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15.続・惨夜の七人と哀しきウンドーミエル

「これで本当に大鴉(ネバーモア)は出てくるんだろうな、エルフの姉ちゃんよ。」

 森の中に少し入った辺りで、右手に握った超長銃身のピースメーカーを天へと向けながら、水牛男(バッファローマン)ことフランク・ザ・ダブルホーン……その名前の由来となっている頭部の片角は見事に折られて包帯が巻かれているので、正確にはシングルホーンである……は、正に水牛(バッファロー)が呻く様な野太い声で、傍らに立つ銀髪長耳の美女ローラへと言った。

「はい、あの人の性格からすれば、必ず来るでしょうね。」

 ええ必ず、と続ける彼女の口振りは、自信たっぷりなものだった。己の言う事に、何ら間違いなど無い、とそう言わんばかりの顔である。

 本当かよ、とフランクは心の中で叫ぶも、実際に口には出さなかった。ここまで来る間の馬車の中で、色々とちょっかいを掛けたはいいが、悉くやり込められていたからである。

 それに実際の所、大鴉に出て貰わなくては困るのだ。

 フランク、そして共に遣って来た仲間達の目的は、彼らの主人であるベイツの元へあの自動人形を連れ戻す事であるが、あの何故か共に居る大鴉の存在が目障りで仕方が無く、そしてこの大鴉の愛人と名乗るエルフは、奴を呼び寄せる為の餌なのであった。

 邪魔な賞金稼ぎに危機に瀕しているローラを見せつけ、アリスと交換させる。

 云わば狂言の人質である。

 だが、それを持ち出したのは、他ならぬ彼女自身だった。

 その見返りは、大鴉に害を与えない事、である。成る程、無駄な流血を避けて通る事の出来る有効な手立てではあるが、何故そんな役を買って出たのかは、フランクには解らなかった。質問した所、手酷い言葉の刃で切り返されたから。

 しかしながら、そんな生易しい方法では、真っ昼間の大追跡の果てに取り逃がした屈辱、何よりも蹴り折られた片角の恨みを晴らす事など到底出来ない。大鴉が現れたらフランクは、人質(偽者だけれど)が居るのを良い事に、あの男を散々痛め付けてやる気持ちで一杯だった。姉ちゃんには悪いが、それ位やらねば、仮にも二丁拳銃の使い手として悪名を轟かせた事のある彼の気持ちは収まりそうに無い。

 ただ、一応殺しはしないつもりでいる。徹底的に殴り倒す位で終えてやれば、約束を守った事に成るだろ、とフランクは本気で思っていた。それに化け物と評されている噂が本当なら、その程度の事で死ぬ事も、まぁあるまい、と実に気楽な気持ちである。

 そんな使命と感情の二つの目的によって、大鴉の出現を待つフランクは、恐らく自らと同じ心境であろう六人の仲間達、金目当てにベイツの部下となるまでは悪行の限りを尽くして来た名うての無法者(アウトロー)達へとその眼を動かした。

 彼の近くに佇む大男、その見事に剃り上げられた頭から『ザ・エッグ』の名を持つラリーは、右腕より置き換えられた蒸気銃の整備に余念が無い。頭上から注がれる月光に禿頭を照らされながら、さっきからずっと微調整に当たっている。威力はともあれ速度に置いて無二の実力を誇る自慢の弾丸を大鴉は避けて見せたのだから、それも当然だろう。尤も、その頃のフランクは、『負け犬達の巣窟(レザボア・ドッグス)』の床で大の字になっていたのだけれど。

 ラリーの隣には、顔の無い仮面を付けた男、リアム・ザ・トレマーが、首を上に傾けて空を眺めている。鏡の様に磨き上げられた面を通して外が見えるのかどうかは解らないが、襤褸切

れ同然の布を下半身に纏っただけの青白い半裸と相俟り、かなり不気味だ。震え(トレマー)という名通り、

自らの体を扇動して地中を掘り進む事が出来る体質を持ち、その能力で強盗殺人を行っていたというらしいから奇怪な印象も一塩である。

 フランクはさも嫌そうな顔を浮かべてから視線を移すと、今度は、木の幹に体を持たせて互いの唇を奪い合いながら、自分達の世界を築いている男女の方を見た。

 リアムと打って変わってこの解り易い二人は、ブルース・ザ・レフトガンドレットと、ハル・ザ・ベリルキャットだ。それぞれ、左腕に成り代わった戦闘用の義腕と黄緑色の猫目へ由来する二つ名を持った彼らは、今の主人に雇い入れられる前から恋人同士だったらしい。相当長い間コンビを組み、機械の豪胆さと猫の俊敏さで悪さをしてきたのだという。

 お暑い事で、とフランクは嫌味な笑みを浮かべて二人の行為に見入る。猫の特性を持つ保因者(キャリアー)のハルと乳繰り合ってきた影響だろう、ブルースの土壱系らしい濃い顔は昔に比べて狼に似てきており、このまま行くと人狼(ヴェアヴォルフ)に成るのではと言われているが、当の本人は一向に構わない様で、寧ろ積極的に、恋人を右手で抱きかかえながら唇を交わしていた。

 久しく女を買っていないフランクは羨ましく思い、己の股間に熱い血が滾るのを感じた。けれど彼は黒人女など好みでなく、寧ろローラの方がタイプだった。事が済んだら一発ヤりたいもんだと、そのエルフに顔を向けると、彼の心を見抜いたのか、彼女は笑みで返す。ただ、眼は笑っておらず、手を出したら何をされるか解ったものでは無いので、フランクは首を竦めた。

「振られたみてぇだなぁ、フランクよ。」

 その様子を見て声を掛けて来た人物に、彼は心底嫌そうな顔をして言う。

「黙れよホースファッカー。悪趣味極まり無ぇお前に言われたか無いぜ。」

 実に不遜な名前で呼ばれた男は、何だと、とその前足の蹄を鳴らして唸った。

 彼の名前はガルシア。鍍岸黄(メキシコ)人であり、見ての通りのケンタウロスである。ただ、正確には、馬の下半身に変化出来るだけで普段は人型で居るのだから、少し違うかもしれない。

 その彼の武器は鉄の槍であり、全力を持って相手に突貫する戦法を得意とする為、ザ・ジュースティングという気取った二つ名で呼ばせているけれど、身内からはホースファッカーと呼ばれる事の方が多い。これは、性欲を持て余した果てに、自らの雌馬を犯した事があるという逸話から来ている。当人が酔った末にそう言っていたので間違いあるまい。今の体に変化出来る様になったのも、その時からだそうな。

 ただガルシア自身は、その名前を嫌っている様で、呼ぶと激怒する。それを知っていながら言い放ったフランクは、更に品の無い笑い声を高々と上げて見せた。

「てめぇ言わせておきゃいい気になりやがって、この片角野郎がっ。」

「あ? お前こそ何勝手な事抜かしてやがる、次言ったらぶっ殺して干し肉にしてやるぜ?」

「この片角野郎がっ。」

「干し肉にしてやるっ。」

 それに切れてガルシアの口から出た売り言葉に、フランクは買い言葉で返した。同時に向けられる鋭い穂先に、彼は両腕を交差させて、牛の角の様に拳銃を構える。

「くだらん事をしてるんじゃない、お前ら。一体何しにここまで来たつもりだ。」

 それを制したのは、この場の実質的リーダー格に当たる詠国人、リチャード・ザ・ホークアイだ。右目に白内障を患うまで、別の言い方をするならば、義眼の支給目的でベイツの元に付くまで、クロスボウ使いの暗殺者として、数多の要人を震え上がらせて来た男である為に、フランクもガルシアも頭が上がらなかった。灰色のインバネスコートが懐に納まっている弓矢に狙われては、たまったものでは無い。双方、どちらとも無く獲物を戻した。

 リチャードはふんと鼻を鳴らして、その服の色にも似た口髭を揺らした。その様子を見ていたブルースとハルも抱き合いながらにけらけらと声を上げ、ラリーもまたにやりと笑みを浮かべる。あのリアムですら、仮面の下笑った様な気配をさせる。更には続き、演技とは言え彼に拳銃を向けられているローラが、クスクスと笑みを浮かべた。

「まぁまぁ、仲の宜しい事ですわね。」

 くだらん冗談を言うんじゃないと、フランクは拗ねた様に、彼女から眼を逸らした。

 その視線の先、森の奥から、奔って来る黒い影が見える。

 夜闇の中でもはっきり見えるその黄金の双眸は、間違いなく大鴉であった。


「ローラっ?」

 こちらがあちらに気付いた様に、大鴉も直ぐに人質の姿を認めた。

 右手に握っていた偉くでかい拳銃の銃口が、目にも止まらぬ速さでリチャードへと向けられ、

「動くな大鴉。その位置で止まるんだっ。」

 彼が持つ拳銃が、こつんとローラのこめかみに当てられたのを見て、停止した。

「お願い貴方、そこで止まって頂戴なっ。」

 そう叫ぶ彼女の声色は、表情含め正に命の危機に晒されている女性そのものだ。流石の大鴉も、まさか愛人が謀っているとは気付けない様で、一同から二十インチは離れた所で停止する。

 よくやるよ全く。

 内情を知っているフランクは、ローラの演技に舌を巻いた。同時に毀れ出そうになる笑いを必死で堪えようと歯を食い縛りながら、他の者達と一緒に動向を伺う。万が一という事もあって、各々獲物を抜いておいていた。

「我々はこの通り、貴様の妾を手元に置いてある。生きるも死ぬも、我々の采配次第だ。」

 大鴉の視線を真っ向から受けつつ、リチャードは引鉄に指を掛けて大鴉へと叫んだ。ひっ、という小さな悲鳴がローラの喉の奥より毀れ、止めろという返答が彼の者より放たれる。

「殺すつもりは無い。我々は、ただ我らの主人が不当に奪われた資産を取り戻したいだけだ。これは、貴様が人形を奪ったから打って出ただけの事。大人しく、あれをベイツ氏に返すというのであれば、こちらも同じ様に、このエルフを貴様の所へ返そう。」

「……。」

「これは実に公平な取引だ。そうは思わないか、大鴉。」

 リチャードの低く穏やかな、それでいて立派な脅迫の言葉に、大鴉は暫し相手を睨んだままでいた。そうしてちらりと、その視線をローラの方へと送る。真剣に怯えた様に見える彼女の表情に、ぐっと眉間に皺を寄せて、彼は言った。

「……いいだろう解った。その取引に応じる。」

「良い考えだな……が、言葉だけでは駄目だ。まずは貴様の銃をここに置いてゆけ。」

 それに応えて、リチャードはそう返す。

 大鴉はゆっくり頷くと、拳銃を手から離した。地面に付いたそれは、鈍い音と共にずんと小さくも確かな砂煙を舞い上げる。

 そうして彼は、何も無くなった両手のひらを星空目掛けて上げた。

 フランクはひゅぅと口笛を鳴らす。こんなに簡単に事が運ばれるとは、思っていなかったのである。聊か拍子抜けしてしまった程だ。勿論そうなる様に彼女を連れてきたのであるが。

 まぁ何にせよ構わない、これから俺の復讐が時の始まりだぜ、と彼が心浮かれていた時、徐に大鴉は言った。相手を値踏みする様な、ねっとりとした声で。

「所で……置くだけでいいのか? ここに置くだけ、それだけで?」

 その妙な言い回しに、ローラ含め一同怪訝な顔を浮かべる。この男、突然何を言い出したのか、と皆が皆、真意を測りかねていた。

「あぁ何、一つの老婆心だ……このレイヴンクロウ、と、その銃の名前なんだが……そいつが俺の近くにあっていいのか、と聞いているんだ。こんな、屈めば直ぐに拾える近くに?」

「……わざわざ言う辺りが気に食わんが、そうだな、そいつをここまで蹴って寄越すんだ。」

 続いて出た言葉に、漸く合点がいったリチャードが、くいっと首を動かして言う。それでもフランクはまだその心を読みかねていた。何故自分から不利になる様な事を言うんだこいつ。

 大鴉はそのリチャードの言葉に、半身になって疑う様な目付きのままに問い返した。

「本当に、蹴って寄越せばいいのか?」

「そうだ、蹴って寄越せ。俺らの方には一歩たりとも近づくんじゃないぞ。」

 何とも人を木馬鹿にした言い方に、彼はむっと顔を苛つかせて応える。こちらの思惑通り順調に事態が運んでいるというのに何故くだらない事で邪魔をするのか、という顔付きだ。

 だが大鴉の台詞はそれで終わりではなかった。

「嗚呼解った……いや、もう一度だけ聞こう。『蹴って寄越す』それでいいんだな?」

「くどいぞっ、時間を取らせて油断を誘うつもりなら、全く持って無駄な足掻きだっ。いいからさっさとその無駄にでかくて黒くて太い奴を寄越すんだ、蹴ってっ。」

 余りに冗長な言葉の連続に、とうとうリチャードが怒声を上げて、その銃口を大鴉の方へと向けた。普段冷静沈着な彼にしては、実に似つかわしくない言動である。

 それとは反対に、大鴉は甚く平静な態度で頷いた。そうして僅かに右足を曲げると、

「そうか解った……こうすればいいのだなっ。」

 地面ごと、その拳銃を力任せに蹴り上げた。

 衝撃で砂が彼の身長程にまで上がり、カーテンの様に彼の前方を覆う。

 そして拳銃は、重々しい外観からは想像も付かない程軽やかに中空へと舞い上がり、何が起きているのか解らないという顔を浮かべているリチャード達の前で、大鴉の右手に収まった。

 砂柱が静まり、彼の姿が鮮明になると同時に、大鴉はその引鉄を絞る。

 砲声と聞き間違わんばかりの銃声が、烈日の如き一瞬の閃光と共に轟いた。

 その後に僅かばかりだが確かな静寂が訪れ、

「……え?」

 ぴしゃりと降り掛かった真っ赤な血飛沫に呆然とするローラの声で破られた。

 彼女がばっと振り返ると、そこには顔の上から半分を吹っ飛ばされ、仰向けに倒れ込もうとしているリチャード、だったものの姿が垣間見えた。

 何が起きたのかは明白である。

「てめぇ何しやがるんだっ。」

 行き成りの反撃へ、一番に反応したのはフランクだった。

 彼は、他の連中よりも早く、雄叫びを上げつつ拳銃二丁の銃口を向ける。

 だが、その時既に敵は懐へと飛び込んでいた。

 黒い影がその視界の下方を過ぎり、突き出された腕と腕の間に割り込む。

 そこに見開かれ、煌く黄金の眼と眼が合った瞬間、フランクは横合いから鋭い衝撃を受けた。

 十分な助走より放たれた廻し蹴りを、左頭部にもろに喰らったのである。

 尤も、受けた本人は、何をされたか解っていなかった。

 ただ激痛が脳天を駆け抜け、残っていた唯一の角が音を立てて折れる感触を味わっていた。

 そうして壁に衝突したと錯覚する様に、フランク・ザ・シングルホーン改めノーホーンは、大地へと倒れると、最後に一つの思考を浮かべながら、その意識を失った。

 こんなので終わりなんてありかよっ、と。


 残された五人は、凍り付いた様に固まっていた。予期せぬ攻撃に応じようとした矢先に、あっという間に一人倒された驚きが、彼らの肉体と頭脳を麻痺させたのである。

 だが、それも直ぐに飛んだ。

 円弧を描きつつ、蹴り上げた脚を着地させた大鴉。

 その龍に似た黄金の瞳を見て、彼らは悟ったのである。

 何故この男が、蜥蜴の瞳に漆黒の頭髪という強い身体的特徴を持つにも関わらずその名で呼ばれないで、ただあの不吉な異名で呼ばれ続けているのか、を。

 こいつは正真正銘の化け物だ。

 人質なんて生易しい方法でどうにかなる相手ではない。

 それを我々は、どうしようも無い程に追い込んでしまった。

 遮二無二暴れて抵抗しなければ、リチャード達の二の舞になる。

 彼らはそんな本能的恐怖に動かされ、恐るべき噂が真実たる事を証明した大鴉へと殺到した。


 違う。

 銀の長髪と白のドレスを朱に染めながら、ローラはへたり込んだ。

 これは違う。

 頬を手で拭い、掌にべっとりとついた血を見て、ぶるぶると戦慄く。

 こんなのは違う、と。

 彼女は、自らが人質になる事で、ケインを取り戻すと共に、彼を測ろうともしていた。

 もし彼が自らの姿を見て素直に反抗を止め、アリスを差し出すというのなら、それでいい。後は一緒に街へと帰って、末永く幸せに過ごすまでである。

だが仮に、そうで無くとも、それはそれで良かった。薄情にも自らを捨てて行くというならば、所詮その程度の男だったという事で諦めも尽くし、その後で今までに味わった、本人は解ってもいない様な苦渋のお返しをする事が出来るのだから。勿論、彼の性格を考えるならば、この後者はありえないと思っていたのだけれど。

つまり情愛の試練だ。どちらにせよ、ケインにはただで済まない。

 しかし、彼はそのどちらでも無い事をした。

 順応に従ったつもりで、その実猛然と襲い掛かったのである。

 それだけならいい。それだけなら、彼の気持ちの表れと解釈出来る。

 だが、何だというのだ、あの容赦の無さは。

 ローラは、ここまで来る間にあのベイツの仲間達と少しばかりだが会話をしていた。

 コミュニケーションの取り様の無いリアムに、ずっと昼寝していた白髪の東洋人以外は、皆悪党なりに悪くは無い者達だった。要は『負け犬(レザボア)』に集まる連中と程度は同じであったのだ。

 リチャードはあれでなかなかに紳士的だったし、フランクは下品な冗句と幼稚な性格で、行きの退屈な時間の良き相手になってくれていた。

 その二人が、あっという間に倒された。

 フランクはまだ息がある様だが、リチャードはまず無理であろう。

 そうして今この時にも、馬車と共に奔っていたガルシアとかいうケンタウロスが倒された。突撃した所を横から組み付かれ、馬の胴体に馬鹿でかい風穴を開けられたのである。

 馬固有の長い腸がパスタの様に吹き飛び、びちゃびちゃという嫌な音と共に地面へと堕ちる様を見て、ローラは込みあがった吐き気をごくりと飲み干した。

 そこに居る彼は、酒場二階の彼女の部屋に居る時の彼とは、全く別の生き物だった。

 勿論ローラとて、彼にまつわる噂は知っているし、腕が立つという事も十二分に解っている。何時か酔っ払いに絡まれた彼女を、彼は素手で救ってくれたから。

 でも、それとこれとは、次元が違い過ぎた。

 幼稚で、子供っぽい彼がその本質だと思っていただけに、ローラの衝撃は大きかった。


 だがケインには、次元の違いだとか何だとかいう感覚は更々無かった。

 寧ろ彼は、今目の前に居る敵を倒す事に精神も肉体も精一杯であったのである。

 仮にも自らの娘と称している者を、ぞんざいに扱ったカーシィへ、ケインは良い感情を抱かなかった。それと共に、アリスを護りたいと思う感情が強まった矢先に、目の前にローラが現れたのである。敵に捕らえられた、危うい状態で。

 彼女は、彼にとっては心許せる、稀な存在である事に変わりない。

 それを簡単に、見捨てられる訳が無かった。

 だが、その事はアリスとて同じである。

 二つを天秤に掛けて、どちらを取る事も出来かねるケインが取った方法は、天秤自体を壊す事だった。アリスを護り且つローラをも救うという道を取ったのである。

 その為の脅威を最優先で排除する。

 彼の意思は強い衝動を生み、精神はその一点へと集中した。

殊、戦闘においてそうである彼の近視眼的思考は、この場において極まったのである。

それは相手の実力が解っているだけに、尚の事ケインの視野を狭めた。

フランクを一射で無く、一蹴したのも、装填する暇が無いと即座に判断した為である。レイヴンクロウの装弾数は五発で既に一発撃っていたから、なるべく弾は使いたくなかった。

 こうして彼は、その意思に従って瞬く間に三人を屠ったのだった。

 

 ガルシアが慣性に促されて暫く走り貫け、滑りつつ倒れ行く中、残りの四人は己の獲物を、かつての味方に組み付いている大鴉目掛けて殆ど我武者羅に撃ちまくった。ナイフ付き拳銃、短散弾銃(ホグズレッグ)が火を上げ、蒸気銃が猛煙を噴く中、彼は馬体を盾に連射を防ぐ。

 更に血飛沫と砂煙が立ち上る中、装填の一瞬の隙をついて大鴉は木の蔭へと走った。

 漸くに弾を入れ終えたラリー、ブルース、ハルが一斉射撃を放つも、当たるのは幹か地面だ。

 それら遮蔽物を上手く使いながら、黒い影が彼らの周囲をすり抜けて行く。

 その黄金の瞳だけが、微塵も動く事無く敵のみを見据えている。

 抑えがたい原始の恐怖が体を貫き、ブルースが止めるのにも関わらず、ハルが踏み出した。

 猫の様な、しかし決して可愛くは無い甲高い悲鳴を上げながら、銃身下の刃を煌めかせて。

 それを見て大鴉は、大地に蹴りを打ち込んで停止。

 両手で漆黒の大拳銃が柄を握り込み、絶滅必死の一撃を放とうとする。

 が、その二人が交差するよりも早くに、動く者があった。

 地面に先行していたリアムが突如としてその足元から踊り出て、体ごと腕を抱え込んだのだ。 そうしてあの常人離れした腕力を持って、大鴉を引きずり込もうとする。多くの者がその青白く細長い腕に掴まれ、命を落としたのだ。

 だが、今の大鴉に、その程度の拘束など何の意味も無い。

 まるで児童にじゃれつかれてでもいる様な無関心さで、無造作にハルへと狙いを定めた彼は、彼女のナイフがその喉を掻っ切るよりも早くに、引鉄を引いた。

 鼓膜を破られそうな音が鳴り響き、事実彼女はその胸を紙の様に楽々と打ち破られて倒れた。

 更に大口径が故の反動によってリアムの腕が浮くや否や、大鴉は力任せに腕を振った。

 前から後ろへと放られたその先には、弾丸すら受け止めて見せた鉄の塊が握られている。

 充分な加速と一緒にそれを顔面に受けたリアムは、情けなく両手両足を開いたまま吹っ飛び、木の幹に叩き付けられると、そのままがっくりと力を抜かせた。

砕かれ、破片となって落ちた仮面の下から、のっぺりとした口だけの顔が覗く。

 大鴉はそれに一瞥すらくれず、残りの二人を見た。

 恋人を殺された怒りによって、歯を剥き出しにブルースが唸る。

 彼は、左腕の機械を震わせ、右手の短散弾銃を握りながら、大鴉へと詰め寄った。

 無謀にも我を忘れて飛び掛かって来る相手に、大鴉は無慈悲な一撃を叩き込もうとする。

 だが直後に狙いは代わり、真っ直ぐ向かってくる杭へと引鉄が引かれた。

 二つの弾丸が中空でぶつかり合い、互いにひしゃげてぼたりと落ちる。

 その隙を見過す事無く、一気に距離を縮めたブルースは、大鴉へとその義腕を突き出した。

 蒸気を上げて迫るそれを、彼は銃身で受け止めるも、しかし衝撃は貫通する。

 思わず一歩下がってしまった大鴉の腹は、ガラ空きだった。

 ブルースは短散弾銃の銃身をそこへ突っ込むと、敵が何かするより早くにその引鉄を引く。

 レイヴンクロウ程では無いが大きな銃声が鳴り、白煙が立ち上る。

 外しようの無い絶対的な零距離射撃。加えて、撃ったのは散弾だ。

 まず助かるまい、と口元を綻ばせたブルースの顔すれすれに、大鴉の顔が突き出された。

 その瞳の中には戦意がありありと宿っている。

 ブルースがはっとし、体を離そうとした時には、もう既に遅かった。

 自分が出来るならば、また相手も出来る。

 お返しとばかりに放たれた大鴉の零距離射撃は、ブルースの腰付近を丸ごと消し飛ばした。

 ラリーは、ブルースの血と骨と肉と皮の飛沫が砂へと帰って行くのを、確かに見ていた。

だが、同時に、あの眼が今度はこちらに向けられている事に気付くと、彼は、さっと右腕と成った蒸気銃を上げた。既に新たな蒸気缶と杭は入れてある。後は撃つだけだ。

 大鴉がブルースの死体を脇へと退かし、一歩踏み出した。

 その瞬間、ラリーは撃った。

 凄まじい蒸気が立ち込め、通常の弾速より余程早い杭が飛来する。

 正面からはただの点にしか見えぬそれを、大鴉はじっと見据えていた。

 その杭が彼の頭を貫く、という絶妙なタイミングで、大鴉はしゃがんだ。

 片脚を曲げ、片脚を伸ばし、両手で銃の柄を握り込む、狙撃体制。

 自らの一撃が外れた事をすぐさま悟ったラリーは、右腕を惜しげもなく除装した。高価な蒸気銃を放置してでも、逃げるのに必死だったのである。

 だが背を向けると同時に放たれた弾丸に寄って、彼の逃亡は一歩たりとも出来なかった。

 正にその名が示す様な塩梅で、彼の頭蓋は弾け飛んだ。

 骨の殻が飛んで行く中、黄身と白身を掻き混ぜた様な状態の脳を垂らして、ラリーは倒れた。

 数え上げれば、戦闘開始より五分か十分、という所であろう。その間に森の静寂は破られ、そして地の上に六人の死体と一人の敗北者が積み上がる事となった。


 終わった。

 ケインは体から力を抜くと、静かに、だが大きなため息を付いた。その腹部から煙と共に撃ち込まれた弾丸が押し出され、ぽろぽろと落ち葉の中に落ちて行く。

 終わった、ひとまずはこれで片が付いた。

 土と汗と煤と、そして血で染まった頬を拭いつつ、彼はレイヴンクロウを閉まった。

 そうして目を向ければ、ローラがしゃがみこんでいるのが見える。体中に血が付いているけれど、あれは義眼の男のもので、彼女のものでは無い。

 我ながら無茶な事をしたものだ、とケインは思い、苦笑いを浮かべる。

 けれども他に方法は無かったし、結果的にローラを救う事が出来た。アリスも無事なままに。

 ならば良いかと考えながら、ケインは立ち上がると、彼女の方へと歩み寄った。

「大丈夫かい? ローラ。」

 そうして、右手をそっとローラへと差し出す。

 その手が、ばんと弾き飛ばされた。

 彼女自身の手に寄って。 

 

「……あ。」

 ローラは、今ケインが差し出してくれた手を、反射的に払ってしまった事に気が付いた。

 そうしてそれは、直ぐに彼女の中に耐え難い後悔を生み出す。

 空いたままの手を愕然と見つめる彼の、その表情を見てしまったからだ。

 しまった、と彼女は思った。

「……あ、あの、あの、すみません貴方。」

 いやだ私ったら、とローラは慌てて言い募る。

 それにケインは力無く笑いながら、

「……いや、いいんだ。気にするな。」

 そう応えるも、しかし彼の顔には深い諦念が浮かんでいた。

 やはり君もか、という。

 その表情に、ローラはますます後悔の念を強めた。

 こんなつもりじゃなかったのに。

 唇を噛んで、自らがしてしまった事を悔いるも、だが最早どうする事も出来ない。

 それに、あの時大鴉として戦っていたケインに抱いていた思いは、紛れもない事実だった。

 彼を恐ろしいと、見た事も聞いた事も、まして逢った事も無い化け物と思ったのは。

「あ、貴方これは違うんですよ? はは、何でしょうこの手、」

 それでも尚ローラは取り繕うとしたが、だがそんな暇は無かった。

「ローラッ。」

「えっ。」

 唐突に引き込まれ、成す術も無く体はケインの胸の中に飛び込んでいた。

 一昨日そこに居た筈なのに、久しく忘れていた温もりがそこにあった。

 未だに消える事の無い戦いの痕跡と共に。

 喜悦と戦慄を、同時に感じたローラだったが、直ぐにそれは消えた。

 自らをそっと離したケインを見れば、その左の二の腕には奇怪な形の短剣が刺さっている。ついで振り向けば、荒野の奥、彼女が乗ってきた馬車の前にあの双子の中国人が立っていた。

 ケインは再びホルスターから拳銃を抜くと、彼らの方へと歩み寄って行く。

「あ、」

 ローラは咄嗟にその腕を伸ばした。離れて行く彼の外套(マント)でも何でもいい。今掴まなければ永遠に自分の元から居なくなってしまう。

 そう思い、伸ばされた腕が掴んだのは、無情にも虚空だった。

 嗚呼、と嗚咽を零しながら、ローラはぎゅぅと砂を掴む。

 彼女は、相反する二つの思いを抱えながら、去って行くケインを虚ろな目で見つめていた。

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