5.西の国の無垢なる少女(オーバー・ザ・レイン)
まどろむ意識の彼方で、アリスは声を聞いていた。
若い男と若い女が、荒々しい調子で何か言い合っている。
まだ額は熱く脳も重い為、その意味内容は解りかねたが、どうやら自分の事で話しているらしい。音が自分の方に向けて発せられており、また断片的な会話の端々に、『少女』やら『人形』という単語が聞き取れたからだ。
それにしても彼らは誰で、何故そんな風に話しているのだろう。どちらの声も聞き覚えの無いものだ。尤も、聞き覚えのある声など、数人しかいないのだけれど。
興味惹かれたアリスは、二人の姿を見たいと思った。だが、まだまだ起き上がるのに休息は不十分であり、瞼を開ける力すら戻っていない。好奇心はあるけれどもそれ以上に抗えない困憊の前に、彼女は再び音も届かない闇の中へと浸って行く。
そうして気がつくと、アリスは天井を見つめていた。
見覚えのある自分の部屋のそれでは無い。
彼女は体を起こすと、辺りを見渡す。
余り大きくなく、家具も殆ど無い部屋だった。目に付くのは自分が寝ているベッドに箪笥とテーブル、二つの扉。片方が出入り口で、片方は洗面所に通じているのだろう。それからカーテンもレースも無く、澄み切った青空を映し出しているたった一つだけの窓。開かれたそれの向こう側には雨どころか雲一つ無い。当然且つ残念ながらあの二つの月も。
部屋はそんな空模様と同じ位に、整然としている。家財一切は綺麗に磨かれ、埃も汚れも無い。使い古された卓には花瓶が置かれ、活けられた赤い花が中で風に揺れている。背が余り高くなく、棚数も少ない箪笥の上には、一目で造った職人の腕が解る見事な置時計が休む事の無く秒針を動かしている。長針と短針が挿すのは丁度十二の数字がある所だ。そこから耳をすます事で聞こえて来る、コチコチという機構の音は、アリスの中で刻まれている律動と同じく正確で、自然と心地良い。
数は最低限生活出来るものであり、物自体最高の代物という訳では決してなかったが、全てが最適な状態にされている部屋。雑多な物で埋まった父の工房とは大違いだ。
そう観察していた彼女は、ふと自分の格好が、意識を失う前と違う事に気が付いた。
この黒いドレスでは無く、何時も身に付けている様な、袖が短く白いワンピースを着ている。丈は合っておらず聊か大きい。肩からそのままするっと脱げてしまいそうだ。恐らく自分をここに運んでくれた人のものだろうと彼女は推測する。多分、夢見心地の中で聞こえていた、あの男女の片割れのものだ、と。皹が入っていた右手にも包帯が巻かれている。
一体どんな人がしてくれたのか。
そう考えていると、ふいに出入り口と考えていた扉が開かれた。
「あら起きた様ですね。」
手にお盆を持って入って来たのは、肩程までの銀髪を揺らし、少し細長く青い瞳をした女性だった。多少の齟齬こそあれ、同性として育てられたアリスが一瞬見惚れてしまう程に綺麗な顔立ちをしており、肌着同然に薄いレースのワンピースが長身痩躯に良く合っている事もあって、古代ケルト辺りの女神を連想させる。今アリスが不恰好に着ている服も、本来は彼女のものに違いない。ただ一つ奇異な事は、その長く尖った耳だろう。容姿の秀逸さと合わせて、アリスは彼女がエルフである事を直ぐに察した。彼らを実際に見るのは初めてであったが、その存在については既に本で知っていたのだ。
「お早うございます、私はローラ。貴女の名前は?」
そうじっと見つめていたアリスに、微笑みながら彼女は名乗った。
容姿通りの声色だわ、と思いながら少女は質問に応える。
「……アリス……。」
「アリス……そう、アリスね。嗚呼、朝食を持って来たけれど、如何です?」
うんうんと頷きながら、ローラはお盆をテーブルの上に載せた。その上には、パンが二個にミルクを入れたコップが置かれている。エルフの女性からそれらに視線を動かしたアリスは、目を伏せながら申し訳成さそうに言った。
「……ええ、どうも……ぁ、と……ごめんなさい、食事は私、出来ないの……。」
「ああ、そうなのですか。まぁそうだと思いましたけれどね。」
それをローラは事も無げに流すと、彼女はベッドに近付き、その縁に座る。
必要無いと考えながらどうして持ってきたかしら、と訝しがるアリスは、ローラが服よりむき出しとなっていた自分の肩や腕、指の関節を見ている事に気が付いた。各部位を接続している小さな球体へと送られているその視線は、何処か暗い青を湛えている。
「……あの…何か……?」
「と、あは、ごめんなさいね、じっと見つめてしまって。」
訝しがってアリスが声を掛けると、ローラは明るく微笑み、その行為を詫びた。
「でも驚きましたよ、私の連れ合いが雨の中で倒れていた貴女を運んで来た時は。自動人形、ですね貴女。何年か前に雲院で開かれた万国博覧会の時、土壱人の誰だかがその発明を出展したという事で、ここでも話題になっていたらしいじゃないですか。でもまさかこんな所でその一つを見る事になるなんて、夢にも思っていませんでしたわ。何処から来たのですか? お家は、この辺りに?」
「……えぇ、まぁ……はい……場所は……そうですね、近く……。」
そのまま猛然と言葉を放つローラに、アリスは俯きながらしどろもどろに頷いて行く。
自動人形或いは義体人形、義体式自動人形。
確かに、アリスはそう呼ばれる存在であり、厳密には生き物で無い。その事は自分自身知る所だったが、こうしてまざまざと言われると、何故か余り良い気はしない。
「あら、迷子、という訳ですか。それは大変ですねぇ。」
そんなアリスの様子を、ローラは気の毒そうに受け止める。頬に手を当てて頷きながら。
「……。」
その反応によって、アリスはある事実へと思い至った。どうやらこの女性は、連れ合いが運んで来たという自分を快く思っていないらしい。声の調子や台詞回し、そしてその視線が、事情は知らないし可哀相だけれど早く何処かへ言ってくれないかしら、と伝えて来る。
あの口論は、私をここに入れた事が原因だったのだわ。
そう確信したアリスは、すっとベッドから起き上がると、ローラを見ながら唇を開いた。
「……あの……私を運んでくれた人は……。」
「彼でしたらちょっと出掛けていますね。それが何か?」
「……いえ……そろそろ出て行こうかと……お世話に、なりました……。」
「あら、こんなに早く? もっとゆっくりして行けばいいのに。」
さも残念そうにエルフの女性は言う。本心では逆の事を思っているだろうけれど。
アリスは、あの荒野でたった独り歩いていた時の感覚を思い出す。嫌われる理由が解らない分、頭脳を形作る歯車の軋みも、金属製の心臓の震えも一塩だ。
「……ありがとうございます、でも急ぎの用事があるので……。」
そうアリスは言って、頭を下げると、
「……あ、最後に一つ、良いですか……?」
「はい、何でしょう?」
「……私が着ていた服、ありますか……?」
「あぁ、あれですか? 濡れていたし汚れていたので、勝手と思いつつ、洗って外に出してありますよ。多分、もう乾いていると思いますけれど。」
ローラへと、一つのお願いを頼んだ。
「……着替えたいのですが……手伝ってくれませんか……一人じゃ、着られない、ので……。」
黒のドレスへと着替えたアリスは、ローラに別れを告げると、外へと出た。
当然ながら急ぎの用事など無い。自分を運んでくれたという彼……確かそう言っていた……には一目逢って、お礼を言いたかったけれど、あの空気にはとても耐えられない。
そう感情的に立ち去ってしまったけれど、しかし何処に行けばいいのだろう。
昨日散々悩んだ問題が、再び彼女の念頭に上がる。
戻る事も帰る事も出来ず、すがれるのは父が最後にくれたこのドレスだろうか。気休め程度ではあるけれども、この服ならワンピースよりか露出が少ない。二階のあの部屋から、一階にある酒場を抜ける時に受けた好奇の視線を考えるとやはり素性は隠した方がいいだろう。
顔だけなら大丈夫ばれてない……筈、よ。
無理矢理にそう合点しながら、アリスは下を向きつつ『負け犬達の巣窟』が面する大通りを歩いて行く。ただ人形かどうかとは別の意味によってその外見はすこぶる目立っており、道行く人々の視線を嫌が応も無く誘っていたのだが、自分の事で頭が一杯の彼女は、その事実に気付いていない。
そうして暫くの間、昨日の雨が嘘の様に乾き切った道を進んでいたアリスは、ふと立ち止まると首をぶんぶんと横に振るった。
悩んでいても仕方が無いわ。
一つの動作を持って思考を転換させた彼女は、顔を上げた。
考えてみれば、街へ来るのは初めてである。そもそも、つい一昨日までは工房と森の中から出た事が無かったのだ。見聞を広める為に、見て回るのも良いだろう。もしかしたら、その間に今後についての何か良い考えが浮かび上がる、かもしれないのだから。
アリスは精一杯前向きな方向へ頭を回転させると、周囲を観察しながら歩き出した。
道の両隣に並んでいる家々の間には、様々な商品を売っている店が建っている。
彼女には意味が無いが、普通の人間には必要不可欠の食料品店にレストラン。工房にあった様な道具類や、それ以外の数限りない品を取り扱う雑貨屋。
そして、でっぷりとしたお肉と、胸に星のバッジをつけた大男が扉の前で安楽椅子に座り、心地良さそうに居眠りしている事務所。確かあのバッジをつけた人は街の治安を守る保安官の筈だけれどあんな所で眠っていて良いのかとアリスは思った。ただ思うだけで何もせずに、その横を通って行く。それだけこの街が平穏だという事だろう。良い事だ。
町並みはまだまだ続き、店々もそれに連なって行く。
伸びない彼女は勿論、最初から無い父カーシィも同様に不要、だと思う床屋。隣に馬車を止め、アリス一人が丸々入ってしまいそうな袋を背負い込んだ男が入ろうとしているのは、きっと郵便局だ。とすると、屋根伝いに電線が伸びたあそこは、電信局に違いない。
それから、一際大きく、頂上に十字架を掲げているあの建物は、教会と言うものだろう。神が住まう家、だそうだが、アリスはそもそも神とは何か良く解っていない。聖書に関しては旧約も新約も読んだには読んだのだが、全知全能なる者やら天の主やらを想像するのは酷く困難で、存在を信じていないという父は説明を乞うても答えてくれないのだ。死の感覚にも似た、難解極まりない問題で、その事を考えるだけで頭の歯車が悲鳴を上げる。
その様にアリスは、観察へと没入する事で、何時しか不安を忘れていた。
このベイツタウンを歩くのは酷く愉しい事だった。新たな物を実際に見る度に、アリスの中で歯車が軽やかに噛み合い、心臓が踊る様に脈打つ。知識を得る事は彼女にとってある種の食事の様なものであり、またこの街は未知の宝庫だった。
ちょっとした不思議の国、ね。地下の国と呼ぶには明る過ぎるけれど。
同名のあの少女になった気分で、アリスは歩を進ませて行く。
その道は、物語で描かれていた世界とは大分違うが、そんなものは考え方次第だ。
そうして十字路にやって来た時、彼女はふと脚を止めた。
角になった通りの端で、一軒の洋服屋が建っている。薄暗くて良く見えないが、扉の向こうでは紳士用、婦人用の服がハンガーに掛けられているのが解る。レディメイドではあるが、粗悪な出来という訳でも無い。更にショーウィンドウでは、人目を引く様配置された幾つかのドレスが、胸元やスカートにつけられた服飾を陽光に輝かせている。
その煌びやかさにうっそりと見とれたアリスは、硝子に映る自分の姿に気が付いた。
自分が着ているものと、店の中にあるものらと出来不出来を比べれば、彼女の方が間違いなく上である。フリルもレースも惜しげもなく使われて繕われたこのドレスは、ちょっとした社交界に出ても何ら遜色あるまい。
ただ一つ、けちを付ける所があるとすれば、その色が黒である事だ。硝子の向こうで揺れる事無く佇むドレスは、赤に青に黄色と、ちょっと派手過ぎる位の色彩を誇っている。
それらと見比べている己の服を父が喪服と呼んだ事を、今更ながらアリスは思い出した。
一晩立った今、改めて考えても、やはりその意図は把握出来ない。ただこうして比べると、この黒という色合いの暗さには哀しい気分になってしまう。そして窓に映る自分の白い肌が、その色に対してよく似合っている事へも。
外に出てからこれで三度目であるこの感情には、未だに慣れない。
多分、きっと、これからも。
そしてアリスはある違和感に気付いた。
足元を見ればそうでも無いけれど、そこから上は黒と白のコントラストだけで色彩が消えている。どんな時も頭にあった、ヘアバンドが無くなっていたのだ。
あそこに忘れてきたんだわ。
恐らくは着替えさせられた時に一緒に外されたのだろう。アリスはそう考え、取りに戻ろうか一瞬躊躇する。ローラと再び逢うのが少し怖かった。彼女自身というよりも、自分と再び逢った時の反応が。
けれどもあれは、目覚めた時からずっと付けている大事な物。無くてはならない物、だ。
ぐっと意を決し頷くと、アリスは元来た道を戻ろうと振り返る。
「ちょっとちょっとそこの貴女。」
丁度その時、出鼻をくじく様に洋服屋の扉が開いて中から一人の婦人が姿を現した。
妙齢の女性、ではあるけれど、先に見た保安官並の肉密度を持った人物だ。胸からお腹に掛けての膨らみは、郵便配達員が持っていた袋にも匹敵する。それをかなり頑張って包み込む服は、何と紫色。その色も造りも似合っていない事は言うまでも無い。
アリスは面食らって、思わず目を見開き、店の主らしきこの人物を見つめてしまった。もし目の前に居る女性が、金に意地汚くタダ見するだけの客に全く容赦しない性格から、街の住人より『金メッキのステファニー』と影で呼ばれている事実を知っていたなら、少女も今の様な愚行は犯さず、早々に立ち去った事だろう。
だが不幸な事に、それを知る由も時もアリスには無かったのである。
「さっきからずっと見ているみたいだけど、貴女これをお買いになられるつもり? だったらしっかりお金は持って来ているんでしょうね。そんじょそこらの品より遥かに高いから、額も気をつけないといけないけど、見ているならちゃぁんと持っている筈よね。」
実際の所、ステファニーがアリスの存在に気付いたのはついさっきなので、ずっと見ていたかどうかは知る訳が無かったのだが、お構い無しに彼女は捲くし立てる。一度思い込んだら梃子でもその意見を変えない重みもまた、この婦人の特徴だ。服飾を生業としている為、黒のドレスの造りからそれを着ている少女の身分も良い方向に勘繰ったかもしれないが、生憎と、ステファニーの中で彼女の価値は最初に見た時に既に決まってしまっていた。
そんな彼女に凄まじい剣幕に押されて俯きつつ、アリスは応える。
不幸とはしばしば連鎖的に起こるもので、
「……あの……お金、ありません……ちょっと、見ていただけです……。」
由も時も無い彼女は、ついでに金も持っておらず、良い言い回しも思い付かなかった。
「まぁ、まぁまぁ貴女、お金も持ってないのに私のお店の前に居たの? なんて非常識でしょう。私のお店に来たのにお金を持ってないなんて……嗚呼非常識にも程があるわ。」
それが許し難き大犯罪であるかの様に、額に手を乗せながらステファニーが嘆く。
まるで何処かの意地悪な継母みたい。
アリスはそう思い、それにいびられている自分の有様を、話の中で良く同じ境遇にあっている義娘のお姫様と重ねて慰めにしようとしたが、無駄な足掻きだった。
「お金が無いならお客じゃないわ、さぁさぁさっさと行って頂戴な。」
「……。」
一方的な物言いに屈すると、アリスは俯いたままに去った。
すっと店の方を見れば、名も知らぬ女性が胡散臭そうにこちらを睨んでいる。何か悪い事をした訳でも無い、筈なのにあんな態度を取られ、彼女の頭脳と心臓は重く沈んだ。
これでもう四度目。
森の外はこれ程に哀しい場所なのだろうか、とアリスは考えてしまう。もしそうだとしたら、ずっと工房に居た方が幸せだったかもしれない。ただ書物と伝聞だけで外の世界を見聞きしているだけの方が、余程楽しかった事だろう。
些細な幸福から瑣末な不幸への逆転、落下による反動はアリスにとって大きかった。
街の中で、往来にも人が沢山居るというのに、彼女は独り荒野を彷徨っている様だ。勿論ある意味間違いでは無い。頼るべき場所も人間も居ないのだから。
それでもどうにかしようと、気を取り付けてこれなのだから、やりきれない。ブルーな気分で街そのものが青く染まって見えた。まるでエメラルドの眼鏡を掛けた様に。或いは取って。
思えばケチの付け所は、ヘアバンドを忘れて来た事だ。もしかしたらあれには、インディアンの呪術でも込められて、何かお守りの効果があるのかもしれない。そう思ってみるアリスだったが、余り笑えなかった。今それを実際に付けてはいないのだから。
肩を落とし、一歩一歩脚を引きずる様に歩きながら、彼女は瞳を瞑った。
もしお守りならこれで眼を開けたら目の前に……無い、わね。
我ながら子供じみた発想だ。非科学的な、でもいい。ともあれ、大分参っている証拠だろう。
くすりと自嘲気味に笑いながら、アリスは瞳を開く。
その目の前で赤いリボンが揺れていた。
はっ、と一瞬思考が完全に停止する。思い込みすぎて幻覚でも見たか。そんなものがこの身で発生するだなんて、到底考えられない事ではあるけれど、正直他に取り様が無い。
しかしアリスがじっと見つめて数秒立ってもそれは消えなかった。
本物、という事である。
と、同時に、ヘアバンドを握る手の存在に意識が向けられた。
指の一つ一つが枝の様に細く長く、全体として大きな手だ。所どころ節くれ立ち、固くなっている肌の印象は、父の手の感じと告示している。
もしやお父様かしら。
幻覚よりも有り得ない……何故なら彼は今病気に掛かっていて、森からは出られない筈なのだから……仮定を立てつつ、アリスは手から腕、更にその上へと視線を動かした。
手と同じ様に細く、だが力強い筋肉が引き締まった腕は、アリス程では無いが白く、余り日に焼けていない。その付け根へと目線を移動させれば、この瞳程に黒く、薄汚れ擦り切れた外套が見える。そんな黒い壁を何処までも登れば、漸く顔が覗けた。
何処の国の出の人間か、いまいち判別が付かない青年が居る。顔立ちはインディアンに似ているといえば似ているけれど、彫りは深く無く色も白に近い。どちらかと言うと、昨日あったあの双子の中国人に近いだろう。真っ黒な帽子の下で、鳥の毛の様に生え茂る黒髪の色艶が東洋的なのだ。だが近いというだけであり、同じかというと、それもまた違う気がする。
正体不明の青年だったが、しかし見上げるアリスには一つ見覚えのあるものがある。
それは瞳の色だ。
蜥蜴や鳥の様な、少なくとも人間のものでは無い細く鋭い瞳孔を、光輪の如く取り囲む黄金の虹彩は、間違い無く昨夜の雨の中、意識を失う前に見たあの二つの月だった。
それが昼日中にあっても尚、優しげな光を称えながらアリスへと向けられている。
嗚呼そうか。この人が、私を助けてくれたのね。
黄金の瞳を見つめて、彼女はそう直感した。そしてその赤み薄く、透き通った唇は、自然とある一つの名を告げていた。まだ何も知らないけれどきっと素敵な彼への呼び名。
「……月、の人……。」