第9話 鮮やかだった
「ドウ、ドウ、ドウ......」
そんな騎手の掛け声に素早く反応した白馬は、やがてゆっくりと足を止めた。いつの間に、『ダーリン村』......そんな見慣れた立て札が、目の前で仁王立ちしているではないか。長く続いて欲しいと念じれば念じる程に、時間と言うものは、あっさりと過ぎ去っていくものである。
「さぁ、着いたぞ。あんたの村だ」
正直言って、馬から降りたく無かった。でも直ぐに降りなきゃならない事は分かってる。こんな夜更けに2人で居るところを誰かに見られでもしたら、飛んでもない噂が立ち上がってしまう。なぜなら、あたしは『ダーリン村』の民、そしてこの恩人は別の村の民だからだ。
村外の人間と、夜な夜な密会をしてたなどと言う噂が立ち上がれば、自分はともかくこの人に迷惑が掛かってしまう。それだけは、絶対に避けなければならなかった。
某は馬から降りながらも周囲に気を配る。幸いにも家々の灯りは消され、村はすっかり寝静まってる様子。ふう......某は一つ安堵のため息をつくと、ゆっくりと語った。
「あたしの名はイブ。12年前、こうのとり様のお導きで、この村にやって来ました。差し支えなければ、命の恩人たるそなた様の村とお名前をお聞かせ頂けないでしょうか?
今日はもうこのような時間、日をあらためて、お礼に伺いたいと考えているのですが」
この人の前でバリアーを張るのは止めよう......そんな強い気持ちが、自然と言葉付きに現れたのかも知れない。結果として、久方ぶりに話した標準語だった。
すると......なぜだか困ったような表情を浮かべる恩人。その本意は分からないんだけど......もしかして嫌われた?......うそ~ん。
「お礼なんて、飛んでも無い。俺は当たり前の事をしたまでだ。それと別に名乗る程の者でも無いって。イブさんが無事に村へ帰って来れた......それだけで十分じゃね? 早く家に帰って家族を安心させてやれ。それじゃあ長居は無用。俺はこれで!」
そこまで言い切ると、大事な恩人はあたしにあっさりと背を向け、今にも立ち去ろうとしている。
ダメ......ダメ......絶対にダメ! ここで何も聞けずに別れてしまったら、もう2度と会えないかも知れない! イヤ......そんなの絶対にイヤ!
「待って! せ、せめて......お名前だけでもお聞かせ下さい!」
あたしは必死だった。こんな事言ってこの人が困る事くらい、直ぐに立ち去ろうとしてるその態度を見れば分かる事。あたしは空気を読めない人間じゃ無い。でもここで聞かなければ一生後悔する......それだけは、我を失いつつあるあたしでも、容易に分かる事だった。
すると......そんなあたしに同情してくれたのか、
「分かった......でもちょっと事情があって、この顔は見せれないし、俺の村も教える事は出来ない。名前はオリビ......いや、オリバーだ。どこにでも居るつまらない人間さ。とっとと忘れてくれて構わないぞ。それじゃ失敬!」
そして......オリバーさんは、最後までベールを脱ぐ事無く、あたしの前から立ち去って行った。現れる時も鮮やか、そして去る時もまた、鮮やかだった。
オリバーさん......あたし、絶対にあなたを見付けます......だってあたしはあなたを......
時刻は既に深夜の2時を回っていた。『狩人』の朝は早い。そんな時間帯ともなれば、全ての者が明日に備えて寝静まっている......筈だったのではあるが......
ガサガサ......何やら茂みの中で光る目が2つ。
「イブの奴め......散々このバロン様の求愛を断っておきながら、あんな野蛮な奴と密会してたとはな......驚きだぜ。
ところで......奴は一体何者なんだ? この村じゃ見掛けん風貌だったぞ。全く、俺のイブをたぶらかしやがって! イブは騙されてるだけだ!
よしっ、覚えてろよ......俺が絶対にお前の化けの皮を剥いでやる! 確かオリバーとか言ってたな。どうせ『タバサ村』か『サマンサ村』のチンピラだろう。
俺のイブに近付く事は絶対に許さん! 首洗って待ってろよ。オ・リ・バァー!!!」
あたしに取って、その日は忘れられない1日となった。そしてその1日は、新たな波乱が産声を上げた1日であった事など、恋に溺れてしまったあたしが知るよしも無かったのである......