最終話.音楽室と体育館と教室
「陽介さんの成績だと、今の成績を保てば、第一志望の大学へ進学できる可能性は高いと思います」
偉そうなことを言っているが、ほぼ模試の結果を話しているだけだ。
「学校での陽介はどうですか?」
「そうですね。陽介さんはバレー部でも、後輩の面倒を良く見てくれていました。お母さまもご存じのように、使えるコートとかいろいろややこしいんですよね」
彼が元男バレ部員で良かった。部活で知らない生徒たちの成績や普段の行動については、最近ようやく一通りの把握ができただけだ。そしてこの母親は短い期間だけど父母会にも入ってくれていたので、部活のことを良く知ってくれている。
「ところで先生はいい人がいないのかしら?」
「ちょっとお袋、やめてくれよ!」
「いやあ、いないですね」
私は正直に答えた。
「あらあ、こんなに美人さんで映画の主演までしているのに。やっぱり忙しすぎるからかしら」
「まあ私の場合は身長からして、男性にひかれてしまいますので」
最後はよくわからない話になったが、母子が帰ったので、これで今日の三者面談は終り。11月、外はもう暗く、人気のない教室は早くも寒くなる。時間を確認するとまだ部活をやっている時間だが、行くにしてもどこか一つぐらいか。今日は体を動かしたいので体育館にしよう。
ちなみに映画の主演というのは久我山監督のドキュメンタリー映画だ。私の作った曲から「音楽室と体育館」と言うタイトルで単館上映された。同じ久我山監督による「秋風のハーモニー」の作成準備から始まって、その舞台である大前高校の合唱部の顧問、つまり私がチャイコンで優勝するまでを描いたドキュメンタリーとなっている。「秋風のハーモニー」は興行的にはそんなに大きな黒字は出せなかったそうだけど、東京国際映画祭の後も、各国の映画祭で高い評価を得、いくつかの賞を得たという。
単館上映というのは、私は文字通り1つの映画館でのみ上映されるものだと思っていたが、あの業界では大手映画会社の支配下にないミニシアターを意味するそうで、日本国内には結構あるそうだ。ミニシアターレベルでは評判が良い上、やはりどこかの映画賞をいくつか取ったそうで、「秋風のハーモニー」に関わった配給会社の参加が決まったそうだ。もちろん私はまだ見ていないし見るつもりもない。
サンクトペテルブルクで審査結果を聞いた次の日の昼過ぎ、余裕はそんなにないタイミングで会場に着くことができた。そこで私は表彰式、メダルなどを受け取るセレモニー、が行われるホールから出て来る美波さんに会った。
「美波さん、おめでとうございます」
そう言って美波さんと抱き合う。
「いや吹雪ちゃんこそ2冠おめでとう。ヴァイオリンでもとてもお世話になったわね」
「いえいえ足を引っ張らなくて良かったです」
「いやいや足を引っ張るどころか引き上げてもらったよ」
もうすぐ表彰式が始まるのでその前にトイレに行こうとしていたところ、そう言う美波さんにご一緒させてもらうことにする。
「そう言ってもらえるとよかったです」
「そっか、まだ部屋に入っていないから各賞の受賞者を知らないのね」
ん? 美波さんはヴァイオリンで3位。私はピアノと女声で1位だよね。
トイレで一旦別れ、その後再合流してホールに向かう。
「だって吹雪ちゃんは2部門で1位、そのどちらも聴衆賞でしょう。声楽とヴァイオリンで伴奏賞。そして長崎賞。すごいよね」
「長崎賞?」
「急に作られたらしいわよ。中国かどこかの会社がスポンサーについたみたい。このチャイコンでその曲の初演を演じたコンテスタントの中から選ばれる賞だって。それにグランプリもほぼ確実でしょう」
グランプリというのは各部門の1位の中で一番優秀だと審査員が判断した人に贈られる賞で、明日のサンクトペテルブルクでのガラコンの最後に発表される。確かにこれまではピアノと声楽の人しか取っていないから、私が選ばれる可能性はそれなりにある。なおグランプリは各部門1位の3倍以上の賞金が、ロシアの貨幣、ルーブルで頂ける。
そんなことを話しながらホールに入り。表彰を受け、ガラコンもこなした。美波さんの予言どおりグランプリも頂いた。私は写真を撮りまくって、例のトークルームに投稿しまくった。
日本に帰ったら、またマスコミで騒がれるだろう。だがそれだけではない。他の教科は試験も終わっているのに、音楽だけは授業も地獄の日程が待っていて、その後、これまた地獄の期末試験が始まる予定だ。それが終わったら夏休みだけど、当然各部活動の大会が控えている。これまで本業をないがしろにして、このロシアに来ていた当然の報いだ。
私がロシアから帰って来た日、案の定空港で各マスコミの取材を受け、疲れ果てて自室に帰って来ると、早苗が出前で結構上等のお寿司を用意してくれていた。バレーボールは4年間のうちの3年は大きな国別の大会、オリンピック、ワールドカップ、世界バレー選手権、があるが、今年は4年に1度のそれらが無い年にあたるので、早苗は基本的にすることがない。インターハイの都大会が終わった後も、Vリーグの準備が始まるまで、基本はうちの部活。たまにチャリティーなどに参加するという。あと日本で開催されるビーチの試合にも私と出る予定だ。
「やっぱり疲れたん?」
「疲れた。いつものようにエコノミーだし、空港でマスコミ対応だし。しかも今回は私ひとりに集中したからね」
美波さんの3位も相当スゴいと思うのだけれど、マスコミの人はどうしても史上初の2冠の方に来る。そうだ2冠と言えば。
「そうそう、インターハイ予選ありがとね」
「まあ吹雪もこちらも最高の結果でよかったやんなあ。でもうちはやっぱり指導者に向いてないて思た。やっぱり選手の方がええわ」
「えー。このまま部活の監督とかやってもらおうと思っていたのに」
男女双方で優勝したから、さぞやる気になっていると思っていたのに。
「なんでやねん。ウチはせいぜいコーチまでやな。今回かて、登録メンバーとかレギュラーとか、先に吹雪が決めてくれてなかったら無理やった」
早苗と主にバレー部の話をしながらお寿司を楽しく食べた後、私は時差調整でさっさと寝た。早苗はちょっと走って来ると言う。
そしてその翌日、朝イチに校長室に呼ばれた。まあ何かしら表彰があるのだろう。私はソファに座るように促される。私の前には校長と副校長が並んでいる。
「長崎先生、残念というのが適当かはわかりませんが、お尋ねしなければいけないことがあります」
表彰とか、都の広報誌の取材依頼にしては雰囲気がおかしい。
「実は長崎先生がご不在の間に、3年2組の担任の向井先生が、家庭の御都合でお辞めになりました」
はあ?
私はロシアで味わった何回かの驚愕よりも、もっと大きな衝撃を受けた。
「なんでもお父様が亡くなられて、誰が家業を継ぐかで御実家でもめたそうですね。結局向井先生しかいないという話になったそうです」
で、ここ1週間は担任(向井先生)も副担任(私)も不在の3年2組は、副校長が担任代理を務めてくれていたという。管理職は大変だな。早苗が知らないのは仕方がないとしても、メッセージアプリでも誰も何も言ってなかった。多分誰かが気を回して、コンクール中の私のために箝口令が敷かれていたのだろう。
私の頭の中をいろいろなものが巡る。吹奏楽コンクール予選。合宿。インターハイ。Mコンのブロック予選。いや、その前にまず授業と期末試験がある。いつかはわからないけれど、チャイコンの3位以内の受賞者は、複数回、事務局から依頼される無料コンサートをやる義務もある。
今日からいきなり3年生、つまり受験生の担任が私に務まるだろうか? 卒業式までまだ半年以上あるし、それまでに進路指導や三者面談があるはずだ。3年生の音楽の授業は9月までなので。それ以降は授業を持たない担任になってしまう。
「そこで相談です。長崎先生は今、3年2組の担任を務めることができますか? もちろん私たちができる限りのフォローをします。特にVリーグ開始後は」
もちろん私はハイと答えた。だって私はプロの教師だからだ。
完
長い間ありがとうございました。