表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
音楽室と体育館  作者: 多手ててと


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

118/169

118.久我山建

まだMHKとの話が付いたわけではない。だが、撮影の許可までは出た。映画しゃしんにどこまで使えるかは今後の交渉次第だ。今日はMコン、東京一次予選。さすがにここで転んで欲しくない。もちろん、一度適当なホールを借りて、エキストラの観客を集めて撮ればいいのだけれど、本物の雰囲気はなかなか出せない。


ほんの少し前、ロビーでカメラで聖花せいかを撮るのをカメラマンと助監督に任せて、俺は長崎センセイを捕まえた。


「先生、今日はどうですか?」


「今日は問題ないと思います」


センセイははっきりと言い切る。俺も、聖花たちが練習しているのを何度も見ている。4月に比べて随分上手くなったと思うが、それでコンクールが勝てるかどうかは俺には解らない。他の学校の演奏を聴いていると、明らかに下手なところもあるけど、上手なところも何校もあった。


頼むよ。


俺はMHKの仕事をこれまでに何度もしているから、コネを使ってカメラを入れさせてもらっている。フロアだけでなく、この報道室の一部も使わせてもらっている。いよいよ次だ。


女子を先頭に、まず生徒たちが舞台に入って来て配置に着いた後、最後に長崎センセイが入って来る。それだけで拍手が起こる。


「次は都立大前高校の演奏です。自由曲は、作詞、作曲、長崎吹雪、『片思い』」


アナウンスを聞いて、おおーっというざわめきが起きる。


「指揮は長崎吹雪先生。ピアノは前田瞳さんです」


アナウンスに会わせて二人が客席に礼をする。それだけで大きな拍手が起きる。指揮台はない。長崎センセイが客席に背を向け。足を軽く開く。それに合わせて生徒たちも一斉に足を開く。センセイが両手を上げ、ピアノの子に向かって軽く手を振ると、課題曲の前奏が流れ始める。


いつもながら相当上手いピアノだと思う。だが俺はこのピアノが長崎センセイと比べると大人と子どもみたいだということを知っている。この子自身、高校に入って合唱部の練習の合間を使って長崎先生に教えてもらっているうちに、今のように弾けるようになったと言っていた、


センセイはちゃんと聖花をソプラノの中では一番内側の前から2段目に配置してくれている。2段目なのは少しでもリアリティを出すためだ。カメラの1台は聖花を追うが。他のカメラは全体を取ったり、センセイを取ったりする。センセイは時に大きく、時に小さく常に手を動かしている。練習で指揮を執る時は、常に生徒に目を配って、必要な時は目で合図も送っていたから、今も多分それを続けているのだろう。ずっと見てきたからっていうのもあるけど、素人の俺でもセンセイの両手が、40人の生徒を自在に操っているのがわかる。センセイが大きく手を動かして、課題曲が最後の盛り上がりを見せ、そして先生の手が止まって拳を握ると曲が終わる。


こうやって聞き比べると、今日、これまで聞いて来た他の学校よりも明らかに上手い。


数秒間沸き上がった拍手が収まるのを待つと、センセイが再度ピアノの子を見て、両手を動かし始める。ピアノが悲し気な前奏を奏でる。


この曲はセンセイ自身が学生時代に作った曲だと聞いた。タイトル通り女の子が男の子に恋をする。他の友達たちと一緒に遊びに行ったりはするが、自分の思いを伝えられない。そのもどかしいけど、自分の中ではどうしようもない気持ちを歌い上げて曲が終わる。動画サイトにセンセイの弾き語りがアップされていて、センセイの曲の中では5本の指に入る人気曲だという。


なお動画サイトのセンセイのチャンネルは、ちゃんとセンセイの身分と、教委の許可を得ている旨が記載されている。


1番はソプラノとアルトが歌詞を歌い。テナーとバスはボーカリーズという歌詞のないコーラスやハミングで女声を支える。サビの部分に入って女声が主旋律を入れ替わりながら歌うのを、テナーとバスはここで初めて歌詞を歌いながら女声を支え続ける。


2番に入ると役目が入れ替わり、男声がメロディを歌い、女声がコーラスで彩る。


『2番はオリジナルと歌詞も語尾を中心に変えています』


以前そう言ったセンセイに俺は聞き返した。


『そういうのはアリなんですか?』


俺がそう聞くと、センセイは私が著作権者なのでありです。と答えた。


オリジナルは1番も2番も女の子が好きな男の子のことを歌う。この合唱では1番はそのままだが、2番は男の子が好きな女の子のことを歌う。サビに入るとセンセイの両手がせわしなく動き、ソプラノからバスまでの4声が頻繁にメロディラインを入れ替わりながら、支え合いながら歌を紡ぐ。


そしてサビが終わるとピアノが長調に転調し、一転して雰囲気が明るくなる。動画サイトに上がっているオリジナルは2番までしかなく、もどかしい気持ちのまま曲が終わる。そして、合唱のために作られた3番も、ただサビの部分のメロディに歌詞のないコーラスがあるだけだ。1番2番とはほぼ同じ旋律なのに、明るく、華々しく、軽やかに4声が入り混じりながら歌われる。これは転調しただけではなく、歌い方が明らかに1番2番と違う。そしてコーラスのままセンセイが手を止めて拳を握り、突然にコーラスが、曲が終わる。


俺はこのセンセイが拳を握る時の動作と表情がすごくキレイだと思う。


これを聞いた聴衆は誰もがわかるだろう。動画サイトに上がっているオリジナル曲は片思いの切なさを歌った曲。一方この合唱曲は両片思いの曲で、3番の明るいコーラスはお互いの恋が実ったことを表すのだと。


センセイが客席を振り向いてお辞儀をすると大きな拍手がわき起った。これで1次予選で落ちることはあり得ない。いい絵が撮れたと思う。


この1次予選はともかく、2次予選から先に進める学校は東京で3校しか選ばれない。だから相当に難しいと聞いている。だが、このセンセイとその生徒たちならやってのけるに違いない。これでもエンタメ業界に足を突っ込んで、随分長くメシを食べている俺には、それが解った。そして俺の予想どおり、都立大前高校は、東京都の2次予選も突破し、関東甲信越ブロック大会に挑むことになった。


二次予選終了後、もう夕方なのにそのまま学校に戻って行われた反省会も終わり、生徒が帰った後の視聴覚室でセンセイが俺に淡々と告げた。


「それでは視聴覚室を閉めるので撤収して頂いていいですか? なお明日から私はしばらくの間、出かけます。その間副校長が、この部屋の管理責任者を代行しますので、よろしくお願いします。それではまた8月に」


しばらく買い物に行ってきます、みたいな軽い調子で長崎センセイは俺たちに告げると、視聴覚室から俺たちを追い出した。センセイは俺より背が高い。だがセンセイの後ろには、センセイよりひと回り背が高い女性がいて、ふたりは連れ立って音楽教官室に去った。俺はもちろんあの人の名前を知っている。鳥羽早苗。長崎センセイと双璧を成す日本女子バレーボールのかなめ。バレー部の練習中にその姿を撮ったことはあるが、ここまで近い距離で会ったのは初めてだ。


インターハイ予選が終わった後、センセイが視聴覚室にいる時間が長くなったから、あの人がこの学校に入り浸るようになった。ふたりはビーチでもコンビを組むぐらい仲が良いみたいだから、多分センセイがバレー部の子たちのために呼んだのだろう。


帰りのロケ用のバンの中で、俺は今の深刻な状況を改めて考えた。このままだとこの作品は「秋風のハーモニー」ではなくなる。わざわざ猛勉強して名門都立高校に入ったくせに、そこで部活に頑張る少年少女の青春群像ドキュメントだ。肝心の正顧問役もまだ決まっていない。どの大物女優に声をかけても、これまで撮った映像を少し見せただけで断られてしまうからだ。


この合唱部の先生は本当のホンモノだから、彼女の横には立ちたくないわ。プロ中のプロである大物女優たちが同じようなことを言って断る。だからと言って、ここにポッと出の新人やパッとしない女優を置いたら、この作品は壊れてしまう。


聖花や他の子の演技のシーンは既に別撮りがだいぶ進んでしまっている。だが顧問が出て来るシーンはまったく取れていない。


これは原作者の竹山先輩を説得した方が早いかな、俺はそう思うようになった。

だれも興味ないでしょうが、久我山建くがやまたけると読みます。こんなことを書くと、もしかして、を考えてしまう人がいるかもしれないので補足しておくと、既婚者で子どももいます。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ