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23.許されし者

 アリスはケインとシドーの攻防から片時も眼を背ける事無く見つめていた。

 横から殴りつけられる様な衝撃に屋根にしがみ付き、それを切っ掛けに彼が押し返されようとしているその時も、彼女は真っ直ぐにその黒く大きな瞳を向けていたのである。

 アリスは、一度でも視線を逸らしては駄目だと考えていた。

 だってケインは、私の為に戦っているのだから。

 はためく髪の毛を押さえつつ、ひしと屋根にしがみ付きながら、彼女はそう思う。

 と、同時に、それだけでしかない自分が嫌になった。

 それは幾度も思った事で、前見たく数えたくも無いものだったが、兎角嫌だった。

 こうして見守る事しか出来ないだなんて。

 けれども、今のアリスに他の何が出来るかと言えば、何も無かった。

 彼女は弱い。一度故・ベイツを殴り飛ばせたのは、それが不意を付いたものだったからだ。現に、正面から迫った時は呆気無く倒されてしまった。その事実を、右手の甲に付いた皹が、何も護るものが無い片方の顔が雄弁に物語っている。

 それでも、アリスは想い、考えた。

 何か、本当に些細な事でいい。

 彼の役に立てる事は、彼の想いに応えるだけの行為は無いのだろうか。

 自身が抱く、この想いを、彼へと伝えるだけの行為は無いのだろうか、と。

 そう考え、考えて、そして思い至った。

 今あの人は、自分から離れて戦っている。背も向けているから見えていまい。

「……ケイン……。」

 だからこそ、彼女は呼んだのだ。

 彼の名前、二つ名でも異名でも家族名でも無い、彼一人を指す真の名前を。

 アリスの想いを乗せ、震える喉から放たれたそれは、しかし風の中へ消えて行く。

 これでは駄目だ、小さ過ぎる。

「……ケイン……っ。」

 再び彼女は言った。今度はもっと大きく、より意識を込めて。

 それでも、まだ彼の耳に届くには小さい。

 アリスはぐっと唇を噛んで悔しがったが、止めようとは考えなかった。

「……ケインっ……ケインっ……。」

 三度、四度、いやそれ以上に、彼の名前を呼び続ける。

 貴方を愛する者はここに居て、彼を想っているのだと、そう伝えるが為に。

 戦いの中、今にもこの列車より落とされそうな、危うい男への、小さな支えになるが為に。

 一つ声を上げると共に、それはより強まった。

 思いが唇から自身の耳へと放たれ、脳を震わす。

 そして、ぐっとその首を掴みながらに、アリスは遂に叫んだ。

 恐らくは機能の限界で、もしかしたら壊れてしまうかもしれない、だがそんな事構わないという意思と共に、その名は高々と、この西部の抜ける様な青空の下に轟いた。

「ケインっ。」

 

 その声は、この機関車に乗っている者全てに届く。

 銃声と剣音が気合と時折の怒声と共に頭上から聞こえてきて、何か良く解らないけれど、危

険な連中が戦っている事だけは……それも一人はあの大鴉(ネバーモア)なのだ……解っていた彼らは、身

を伏せてガクガクと震えていたけれど、突如聞こえた名前にぴたりとその震えを止めた。

 子供であれ大人であれ男性であれ女性であれ若者であれ老人であれペットであれ。

 その全てがふと我を取り戻して、一心にある事を考えていたのである。

 はて、今の声は何なのか、と。

 ただ考えても良く解らない。大鴉の本名がケインと呼ぶと知っている者は居たが、もうそんな事、本人を目撃した瞬間にすっかり忘れていたから、関連付けられもしなかった

 確かにその名を告げた、少女の凛とした声。

 それは不思議だったが、しかし不快ではなかった。

 そこには、どうしようも無く魂を震わす、真摯な想いが込められていたからである。


 そしてその声は、他ならぬ名前の持ち主へも届いており、それが、それこそが引鉄だった。


「あああああああああああああああああああああああああああああああああああああああっ。」

「っ、く、こいつっ。」

 怒号と呼ぶべき単音のみの咆哮を上げて、正しく怒涛の如く襲い掛かるケインに、シドーは、惑星の様に巨大で、熾烈な凄味を感じてしまい、思わずたじろいだ。

 何だこいつのこの圧倒的なスケールの違いはっ。

 一度は持ち直したシドーだったが、しかし彼の猛攻に再び押され始める。

 振り込まれる銃身が暴風ならば、撃ち放たれる弾丸は豪雷である。

 嵐そのものを相手取っている様な気分で、どうにか避け、防ぐシドーの頭は疑問詞で一杯だ。

 何が、何だというんだっ。

 ほんの数秒、その僅かの間に、この男はまた強く生まれ変わったっ。

 ただ名前を呼ばれただけ、たったそれだけの事で何故こうまでっ。

 彼には理解不能だった。ケインの全てが、悉くその範疇を超えていた。

 尤も、それも仕方あるまい。本当の意味で孤高を誇りに生きて来た男に、孤独の中で生きざるを得なかった男の苦悩と、名前を呼ばれるというその本当の意味など解る訳が無いのだ。

 シドーは、しかしその思考を停止させた。

 解らなければ、仕方が無いっ。

 そんなものは無視して、ただ斬り伏せればいいだけだっ。

 前にもして、次もするだろう事を、彼は今もする事にしたのである。

 幸いにも、こうして拮抗状態に戻されて尚、彼には依然装填不能という不利がある。

 弾丸が無限でない様に、体力もまたそうである事は、一度は勝利したから解っていた。

 倒せない不死の化け物では無いのだ、こいつはっ。

 そうやって、何時かは倒す事が出来る。何時か、何時かはっ。

 自身へそう言い聞かせながら、シドーは必死の思いで刀を振るっていた。もう彼には笑みを造っている余裕なんて無く、その意味では真に闘争へと集中していたと言えよう。

 だが、そんな受身になった時点で、彼の敗北は決した。

 幾度目かの衝突が起こった。

 手首のスナップを利かせて放たれる銃身に、受けんと動く刀身。

 同じ場所より舞い降りた両者が接触した、その刹那。

 銃口より轟音と閃光が迸り、衝撃に気付いた時には、既にシドーは無刀になっていた。

 視線の隅を日本刀が、あの世界最強の刀剣が音を立てて転がり、落ちて行く。

 もう手の届く事の無い、遥か彼方の荒野の何処かへと。

 今までと同じく、横から銃身を振り払ったケインは、だが一つだけ今までと違う事をした。

 それは、刀身が触れたその瞬間に引鉄を引いた事である。

 彼の頭脳は長期戦になる事の不利を理解し、彼の体はその為に最適な動作を行った。

 銃弾を放つ時、そこには反動が生まれる。

 弾が大きければ大きい程、火薬の量が多ければ多い程、より反動は強くなる。

 それは レイヴンクロウが持つ必要悪であった。

 通常の拳銃弾より遥かに巨大で、火薬量も多いその銃が持つ反動は、かなりの強さだろう。

 何度も打ち合っていて、眼に見えぬ疲労が蓄積されたシドーの腕から刀を弾く程には。

 ケインは、殆ど無意識の内にそれを利用した。

 必要無いもの。邪魔なもの。無ければ無いに越した事が無いもの。

 そんな反動を用いて、彼はシドーの魔剣を遂に退けたのである。

 既にその弾倉には、残り一発の弾丸しか残っていない。

 けれどもその一発は、されどの一発なのである。

 日本刀を弾き飛ばした衝撃のままに、ケインはぐるりと回転した。

 そうして再び正面を向くと共に、彼のレイヴンクロウはシドーへと狙いを定める。

 引鉄が引かれると共に、撃鉄が起き、最後の弾丸が放たれた。

 だが、戦闘において、最適な動作をしたのは、何もケインの体だけでは無かった。

「まだだ、まだ、」

 ダンと、列車そのものが揺れる程の脚力を持って、シドーは後方へと跳ぶと、

「まだ、俺は終わらんっ。」

 素手となったその両手を、胸の前で合わせたのである。

 今、その瞬間にも、心臓を抉らんとする弾丸を押し止めるべく。

 日本(ニホン)の剣術に、真剣白刃取りというものがある。互いに日本刀で戦い合うが為に生まれたそ

れは、放たれた刃を掌にて挟み、受け止めるという技で、それ自体かなりの技術が要るものだ。

 だが、面積という意味で刃を越える弾丸を受け止めるよりかは、余程楽に違いなく。

 それを現に行えたのは、シドーの卓越した力量と義体の性能、そして執念に他なるまい。

 ぐおぉ、と悲鳴を上げながら、衝撃を受けてシドーは列車の屋根を滑り下がって行く。

 その手からは、打ち合った時は比べようも無い程の火花が迸る。まだ弾丸は飛んでいる真っ最中で、命中率向上の為に刻まれたライフリングによる回転が生きているからだ。

 それも、このまま抑えられていては、いづれ止まってしまうだろう。

 シドーは、吹き飛ばされながらも安堵する。

 勝利だ。

 これを止めれば、相手もまた弾は無い。

 ならば、もう、何も恐れる事無く、殴り勝てば良いというものだ。

 そうして彼が笑みを浮かべる中で、その黒い瞳は見た。

 あの男が、こちらに向けて駆け寄って来る姿を。


 ケインは駆けた。駆け寄った。

 彼は、これが最後である事を良く理解していた。

 この一発を止められれば、もう後は無いのだという事を。

 故に、これで止めにしなくてはならないのだという事も。

 だからこそ、彼は屋根の上を疾走する。

 その為の枷となるもの悉くを、自らの身より離しながら。

 帽子を飛ばし、外套マントを脱ぎ、躊躇無くレイヴンクロウを放り捨てた。

 全ては風に流され、砂漠へと、呆気無い程簡単に消えて行く。

 傷付いた体を白日の下にしながら、彼は軽やかに脚を動かし続けた。

 そして飛ぶ。

 跳ぶ、などでは断じて無い。

 間違いなく、彼は飛んだ。

 頭上に輝ける太陽目指して、青く澄んだ空へと落ちる様に。


 そのケインの脳裏に、数多の記憶が呼び出されて行く。


 逝ってしまった人が居た。去ってしまった人が居た。

 彼を無視した者達。彼を害した者達。

 敵として出会い、殺し合った末に死なせてしまった奴ら。

 心は許せた、だが魂まではそう出来なかった人々。

 遠くもあり、近くもある、けれど過去と記憶になってしまった存在。


 彼らの全てが、淡い水彩画の如く視界をはためいて、雲となり、青空の彼方へ。

 

 そして、跳躍が最頂点に達した時、彼は反転する。

 その逆様の世界で、こちらをじっと見守る少女を見た。


 彼女こそ、願い、望んでいた者である。

 自らを受け入れ、許し、そして愛してくれる者。

 護らなければならない者であり、その想いに応えねばならない者。

 愛しい者だ。


 頭が完全に下を向き、やがて視界が元に戻って行く。

 そんな時に、彼は彼女の側に立つ者も見た。


 在りし日の、己自身の姿がそこに居た。

 彼は、自身と同じく空に脚を向けた姿勢で、手を伸ばしこう言う。

 もう、失っちゃ駄目だよ、と。

 それは音として聞こえるので無く、魂に直接響いてくる言葉だった。

 何故ならば、それは紛れも無い自分自身だから。

 今まで蔑ろにされ、自らしてきた、魂のもう一つの片割れ。


 俺は、そうだ、僕にもまた応えねばならないのだ。

 彼はぐっと視線を向けると、少年の自分へ深く頷いた。


 そうして完全に姿勢が元に戻れば、後はもう堕ちるだけである。

 あの敵目掛けて。倒すべき異国からの剣士目指して。

 彼と自分が、違うのだと証明する為に。

 そして、彼女と生きる為に。生き続ける為に。


 歯を噛み締めながら、ケインは両脚を曲げた。

 その体は、地球の重力に引かれて下へと向かい、蒸気機関の加速で、シドーへと近付く。

 二人の視線が交差し、体同士が触れ合う。

 その瞬間に、ケインは片脚を突き出した。

 全身全霊を込めた、渾身の、一世一代の飛び蹴りは、シドーの合掌へと吸い込まれ。

 貫通する様な鋭利な衝撃にその手が緩み、依然猛り狂う弾丸は解き放たれ。

 シドーの胸部へ猛然と飛来し、内部を駆け抜け、背中から飛び出した。

 がはっ、という呼気が、その老いた口元から放たれる。

 同時に、ぽっかりと開いた大穴から、無数の歯車や螺子などが弾け飛んだ。

 そのまま後ろへと吹っ飛び、何度も後転した果てに、シドーは列車にしがみ付いて止まる。

 ひゅぅひゅぅと、胸の風穴から呼吸されてきた空気が漏れていた。

 けれどそれをどうにかする心肺は塵と消えている。

 たんと、屋根に舞い戻ったケインは、片膝を付いてシドーを見た。彼はすっかり何も無くなった胸に手を当て、最初は憮然と、次には笑みを浮かべてから、皮肉げに言う。

「やぁ、れやれ……もう終わりか……もっと、愉しみたかった、んだがなぁ。」

 そんな風に弱々しく呟いてから、シドーはケインの方を見て、訝しそうに続ける。

「……お前は本当に解らん、ぞ兄弟……何故、涙を流すのだお前が。」

「……え?」

 言われてから、はっと彼は自身が泣いている事に気が付いた。

 音も無く、つぅと垂れて行くそれを擦っても、しかし後から後から流れて来る。

 彼は自身が、何故泣いているのか解らなかった。

 仕方が無く流すに任せながら、ケインはそのままで応えた。

「さぁ……何故だろう、な。」

 シドーは、やはり疑い深そうな表情をしてから、馬鹿め、と口にし、

「馬鹿、めが……勝った者が泣く、な……そこは、」

 高らかに笑う所だ、と、言おうとして、彼はゆっくりと仰向きに倒れて行く。

 支える力も者も無く、その体は列車から転がり落ち、やがて見えなくなった。

 存在そのものが騒々しかった男の静かな幕切れを、ケインはじっと見つめている。

 もしかしたら同じであったかもしれない、だが決定的に違った男の死を。

 そして、今だ垂れ続ける涙を風に流し続けながらに、彼はゆっくりと振り向いた。

 そこには、アリスが居て、こちらに微笑み掛けている。完璧な三日月の形をしたそれは、美しい彫刻の様で、天使の様で、いや、この世の何より変え難いものだった。

 嗚呼、終わったのか。

 ケインは改めてそう思った。

 これで、戦いは終わったのだな、と。

 彼はすっくと立ち上がった。

 もう敵は居ない。その代わり、もっと素晴らしき者が目の前に居るのだ。

 これの、何という幸福な事か。

 自らの心が感じている以上のものを、彼は今までの人生の中で始めて感じた。

 側へ寄ろうとした時、馬の嘶きが聞こえた。

 声の方に視線を向ければ、セレーネが居た。必死の形相で列車まで追い付いたという事など何処吹く風という様子で、こちらへと奔り寄って来る。

 元気な馬だな、とケインは苦笑いと共に肩をすくめた。

 そうして、満ち足りた気分のままに、彼は彼女の元へと歩み寄ったのである。

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