【3】
その日の夜。僕は家に帰り着いてからも、ついつい顔からニヤニヤがこぼれるのを止めることができなかった。
──彼女かぁ……僕にもついに、彼女ができたんだなぁ……
そう思うと、だらしなく頬が緩んでしまう。
夕飯のときに母親にそれを指摘されて「何かあったの?」と訊かれた。
僕は平静を装って「何もないよ」って取り繕ったけど、心の中では……
──すっごく嬉しいことがありましてーっ!
って叫んでた。
幸せだ──
今僕は、もしかしたら世界中で一番幸せな男かもしれない。
まるで世界中のハッピーを集めて、それをパウダーにして僕に振りかけたような気分だ。
──ザ・ハッピーターン
でもそんなことは、恥ずかしくて母親に言えない。
居間にずっと居るとあまりのニヤつきで、両親に不審がられるだけだから、食事を終えた後は早めに自分の部屋に戻った。
部屋にはテレビはないし、いつもすることと言えばパソコンで小説を書いたり、ネットサーフィンをすることくらい。
いつものルーチンで、僕はノートパソコンの電源を入れた。
「あっ、そうだ……」
パソコンが立ち上がるのを見て、ふと思いつくことがあった。
ユーチューブの画面を開く。
僕はあるユーチューバーの大ファンだ。
いや、今日はあえて『大ファンだった』と言おうじゃないか、ムフフ。
それは僕と同じくらいの年の女の子で、魔法少女のコスプレをして、街中で面白いものを探して歩くという動画を配信している超人気ユーチューバー。
その名を──『淡き今』という。『あわき、いま』ちゃん。
やっている内容はハッキリ言って、大したことはない。
テレビ番組でもあるような、街中に点在するぱっと見て変なものや、不思議に思うものを見つけて、それを紹介するだけの番組。
だけどそれをやってる『淡き今』が、めちゃくちゃ可愛い。
魔法少女のコスプレがとっても似合っている。
ピンク色の髪をツインテールにして、大きな白いリボンを結んだ髪型。
腰のところがピンク色できゅっとしまった、フリルが付いた白いミニのワンピース。
フリルのついた白い靴下に、赤くてピカピカ光る靴。
そしてアニメの世界から飛び出てきたような、大げさで可愛らしい動作と話し方。
さらに顔は──小顔でくりっとした大きな目を、一層大きく見せる長いまつげとメイク。
小さな唇はピンクのルージュで彩られ、艶々としている。
表情も豊かで、そのはじけるような笑顔は、絶世の美少女と呼んでいいくらい可愛い。
ちょっととぼけたようなところとか、おっちょこちょいな彼女のキャラも相まって、大したことのないネタもめちゃくちゃ面白く見えるから不思議だ。
僕はこの『淡き今』ちゃんを半年ほど前にユーチューブで見つけて、いきなり衝撃を受けて、胸がきゅーんとした。
──とにかく可愛い。
この世にこんなに可愛い女の子がいるのかと二度見、三度見をしたくらいだ。
動画の再生回数も合計で軽く数百万回を超えていて、コメント欄には『淡き今』ちゃんを絶賛する言葉が山ほど溢れている。
僕も何度か『大ファンです!』と書き込んだことがある。
以前は──いや、今日の夕方までは、それほど大好きだった『淡き今』ちゃんだけど。
今日の夕方をもって、もちろん、伊川さんが僕の中でダントツのナンバーワンになった。
それこそ……『今』という時は、淡くて儚いものだ。
人の心は移ろいゆくものだ──ということを実感する。
うーん、僕って詩人。
いくら可愛くても、いくら絶世の美少女であっても、所詮は画面の中の人。
──手は届かない。
いや実は、『淡き今』ちゃんは、僕と同じ市内に住んでるんじゃないかって思ってる。動画に出てくる街が、隣の駅だったり市内最大の繁華街だったりすることが多いからだ。
でも、もしもそうであったとしても……超人気ユーチューバーの美少女と、僕がお近づきになれる可能性なんて、それこそゼロだ。だからやっぱり手は届かない
それに画面から見える明るい性格が、彼女の本当の姿だとは限らない。
それは虚構で、ホントの彼女はいけすかない、嫌なヤツかもしれないんだ。
だけど伊川さんは、僕が手を伸ばせば触れることができる。
普段の素の姿を見て、あの優しさと誠実さは本当の彼女の姿なんだと、確信することができる。
つまり──今日から僕は、虚構の世界の住人に恋をする必要なんて、これぽっちもなくなったってことだ。
だけど、今まで彼女にいい夢を見せてもらったお礼は、しなくちゃならない。
僕はユーチューブの『淡き今』チャンネルを開いて、メッセージを書き込んだ。
『今までありがとう』
──ただ、それだけのメッセージを。