暗闇の日
1月、真冬、深夜の南の空。今までに感じたことのない暗闇に、オリオン座がはっきりと見える。私も彼女も、オリオン座しか知らない。だからこの星座を見つけるたびに競って報告しあった。
全ての役割を終えた私は、目を閉じるでもなく、すっと自分が消えていきつつあるのを感じた。幸せだった。苦しみも悲しみも痛みも感じない私が、本当に彼女を守ることができていたのかわからないけれど、こうして消えていくのだ。
このことが何よりも、彼女の今現在の幸せを証明している。
ああ、今日の空は本当に綺麗だ。
二人一緒にオリオン座を眺めているように感じた。それが私の最後の感覚だった。
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深野睦月は、自分の名前が好きだ。
睦月は一月生まれだからと母親に言われた時は、なんて単純なのか、私の方がもっとましな名前をつけると言い放ったものだったが、その後に続いた言葉で、彼女は自分の名前をいたく気にいるようになる。
「睦月が生まれた日は、数年に一度のスーパームーンの日だったの。だからお母さん、どうしても名前に月という字を入れたかったんだ」
小学4年生の睦月は人形を使ったままごとをするよりも、男の子と一緒に山の中に入っていき、虫を収集するのが好きだった。絵本よりも図鑑が好きだった。だから、月にちなんだ名前、というだけで心底嬉しかったのだ。
月は太陽のように自ら光を発しているわけではなく、太陽の光を跳ね返して初めて光るのだ。しかしそれでも、月の出ている夜は明るく、迷う人を導く力がある。自分一人で光っている太陽より、よっぽど魅力的だと睦月は思っていた。
だから、この名前にかけて困っている人を見ると放っておけないのが睦月の性格で、同じ通りに住む低学年の生徒を見つけると、いつでも立ち止まって手を繋いだし、電車の中で席に座ることもまずなかった。睦月は、母親の相談事も熱心に聞いた。
それと同時に、睦月には人に共感しすぎるところがあった。夕方のニュースで事故現場が映ると、どうしようもなく胸が痛み、止めどなく涙が溢れるのだ。彼女が感じる痛みというのは、まさに当事者の痛みと同様で、精神的な痛みに止まらず、実際の被害者と同じ部位が赤く腫れ上がったりもする。あったこともない事故に遭い、受けたことのない傷で彼女はトラウマだらけだった。脆すぎたのだ。
そんな睦月が、私は心配で仕方なかった。誰かが彼女を守らねば、きっと彼女は自分を見失ってしまう。私は睦月のように弱くはないし、痛みも苦しみも感じない。私は強いのだ。
けれど、母親は睦月にだけ悩みを打ち明け、私には一切辛そうな素振りを見せなかった。
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私たちの母親は、なんだか掴み所のない人だった。
大学では英文学を専攻していたとかで、確かに彼女はいつ見ても本を読んでいた。図書館で司書の仕事をしている彼女は、もうこの本は誰も借りないからと言って、よく本を持って帰ってきた。彼女も感受性の豊かなタイプで、睦月の共感生の高さは母親譲りだろうと考えられた。
こういう性格であるというのもあって、母親は家で一人泣いていることがよくあった。
「どうして泣いているの?」
と睦月が尋ねると、なんとなく口角をあげて、
「どうしても」
と言うのだった。
だから私は、母親のことを理解することは到底不可能なことだと早々に諦め、ある程度適当に、彼女と接するようにしていたのだが、その一方で睦月は、彼女のことを理解するのに必死で、そしてたくさん傷ついた。
私たちの父親は、母と真反対の性格の持ち主で、感情的になりやすい母とは違い、論理的に物事を考える癖があった。と言うのも、彼は大学では物理学を専攻し、実験に明け暮れ、正しいデータを追い求めて過ごしたからだ。
お父さんと話していると、正常でいられるの、私は普通でないから、と母親はよく言った。その度に睦月は、お母さんは普通だと言って泣いた。
父が母のことを疎ましく思っているということは、なんとなく感じ取っていた。睦月は特に、その感じを嫌がったが、私たち子供にはどうすることもできなかった。
それが決定的になったのは、私たちが小学5年生のクリスマスの夜だった。
「オーブンでチキンを焼くね、小学校から帰ってきたら、飾りつけのお手伝いをしてね。今日は雪が降るようだから、ダウンジャケットを着てマフラーを巻いてね」
母はいつもに増して饒舌で、睦月はそれが嬉しかった。自分で巻けるマフラーを、わざとぐちゃぐちゃに掴んで持っていき、巻いて、とねだった。自分でできるでしょう、と言いながら彼女の首にマフラーを巻きつける母の手は、ほんのり甘い香りがして、すべすべしていた。
5時間目の国語の授業を終えた後に走って帰宅すると、私たちは鍵を持たせてもらえなかったので、玄関のベルを鳴らした。
いつもと違って、ベルを鳴らしてから何秒経ってもドアが開かない、おかえり、と母親が顔を見せない。睦月はなぜか不安そうにキョロキョロとあたりを見回した。
「ねぇ光希、何か変じゃない?お母さん大丈夫だよね、もう一回ベル押そうか」
そういってベルを押そうとしたときに、ドアを開けてこちらを見たのは父親だった。ひどく不機嫌そうで、おかえり、というその声には棘があった。
お母さん、と言って睦月は靴を脱ぎ捨て、手も洗わずにリビングまで駆けて言った。
母親はしゃがみ込んで泣いていた。目も開けようとせず、クリスマス仕様に変えられた赤い絨毯の上で横たわったまま、流れるままに涙を流した。
父親には、母親でない相手がいた。そのことを告げたのが、私たちが5年生のクリスマスだった。
こんなにわからない人とはいられない、というのが父の言葉で、あの時私たちを迎え入れたのと同時に、彼はこの家を去った。