、私、本当に大切なプレゼントを貰った気がいたします。一度死んだ身なのだから、これからはこの命、世のため人のために尽くす所存にございまする。なんてテンションが上がって全く心にもないようなことを考えていると
「貴様はもう死んでる」と白衣を着た女が音も立てずに部屋に入って来た。
「え、誰? 看護師さん?」私は驚いて尋ねた。
「失礼、順を追って説明しよう」と彼女は言った。
彼女の話では、私の自殺は無事成功したらしい。
現世の人間が死ぬと、その生前の行いに応じて処遇が決定される。善人は黄泉の国(いわゆる天国)で死後の生活を満喫し、普通の人間は現世に戻され、別の人間に生まれ変わって人生をやり直す。そして、悪い奴の魂は擦り潰され、牛馬のエサとされてしまう。自殺はやはり悪いことで、本来ならば私の魂も家畜のエサとなるところだったのだが、その女いわく、「情状酌量の余地がある」とのことで、特例として現世ではなく異世界に転移し、世のため人のために働いて罪を償え、とのことなのでした。
「何か質問はあるか? 」
彼女はアワナミと名乗った。そして彼女は、つややかな黒髪をかき上げながら私の顔を覗き込んで訊いてくれた。
私「どうして現世ではなく異世界で生まれ変わるんですか?」
アワナミさん(以下ア)「良い質問だな! それには二つの理由がある。まず第一に、貴様の意志薄弱な魂では、たとえ現世で生まれ変わったとしても、同じ結末に至る可能性が高い。そして第二に、現世の人間は特に目的をもって生まれてくるわけではないのだ。自由に産まれて自由に生きる。それが現世の人間なのだ。しかし、それでは罪滅ぼしにはならんだろう」
実は自分の意志の弱さを気にしている私は、ほんの少しだけ傷ついたのだが、次の質問をすることにした。
私「私、現世では普通の……いいえ、普通以下の人間でした。異世界に行ったからと言って、そんなに簡単に人のために働くことが出来るんでしょうか?」
ア「うむ。心配は無用だ。転移する際に何らかの能力が与えられることになっている。そして何より、水は器に従うものだ。大丈夫。何らかの役割が与えられれば、自然とふさわしい人間になれるよ」
こ、これは……! 私は不覚にも胸の高鳴りを感じた。最近巷で流行っている異世界転生俺TUEEEというやつではないか! よし! 決めた! 異世界に行ったらイケメンを何人も侍らせ逆ハーレムを作り、異世界人相手に無双して「また私なにかやっちゃいました? はにゃ?? 」っていうやつをやってやろう。この決意が異世界に引き継げるのか確認しなければ。
私「転生しても現世の記憶や知識、今の感情は覚えていられるんですか?」
ア「記憶や感情は基本的には保持できるはずだ。しかし、魂を異世界に送るためには、一度、魂を微粒子レベルまで分解し、再構築する必要がある。その過程で一部情報が欠損したり変質したりする可能性が無いとも言えない。貴様は気づいていないのかもしれんが、今の貴様と、現世での貴様は厳密には別の人格なのだ。貴様の死体から魂を取り出した時、尻尾が少しちぎれてしまってな」
そうなのだろうか。確かに現世にいた頃の事は、うっすらと霞がかかったようにしか思い出せないが、私は生まれた時から今と同じで、やさしくて、暖かく、面白くて、賢くて、道徳的で、模範的で、自己中心的で、冷たくて、愚かで、つまらなくて、ズルくて、目的のためには手段を択ばない超合理的で、支離滅裂な人間だったと思う。たぶん。
てか、魂ってしっぽあるんだ。てかてか、ちぎれるって扱いが雑だなぁ。人の魂だよ。大切にして?
ア「しかし、貴様も死ぬタイミングが悪かったな。年の瀬ということもあって、今は何かと忙しいのだ。聞きたいこともまだまだあるだろうが、そろそろ逝ってもらわねばならぬ」
アワナミさんは黒いおちょこに入った琥珀色に輝く液体を渡してきた。私は上半身だけ起き上がって受け取った。
ア「さあ、ゆっくり飲むんだ。そうそう、ゆっくり。これは強い酒に魂転送剤を溶かし込んだものなのだ」
不思議なことに、強い酒特有の、むせ返るような、あの喉が焼ける感じは全く無く、ただただ甘いお酒だった。すぐに手足の先まで、体がぽかぽかと暖かくなってきて、お腹の中が春のお花畑になったような心地よい陽気な感じがした。私も溶ろけてしまいそうだ。
ア「さあ、横になって、目を閉じて。しばらくしたら眠気が来る。少し眠りなさい。そして目が覚めたらそこは異世界だ」