【6】
「あ……『淡き今』!? 伊川さんがっ!?」
僕の叫び声が教室中に響いた途端、教室中が大きくざわめいた。
「『淡き今』だって? あの話題の?」
「あ、私も知ってる。すっごい人気のユーチューバーでしょ?」
「伊川さんがその人だって? んなワケないでしょ……」
「ああ、俺も見たことあるけど、めちゃくちゃ可愛い女の子だぞ。地味な伊川さんが『淡き今』だなんて、そんなバカな……」
あ、しまった。僕が思わず大声をあげたから、今まで知らないふりをしてたクラスメイト達が、こっちに完全に興味を向けてしまった。
みんなが注目する中、新藤が田中に向かって、フンっと鼻を鳴らして言った。
「おい、田中。いい加減なことを言うなよ。なんで伊川さんが、あの超人気ユーチューバーの『淡き今』なんだよ。証拠でもあるのか?」
新藤のやつ。すらすらと超人気ユーチューバーだなんて言葉が出るところを見ると、こいつも結構『淡き今』のことを知ってるな。
「証拠? 証拠はここに……」
田中がスマホを取り出そうとした時、突然クラスの一人の女子が歩み寄って来て、田中と新藤の間に割って入った。
「ちょっと待って、二人とも! 私の意見を言わせて!」
「「なんだ、お前?」」
新藤と田中は、きょとんとしてその女子の顔を見つめる。
その子は『推理研究会』に所属する、自他共に認める推理小説オタクの、和久 静子。
色気のないおかっぱ頭で、制服のブレザーもスカートも長めの、ダサい女の子。
──ちょっと伊川さんの服装と似てる……なんて言うと、伊川さんに怒られるかもな。
「私ね。前から『淡き今』って名前が何か意味ありげだから、どういう由来があるか色々と推理してたの」
──は……はあ、そうですか?……としか言えない。
さすがは推理マニア。
ただ、僕も疑問に思ったことはある。そこまで真剣に考えはしなかったけれど。
でもそれが伊川さんとなんの関連があるかわからないけど、『淡き今』の名前の由来には興味がある。
「色々と可能性を考えてたけど、今のやり取りで名前の由来がやっとわかったわ」
クラスのみんなも、シーンとして和久さんの挙動を見守ってる。
和久さんはきょとんとする田中の前を通り抜けて、黒板の前に立った。そしてチョークを握りしめ、カッカッカッ……と音を立てて、字を書き始める。
和久さんは、黒板に大きな字で『淡き今』と書いた。
そしてその漢字の下に、アルファベットで『awaki ima』と付け加える。
書き終えた和久さんは、おかっぱ頭をふわっと揺らして、くるっとみんなの方に振り向くと、笑顔でみんなに問いかける。
「さあ、これでわかったでしょ!?」
へっ? なに?
──いや、全然わかりませんけどーっ!
僕はそう思ったけど、もしかしてわからないのは自分だけかと思って、教室を見回した。全員がきょとんとして、シーンとしたままだ。やっぱり誰もわからないらしい。
仕方なく僕が代表するような形で、和久さんに質問する。
「あの……それがいったい、どうしたの?」
「だぁーかぁーらぁー」
和久さんは呆れたような口調で言いながら、黒板の『awaki ima』の文字を、丸めた拳でコンコンと叩いた。
「アルファベットを逆から読んでご覧なさいよ。簡単なアナグラムよね」
「ん? 逆から読む? えっと……あ、み……い、か、わ……伊川 亜美!?」
「まあ、そういうことね」
腰に両手を当てて仁王立ちする和久さんが、これ以上ないくらいのドヤ顔をしてる。
その唇からは、フッフッフっという不敵な笑いが漏れてる。
──マジ!?
マジでマジに伊川さんが『淡き今』!?
僕は思わず、椅子にちょこんと座ったままの伊川さんを見つめた。
彼女は僕の方を見てるけど、分厚いメガネのせいで表情はよくわからない。
「おい和久」
「──なによ、田中」
「お前のご大層な推理はわかった。だけどな、そんなことよりも、もっと簡単に伊川がそのユーチューバーだってことがわかる方法があるんだよ」
「な……なによ。私以上の頭脳を、田中が持ち合わせてるとでもいうの? バカのくせに」
なかなか和久さんはストレートに辛らつだ。
思わずプッと笑いが出た。
田中はちょっとむっとしたけど、あえて和久さんへは何も言い返さずに、すぐ横に座ってる伊川さんを見た。
田中はいったい──何をするつもりだ?
「こうすりゃ──いいんだよっ!」
田中は右手をさっと伸ばして、伊川さんの顔から分厚いレンズのメガネをさっと取り去った。何が起こったかすぐにはわからず、きょとんとした顔で座ったままの伊川さん。
クラスのみんなの視線に、突然伊川さんの素顔が晒された。
──シーン
まるでそんな音が聞こえそうな静寂が数秒流れたあと──
教室中はまるでお祭り騒ぎのようになった。男子も女子も歓声を上げまくる。
「えっ? マジか!? 伊川さん、めっちゃ可愛いじゃん!!」
「確かにあれでメイクをしたら、『淡き今』にそっくりだよ!」
「わーっ、亜美ちゃんって、すっごく可愛い!!」
「なにあれ? なにあれ? マジで『淡き今』じゃん!」
「もしそうでなくても、めちゃくちゃ可愛いから、俺はそれだけで惚れた!」
教室中から、どっと人波が伊川さんの周りに押し寄せる。
机の周りを大勢のクラスメイトに囲まれて、伊川さんは動けなくなってしまった。
僕のところからは、人と人の隙間から、微妙にしか伊川さんが見えない。
みんなは間近で伊川さんの顔を見て、ワーワー、キャーキャー歓声を上げてる。
そこに人並みを押し分けて、強引に新藤が伊川さんに近づく。
──これはチャンスだ。
僕は新藤の後ろについて、取り囲む人ごみの最前列まで辿り着いた。
呆然とする伊川さんと目が合った。
今回はメガネ越しなんかじゃない。ホントに間違いなく、伊川さんのその愛らしい瞳と目が合った。
伊川さんは僕の顔を見て、ようやく少しホッとしたような表情を浮かべてる。
僕も伊川さんの顔が近くで見れて、安堵の息を吐いた。
だけど横にいる新藤が、この後信じられないセリフを吐くのを僕は耳にした──
いよいよ次話で完結ですっ!!