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寄生の傑士  作者: IOTA
4/15

4 罪悪



 夕陽に赤く染まった川のほとり、濡れねずみになったネイトは両手両膝をついてあえいでいた。

「正しい判断だね。あの状況では退くしかなかったと思うよ。――ところで、きみは溺れたわけじゃあないんだから息をあげる必要も跪く必要もないはずなのだけれど」

 このぶさいくきのこ。呪ってやる……。声をだすこともできずにネイトは頭のなかで毒づいた。

 たしかにフーギィのいうとおり、鼻口腔呼吸の必要がなくなったネイトは水中でも溺れることはなかった。しかし気が遠くなるような長時間、意識を失うこともできずに真っ暗闇のなかで激流にもまれつづけるという経験が快適であるはずがなかった。

 ようやく立ちあがったネイトは右肩のきのこをにらんだ。目玉は頻りに瞬きをして無駄に長い睫毛に付着した水滴を取ろうとしていた。陽の光の下で見るとことさらに不気味だ。

「同調するようなことをいうな。ほかに選択肢はなかったじゃないか。おれが逃げることを見越していたんだろう」

「もちろん見越してはいたさ。でも、もしきみが勇気をだして傑士と合流する決断をしていたなら、わたしはそれを尊重したよ。首から下はわたしとはいえ、首から上はきみなんだ。自分の立場を卑下する必要はないよ」

「皆殺しにすると脅しておいて、よくいえるな」

「皆殺しを断定したわけじゃないし脅したわけでもない。わたしが忠告しなかったらきみは後先を考えずに合流していただろう? 重大な選択であることをきみに認識してもらうために考えられる結果の一つを示唆しただけさ」

 ネイトは荒く鼻息を吐き、嫌味なほど知的な魔物との不毛な問答を打ち切った。

 周囲を見わたす。暮れなずむ鬱蒼とした深緑。鳥とも獣ともつかない鳴き声が遠くから聞こえた。

「ここはいったいどこなんだ」

「イドゥの森のどこかだろうね。竪穴からそう遠くはないはずさ。話は変わるけれど、わたしの身体に纏わりついているきみのぼろ、捨ててもいいかい?」

「ぼろ?」

 ネイトはあらためて自分の身体を見おろした。もともとぼろぼろだった革鎧と服は岩だらけの狭い水流のなかで打ちのめされ、さらにひどい見てくれになっていた。

「敗残兵や浮浪者でももっとましなかっこうをするよ。死の霧といったかな? 死竜の瘴気に侵された亡者だと勘違いされかねない」

「着替えなんて持っていない。裸になれっていうのか」

「まあ見ていてよ」

 びりびりと音をたててズボンや鎧が内側から裂けはじめた。戸惑ったネイトの制止もむなしく、一張羅は布切れと革の破片と化して足許に散らばった。

 そうして全裸になったと思われたネイトの身体は、しかしすでに新しい衣装に包まれていた。まるで地肌から衣服が生えてきたようだった。

「こんなこともできるのか……」

 ネイトは驚嘆をもらしながらおろしたてのようにきれいな上着に触れた。手触りは布そのものだ。

 そもそもフーギィはネイトのもとの身体に似せているといっていたし、両腕を剣のように変えられる。形などあってないようなものなのだろう。

 あらためて自分の身体ではなくなっていると思い知る反面、こうして手足を見おろしたり触れたりしているのはネイトの意思なので、やはり実感はわかない。

 服の肩の部分から直接茎を生やしたフーギィは愉快そうにうそぶいた。

「テーマは旅の薬師か。魔術師見習いってところかな。野暮ったい外衣に不釣りあいな細身のズボンがおしゃれポイントだね」

 頭巾つきの厚手の外套は汚れの目立たない灰暗色だった。外套の膝下からのぞくズボンはわずかに光沢のある黒革のような素材を模しており、足に密着している。

 奇抜とはいわないがあまり見なれない。たしかに素材集めの風変わりな旅人といわれれば納得できる身なりだった。腰には短剣と、肩にはたすき掛けにした鞄まで用意されている。

「それで、これからどうするんだい?」

 フーギィに問われ、ネイトは腕を組んでうなった。

 いまさら討伐隊と合流することはできない。なぜ竪穴に落ちてネイトだけ助かったのか。様変わりしたこの姿はなんなのか。ラインベル一行を納得させることはできそうになかった。

 王都の傭兵団本部に帰って自分だけが生き残ったという報告をするにしても、なぜ雇用主である傑士一団に合流しなかったのか、その点は強く糾弾されるだろう。いかに規律のゆるい傭兵といっても隊からの無許可離脱は契約離反あり、処罰の対象となる。極刑はないにしても、ギルドからの除名だけで放免とはいかない。

 ではこれからは名前と身分を偽って隠れて生きていくしかないのか……。

 先のことを考えると不安しかない。しかしネイトの望みは単純であり、一つだけだ。家に帰りたい。母親と幼馴染の顔を見たい。

「とりあえず王都に帰ろうと思う」

 ネイトを見つめていたフーギィは頭頂部の口を開いてなにかをいいかけたが、ふと森のほうに目をやった。

「どうした?」

「駆け足の音がいくつか。だれか近づいてくるね」

「まさか討伐隊?」

「時系列的にありえない。彼らはまだ竪穴をのぼっているだろう。とりあえず隠れよう」

 ネイトは近くの木の下生えに身を隠した。すぐにネイトの耳にも足音が聞こえてくる。

 立ち並ぶ木々のあいだ、息を切らして駆ける小柄な人影が見えた。

 ぴんと尖った耳に褐色の肌。クインとおなじ森の長耳亜人の少女のようだった。

 怯えきった顔や麻の衣服からのぞく手足は切り傷だらけだった。繁茂する枝や草むらに頓着せず駆けてきたのだろう。追いかけっこをしているような雰囲気ではない。

 少女の後ろ、草むらから大人の亜人たちが飛びだしてきた。

 二人。一人は男、一人は女だ。

 一目見て異常に気づく。二人は茫然とした無表情でありながら手足をでたらめにふりまわして猛然と少女を追いかけていた。彼らは切り傷どころか、恥部がはだけた衣服にもあらぬ方向に折れ曲がった己の手指にも頓着していない。

「死の霧を浴びたんだ。死霊の瘴気に侵されてる」

「どうやらそのようだね」

 焦るネイトに反してフーギィの声は落ち着きはらっていた。のんきとさえいえる。

「ああなったらもう手遅れだ。女の子だけでも助けないと」

 ネイトは立ちあがろうとした。しかし腰をうかしたところでぴたりと固まった。一瞬で自分の身体としての感覚が消失する。かろうじて動く首と目だけを動かして右肩を見た。

「お、おい。なにをしている」

 フーギィは瞼を半分まで閉じて、じっと三者の喧騒を見つめていた。静観を決めこんだように見えたし、なにかを考えているようにも見えた。

 少女はついに木の根に足をとられて転んだ。体力が限界だったのだろう。残酷な現実から逃避するように頭を抱えてうずくまってしまった。

 二体の死霊憑きはがちがちと歯を鳴らした。その度に口外にだらりとほうられた自分の舌を噛み切っている。飛び散る血で少女の髪を穢しながら、両手をふりかぶって覆いかぶさろうしていた。

「おいったら。今すぐ助けないと。おれの判断を尊重するっていっただろう」

「わかったよ。助けるとしよう」

 途端、風切り音をはっしてネイトの右腕が伸びた。入り組んだ木々を避けて約二十歩の距離を延伸した右手は先端が斧のように平たく鋭利になっており、伸びしなった遠心力を使って周囲の立木ごと男の死霊憑きの首を落とした。

 斧は一瞬で鞭のように変形し、返す刀で女の死霊憑きの頭部を絡めて近くの木に巻きついた。みしみしみしとネイトにも木がへし折れる音が聞こえた。けっして細くはない木を女の頭もろとも粉砕した腕は、ネイトが瞬きをした間に通常の手のかたちにもどっていた。

 少女はまだうずくまって震えている。なにが起きたかわからないというよりも、なにかが起きたことにすら気づいていない。すべてが一拍呼吸をする間にも満たない刹那の出来事だった。

「さて、とりあえず少女は助かった。このまま知らんぷりをしてはなれることもできるけれど」

 ネイトはフーギィの声で我にかえった。身体の感覚はもどっている。首を横にふった。

「こんなところにほうってはおけない」

「そういうと思ったよ。わかっているとは思うけれど、わたしたちの素性はいわないほうが無難だよ。あと、なにをいわれたとしても、きみのこともわたしのことも責めるべきじゃないからね」

 フーギィはそれだけいって右肩に沈んでいった。

 なぜ助けたのに自分たちを責めなければならないのか。ネイトは訝りながらも少女のもとに駆けつけた。

「だいじょうぶかい?」

 びくりと肩をゆすった少女は恐るおそる顔をあげた。ネイトを見て、次いで背後の惨状を見た。目を見開き、鮮やかな緑色の瞳孔が散大する。ようやくなにが起きたのかわからないという段にいたったのだろう。

「心配しなくていい。もう安全だよ。死霊憑きは斃したから」

 ネイトは手を差し伸べた。少女は遺体を見つめたまましばらく硬直していたが、辛抱強く待っているとネイトの手をとって立ちあがった。

 おぼつかない足取りで遺体に歩みよろうとする。ネイトは肩を掴んで制止した。華奢な肩は小刻みに震えていた。

「あまり見ないほうがいい」

「はなしてください」囁くような声だったが少女ははっきりといった。

「いや。でも」

「……お父さんとお母さんなの」

 少女がぽつりともらした一言にネイトは電撃にうたれたように固まった。慌てて手をはなす。

 少女は原型をとどめない二つの死体の前で立ち尽くし、やがて手で顔を覆って静かに嗚咽をもらしはじめた。

 おれは馬鹿だ。考えなしの大馬鹿だ。ネイトは死霊憑きを斃したなどと得意げにのたまった自分を罵った。

 フーギィがすぐに攻撃しなかった理由と消える間際の言葉の意味を理解する。フーギィは一目見て三人の類似点などから関係性を気取ったに違いない。

 死霊憑きになった生物を助ける方法はない。フーギィがやったような速やかな完全破壊こそが救いであり慈悲だ。少女を助けるためにはしかたなかった。

 ネイトも理屈ではわかっている。しかし泣きつづける少女にかける言葉もなく、唇を噛んで見ていることしかできない自分を責めずにはいられなかった。

 少女は嗚咽の合間にぽつりぽつりとなにが起きたのか語った。

「……竜の鳴き声が聞こえたんです。それで村のみんなですぐに逃げようって。お父さんとお母さんは逃げ遅れた人たちの手伝いをしていました。わたしは森の入り口で待っていたんです。でも、そうしたら、いきなり空から黒い煙が……」

「死竜……」ネイトはおののく声をもらし、きつく目をつむり奥歯を食いしばった。

 そうしないと腹の底で脹れあがった罪悪感が無意味な謝罪の言葉となって吐しゃ物のように口からあふれてしまいそうだった。

 首から下はネイトのものではなくなっているとはいえ、腹から胸にかけて渦巻く絶望感は錯覚であるはずがなかった。

 ネイトたちの罪は死霊憑きになった少女の両親を手にかけたことだけではなかった。死竜をいたずらに刺激し竪穴からだしてしまった。手傷を負い猛り狂った死竜は飛行しながら無分別に死の霧を吐いたのだろう。ネイトたちは村が襲われた原因を作ったといえる。

 そんなつもりはなかったなどという言い訳は通用しない。竪穴での自分たちの行動をあかせば、きっとこの少女は生涯ネイトを恨むだろう。

「……あの、お兄さん。どうかしたんですか?」

 うなだれていたネイトは顔をあげた。少女は泣き腫れた顔で不安そうにのぞきこんでいた。たった今悲惨な目にあった少女が心配してしまうほどひどい表情になっていたようだ。

「いや。なんでもないよ」ネイトは目をそらしながらかぶりをふった。

「父と母のことなら、どうか気をやまないでください。死霊憑きになった以上、ほかに手立てがないことはわかっています。命を助けていただき、ありがとうございました」

 少女は深々と頭をさげた。驚くほど丁寧で気丈な言動だった。

 長耳亜人は長命であり、きっとこの少女も見た目とおりの年齢ではない。しかしそのぶん成長も遅く、精神年齢と外見の差異はほとんどないというのが通説だった。

 きっとこの少女に備わった気質なのだろう。しかし精一杯強がっているのであろう、土と枯葉と返り血で汚れた銀髪をそのままにこうべを垂れる姿にネイトは打ちのめされる思いだった。

 あの――と。少女は意を決したようにネイトに詰めよった。

「高名な魔術師様だとお見うけしました。助けていただいたうえで、あつかましい願いだとは思いますが。どうか村を救ってはいただけませんか?」

「え?」突飛な懇願にネイトは目を白黒させた。

「死竜が現れて一月、森は動物や魔物の死霊憑きであふれています。きっとわたしたちは村を棄てて長くは生きられません。村は逃げ遅れた人の死霊憑きに占拠されているはずです。どうか彼らにもあなたさまの奇蹟で慈悲をお与えください」

 元村人の死霊憑きから村を奪還してほしいということのようだった。

「満足いただける報酬が用意できるかわかりませんが……。助けていただけるのであればわたしも、きっと村の人たちもどんなことでもいたします。ですから、どうか、どうかご慈悲を……」

 少女は手を組み、跪いた。

 ネイトはあわてて少女の肩を掴んで立たせた。

「やめてくれ。そんなことしないでくれ。たのむから」

 少女はきょとんとした顔で見つめていた。その純真な眸から顔をそむけ、ネイトはうなずいた。

「やるよ。やれるだけやってみる」

 否応もなかった。ネイトとフーギィの行動のせいで村が襲われたのだから。

 右肩からかすかに声が聞こえた。フーギィだ。ふっと短く息を吐くような声。ため息のようにも聞こえたし、かすかに笑ったようにも聞こえた。




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