【2】
こうして僕の人生初の告白は、玉砕を覚悟した直後に、薔薇色に彩られたものにうって変わった。
僕に、人生初の彼女ができたのだ。
これで『彼女いない歴イコール年齢』という不名誉な称号は返上された。
ただしまだ『彼女いる歴、一分』だ。
ここは慎重にことを運ばないと、あっという間に振られてしまう可能性もある。
──焦らずに伊川さんとの恋を温めていきたい。
ゆっくりと話をして、伊川さんのことをもっと知りたい。
僕のことも彼女にもっと知ってもらいたい。
そう思ってたら、伊川さんはすっとベンチから立ち上がった。
「じゃあ帰ろっか」
「えっ……?」
なんともあっさりとした彼女の言葉で、僕の告白成功の余韻は、ものの見事にかき消されてしまった。
でもまあそこは、焦らないようにしよう。
駅まで歩く間に、少しでも仲を深めよう。
そう考えて、趣味の話なんかをしながら駅まで、二人一緒に歩いた。
実は伊川さんもネットサーフィンは大好きで、ネット小説なんかも読むことがわかった。
これは嬉しい事実だ。
思わず心の中で『よっしゃ!』と叫んでガッツポーズする。
僕が「ネット小説書いてるんだ……」と言うと、「知ってる」って言われた。
「えっ? なんで知ってるの? 僕がネット小説書いてることは、親にも学校でも誰にも言ってないのに……」
「もしかして……桔梗丘君て……バカ?」
伊川さんは鼻からフフンと息を吐きながら、僕を見てるのか見てないのかよくわからない表情で呟いた。
──いきなりディスられた。
ディスられるなんてことは、学校の男友達からはしょっちゅうあるから、慣れてるはずだけど……さすがに大好きな伊川さんにそう言われると心がズキンと痛む。
「あっ……ごめん。そんなつもりで言ったんじゃない……」
僕の落ち込んだ顔を見て、伊川さんが慌てて僕の二の腕を両手で掴んで、申し訳なさそうに眉を八の字にしてる。
伊川さんのちっちゃな手でギュッと掴まれてる二の腕の感触が……なんとも言えず心地いい。
なんだか『付き合ってるカップル』だからこその距離感──って気がする。
「だってネット小説のペンネーム。桔梗丘 結弦って本名で載せてあるのを見かけたから……」
「あっ……」
確かに、間違いなく僕はバカだ。伊川さんの言うとおり、本名で小説を書いてる。こんな珍しい名前、すぐにわかるに違いないのに。
「ごめんね。親しみを込めて、バカって言ったつもりだったんだけど……傷ついたなら謝る」
伊川さんはやっぱり優しい。それに僕と距離を縮めようとしてくれてる気持ちがビシビシ伝わる。
──なんだか胸がきゅんとした。
さっきズキンと痛んだ心は、早くも完治した模様。
僕もコミュニケーションが苦手だからわかる。
さっきのはきっと、相手に良かれと思って言ったのに、言葉のチョイスが間違ってた──ってパターンだろ?
うんうん、わかるよわかる。
僕だって、それはしょっちゅうやってしまう。
「いや、全然。伊川さんがそうやって、親しみを込めてなんて言ってくれたら……めちゃくちゃ嬉しいよ」
「そっか……よかった。それに桔梗丘君の小説、結構好きだよ。面白い」
「えっ? ホントに……?」
「うん」
分厚いメガネが邪魔でイマイチわかりにくいけど……にこりと笑顔で答える伊川さんの顔を見て、僕は思った。
この笑顔のためなら、例え読者が彼女一人になったとしても、僕は小説を書き続けることができる。
伊川さんが面白いって言ってくれるモノを書くためなら、僕は悪魔にでもなれる。
あ……悪魔は大げさか。
もっともっと色んな話をしたかったけど──伊川さんの趣味なんかも訊いてみたかったけれども──時の流れというのは無情なもので、あっという間に駅に着いてしまった。
改札を抜けると、僕と伊川さんは反対方向なので、違うホームへの階段に行くためにここで別れないといけない。
僕は伊川さんとの別れが惜しくて、改札を抜けてすぐのところで立ち止まった。彼女も同じ心情なのか、足を止めて僕に向き合う。
「あのう……桔梗丘君……」
「な、なに……?」
「お願いがあるんだけど……」
伊川さんがちょっとうつむいて、言いにくそうにしてる。
彼女のお願いなら、どんなことでも受け入れる心の準備が、僕には既に整ってるよ。
例えそれが、僕に悪魔になれっていうことであっても。
──あ……だから悪魔は大げさか。
「なんでも言ってよ」
「あの……私達が付き合いだしたこと……しばらく学校では内緒にしてくれる?」
──がーん……
まるで頭の中で、除夜の鐘が鳴ったような気がした。
百八回ではなくて一回だけど……
やっぱり伊川さんにとって、僕なんかと付き合ってるってことは、他の人には隠しておきたい事実なんだ。
「あ……ああ、わかった……」
「あの……桔梗丘君? 誤解しないでほしいんだけど……他の人に知られるのが嫌なのは、誰にも邪魔されずに桔梗丘君との仲をゆっくりと深めたいからなの。わかってくれる?」
彼女は僕を気遣う言葉をかけてくれた。
その事実だけで、それが本音だろうと偽りだろうと、どっちでもいいという気になれる。
いつの日にか、彼女が胸を張って『桔梗丘君が私の彼氏です!』と言える日が来るように、僕はがんばるだけだ。
「うん、わかった。他の人に気づかれないようにするよ」
「うん。でも帰りはできるだけさり気なく時間を合わせて、一緒に帰ろうね」
そうだ。今までも偶然帰りが一緒になって、駅まで二人で歩いたことが何度かある。
それくらいなら、まさか地味な僕達が付き合ってるなんて思う人はいないだろう。
でも今までと違って、これからは『偶然帰りが一緒になったクラスメイト』ではない。
『一緒に帰ることを約束してる、付き合ってるカップル』なんだ。
僕はその事実だけで、言いようのない高揚感に包まれた。
「うん。伊川さん、これからよろしくお願いします」
「桔梗丘君。こちらこそ、よろしくお願いします」
僕がぴょこんと頭を下げると、伊川さんも同じようにぴょこんと頭を下げた。
そしてお互いに顔を上げたときに、目が合った……はずだ。
伊川さんの目は、分厚いレンズのメガネのせいで、よくわからないけど。
頬が緩んで笑顔を浮かべたことから考えても、きっと目が合ったんだと思う。
「じゃあまた月曜日にね、桔梗丘君」
「うん、また月曜日に、伊川さん」
明日明後日は土日で学校は休み。
休み明けの月曜日からは、僕達二人は、付き合ってるカップルとしての学校生活が始まるんだ。
僕はとっても幸せな気分で彼女と別れ、ホームへの階段を昇って行く。
ホームに上がった時には残念ながら、二人の間には両方の電車が停まってて、伊川さんの姿は見えなかった。
──だけど、いい。
焦る必要はない。
月曜日から毎日、一緒に帰るんだ。
毎日毎日、ゆっくりとちょっとずつ。
二人の仲を深めて行けばいいんだ。
その時は、僕はそんなふうにのんきに考えていた。
だってまさか……土日を挟んでの月曜日。
学校であんなことが起こるなんて、考えてもいなかったから──