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17.決まらす男(ミスター・ホワイト)

「最高だっ。ここ暫くの間じゃぁ最高の見世物だったぞっ。」

 丁度真ん中辺りを軸にして、二つに崩れ落ちる馬車。

 馬が嘶きつつ手綱を解いて逃げ出して、今粉塵を上げるその間から一人の老人が姿を現した。

 東洋の島国が民族衣装たる白い着物(キモノ)と紺色の(ハカマ)にガンベルト、ブーツという異装。

 冷たい光沢を放つ機械の腕と垣間見える胴に、ベルトに差される白柄の日本刀。

 髪も髭も白く垂れ、肌も老いてしわばかりだが、唯一衰えず輝く黒い眼。

「人形一体連れ戻せなんてくだらん命令出しやがってむかついてた所だが、なかなかどうして愉しい死合いが出来そうじゃないか。そうだろう大鴉(ネバーモア)、そうだろう我が兄弟っ。」

 その姿形は正に奇異であり、口調と相俟ってこの場に全く似つかわしくない。

 異邦人の行き成りが登場に、一同は戸惑いの表情を浮かべて彼を見入った。

 特にケインの反応は顕著であった。

 彼は振り向くと、泣き腫らした眼を手で擦りつつ、半信半疑の視線を男へと送った。

 何故だ、何故奴がここに居るっ。

 それも、よりによってこんな時にっ。

 ローラはここまで来る間に、ちらりと見ただけだったが、彼は男の事を知っていたのだ。


 シドー・アサクラ。

 この男こそ、ケインがベイツタウンまで追って来た者に他ならない。

 彼は何年も祖国からこの国にやってきて以来、西部で暴れ回っていた賞金首だった。強そうな者に出逢えば、男だろうが女だろうが子供だろうが老人だろうが、誰彼構わず勝負を挑み、その腰に差した日本刀のみで戦い、全てを斬り伏せてきたのだという。

 そして一度誰だかに敗れた折に、可能な限りの肉体を戦闘用の義体にしたらしい。そうなってからますます屍は増えて行き、彼は幾つもの異名で呼ばれる事になった。

 例えば『白髪鬼(ホワイトヘアーデビル)』。例えば『薄刃上の快走者(ブレードランナー)』。例えば『カラクリ殺人機(キラーマシン)』。等々。

 どれもこれも彼の趣向や様相に噛み合った名だ。

 けれど一つ、外見からすればまず呼ばれるだろうに、決して呼ばれない名前がある。

 それは『(サムライ)』だった。

 シドーは、戦意旺盛な人間で、それ以外に何らの趣向を持たず、時に誰かに仕える事があっても、それはあくまでも次なる敵を求めてのものであり、かの日本の騎士が持つ忠義、武士道(ブシドー)は欠片も持ち合わせていなかった。恐らく在り方として最も近いのは、フリーランスの傭兵たる『浪人(ローニン)』だろうけれど、そんな言葉を知っている人間なんて、アメリカには数える程しか居るまい。ここ西部で言えばもっと居ないだろう。

 しかしながら名前などどうでもいい。

 重要なのは、兎にも角にもシドーが危険な男だという事である。


 だが、こいつがまさかベイツの配下になっているとは、一体誰が予測出来ただろう。

 ケインはそんな采配をした神を呪いたくなった。尤も、信じる神など居なかったが。

 だが、そんな僅かな間にも、シドーは動いていた。

「そぅら、それじゃさっさと俺とやろうぜ、兄弟、よっ。」

 砂塵を巻き上げる猛烈な勢いで義脚を動かし、彼は一気に近付く。

 その勢いがままに、シドーはケインへと前蹴りを叩き込んだ。

「……ケイン……っ。」

 アリスが叫ぶ中、彼の体はもんどりうって地面を滑って行く。

 何と力強い蹴りか。あの双子の腕っ節も決して弱くは無かったが、これはそれ以上だ。

「どうした兄弟。さっきまでの威勢はっ。」

「誰がっ。」

 木の幹に当たって漸く止まったケインは、更に踏み込んで来るシドーのブーツを同じくブーツで止めれば、逆に押し返し、その力を利用して立ち上がり気味に前蹴りを入れた。

 うぉ、という悲鳴を上げながら彼はかなりの勢いで下がって行く。

 けれど、ケインに手応えは余り無かった。

 敵は自ら後ろへと赴く事で衝撃を逸らしたのである。

 この男、出来るっ。

 「……誰が兄弟だ。」

 額から、今までとは別の意味に寄る汗が一筋垂れる中、内心の動揺を気取られまいと、彼は眼を細めてシドーを睨んだ。彼は、右手に掴んだ日本刀を肩に担ぐと、にしゃりと笑って、

「兄弟は兄弟だよ。さっきそこで寝ている連中を倒しただろ。あれを見てて思ったね、こいつは俺と同じだってな。だから……そらあれだ、戦いの神……そうそう、マーズの兄弟なのさ、俺達は。だったら、愉しまなくちゃいけねぇよ、戦いを。」

「……勝手に言っていろ。」

 そんな世迷言に付き合っていられないとばかりに、ケインはアリスの方へ寄った。心配そうに彼女が見つめる中で、側に落ちているレイヴンクロウを拾い上げると、頷き、笑って見せる。

 そしてそっとその頭を撫でると、ローラの所へ行く様に、肩をとんと押した。

 二、三歩揺らめいたアリスは、そこで立ち止まると振り返り、

「……気をつけて……。」

 そう呟き、ローラの側に立った。

 二人の乙女が並ぶのを見てからケインは無言で再び頷くと、弾倉に弾丸を込めた。全五発。ガンベルトに収められた弾丸は、そろそろ半分を切り、補給する必要があるが構うまい。この狂った男相手には、全ての弾を使う必要があるだろうから。無くなれば、ジョンの所へ行けばいい。それよりも、この場を切り抜ける事が大事だ。

 彼女を失う訳には行かないのだから。絶対に、だ。

 そうして、ケインはシドーと対峙する。

「もう知ってそうな感じだが一応名乗ろうか。俺ぁシドー・アサクラ。まぁお尋ね者だな。」

「ケインだ。ケイン・ウェイトリィ……賞金稼ぎなんてやっている……ただの、男だよ。」

 この一ヶ月余り、逢う事も無かった相手で、半ばもう諦めていた所だった。

 そんな中で出会うとは、運が良いのか悪いのか、彼には解らない。

 ただ、どうせならそのまま居なくなっておいて貰いたかったのは確かである。

 見る限り残りはこいつだけ、つまりこいつを倒してしまわなければならないのだ。

 その相手、シドーは、ただの、という言葉にかっかっと笑い声を上げると、

「さて、一時の迷いは済んだかね兄弟。これから素晴らしい死合い(デスマッチ)が始まるんだぜ。」

 すっと日本刀の白い柄に手を添え、右足を前にした構えを取る。

「そんなものよりも遥かに素晴らしいと、俺は思っているよ、彼女を。」

 用心鉄を軸にレイヴンクロウを廻してから、ケインもまたその銃口を向けた。

 三連戦目とは言え、まだまだ十二分に余力は残っている。

 行く、いや行こう。

 ローラと、そしてアリスの視線を感じながら、ケインは動いた。

 瞬時に狙いを取れば、引鉄を引き、弾丸を放つ。

 敵は構えたままで、びくとも動かない。そんなものは撃てと言っているのと同じだ。

 そうして轟音と共に閃光が上がり、大口径の弾丸が命中した。

 シドーの遥か後方の地面へと。

 自らが外した事に愕然としつつ、ケインは砂柱が立ち上って上がるのを見ていた。

 今の一射は、何の邪魔も無い正確なもので、普段ならば間違いなく当たる筈だった。

 それが何故?

「おいどうした。それで終わりか? 兄弟。」

 最初の構えはそのままにシドーが言う。

 その顔は、実に嫌味な笑みを称えていた。

「舐めるなっ。」

 先のは何かの間違いだ。次は必ず当てて見せる。

 ぎりっと奥歯を噛み締めつつ、ケインは再び引鉄を引いた。

 軌道は先程と同じ。何の抵抗も無ければ必ず当たるというもの。

 だが結果は同じだった。弾丸は当たる事無くシドーの背後を抜け、砂柱を上げる。

「……馬鹿な。」

 ごくりと唾を飲み込みつつ、ケインは撃った。撃ち続けた。

「はぁん、」

 だがまたしても同じ事が起こった。三発撃って、全てが見当違いの所へと飛んで行くのだ。

 硝煙の煙漂わす銃先を震わせ、その事実に驚くケインは、シドーの足元を見た。

 今まで目に留めていなかったが、何時の間にかブーツの下の砂に波紋が浮かんでいた。それもかなり激しいもので、中心は深く、周囲は高くなっている。

 まさか。

 ケインは、相手が何をしたのか理解した。

 至極簡単な事だ。避けたのである。

 ほんの僅か、ほんの僅か脚だけを滑らせ、体を移して。

 成る程、それならば自らも行う事が出来る。銃口を軌道を予測すれば、直進する弾丸は決して当たる事は無い。前にも言ったが、所詮は親指大の弾丸なのだから、ちょっと位置が変われば、容易く関係無い方向へと飛んで行くのだ。経験を積み、反射を鍛えた結果、ケインは、撃った後からでも反応し、避ける事が出来る様になっている。尤もそれには、全神経をそちらに集中させる位で無ければならないが。

 だが、出来るのと、されるのとでは訳が違い過ぎる。

 日本刀の遣い手という今だかつて戦った事が無い相手の攻撃など予測も付かない中、こちらの生半可な攻撃が通用しない事は、相応に不利な事態であった。

「その程度かい兄弟……まぁいいさ、今度は俺の番だなっ。」 

 そんな懸念を後押しする様に、シドーは右足で一歩踏み込んだ。

 たった一歩。

 だがそれだけで、彼我の距離は無くなった。

 ケインは既に、進みつつ左下方へと向けられた刃の射程内に納まっている。

 来るっ。

 弾丸を全て使い切った今、装填している暇は無い。

 彼はシドーに向けて銃身を振るった。

 十ポンドもの鉄の塊である。まともに当たれば一たまりも無い。

 それが奴の脳天を打ち砕くより早く、ケインの体を何かが通り過ぎた。

 ぶしゅりと、脇からその斜め上に掛けて赤い線が迸る。

 その振動で腕がぶれる中、ケインは既に日本刀を抜いて、振り終わったシドーの姿を見る。

 こちらの方が先に動いたにも関わらず、奴は速度で彼を凌駕していた。

 速過ぎる。

「流石土壱(ドイツ)の義体だなっ。こちらの思い通りに動く、最高だっ。」

 不味いと感じ、ケインは大地を蹴って後ろへと跳んだ。いや跳ぼうとする。

「それに比べてぇっ。」

 その時には既に次なる斬撃が奔っていた。

 手首を返して刃を向ければ、シドーの白刃がやや斜め上から下へと煌く。

 ケインは縦に一直線、左肩から右脇まで斬られた。

 常人を超える視力を持つ彼でも、斬撃の瞬間はおぼろげにしか捉えられていない。

 歪んだ十文字の傷口より真っ赤な血を噴出して尚、ケインは後ろへと下がった。

 どうにかして新たな弾を込めなければ。その為にも、一旦離れなければ。

 そうして後退する彼の背に、無情にも木の幹が当たる。

 シドーは彼から見て左、ケインから見て右側から、既に刀を振り上げようとする。

「そっちは随分と不便そうだな拳銃遣いよっ。」

 だが今度は咄嗟に反応出来た。

 高速の刃の軌道に合わせ、ケインは銃身を盾に身構える。

 一瞬の後、刀身と銃身が衝突、火花が散る。

 最高の素材、最高の技術を持って作られたシドーの刀であっても、レイヴンクロウを斬るのは不可能の様だ。ただ、かの銃も、分厚さを持って刀身を食い止めるのみで傷付ける事は出来ていない。どちらもこの星の外から来た鉱物を使用している事を思えば、当然の結果か。

 ともあれケインは、己が銃の力により、からくも刀身を受け止める事に成功した。

 だが、

「弾丸込めなきゃ何も出来ないんだからなっ。」

 その体がぐらりと揺らめく。

 受け止められて尚、止む事の無い力に、ケインは横へと押し遣られた。

「くっ。」

 抵抗し切れない事を察した彼は、自ら倒れ込み、力を受け流す。

 地面に向けて横這いに落ちるケインの眼前すれすれを、刃が通って行く。

 決して細くなど無い木を抜けながら。

 ケインが地面に到達するのと、音を立てて木が倒れて行くのはほぼ同時だった。

「だが弾切れ位でどうにかなる訳でも無いだろ、おいっ」

 シドーは刃の先を下へと向けると、柄の終わりに手を添えて倒れるケインへと突く。

 倒れたと思う間も無く、彼はごろんと横へ転がって行く。

 その横転する力を利用して一気に立ち上がった瞬間、シドーの刃が来た。

 今度は間に合わない。

 新たな刀傷を容赦無く刻まれ、ケインは呻いた。

「さぁっさぁっさぁっ、本当頼むぜ兄弟よぉっ。」

 それでもまだ留まる事無く、シドーは狂った笑いを上げて刀を振るい続けた。


 後は、もう、語る必要など無かった。


 一度傾き出した事態は、そう易々と元には戻らない。

 寧ろ時を増せば増す程、それは加速して行く。

 ケインは斬られた。避けられず、抵抗もろくに出来ぬ中、幾度も幾度も斬られた。

 正に滅多斬りである。

 いや違う。そんな受動的な、消極的な言い方は正確でない。

 シドーのそれは、最早そうとしか言い様の無い程の、鮮やかな滅多斬りだった。

 その果てにケインが生きており、人の形を欠いていなかったのは、単に体質的問題である。死なぬとまで言われた治癒の力が無ければ、とっくの昔に彼は粉微塵にされていただろう。

 詰まる所、この時点で既にもう今回の勝負は決したと言って良く、後はシドーが飽きるのが先か、ケインが遂に倒れるのが先か、というだけであった。


 切り刻まれ、他人の血だけでなく自分の血を持って赤く染まって行くケインの姿を、ローラは唖然とした様子で見つめていた。隣に居るアリスもまた同じ様に、目を見開いたまま、その視線と共に体を硬直させている。

 彼女達は、彼を手玉に取るシドーが信じられなかった。

 確かに、あのメンシャンとヤオシーの二人に対しても、ケインは苦戦を強いられた。だが、それとこれは、また違う。彼が双子相手に苦しんだのは、婉曲的な戦法を取られたからである。別の言い方をするならば、彼らの戦い方は姑息で、実直なケインとは相性が悪かった。言ってしまえばそれだけで、力量としては彼を上回っていた。だからこそ、一人ずつ片を付ける事で、ケインは勝利して見せたのである。

 けれどもシドーの戦い方は、もっとずっと直情的なものだった。やっている事と言えば単純で、踏み込み、斬り付けるのみである。だから別に、ケインにとっては苦手な相手では無い。にも関わらず追い詰められ、圧倒されているのは、彼我の実力差に開きがあるという事だ。

 あのケインが、大鴉が敗れる。

 ローラは彼と、そして彼に敗北を齎そうとしている者を見た。

 縦横無尽に刃を奔らせ、返り血を浴びる度に笑いを上げる老剣士は、まるで白い悪鬼の様。

 そんな想像に彼女はぶるりと身震いした後、幾度も振られる刀を見てはっとなった。

 このまま放っておいてはいけない。幾らケインでも、命が危うい。一度はその死に安寧すら感じ、恋に破れた事も解かっていたけれど、やはり見捨てておくなど出来なかった。

 ローラは周囲を見渡した。何か今、あれを止められるものがある筈だ、と。

 そしてそれは直ぐに見つかった。元来女の、それも肉体的に貧弱なエルフの細腕では扱えない様な代物だったが、幸い既に準備は整えられていたから力は必要無い。後は狙いを定め、引鉄を引く。それだけでいいのだ。そも、あの男相手に通用するかどうかは解らなかったが、だがやらない訳には行かないし、物は試しというものである。

 彼女はぐっと腹に力を入れつつ、自身でも驚く程大きな声で叫んだ。

「止まりなさいっ、そこまでですっ。」

 ん、と、頭上に掲げた日本刀を振り下ろそうとするシドー、その前で力無くうな垂れているケインが振り返り見たのは、矢の番ったボウガンを構えるローラだった。今は亡きリチャード・ザ・ホークアイから拝借したものである。頭を撃たれていた為、背のそれは無事だったのだ。

 その矢先を向け、シドーをきっと睨みつけながら、ローラはある約束について言う。それは本来もっと別の目的の為に交わされたものだったが、彼を助ける為なら構うまい。

「私は、貴方達に協力する折条件を出しているのですよ。彼を傷つけないと。もとい、もうどうしようも無い程甚振られていますが、けれど約束は約束。彼を死なす事だけは、」

「知らんねっ。」

 そんな必死の想いで言った言葉を、シドーは僅か一言で一蹴して見せた。

「なっ、」

「そいつはあんたとミスタァベイツとの約束だろ? 俺ゃ関係無いな。俺は、ただ人形を連れ戻せとしか言われて無い。つまり、それ以外は俺の自由な訳だ、何をしようと、な。それが俺とミスタァベイツとの取り決めでもある……勝手に言ってるんだなぁ妖婦。」

「こ、この糞野郎がっ。」

 自らの主人が決めた事を無為に帰し、己の欲望を貫かんとする男に、ローラは怒りも露に彼の顔面目掛けて矢を放った。反動が襲って来て、彼女は尻餅を付くが、放つ事は出来た。

 そして、腰に掛かる痛みを堪えてローラが視線を向けた先では、

「んんぅ……悪くない、悪くないがぁ、良くも無いな。」

 がきり、と矢の先端をガリガリと咬んでいるシドーの姿があった。どう見てもまだ生身の歯で受け止めたのだという事実が、彼女の脳へと到達するより早く、彼はガキリと矢を噛み砕く。中途半端な長さで二つに折れた鉄の棒が、ぽろりと地面に転げ落ちた。その刀を握っていない手が瞬時に伸び、ローラの首を掴み上げる。がっ、と、聊か女性らしくない悲鳴を彼女は喉から絞り上げるけれど、そんな事を気にしている余裕は無かった。歯を食い縛り、唇から涎を零しながら両手で掴んで、どうにか己の体を支える。

 その様子へ、シドーはにやにやという笑いを浮かべながらに言う。

「だが肝の据わった女だ……どんな風に据わっているか、是非とも見てぇ位ぇに。」

 鉄の右手に力が込められた。握り込んだ柄の先で、刃が銀と赤の薄明かりを煌かせる。己が何をされるのか察したローラは、ぶるぶると震えながらに彼を睨み、

「……止めろ……。」

 そこへケインが割って入った。

 彼の体は正しく満身創痍だった。黒い外套(マント)はボロボロになっており、己の血の所為で、水を被った様に体に張り付いている。呼吸は小さく乏しくて更に荒々しい、虫の息という状態だ。何とか立ち上がってはいるものの、傷自体はまだ治っていない様で、足元はおぼつかない。

 また彼の体からは熱蒸気が陽炎を伴ってゆらゆらと上っていた。恐らく、肉体が生きようと必死になっているのだろう。その為に体温が急激に上昇しているのだろうが、だがそれは、ケインの体がそこまで危険に晒されているという事実の裏返しでもある。

 もうまともに戦えるかどうかすら解らなかったが、彼はシドーを睨んだままに、レイヴンクロウを二つに折った。アリスの哀しげな視線を感じる中、一つずつ一つずつ弾を込めて行く。

「嗚呼何だ、まだ動けたのか、あんた。」

 興味がローラへと移っていたシドーはそちらに振り向き、獰猛に歯を剥き出して哂った。

「或いは、こいつの所為かい? こいつに危機が及んだからか?」

 そして唐突に左手を開くと、ローラを地面に落とす。地面に体を投げ出して、咳き込む彼女を尻目に、シドーはアリスの方へと視線を送った。

「だったら……こいつならどうかな? 下らん茶番だが、効果的かもしれん。」

「……ぁ……。」

 自らと同じ色の、だが決定的に何かが違う瞳を見て、彼女は震えた。

「そもそも、連れて来いとしか言われて無いからなぁ。達磨にしたって構わんだろ。」

 そう言ってシドーは、アリスの方へと一歩を刻む。

「止めろっ。」

 その瞬間、ケインは叫びと共に腰貯めに銃を構えると、シドー目掛けて引鉄を引いた。更に引いた状態を維持したままに開いた掌で撃鉄を払えば、立て続けに四発も撃ち放った。

 扇ぐかの様に掌を動かす事で間髪無い連射を行う、ファニングという銃技である。

 それは確かに素早く多くの弾丸を叩き込めるが、一気に来る反動の為に狙いがぶれてしまう諸刃の剣でもあった。しかもレイヴンクロウに使われているそれは、大口径強火薬の特性弾。

 ただでさえ凄まじい衝撃が四発分、折り重なり一つになって手首に襲い掛かり、当然の様に弾丸はシドー本人ではなく、全てその足元へと飛来した。

 既に弾の軌道を見切っていた彼は、身動ぎもせずに空しく弾が地面を抉るのを見ていた。

「むっ。」

 が、立ち上った砂柱が煙幕となってケインの姿を隠すを見、シドーは笑みを消した。

 今の射撃は囮。本命はこの後、砂の影から来る五発目の弾丸。

 なかなか考えるな、と構えはそのままに彼は次の攻撃が来るのを待った。どんな軌道を保とうと、瞬時に見切り、避けてみせると言わんばかりに、にしゃにしゃと笑みを浮かべて。

 そして、宙高く上がった砂が落ちようとする頃に、それが来た。

 だがそれは、シドーが予測していたものではなかった。

 来たのは弾丸などでは無く、ケイン自身であった。槍を突き出す様にレイヴンクロウを前に伸ばしながら、彼は猛然と駆け抜け、砂柱の中から飛び出した。

 それと共に、弾倉に残された最後の弾丸をシドーの胴目掛けて撃った。

 二人との距離は至近。

 如何に見切ろうと、最早避ける事は出来ない必中距離である。

「はっ、っはぁんっ。」

 だからシドーは避けずに斬った。

 上から下へ、高速で飛来する弾丸より速く振られた刀剣は、中空で触れると、激しい火花を放ちながらそれを二つに両断する。鉛の塊が鉄の線によって分かれて行く様子をはっきりと見て取ったケインの瞳は、飛び出さんばかりに見開かれた。

 そしてその視線は、即座に襲って来た胸への衝撃により、びたりと凍り付く。

 ケインは震えた。銃を突き出し、眼を開いたままで、震えた。何か、決定的な何かが、自らの身に齎された様な気がして、しかしそれを確かめる勇気がなかなか沸いて来ない。

 漸くにして、僅かながらに動かした眼が捉えたのは、己の左胸に突き刺さる日本刀だった。それは深々と根元まで刺さっており、背中から先端が突き出ているのを感じる。

 それを認識した突如、ケインの五感は急激にその機能を停止させ出した。

 視界がぼやけ、音が掠れて行き、血の臭いは飛んで、痛みも熱も何もかもが和らいで行く。

 気付いた時にはもう刃は抜かれていて、彼は地面にどうと倒れ込んでいた。

 皺と皹が混じる中、懐から取り出した古紙で日本刀を拭いているシドーが見える。口元に手を当て、驚愕の表情を浮かべるローラが見える。そして何事か叫びながら走り寄って来て、必死にしがみ付いてくるアリスの姿が見えた。

 嗚呼……いいな。

 次第に頭の回転が遅くなり、意識が薄らぐ中で、ケインはそんな、何処か見当違いな想いを浮かべつつ、アリスへと笑みを造った。それは傍目にはとても笑みには見えない様なものだったのだけれど、彼にとっては間違いなく笑顔だった。彼女は、今にも泣き出しそうな顔で首を横に振るうと、ケインの手を掴もうとした。

 その背後に、苛烈な笑みを称えながらにシドーが歩み寄る。

 アリスははっとして振り返ると、やはり何かは解らないが、何かを叫んだ。彼は、顎に手を当てて珍しくも真顔で思案した後、歯を剥き出した笑みを浮かべて頷いた。

 その顔がケインの耳元へと向けられ、シドーは何か囁くと、冷たく光る手でアリスを抱えた。

 ケインは思わず手を伸ばし、待てと叫んだ。待ってくれ、と。後生だから待ってくれ、と。

 けれどもそれは彼の気の所為であり、現実の彼は微動だもせず、倒れているだけだ。

 そして胸を反らせて笑いながら去って行くシドーと、名残惜しそうにこちらを見ているアリスの姿を最後にして、ケインの精神へ暗幕が降り立ち、彼は意識を完全に失くしたのだった。

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