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寄生の傑士  作者: IOTA
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1 深淵の取引



 おののくように揺れ動く松明の灯りだけが行く手を照らしていた。

 右手は絶壁、左手は断崖だった。順路とは名ばかりの足場は岩肌を乱雑に削りだしたようなものであり、大人が両手を伸ばしたていどの幅しかなかった。

 断崖は途方もなく巨大な竪穴であり、順路は竪穴の内周にぐるぐると沿うかたちで下へ下へと延びていた。

 地獄へつづくような長く細い途。縦列で進む九名の討伐隊の中央で傭兵見習いの青年、ネイトは怯えきっていた。

 崖下からびゅうびゅうと吹きあがる風が顔を撫でてくる。生温かく、生臭い。まるで巨大な生き物がこの大穴の底で腐乱し、そのガスが立ちのぼっているようだった。

 聞こえるのはうなりのような風の音と安っぽい革鎧の擦過音だけ。だれでもいいから喋ってほしい。ネイトの痛切な願いは意外な人物に届いた。

「まだ先は長い。そこに横穴がある。小休止にしよう」

 松明をかざして先頭をいく亜人の女、クインが一同に告げた。

 傭兵たちはふりかえり、ネイトのすぐ背後、見あげるような巨体であり、白銀に輝く豪奢な全身甲冑を纏った男、槍の傑士ラインベルをうかがい見た。

 ラインベルは一言もはっさなかった。歩く速度をゆるめる様子はない。円筒型兜の隙間からわずかにのぞく目はネイトたちのほうに見むきもしなかった。

 前列にいたラインベルの従者であるバリガンがクインの背中を小突いた。

「ラインベル様にも傭兵どもにも休憩は必要ない。さっさと案内しろ、耳長女」

 クインは白銀の長髪を割ってするりと天に伸びた長い耳をぴくりと動かした。整った顔と柳眉に憎悪がかすめよぎる。

「最強の槍の傑士様には休憩は不要か。そんなにやるきがあるのならもっと早くに死竜退治にきてくれればよかったのに」

「おい、耳長。口を慎め」

 バリガンはどすの利いた声でいったが、クインは無視してつづけた。

「死竜がこの竪穴に巣くってもう一月だ。その間にわたしたちの部族がいくつなくなったと思っている」

「噂どおりのあつかましさだな。口が腐るぞ、森の耳長め。貴様らは戦に負けた。それでも慎み深い国王はこの一帯を生活圏として貴様らにあたえてくださったのだ。そのうえでこうして傑士様が自ら討伐にでむいてくださったのだぞ。身のほどと恥を知れ」

「戦のあとはこのイドゥの森も王国の領地だろう。夜な夜な押しよせてくる死霊憑きの大群から今まで領地を護っていたのはわたしたちだ。ようやく王都から討伐隊が送られてきたと思ったら、傑士ご一行にお付きの傭兵がたったの五人。それで感謝しろというのか」

 またはじまった。ネイトはまわりの同僚と顔を見あわせて苦笑まじりにため息をついた。

 森の長耳亜人の代表であるクインと昔気質の国粋主義者であるバリガンはたがいに口を開けば口論ばかりだった。クインはつい昨日、イドゥの森の案内役として合流したばかりだったが、二人の社会派による罵りあいはもはや通例のようになっていた。

「いやねえ。どうして亜人はなかよくできないのかしら。同族嫌悪ってやつ? ねえ、ラインベル様」

 もう一人のラインベルの従者である魔術師のミレイシャが艶っぽい声をだしてラインベルに身をよせた。

 ミレイシャがいうようにバリガンは短躰亜人と人間の混血であり、背が低かった。長身痩躯の森長耳亜人であるクインを見あげるかっこうになっていたが、それでも臆さずにいよいよ声を荒らげた。

「ここは貴様らの森だろう。僻地を護るのは農奴にもなれなかった貴様らに科せられた唯一の責務だ。その務めも果たせずに泣きついた分際で――」

「おい。静かにしろ」

 唐突にはっされたラインベルの声がバリガンの呪詛をとめた。兜の面頬ごしであることを差し引いても聞くものをすくみあがらせる重苦しい声だった。ミレイシャは表情を消して主からさっと距離をとった。

 バリガンは蒼ざめ、片膝をついてこうべをたれた。しかしラインベルの眼差しは前列の諍いにはなかった。身を乗りだして崖の下をのぞいている。

 怪訝そうな顔をしたクインがラインベルに倣い、松明を大穴の闇にかざした。

 途端、クインは目をむいて叫んだ。

「敵襲。フォードワイバーンの群れだ」

 耳なれない羽音が聞こえはじめた直後、竪穴から無数の翼竜が飛びあがってきた。

 フォードワイバーンは鳥種と竜種の混種であり小型とされているが、それでも翼を広げた全長は長槍二本ぶんもある。歩兵にとっては脅威だった。

 それが十、二十……。闇を埋め尽くす異形にネイトは数えるのを放棄した。群れどころではない。大群といっていい数だった。

 弓を持った二人の傭兵はすぐさま宙にむかって射かけた。数本の矢が首や胴を的確に射抜いたが、鳥竜は歯牙にもかけなかった。痛がる素振りもなく、一声も鳴かない。

「どうなっている。矢が効かないぞ」

「ゾンビになってやがる。死竜の傀儡だ」

 ワイバーンの群れは死竜の瘴気におかされ身体のところどころが朽ちていた。もはや生物としての本能さえ失い、命を奪うための機構とかしている。腐って穴だらけになった翼をでたらめにふりまわしてかろうじて飛んでいるさまは狂気じみていた。

「だめだ。戦おうとするな。さっきの横穴まで退くぞ」クインは空飛ぶ死の魔獣を牽制しようと松明をふって叫んでいた。しかし隊列を一顧して、顔をこわばらせた。「待て。こんなところでなにをするつもりだ」

 ネイトの後ろでは、ラインベルが白銀の槍を低く構えていた。

 通路いっぱいにふりかぶられた長槍の刃先で細かな紫電が閃いている。生木が爆ぜるような音は直後に解きはなたれる暴力の壮絶さを予感させるにはじゅうぶんだった。

「よせ」

 クインの制止もむなしく、ラインベルは槍をふりぬいた。

 場違いな落雷の轟音が淀んだ大気を裂き、闇の螺旋回廊が真っ白に染まった。輝く槍の一振りからほとばしった紫電が巨大な半月型の雷となり、ワイバーンの群れを蒸発させていく。

 槍の傑士がなせる奇蹟の御業だ。

 ネイトはその脅威の光景を下から見あげていた。

「え?」間の抜けた疑問符がもれた。

 頭上の一団がどんどん遠のいていく。身体は浮遊感に支配されていた。ネイトとおなじように宙を舞っている同僚たちが両手両足をふりまわして絶叫していた。

 なにがおきたのか。なぜクインはとめようとしたのか。ネイトはようやく理解した。ラインベルの攻撃により通路の一部が崩落したのだ。一塊になっていたネイトたち傭兵は全員が滑落していた。

 完全に闇にのみこまれる直前、ラインベルの姿が見えた。

「傑士様。助けて」

 もう届く距離ではないと知りつつもネイトは伝説の傑士の奇蹟を信じて手を伸ばした。

 しかしラインベルは竪穴に落ちていくネイトたちをちらと瞥見し、すぐさま正面にむきなおって歩み去った。まるで路傍の石ころに目をくれただけのようだった。

 そんな。

 死ぬのか。

 こんなところで、こんなふうに。

 やがてすべての光が消えて落ちているのか浮いているのかもわからなくなる。

 ネイトの意識と身体は底なしの闇に沈んでいった。



 闇のなかに浮かぶ目玉がネイトを凝視していた。

 悲鳴をあげようとしたが渇いたうめき声がもれただけだった。

 手足の感覚はなく、身体は動かなかった。

 ただ寒い。耐えがたい寒気だけを感じていた。

 ぼんやりとした光をはっする目玉はネイトに近よってきた。

 よく見ると浮かんでいるわけではなく、細長い茎のようなもので地面に根づいているようだった。

 一見すると洞窟に群棲する丸傘茸か、白豆芽か。しかしあきらかに菌糸類でも植物でもない。ネイトを見つめる一つ目は動物の、人間のものに似ていた。

 蛇がこうべを持ちあげるように茎をくねらせてネイトの眼前にまで肉薄してきた。

 ネイトの知る生物ではない。黄泉の魔物だろうか。

 目玉を持つ丸傘の頭頂部にあたる部分に亀裂がはいり、ぱっくりと割れた。

 ひくひくとうごめき、かすかに空気を吸うような音がする。

 捕食されるのか。ネイトは恐怖を感じたがなすすべがなかった。

「あー。あー、うー。きこえる? うまくしゃべれているかな」

 耳を疑った。どこからか人間の声が聞こえた。

「あれ? もしかしてだめ? はじめて発声しているからね。ああ、そうか。声をだすのも難しいか」

 しかも年端もいかない少女のような声だ。そのわりにはとても流暢な話しかただった。

「ねえ。そこの倒れている人間。きみだよ。聞こえているならうなずいて」

 まさか、この目玉が話しかけているのか。声は丸傘の亀裂がひくつくたびにもれ聞こえているようだった。

 悪い夢でも見ているのか。ネイトは自分の正気を疑いながらもおそるおそる顎をひいた。

「よかった。聞こえているし通じているみたいだね。さっそくだけど残念なお知らせだ。きみ、もうすぐ死ぬよ。というか、まだ生きているのが不思議だね」

 人語を話す不思議なきのこ目玉は茎を伸ばしてネイトの身体を見た。ネイトもかろうじて動く首と目だけを動かして倣った。

 自分の身体だった物体を見て吐血まじりの唾液とあまりにもか細い叫びがこぼれた。

 暗くてはっきりとはわからない。しかし手足はあらぬ方向に折れ曲がり、肉を裂いてでてきたであろう白い骨が見えた。腹からはなにか長いものが飛びだして周囲に散乱しているようだった。

「きみの下敷きになっているお仲間がクッションになってくれたのだろう。首から上は比較的無傷だ。まあ、それも時間の問題。大量出血で間もなく心臓がとまるというのもあるけれど、もっと差し迫った脅威がある」

 目玉はきわめて他人事のように饒舌にまくしたて、くるくると茎をねじって左右を見わたした。

 濃密な闇に無数の光の粒がうかんでいた。まるで夜空の星のようだが、すべての粒は赤く、しゅーしゅーと音をたてて揺れ動いていた。

「軍隊蜘蛛だ。血の匂いにつられてきたんだね。そうとう腹ぺこみたい」

 なんてことだ。このままほうっておかれても死ぬのに、巨大蜘蛛の群れに生きたままむさぼり食われるのか。運よく助かったのではない。運悪く死ねなかったのだ。

 恐怖と絶望と悔しさに泣きわめきたかったが、顔をゆがめてあうあうとうめくことしかできなかった。

「さて。こんな状態のわたしのもとにきみが落ちてきて、しかも生きていた。これもなにかの縁だろう。そこできみに提案があるんだ」

 きのこ目玉は茎をかしげてさらに近づいてきた。焦点があうぎりぎりの距離からまともにのぞきこまれる。

 長い睫毛に奥二重。鮮やかな鋼鉄色の虹彩。瞳孔は深い蒼色だった。女性的な目の造形と宝石のような魔性の輝きは見ていると吸いこまれそうになる。

「きみの死にかけの身体をわたしにくれないか。そうすれば生きて脱出させてあげるよ」

 これは悪魔の取引だ。すでに視界には陰がさしていて、頭もうまく回らない。それでもネイトは確信した。これはよくないものであり、破滅の取引を持ちかけている。

「あまり時間はないよ。さあ、どうする?」

 八本足の身の毛もよだつ跫音が四囲から迫っていた。今際の際の心臓がすくみあがって健気にも精いっぱい脈打つのを感じる。熱い涙が頬をつたい、瞼の裏に母と幼馴染の顔がうかんだ。

 いやだ。こんなところで死にたくない。

「たすけて……」ネイトは息も絶え絶えにかすれる声をふりしぼった。

「取引成立だ」

 目玉の唇が引きゆがんだ。

 周囲の地面から白いつるのようなものがいっせいに生えてきて、ネイトの身体を覆いつくした。

 そこでネイトの意識は一度終わり、人生は永遠に終わった。




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