第9話 1本だけね......
「そっか......記憶喪失って奴だな。強く頭打ってるからそういう事も有るんだろう。でもまぁ落ち付いてくれば、いずれ記憶も戻って来るんじゃ無いか? あんたさえ良ければ、暫くこの家に居るといい。うちらは大歓迎だぞ。女っ気の無い寂しい家だし......なぁ、マルコ!」
「うん、居たいだけ居るといいよ! テル姉ちゃん!」
2人からそんな優しい言葉を掛けられて、またしても涙腺が緩んでしまった。でもこの国にはオリバーさんの秘密を解く鍵が眠っている。『アダム王子』......そのキーワードが決して頭から離れる事は無かった。今直ぐにでも詮索を始めたいくらいだ。でもせっかくそう言ってくれてるんだから......頭の傷が癒えるまでこの家でお世話になる事にしよう。
「有り難う......でも何でこんな見ず知らずのあたしにそこまでしてくれるんですか?」
「それはね......テル姉ちゃんがお母さんに似てるからだよ。ねぇ父ちゃん!」
「お、お前、余計な事言わんでもいいって! 何か俺に下心が有るみたいじゃねぇか!」
見れば、大男が顔を真っ赤にしている。そんな仕草がやたらと可愛く思えたりもする。因みにあたしはまだ12才。大人の仲間入りを果たしたばかりだけど、きっと母性本能が芽生えて来たんだろう。
ところで、さっきこの人は『女っ気の無い家』って言ってたけど、この家のマミーはどこ行っちゃったんだ? 多分、部屋に有った似顔絵の人だと思う。もう死んじゃったって事なのかな......そっか、これ以上聞くのは止めとこう。
「ではお言葉に甘えて、少しだけお世話になります。でも嫌になったら、いつでも追い出していいんですからね。ところでマルコ君......さっきから何であたしの事を『テル』って呼んでるの?」
あたしは抱いていた疑問を素直にぶつけてみた。すると、
「お母さんはね、絵本を作るのが大好きだったんだ。最後に作ってくれた絵本が弓の名人のお話。貧乏な家に弓の名人が現れて、その家の人を悪い奴らから守ってくれるんだ。
その物語の主人公が『ウィリアム・テル』って言うんだよ。うちはとっても貧乏な家......そんな我が家に昨日お姉ちゃんが来てくれた。たがらお姉ちゃんは『テル姉ちゃん』なんだ。きっと弓だって上手い筈だよ。ほら、射ってみて!」
「おいおいおい......お姉さんは怪我してるんだぞ。そんな事お願いしたら迷惑だろ......おっとすまんな。マルコは弓を射るのが大好きでね。将来弓の達人に成るって聞かないんだ」
「ハッ、ハッ、ハッ......あたしには無理です」
そんなマルコ君のリクエストに対し、ただ笑ってる事くらいしか出来なかった。だってあたしは、船の上で遺憾なき弓の腕を披露しちゃってる。きっとそんな噂は役人達の間にも知れ渡ってる事だろう。他愛なき子供の事だ......もしあたしがここで弓の手ほどきを示すような事でも有れば、『弓の達人が家に居るんだよ!』などと自慢気に広めてしまうに違いない。やっぱここは慎まなきゃダメだ......
しかしマルコ君は、1回辞退したくらいで引き下がってはくれなかった。怒り口調でなおも攻めてくる。
「何でやりもしないうちに出来ないって言うの? もしお母さんが生きてたら絶対に叱られるよ。ほら、射ってみて!」
見れば小さな手で弓と矢を一生懸命あたしに差し出している。きっとあたしが本当に物語の主人公『ウィリアム・テル』だと信じてるんだろう。そうか、仕方ないなぁ......
「分かった......じゃあ、1本だけね」
「わ~い、わ~い!」