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音楽室と体育館  作者: 多手ててと


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39.大学1年生・春(その3)

大学生活は忙しくて、そして楽しい。授業は実技あり、座学ありで緊張が途切れない。


その中で一番長いのは当然ながらピアノの実技だ。私の指導教官は私の兄弟子でもある。つまり私を幼稚園の頃から中3までビアノを叩き込んでくださった、大谷先生に師事したことがあるという方だ。


「先生から聞いているよ。私の最後の弟子は何にでも手を出しちゃうから目が離せないって」


何にでも、ってバレーボールだけだけどね。


入試の時に咲先生から聞いていたけど、本当に大谷先生には頭が上がらない。藝大に合格した後、随分ひさしぶりに咲先生とお訪ねした時には、3年間で随分とお年を召されたように見えた。だが、こうして今も私を支えてくださっている。


「じゃっ、今日は初見で演奏してもらうね」


そうやって渡された楽譜は聞いたことの無い作曲家のものだった。私が知らないことはまだまだ多い。


演奏前の譜読みはわずか2分。文字通り斜め読みしながら、ページをめくるだけで終わってしまう。テンポは80、4/4拍子、ト短調で途中からヘ長調に、転調前は音符が少なく、転調後に音符が多くなり忙しくなることはわかった。多分私好みの曲だ。


「よし、じゃあ閉じて。じゃあ最初から弾いてね」


ここは劇場、それは言いすぎか。だったら教室だと思うことにする。


『せんせー。この曲弾いてよー』

『うん。じゃぁ弾いてあげるね』


最初のうちは簡単。でも初めて見た楽譜でも先生は弾けるんだよ、ふふん、では生徒は聞いてくれない。できるだけ感情を込めてゆったりと弾く。シンプルで物悲しい曲だが、たまに入る和音をほんの少しだけわざとずらして、優美さを出し、転調してからのクライマックスを生徒に予感させる。ここはタメの部分なのだ。


ページがめくられると同時に、ト短調からヘ長調へと転調する。属調平行調ってやつね。それと同時に右手は16分音符や32分音符が増え、左手は複雑で手が鍵盤の上を大きく行き来する和音がどんどん入る。そのまま忙しく両手が動いたまま曲が終わる。初見にしては、うまく弾けたと思う。


『悲しい曲が途中から楽しい曲になったでしょ? みんなこの曲好き?』

『うん、とても綺麗だった』


「いかがでしょうか?」


私の頭の中の生徒は褒めてくれたけど、この先生はどう思っているんだろう?


「初見には聴こえなかった。まさかと思うけどこの曲、知ってた?」


私はもちろん首を振る。


「私の知らない作曲家でした」


私の答えを聴いて、そうだよね、と先生もおっしゃった。


「初見で上手く弾けるピアニストは本番に強いって言う人も多い。長崎は本番に強いって、先生からも、咲ちゃんからも聞いてたしね。普段から世界相手に戦ってるんだから当然なのかもね」


私は自分では結構緊張する方だと思うけど、先生にそう思ってもらえるのはいいことだ。


「長崎はこの曲を弾いた時、どんなことをイメージして弾いたの?」


教師になった自分が生徒に頼まれて弾くことを想像しながら弾きました、というと先生に微妙な顔をされてしまった。



その後は声楽だ。初心者なので、まずは歌う姿勢や呼吸法から始まるのだけど、これ実はピアノと同じように個人レッスンです。声楽家の偉い先生に初歩の初歩からマンツーマンで教えて頂けるのだ。もちろんただで。いや授業料は親が払ってくれているけど国立大学だから市場価格から見ると格安のはずだ。


「さすがは一流のアスリートですね。訓練なしでこの肺活量は相当のものだと思います」


ありがとうございます、と私は頭を下げる。


「じゃあ次は声ではなく音を出してみましょう。私と同じ音を出してみなさい」


当たり前だけど声楽の先生の声は大きく美しく響く。たった一音を長く伸ばしているだけなのに、それが歌のように聞こえる。


私は先生と同じ音程の声を出せるけど、これはただの声だ。響きが全然違う。私が声を出し続けていると、先生が息継ぎもせずに音を変えたので、それに従って私も息継ぎせずに同じ音程の声を出す。出し続ける。先生がCBAGとゆっくり歌を下げるのに従って、私も声を下げていく。


「初心者にしてはよく声が出ていますね。身体が鍛えられているからでしょう。ちゃんと練習したらもっと綺麗な声が出せるようになります。それに……、あなたは体が大きいから普通の女子よりも低い音も出せるかもしれませんね。今の段階で音域を一度測って、それを広げていきましょう」


私はC3からD5まで出た。素人でここまで出せるのは素晴らしいそうだ。


「鍛えたらテナーからソプラノまで一人でこなせるかもしれませんね」


私はいい気分で次の授業へと向かった。次は教職の特別支援の講義だ。この授業は教員免許には必須で、かつこの大学では1年しか履修できない。



今日はバレー部の練習はない日。今日はOGとして群星高校に足を運び、押しかけコーチをすることになっている。元々2、3年生は顔見知りだし、何度も足を運ぶうちに1年生にも顔見知りが増えた。私の在学中は群星高校はタイトルを独占していた。これは早苗と私がいたから、と言う人もいるがそんなことはない。


勝ち続けると次の年に必ずいい選手が入って来る。それが学生スポーツの世界だ。2、3年生はもちろん1年生にだって即戦力もいるし、いい素材もいる。指導者は元々万全だけど、私も学生という身分でお姉さんっぽいことができていると思う。例えば今年の2年生には華菜かなちゃんという子がいて、私が在学中だった去年、つまり1年の時からレギュラーを取っている。


「長崎、大学のバレー部はどうだ?」


休憩時間に立浪監督が私に聞いて来た。


「そうですね。私が入っても、群星ここの1年生に負けるかもしれません。何と言っても練習時間が1日2時間、週2回ですから。でも大学連合への参加も申請してくれましたし、先輩達も1年の私が教えることに抵抗がないのか素直に聞いてくれるので、ある程度までは強くなれると思います。それに体育館を使える日を増やす交渉もしてくれているんです。やっぱり週に3日は練習したいです。あと私の人脈、というかぶっちゃけ群星ここの先輩や同期を頼って、他の大学と合同練習とかさせてもらっています。私が入っても普通に負けますけど」


監督が驚いた顔をした。


「長崎が入っても負けるのか?」


そりゃそうでしょう。


「全然レベルが違いますよ。たまにあちらがムキになって私ばっかり狙ってきた時は、1セット取れることもありますけど、それだけです。話は変わるんですけど、モントレーの後は早苗も一緒に日本に帰って来るんです。そうしたら、また一緒にビーチに出るつもりです。そうそう、ここにも連れてきますね」



私は1年生の夏には声がG2からE7まで出せるようになったので、声楽科への転科を勧められた。低音はバリトンから、高音は2オクターブ以上、聞き取り辛いホイッスルボイスまで出せるようになった。出せるようになっただけで、実際に歌えるわけではないので断った。ただ声楽にはもっと力を入れていこうと思う。ピアノは咲先生と連弾で小規模だけどライブをする予定。バレーは大学のチーム力はまだまだだけど、個人的にはワールドカップに向けて順調にレベルアップできていると思うし、ビーチはクオリフィケーションに出るためのポイントは十分に溜まった。


大学生活はとても楽しい。これからもっと楽しくなるに違いない。

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