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寄生の傑士  作者: IOTA
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2 唯一無二の魔物



 ネイトは真っ暗闇のなかを壁伝いに歩いていた。

 革鎧と服はぼろぼろで、靴は片方なくなっていた。それでも身体は無傷だった。手足は普通に動くし、腹も裂けていない。

 いったいなにが起きたのか。気がついたら闇のなかで倒れていた。手探りでまわりを調べてもなにも見つけられなかった。

 仲間の死体も、軍隊蜘蛛も、そしてあのきのこ目玉も……。

 もしかしたら自分はすでに死んでいて、ここは地獄と呼ばれる場所なのかもしれない。

 あてどなく闇をさまようしかない現状、その荒唐無稽な考えがもっとも真実味をおびているように思えてならなかった。

 不意にネイトはなにかに躓いて前のめりで転んだ。ほとんどなにも見えないのだ。もう何度転んだかわからない。

 ののしりながら地面に両手をついて身体を起こそうとした。そこでおかしなことに気がついた。なにかが足りない。

 違和感の正体がわからずに今一度顔を地面に近づけてみる。地べたに頬ずりをするような姿勢でしばらくじっとしていて、そこでようやくわかった。

「おれ、息してない」

 声はだせる。意識すれば息を吸うことも吐くこともできる。しかし口と鼻をふさいでもいっこうに苦しくならないのだ。思えば、目覚めてから一度も呼吸というものをしていなかった気がする。

「なんだよ。おれほんとうに死んでる。まいったな……」

 渇いた笑いがもれた。へたりこみ、壁に背を預ける。

 さきほど躓いたなにかが動いていた。ずるずると地を這っている。金色に光る眼がうかびあがり、刃をやすりで研いだときのような威嚇音をだしてネイトを見おろす高さにまで持ちあがった。

 牛喰いだ。その名のとおり牛を丸呑みにするほどの大蛇だった。

 ――この竪穴にはこんな魔物まで棲んでいるのか。あるいは死竜の影響で集まった死霊たちに森の住処を追われたのか。いや、そもそもここは死後の世界だ。どこであろうと、なにが棲みついていようと知ったことではないか。

 大蛇はかまどほどもありそうな顎をばっくりと開けてネイトに迫った。

 ――息はしなくていいから丸呑みにされてもしばらくは死ねないだろう。そもそも自分は死ねるのか。永遠に消化されつづけるのはいやだな。でも腹のなかは暖かそうだ。腹のなか、つまり胎内にもどる。輪廻転生とはこういうものなにか。

 ネイトは茫然と座りこんだまま、とりとめのないことを考えていた。

 大蛇の唾液がネイトの髪を濡らし、吐息が顔にかかる。とんでもない生臭さに目がちかちかした。

 下顎の鋭利な牙が首の柔らかい皮膚に触れた。

 瞬間、ネイトの右腕が動いた。

「え?」

 横一文字に払うような素早い動作だった。

 ネイトの意識に関係なく、勝手に動いていた。

 闇にうかぶ大蛇の眼が縦むきに傾いでいって、そのまま地に落ちた。どすんという重い音が響いた。

 頭上から暖かい液体が降ってきた。数滴口にはいる。さきほどの瀕死の記憶でなじみのある血の味がした。

 ふりあげられたままの右腕が青白く発光しはじめた。

 それを見て、ネイトは目をむいて絶句した。

 ぼんやりとした光が闇にうかびあがらせたそれはネイトの知る自身の腕ではなかった。

 後ろ腕は植物の根を幾重にも編みこんだようなものでかたちづくられており、みしみしと膨大な膂力を思わせる音をはっして脈動していた。肘から先は細長く鋭利で、磨きあげた大理石のように白く、まるで剣のようになっていた。

「おいおい。せっかく命を拾ったのに、なんでもう投げだそうとしているのさ」

 おぼえのある声が聞こえた。言葉を憶えたばかりの少女のような声音でありながら、いやに饒舌な声。

 剣はみるみる縮んでいき、肌色になり、人間の、ネイトの右腕にもどった。

 しかしまだ発光したままだ。二の腕の肉の一部が大きなたんこぶのようにぷっくりと膨れあがり、二つの亀裂がはいる。

 頭頂部に口を持つ、例のきのこ目玉だった。

 ネイトは悲鳴をあげて立ちあがった。目玉からはなれようと顔をそむけるが、右腕は肩の高さで持ちあがったまま固定されたように動かない。

「目玉。どうして。なんで……?」

 ネイトはわけがわからずにあえいだ。あれは悪い夢で、自分は死んだものとばかり思っていた。

 目玉は瞼を半分閉じて責めるような目つきでネイトを見すえた。

「落ち着いてよ。まさか忘れたわけじゃないだろう。わたしと取引したじゃないか。きみの身体をもらうって」

「身体。おれの身体は?」

「きみの身体はもう存在しない。首から下はわたしだよ。きみの身体に似せているし、普段は操作権もきみの脳に委ねることにした。だからって勘違いしないでくれよ。身体はわたしなんだから」

 ネイトははっとして左手で口と鼻をふさいだ。やはりいくら呼吸をとめていても苦しくならない。

「ああ。そうか」目玉の口が引きゆがんだ。笑っているようだった。「顔面の孔でしか呼吸できないなんて非合理だろう。きみの身体に似せているのは外見だけで、中身は別物といっておくよ」

 右手は人差し指を立てて左右にふった。もちろんネイトの意識ではない。

 感覚がないのに自分の身体が勝手に動いている光景は不気味そのものだった。

 しかしきのこ目玉が生えている右腕以外、左腕も両脚も以前と変わらないように感じた。すでに自分の身体ではなくなっているといわれても実感はわかない。

「おまえはいったいなんなんだ。どうしてそんなことを……」

「わたしはなんなのか。お察しのとおり魔物だよ。ただし、だれも見たことがない新種であり、この世にわたし一匹しかいない」

 人の身体にとりつき、自在に姿を変え、高い知性をもっていて人語まで操る。ネイトは魔物に詳しいわけではないが、このような怪物が存在するものなのか、にわかには信じがたかった。

 しかしなぜかきのこ目玉は自分が唯一無二の魔物であると断言している。

 疑問だらけのネイトをよそに、きのこ目玉は語りつづける。

「なぜこんなことをしたのか。じつをいうときみはわたしが直に対面した最初の人間なんだ。だからきみとの出逢いを縁だと思った。そろそろこの穴倉をでる頃合いだと、転機だと思ったのさ」

「転機?」

「まあ、当座の目的はきみとおなじだよ。取引したように、まずは生きてここから脱出しようじゃないか」

 右手人差し指の先からにゅるりとつるが生えてきた。細いつるの先は球状になっている。右腕の光が先端に移っていき、球は青白く輝きはじめた。

 あたり一面が照らされる。夜目になれたネイトにはまばゆいほどだった。

 すっぱりと首の下を切断された大蛇の骸があらわになり、ネイトは息をのんだ。想像していたものよりはるかに大きい。胴は牛よりも太く、全長は家を一周するほどもありそうだ。

 鉄鉱石のような色の鱗で全身を装甲しており、一見しただけで並の剣では歯がたたないことがわかる。固有の名をつけられていてもおかしくないほどの大物だ。こんなものを容易く両断したのか。

 それにこの光。王国でも指折りの魔術師であれば、かがり火がなくても闇に光を生みだせるらしいが、こんなに白くまばゆい照明を造作もなくつくれるものなのか。

 すべてが非現実的だった。

 やはり自分は死んでいて、これは悪夢のつづきなのかもしれない。

 ネイトが深刻な表情でうつむいていると、両の足がひとりでに歩きはじめた。

「うわ。なんだこれ。どうなってる」

「きみが動こうとしないからさ。なにを考えようときみの自由だけど、そのたびに立ちどまるのは非効率だ」

「わかった。自分で歩くから。やめてくれ」

 ぴたりと足が固まり、つんのめりそうになる。きのこ目玉がいうところの操作権とやらがネイトにもどってきたのだろう。

 ネイトは指先の照明をたよりにしぶしぶ自らの意思で足を進めた。

「ところできみ、名前は?」目玉が馴れ馴れしく訊ねてきた。「さきに自ら名乗るのが礼儀だと知ってはいるけれど、じつは自分の名前を決めかねていてね。候補はいくつかあるんだ。きみの名前を参考に選ぼうかと思ってね」

 ぺらぺらとよくしゃべる魔物がいたものだ。人間の礼儀まで知っているらしい。

「……ネイト」無視するわけにもいかず、ネイトはぼそりと答えた。

「よろしく、ネイト。ではわたしは、そうだな、フーギィ。今からフーギィと名乗ることにしよう。まあ、名乗ったところで呼ぶのはきみだけだと思うけどね」

 フーギィ。奇妙な響きだ。

 どういう由来なのか。ほかにどんな候補があったのか。

 気になりはしたが、訊ねるつもりには到底なれなかった。




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