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18・まだ死ねるものか(ダイ・ハード)

 そして再び幕は上がり、光景が音と共にやって来た。


「おお、よしよし。また悪い子達にいじめられたのかね? ピーター。」


 そう言って、足元に縋りつく僕の頭を、ホリー・ウェイトリィは笑みと共に撫ぜる。

 彼女の手は暖かく、優しく、それ故に直ぐに僕はこれが夢である事を悟った。


「お前は何も悪くないんだよ、ブルース。ただちょっと、人と違う瞳をしているだけなんだよ。それにねハルク、そんなに早く大きくなるのはきっとばぁばの為なんだろうさ。ばぁばはもう直ぐ天国に行っちゃうから……だから直ぐに立派な大人になって、ばぁばを喜ばそうとしてくれているんだね。そんなに急ぐ事は無いのに、けどばぁばは嬉しいよクラーク。」


 生まれて一年も経っていないに関わらずそこいらの餓鬼と大差無かった僕を、幾度も名前を間違える程に呆けていたとはいえ、祖母は何の変哲も無い孫として扱ってくれた。

 そんな彼女は、僕が姿だけでも立派な大人になるより早く死んだのである。確か、まだ生後十ヶ月の位の事だったろう。そもそも、今のこの体はどう見ても児童のそれだった。

 これが夢以外の何だというんだ?


 そう考えた時、視界が回転木馬の如く周り、新たな光と音が映し出された。


「大方インディアンとでも寝たんだろうこの糞女っ。えぇ、さっさと白状したらどうだ。」

「私に問題があるっていうの? 勘弁してよ、問題はあんたの家系じゃない。見て解らなかった? あんたの母親のイカレっぷり。どっかおかしいのよあんたの血は、狂ってるんだわっ。」


 父と母……祖母と違って名前は忘れているから、本当に唯の父と母だ……の口論だった。狭く薄汚れた居間で、譲る事無く怒鳴り合っている。直ぐ側に本人が居て、じっとそれを見ているのに、二人とも全く抑えようとはしなかった。

 二人は、僕が生まれてからずっと、彼の事で喧嘩し続けていた。それは祖母が亡くなってからより激しくなり、口だけで無く手まで出される様になった。お互いに、だ。

 だからある意味、僕を捨てたのは良かったのかもしれない。

 それで諍いの原因は消えたのだから。


 額縁から絵が外され、破け、次の絵が差し込まれた。


 湿地帯にある無人の荒野だった。

 枯れ果てた木があるばかりで他には何も無い。動くものも、暗澹と垂れ込む雲だけだ。太陽の光も、その厚い雲の層によって遮られ、ろくに差す事が無い。聞こえてくる音も、吹き荒ぶ冷たい風の音か、耳音を飛び交う気味の悪い虫の羽音位だった。

 と、一つ正確では無かった。これを見ている僕が、その中に居るのだった。

 その地を踏み締め、歩いた感触は今でも覚えている。妙に湿っていて、裸足には凄く歩き難かった。何処まで行っても不毛で、不愉快な気分にされた。


 そうして絵の中を歩いている間に劇が始まる時間と相成った。

 もう時代も場所も定かでは無い、何時か何処かで体験した出来事の再演。


 都市。世界各地から集まった沢山の人々が、侮蔑か憐憫のどちらかを宿しながら、寄らず触れずただ眺めながらに通り過ぎて行く。時に物珍しさから近付く者も居るけれど、大抵はそれを売り物にしている商人達で、決して僕を見ている訳では無い。気になるのはこの黄金の瞳と、気が付けば成長している体だけだ。要するに、観賞用の玩具という訳なのだろう。


 田舎。無知が齎す列記とした害悪の対象であり、鋤と鍬を持った迷信深い農民達に、幾度も幾度も追い立てられた。連中はあらゆる災厄の原因が僕一人にあると思っているらしい。滑稽だ。何が滑稽かって、それから必死になって逃げ惑うこの僕自身に違いあるまい。立ち向かえば、多分勝てるだろうけれど、怖くてそんな事すら出来ないのだ。


 ただ時には逆の場合もある。この大陸に流布する彼のお方への信仰に仇を成す宗教の連中だ。それのご神体だか何だかにされた事は結構ある。厚遇といえば厚遇だが、邪教なんてものには興味は無かった。それに好まれる理由は、嫌われる理由と同じなのだ。やってられない。


 体と言えば、何処かの道を歩いている時、頭の悪そうな子供に馬糞を顔面目掛けて投げ付けられた事があって、余りに空腹を覚えていたから、思わずそれを舐めた事があった。

 苦かった。

 肉体的には耐える事が出来た飢えを、精神的にも克服したのは、確かそれ以来だ。

 克服した、というよりも、麻痺した、と言った方が良いのかもしれないが。


 食べる反対に、食べられた事も無くは無い。勿論直接的意味じゃなく、性趣向的な意味だ。彼方此方を放浪している小汚い浮浪少年でも良いと思える程飢えていて、また物好きな者は居る様だった。食べ物をくれると付いていって、倒され、その後で本当にくれてからは、どうしても腹が減った時なんかに代金代わりで自分から差し出す事もあった。

 ただ、別に好んだ訳じゃない。痛いし、気色は悪かった。


 最初に殺した相手は、その手の好みを持つ中でも酷く性質の悪い奴だった。暴力が好きで、相手を支配下に置かなくては気に済まないというタイプだ。誘われ、捕まり、愛玩動物として飼われそうになった時、隙を見てそいつの持っていた銃を奪い、撃ち殺した。

 頭に一発、それから体に残りを全部だ。

 拳銃は重く反動は強く、死体は汚く、僕は思いっきり吐いたものだ。勿体無い、と思って、吐瀉物を戻そうと一瞬したけれど、流石に止めておいた。


 それがまた始めて銃を撃った事でもあり、結構上手くやれるものだと思った僕は、そいつを常に手元に置いておく事にした。軽く指を引き絞るだけで、僕を嘲って来た奴らを黙らせられる。こんなに良いものは他に無いと、僕は本気で思ったものだ。


 そうして遂に西部へと来た俺は、銃によって身を立てる術を知った。賞金首と掲げられた者を撃てば、それに見合った賞金が貰える。何て良い仕事だろう。相手は生きている事を望まれていない連中なのだから、好き放題銃を撃てる。実に素晴らしいではないか。

 仮に失敗して自分が撃たれても、どうせ誰も構いはしないのだ。


 こうして始まる銃火劇は派手極まりなく、実に刺激的で、だがやっている事は単調だった。


 追っては撃ち、撃っては追う。時々は負ったりもするが、直ぐに治ってまた最初から。

 何人もの、名も知らぬ、顔もろくに覚えていない者達を殺した。

 生きる糧を得る為に、それよりももっと大事な、何かを充実させる為に。

 けれども決して満たされる事無く、時と屍が積み上がるだけだった。

 振り向けば、闇の中にそれらがうず高く聳えている。まるで山の様に。


 そんな中で、セレーヌと出逢った。

 ローラやジョンみたいな、少しは自分の悩みを晒せられる者とも出逢った。

 ある種の満足を、感じる事も出来た。


 だがそれでもやはり望みは遠く、想いは届かない。

 僕はそれをずっと抱いていた筈なのに、でも俺はもうその言葉すら忘れていて。

 気が付けば、周囲はケインを大鴉と呼んでいた。

 最早二度と逃れる事の出来ぬ死の象徴としていたのである。

 俺は嘆きつつも誇りはしたが、思い返せばそんなもの、昔から抱えていたものでもあった。

 結局、僕は俺になっても、根本的には何も変わってはいなかった訳だ。

 ただ悪い方へ、悪い方へとどんどん向かっていただけで。


 結論は結末で、そこに辿り着いた以上、後は終わりが訪れるのみだ。


 俺の上に、終幕の黒い布がゆっくりと降りてくる。

 舞台は閉ざされ、客席の俺は暗闇の中に残された。

 そこで考えるのは、今見たこの俺の人生数十年間分について。

 他愛も無ければ意味も無い、語ろうとしても直ぐに終わってしまいそうな内容。

 それに思いを馳せれば笑いたい気分にもなり、泣きたい気分にもなった。

 こんなものかと。所詮、こんなものなのかと。

 いっそ割り切ってしまおうか。

 高々と、誰も見ていない、聞いていない舞台に上って叫ぶのだ。

 僕が生きている事を心底望む人なんて、この広い世界の何処にだっていないのだと。

 だから俺は、そんな望まれぬ人間として、同じ様な人間を駆逐して行こうと。

 認めてしまおう。楽になりたければ。

 そうすれば誰もが幸せで、自分だって愉しいに違いないのだから。


「……違うわ……。」


 その時耳にした声は、遠くからの様にも、近くからの様にも聞こえた。

 顔を上げれば、灯された照明の下、客席の中央に、彼女の姿があった。

 アリス。

 そうだ、アリスだ。アリスがそこに居た。

 彼女は長く艶やかに腰程まで流れる髪の毛を揺らしながら、白いワンピースの下から伸び行く余りに白く、汚れ一つ無い人形の脚を動かして、跪いている俺の元へと遣って来た。

 それに合わせて照明が動き、一筋の閃光が濃密な闇を掻き消す。

 光の中でアリスは、俺の前にしゃがみこむと、そっと俺の頭を抱えた。

 そして伸ばされ、撫ぜる手の、何と心地良く、暖かな事だろう。


「……違うわ……違う……貴方は、」


 彼女は舌足らずな言葉で、けれどもはっきりとある言葉を告げる。

 それの、嗚呼、何と素晴らしき事か。

 夢である事は解かっている。そこには俺の、勝手な願望も混じっている筈だ。

 だが、それでも構わない。一向に、一向に構わない。

 夢であれ何であれ、俺の魂を癒し、許してくれる事に変わりは無いのだから。


 その時、ふつりと明かりが消え、アリスの姿も消えた。

 薄明かりも無い闇の中で、俺は叫び彼女の名前を呼んだ。

 返事は無かった。

 代わりに返って来たのは、白い敵の姿と声であった。


 砂地を踏み締め、虚空に煌く星々を背に、シドーは俺に囁いている。


「惜しかったな。だが、俺はあんたを気に入った。心臓は傷付けちゃいない、ほんの少しずれているから、ま、大丈夫だろ。止めは刺さないで置く。この人形は、連れて行くがミスタァベイツに手は出させない。だから、目覚めたら追って来いよ。連戦の疲れを癒した後で、誰に邪魔される事無く純粋に死合おうではないか……待っているぞ兄弟。」


 その様子を、俺と、僕は一緒に見つめていた。

 視線は離れ、高笑いを上げながら去って行く敵を見、連れて行かれるアリスを見た。

 最後に僕は俺を、俺は僕を見た。互いに頷き合うと、暗闇から僕が持って来たレイヴンクロウを、俺は握った。もしこの銃と、己の力に何かしらの意味があって、それが真に役立つ時があるのだとするならば、それは今だと、確信していた。

 そしてあいつに証明してやるのだ。

 自分は決して、お前と同じなんかでは無い、と。

 

 そして僕が、銃を握る俺の手に自らの手を添えた時、ケインははっと眼を覚ますのだった。

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