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寄生の傑士  作者: IOTA
8/15

8 もてなし



 夜が明け、ネイトはすぐに村をはなれるつもりでいたが、ティナに引きとめられた。

 ささやかなもてなしの用意があるので昼頃までは滞在してほしいというのだ。泣きだしそうな顔で懇願されて、ネイトはしぶしぶ了承した。断ったら余計に傷つけることになりそうだった。

 フーギィの治療室を再開し、時折訪れる負傷者を治療して時間をつぶした。昼が近くなったころ、ティナの家へと招かれた。

 なかにはティナと二人の若い娘がいた。色鮮やかな服で着飾っている。肩や腹部をおしげもなく露出させた踊り子のような衣装だった。健康的な褐色の地肌がまぶしい。村の伝統的なドレスなのだろう。

 そして中央の机にはあふれんばかりに配されたごちそうがあった。

「ネイト様。昼食をご用意させていただきました。ささやかな席で恐縮ではありますが、どうか心ゆくまでごつくろぎください」

 ネイトは促されるまま一脚だけ用意された椅子に座り、料理に手を伸ばした。

 鶏の香草焼き、川魚の串焼き、鹿肉の甘露煮、青菜と根菜の炒め物、大量の葡萄酒と酒あてには乾酪と木の実。

 ティナはささやかといったが王都の宴会にも劣らない品揃えだった。味も申し分ない。きっと朝早くから数人がかかりきりで準備したのだろう。ティナが懇願してまで引きとめた理由も理解できる。

 それでも、ネイトの心境はくつろぎとはほど遠い場所にあった。

 両隣の娘たちはネイトの木の杯に頻りに葡萄酒を注ぎ、村人たちがひっきりなしに感謝の口上を述べに訪れる。まるで王様か領主のような待遇であり、恐縮するしかない。そうでもなくてもネイトの心にはいまだに根深く罪悪感が突き刺さっていた。

 娘たちの熱っぽい顔、涙ながらの感謝の言葉、手間と真心のこもった料理の滋味、それらをうけるごとに罪悪感の棘がちくりちくりと、より深く、より柔らかい部分に食いこんでいくようだった。

 ネイトのうかない顔色を見て、ティナが不安そうに訊ねた。

「あの、ネイト様。お口にあいませんか?」

「いや。そんなことはないよ。ただ、ここまでよくしてもらって申し訳ないかな」

「なにをおっしゃいますか。これが報酬を断ったネイト様にできる唯一のもてなしなのです。どうかお気遣いなく楽しんでください」

「そういうことなら、きみたちも席を用意していっしょに食べよう」

「それは……よろしいのですか?」

「お願いするよ。どうせ一人では食べきれないし」

 それからは謁見に訪れた村人も食事に誘った。

 一人、また一人と同席が増え、椅子が足りなくなり、不足した料理や葡萄酒が家々から運ばれる。いつの間にか笛や太鼓まで持ちこまれ、ティナのけっして広くはない家はちょっとした立食宴会の様相を呈していた。

 優雅なお囃子にあわせて踊る若い男と女。村人たちがはじめて見せる笑顔の輪。辺境の亜人集落とは思えない賑やかな宴だった。

 昨晩村を襲った悲劇を努めて忘れようとしているかのようでもあり、ネイトの気分が晴れるわけもなかった。それでも恩人としてうやうやしく迎賓されるよりはいくぶんもましだった。

 衆人環視から解放されて、ネイトは気になっていたことを小声でフーギィに訊ねた。

「おれが普通に食事を摂っても平気なのか? そういえばぜんぜん腹も空かないんだが」

「問題ないよ。ちゃんと栄養として吸収できる。望むなら人としての排泄もさせてあげよう」

「人としての排泄……」それ以外でどんな排泄方法があるのか。想像もしたくなかった。

「空腹を感じないのはもうじゅうぶん栄養を蓄えているからだよ」

「おまえがもとから蓄えていたのか」

「いいや。憶えているかな。きみが竪穴の底に墜落したとき、四人の傭兵もいっしょだっただろう。あときみが意識を失う直前に軍隊蜘蛛の群れも襲ってきた」

「まさか……」あのとき、ネイトは意識を取りもどして闇のなかを手探りで確認した。悪夢であるという想像を裏づけるように、周囲にはなに一つ残されていなかった。「食ったのか。人を。魔物の蜘蛛まで……」

「すべてわたしが吸収した。きみの身体を形成するのは大変だといっただろう。傭兵の遺体は養分として、彼らの装備はその服や短剣をつくる素材として利用している」

 ネイトはうつむいて自分の身体を見た。小ぎれいで実用的でありながらも少々奢侈にすぎる身なり。これらは仲間の遺体を利用してつくられているという。

 たまらず手で口許をおおったが、脳の不快感が身体に伝達されて気持ち悪くなることはなかった。

「お仲間の遺体をとりこんだことに罪悪感を抱いているなら非合理だよ。あの竪穴の底から回収しようとする酔狂な人間なんて金輪際現れなかっただろう。ほかの魔物の餌になるだけだ。だったらわたしが吸収するのと変わらない」

「そういう問題じゃない。おまえは――」

 そばにいたティナがネイトの顔をのぞきこんできた。

「ネイト様。どうされました。気分がすぐれませんか?」

「いや。だいじょうぶ。ちょっと葡萄酒に酔っただけだ。水をもらおうかな」

 腰をうかしかけたネイトをティナが制した。

「お待ちください。すぐにお持ちいたします」

 かいがいしく小走りで調理場にむかうティナの背中を見送りながら、ネイトは自分の身体にとってかわった魔物についてあらためて考えた。

 知性があり知識もある。しかし人の感情というものを理解していない。いや、理解していても非合理であると切り捨て、度外視している。いかに友好的で知的に見えても、どこまでいっても魔物なのだろう。

 しかし反面、疑問にも思う。それを聞かされたネイトが不快に感じることを想像できないわけもないもないだろうに、なぜこうも素直にうちあけるのか。嘘をつくことも黙していることもできたはずだ。

 水の壺を持ったティナが帰ってきた。差しだされ、ネイトが器を持ちあげたとき、出入り口の扉が勢いよく開いた。

 予想外の来客に村人たちは酔いも忘れて目を点にした。

「クイン」ティナが茫然とつぶやいた。

 もとより長身が多い森の長耳亜人のなかでも女とは思えない長躯。おうとつ豊かな身体を控えめに隠す革の軽鎧。使いこまれて黒曜石のような輝きをはなつ黒木の長弓。

 そこに立つのは辺境きっての狩人、クインだった。

 ネイトは顔をこわばらせて硬直していた。

「知りあいかい?」フーギィが耳元でささやいた。

「討伐隊の案内人だ」口のなかでつぶやくようにして応じる。

 ティナが名を知っているということは、もしかしたらこの集落の出身なのか。よりにもよって以前のネイトを知りうる人物とこんなところで出会うとは、思いもよらなかった。

 クインはまっすぐにネイトの机に歩みよってきた。一人の村人が話しかけて手を伸ばしかけるがその鬼気迫る表情を見て、しりぞいた。いつの間にか演奏も止まり、暖かな人いきれで賑わっていたはずの居間は水をうったように静まりかえっていた。

 眼前に立ったクインが硬質な無表情で見おろしてくる。いまさら外衣の頭巾で顔を隠すわけにはいかない。ネイトは顔を引きつらせて見あげることしかできなかった。

「その態度はなんですか。クイン」緊張の静謐をやぶったのはティナだった。「大恩あるお客様に失礼ですよ」

 クインはティナをちらと瞥見した。それでもしばらく無遠慮にネイトを眺めていたが、ふいに片膝をついて頭をさげた。

「魔術師殿。まずは感謝を。村を窮地から救っていただいたと聞きました」

 村人たちは息を吹きかえしたように安堵の吐息をついた。ネイトは内心でだれよりも胸をなでおろしていた。気づかれていないようだ。

 討伐隊として合流したとき、ネイトは傭兵団の見習い、つまり取るに足らない雑兵の一人でしかなかった。自己紹介などしていないし、顔だってまともに憶えてはいないだろう。

 クインはこうべをたれたままつづけた。

「死竜のことはすでにご存じかと思います。わたしはさきほどまで王都から派遣された討伐隊に案内人として同行していたのですが、一歩及ばず、死竜をとり逃がしてしまいました。そのせいでお手を煩わせてしまい、大変申し訳ありません」

 討伐隊。その名を聞いてネイトはぎくりとした。まさかこの村にきているのか。

 狼狽が声音にでないように気をつけながら声を押しだした。

「いえ。問題ないです。この村へは討伐隊といっしょにきたのですか?」

「ここより東の集落にて、死竜は北の灰色山脈にむかったという情報をえました。討伐隊は北の山を目指し、わたしは一人、故郷に帰ってきた次第です」

 ネイトはふたたび心内で安堵した。討伐隊が情報収集にむかったのが東で助かった。竪穴へ降りる洞穴は東側にあり、普通は近い東の集落を目指す。しかし万が一、クインが恣意的な感情を優先させて故郷である西の集落を目指していたら鉢合わせていた可能性が高い。

 クインは斜め下に目線をやり、わずかに逡巡するようにしながら言を継いだ。

「魔術師殿。このような席で口にするのは相応しくないと承知しています。それでも一つだけお聞かせください。村のはずれに一軒、小さな家があったかと思います。そこに幼子が二人いたと思うのですが……」

 ネイトはすぐに思いいたった。おもわず男の子に傷つけられた頬に触れた。

「歳はなれていましたがわたしの兄妹なのです。父と母はすでに亡く、わたしの唯一の家族だったのです。どうか、どうか彼らの最期をお聞かせください」

 あの男の子と女の子はクインの肉親だったのだ。村の危機に立ち会えず、幼い兄妹を護ることもできず、死に顔を見ることすらかなわなかった。その心痛は想像するにあまりある。

 ネイトは口を開きかけたが思いとどまった。クインはうなじが見えるほど深く首を曲げ、床に置いたこぶしはわなないていた。残酷な真実はクインの心を安らかにしてくれないだろう。

「家のなかで二人とも死霊憑きになっていました。きっと苦痛はなかったと思います」

「……そうですか。ご慈悲に感謝いたします」

 クインは立ちあがって今一度深く一礼した。そのまま踵をかえして扉にむかった。

「クイン。どちらに?」ティナがあわてて呼びとめた。「まさか一人でアシィの山脈にむかったりはしませんよね? 村にとどまってくれますよね?」

「まだ行方不明者がいるのだろう。落ちつくまでは村にいるさ」

 去り際にクインはネイトをまじまじと見つめた。

「ところで魔術師殿。名をお聞きしても?」

「いえいえ。名乗るほどのものではありません」

 ネイトは顔の前で手をふった。しかしクインは立ちどまったまま動こうとしない。ティナたちに偽名を騙っておくべきだったと後悔しながら恐るおそる告げた。

「……ネイトです」

「ネイト殿ですか……。異なことを訊ねるようですが、どこかでお会いしたことは?」

 ネイトのものではないはずの心臓が胸のなかで跳ねた。

「え。いや。ないと思います。すいません」

「なにを謝るのですか。変わったおかただ。それでは失礼いたします」

 クインの声は愉快そうなものだったが、顔はまったく笑っていなかった。扉を閉めて退場する最後の一瞬まで、狩人の猛禽のような目はネイトの顔に縫いつけられていた。




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