12.二人の真摯な愛情
自らの手の元を離れた義体人形が、どんな経緯があったかは不明だけれど大鴉という賞金稼ぎの手を借り、多勢に無勢による追っ手から逃れて街を脱出したという事実は、メンシャンとヤオシーという側近の口を通して、直ぐにエドワード・ベイツの耳へと届いた。
「貴様らが居たにも関わらず逃しただと? 馬鹿めが、何をやっていたんだっ。」
その事実は、当然の様にこの成金を激怒させ、彼の叫びを己が部屋中に響かせた。
主へと膝を付いて報告していた双子の中国人は、僅かに首を上げて弁明する。
「我らとしても大変遺憾な事でして、ただ、あえて言わせて頂ければ、」
「よもや人形をあの化け物が助けるとは、思ってもいなかったのです。」
その様子を鼻で笑うと、ベイツは表情の読み取り難い二人へ向けて吼えた。
「言い訳は要らんわっ。大鴉だか何だか知らんが、どんな事態に陥っても処出来る様、貴様達を出し、且つその為の資産を出したのだぞ。それが解らん貴様などでもあるまいっ。」
雇い主たるベイツの言葉に、メンシャンとヤオシーは中国風の呼気を用いた賛同で返すと、頭を伏せて見せる。主からは見えぬ彼らの口元は、噛み締めた歯も剥き出しに苦く歪んだ。
ベイツはそんな部下達を腹に据え兼ねる風に肩を揺らす。
腕っ節だけの他の連中ならば兎も角、この者達でも駄目か。
字義通りの意味も兼ねて実に高くこの東洋からの使者を買い、期待を込めていただけに、彼の落胆は一塩であった。
それは自身の醜い顔を更に醜く歪ませ、包帯が巻かれた鼻を痛ませる。
怪我は、あの人形に付けられたものだ。突き込まれた正拳を避けられず、もろに食らった鼻の骨は折れ、以前にも増して潰れてしまった。まさかあの少女人形にそんな力があり、そんな行動を起こすとは、全く持って想定の範囲外であったのである。
その分も含めて、あれはたっぷり可愛がってやるつもりだったのだがなぁ。
先にまで抱いていた期待感をベイツは再び呼び起こすが、事実は変わらない。
「やれやれだ。私は忙しいというのに……まぁ手は打とう。下がってよいぞ。」
彼はそう言って、双子を自室から退出させた。
再び呼気で応えると、彼らは素早く部屋から出て行く。
居残った彼は、仕方無しに自らの相手をしている土壱人娘へと意識を集中させた。
金髪を一本の三つ網にして背中に垂らしたその少女は、まだ年若く、十二に行くか行かないかという年齢だろう。一糸纏わぬ姿から垣間見える肉付きや肌の色艶から、それが察せられる。
彼女はベイツの脚の間に縋って、先程からずっと彼への奉仕を行っていた。
虚ろな光を湛えている青い左眼並みに空ろな右の眼孔を用いて。
貧しかったかつてに、『ゴブリンとドワーフの間に生まれた保因者』『神々の悪戯が最も成功した一例』などと言われ、周りの人間、殊に女から蛇蝎の如く嫌われていたベイツは、異性に対し、特殊な感情を抱いていた。愛情と憎悪が深く入り混じった、複雑な感情であり、それは奇妙に攻撃的な性癖として顕現している。
その趣向は、金鉱を見つけ、一生優雅に暮らす事の出来る大富豪となった今でも変わる事無く、いや権力を持って全てを思い通りに動かせる様になった事で、より苛烈を増していた。
ベイツは、少女の小さな頭を掴んで揺らがぬ様に抑えると、その瞳の奥へ向けて、半ば無意識がままに振っていた腰を叩き込む。頭蓋の中を揺らされ、彼女の全ての歯を抜き取られた口から、あー、とも、うー、とも取れるか細い声が毀れ出た。
現代の少年十字軍或いはハーメルンの笛吹きによって、本国か移住先からかは知らぬが連れて来られた少女は、膣も肛門も口の中も開発され尽くし飽きられた結果、その眼孔を使われていた。未使用である他の穴、例えば耳や鼻は狭過ぎて具合が悪く、わざわざ穴を開けて内臓の温かみを味わうのは、面倒だった。それはそれで、オツではあったのだけれども。
この悪魔的行為は、眼孔から脳まで殆ど距離が置かれていないという人体の構図をあえて上げるまでも無く実に命の危険を齎すものであるのだが、ベイツにとっては構う事では無い。
彼はその第四の穴を、矮小な体格に似合わない大胆な動作を持って堪能する。本来の相手を得られず、また邪魔が入っていた為に溜まっていた熱い欲望が、その動きを潤滑油の如く滑らかにした。以前にも別の娘で味わった事があるが、何時味わっても珍奇な感触に、彼の愚息は固くそそり立ち、その根元から性の塊を沸き立たせる。
と、行為に熱中していたベイツは、歯が抜かれている為妙にくぐもった、息を吐くかの様に紡がれる少女の声を聞いた。音だけを書くと、ヒルフビッテ、というものである。
「おぉ、久しぶりにちゃんとした声を上げたじゃないか。」
ひしゃげた顔から汗を垂れ流しつつ、ベイツは唸った。眼球を摘出して以降、この娘が喋る事は無かったのである。その直前まで、歯が無くとも元気に喚き、暴れていたというのに。
頭蓋の中身を揺さぶられながら、少女は同じ言葉を呟く。それに対し、
「だが残念。わしは土壱語が解らないんだよ、キャベツ畑の娘よ。」
富豪は笑って言うと、ますますピストン運動を押し早めた。
同時に荒くなる呼吸に、少女の声は掻き消される。
その動きが頂点に達した時、小さな呻きと共にベイツは一物から白濁の汁を飛ばした。
固定された頭部の窪みにそれは音を立てて溜まって行く。
そして彼が無造作に手を離せば、少女はばたりと倒れ込んだ。
少女は感情に乏しい表情を浮かべると、その右の眼から妙に白く、粘った涙を垂れ流す。
「ふむ……なかなかに良かったぞ、と、あー、」
年もあって疲労の色を浮かべた、しかし快活とした顔でベイツは言おうとして、途中で口篭った。毎度の事ではあるが、この少女が何という名前だったのか、忘れてしまったのである。
「まぁ、気持ち良かったのだからどうでもいいか。」
だがベイツは、直ぐに思考を移し変えると、高笑いを上げた。この娘の眼孔は他の娘のそれと比べても遜色無い所か一番かもしれん、部下達にも使わせてやるか、と、そう考えながら、彼は少女の美しい金色の髪の毛を根元からそっと撫で遊ぶ。勿論それまで生きていれば、の話だ。彼女の表情や顔色を見るに、半日持つかどうか、という所だろう。
と、その時、まるで彼を嘲笑うかの様な、より一層高々とした笑いが上がった。
「……何だ、何が面白いと言うのだ、シドー・アサクラ。」
それに折角の良い気分を壊され、ベイツは衣服を整えつつ、眉間に皺を寄せた。
彼の瞳は少女から、部屋の隅に立つ虎の絵の屏風に向けられる。純西洋的趣向の部屋であるにも関わらず、東洋的装飾を持って一部を仕切られているのは、その向こう側にいる者が、神の代わりに金を信仰する狂信者でも一目置いている存在だからである。そもそもベイツが行為をしている最中に部屋へと入る事が出来るのは極一部の信頼置ける部下だけだ。それ以外は近づく事すら許されていない。だから今笑った男がここにいるのは、彼の意思自身に他ならないのだけれど、それでも癪に障るものは触るのである。
「いやいや、お盛んだな、と、そう思ったのだよ。老いてもね。ミスタァベイツ。」
そんないらついた視線に応えるかの様に、屏風の脇から一人の老人が歩み出て来た。
シドー・アサクラと呼ばれた彼は、その名と、奇妙な発音の詠語から解る様に、東洋人であった。ただ、あの中国人の双子とは似て非なるものがあり、恐らくは極東の島国、日本から来た者だと推察出来る。その白く染まった髪は肩程まで無造作に伸ばされ、脂の抜けた顔は細まり、骨ばって見えた。だが頭部に垣間見える老衰の兆しも眼だけには及ばす、そこに黒々として力強い光が宿っている。またその下、彼の肉体は、顔から窺い知れる年齢からは凡そ不釣合いな程逞しく、背丈もベイツの倍近くあった。そしてこの西部ではまず手に入るまい、白い着物に紺色の袴をガンベルトで縛った出で立ちから突き出た四肢は、何処までかは解らないが鋼鉄と成っていた。戦闘の為に頑強な素材を用い、基部の出力を上げた義体である。良く見れば、服からぎりぎり出た首にも接続部のラインが見えた。
「全身義体の貴様がそんな事を言うとは、生身の体が羨ましいか? シドー。」
苦虫を噛み潰した様な顔を浮かべてシドーを見つつ、ベイツは言う。
この男、彼方此方で法律の悉くを無視した武勇を立てた為に破格の賞金を掛けられた異邦人であり、今はそれにも増して膨大な額を持って、鉱山主に雇われている用心棒である。のだが、どうにも口が悪く、日本の騎士、侍らしき身形をしている癖に、主を省みようともしない。
腕が悪ければ解雇するものを、残念な事にその腕は恐ろしい程立っていた。
「馬鹿を言うな。そんなものに興味は無い。俺ぁ、今のこの体が気に入っているのさ。」
その事を自身が最も自覚しているのだろう、シドーは雇い主の苦言をさらりと受け止める。
「それに、あんたが注文してくれたこの新しい奴もね、実に使い易くて動かし易い。やっぱ阿真利火人が造るのは駄目だな、義体は土壱人が造るに限るってもんだ。」
そう言って頬を吊り上げ、右手を握り開きする彼に、ベイツは当たり前だと、呆れ顔で言う。
「技術を持っていて更に口の堅い職人を見つけ出し、指から心臓まで造らせるのに一体どれだけの金を使ったと思っている。しかも換装の為に一ヶ月の暇もくれてやった上に、それとは別に日本刀まで新注してやったんだ。これで出来なんかに文句があったら、わし自ら貴様をバラバラにして、アリゾナ砂漠に埋めてやるわ。」
「へぇ、それが本当に出来ると思っているのかな? あんた。」
その言葉にシドーは、不遜な笑みと台詞、つぅと白い柄を撫ぜる動作を持って応えた。
機械の体も然る事ながら、腰に差したその獲物も大変な代物だ。その刀は、現存する技術の中では世界最高のものとして知られる日本刀のさる名匠が、先住民達から禁断の地として恐れられているアリゾナ砂漠のとある地より出土した、異常に純度の高い隕鉄を鍛えて造り出した一振りであり、日本刀の特徴としてしばしば挙げられる『折れず曲がらず、良く斬れる』を字義通りに体現した、非常に強靭且つ凶悪な一品へと仕上げられていた。
それを、わざわざ海を越えて造らせに行かせたのは、他ならぬベイツであるのだが、しかしシドーにとってはそんな事など何処吹く風だ。一度手にしてしまえば問答無用で己のものだと言わんばかりの態度で、刀に触れている。
全く持って、何という男だ。
ベイツは彼の態度に実に辟易としたが、だが強くは言い返せない。この男は、配下の中で最強の腕前を誇っていた。周りの連中で、その腕前に相当するのは誰も居ない。雑務を任せるのにメンシャンとヤオシー程重宝する輩は居ないが、殊戦闘に限ればシドー程便りになる存在もまた居ないのだ。そうでなければ、ろくに主の言う事も聞かない様な不快な奴を手近に置いて、幾つもの我侭を聞いてやっている意味が無いというものである。
「失礼、ベイツ様。」
「少々宜しいでしょうか。」
そう思っていると、噂が影を呼んだのか、双子の声が扉の向こうからノックと共に聞こえた。
「貴様らを呼んだ覚えは無いのだが、何か用か? 入って来い。」
ベイツがそう言うと、扉が開けられ、双子がさっと入って来、薄ら笑いを浮かべて佇むシドーを見てにわかに顔を曇らせる。彼らも、この男には良い感情を抱いていなかったのだ。
「で、どうした。特に無ければ、この娘を片付けて貰いたいんだが。」
くい、っと首で横たわる少女を指すベイツに、双子ははっと顔を引き締め、
「実は貴方に是非お逢いして話をして頂きたいという方が居りまして。」
そう先に言ったのはメンシャンの方であり、
「来客、だと? 実に珍しい、自分から来るとは。で、それは誰だ?」
「それが……大鴉の愛人、ローラというエルフなのです。」
興味深げに問うたベイツに返答したのは、ヤオシーの方だった。
ほう、という感嘆の言葉が小鬼の如き男の口から毀れる。快楽を存分に味わった後である為だろう、彼はうんうんと頷くと、なかなか心広くも言葉を紡ぎ、
「また妙な輩が来るものだ……いいだろう、ではここに呼んでくるがいい。」
「ありがとうございます、そう言って頂けると思っていましたよ。」
言うが早いか開けて入って来た銀髪長耳の美女へと、その驚愕に見開いた瞳を差し向けた。
かつてエルフの種族的特長として、興味が無い事には頓着が無い、と語ったのは、厳密には正しくない。いや確かにその通りなのだが、誤解を招かぬ様追記しておく必要がある。
エルフは確かに、興味を持たぬ事には大変疎く、その無知を直そうともしない。
だが逆に言うと、彼らは、興味を持った事には並々ならぬ関心を注ぐのである。
恐らく、全てはその長寿に原因があるのだろう。
長く生きる為には瑣末な事を覚えているのは不便なものである。しかし、何か一つでいい、大事な何かを心に抱いていなければ、常人の数倍を超える寿命を生きる事は難しい。
例えば、大半のエルフは、その長寿自身と、美醜に関心を抱く。弾圧が多少なりとも薄らいだ現在でも森の奥深くにある里から多くの者が出ようとしないのは、はっきり二十四時間と定められた時間感覚や、工業化の果てに汚染された都会の空気などに、肉体的精神的に耐えられない為である。どちらの苦痛も健康を損ない、寿命を縮めて美を損なわせる原因の一つだ。
ただ、勿論その二つ以外に関心を持つ者も居る。有り余る時を技術の進歩へ向け、街に住み職人を志しているエルフの数は、割合に少なくない。時間の感覚を一般社会に合わせる為に正確無比な物が必要だとする『エルフと時計』という言葉を捩った『エルフの時計職人』という言葉もまた存在する位、技巧に励む者も然程珍しくは無いのだ。
その上で、このローラが胸中に抱いているものは何かというと、それもまた奇妙だった。
それは、情愛であったのである。
エルフという種にちょっとした幻想を抱いている人間からすると、その俗物臭い思考は異端とも取れるだろうが、彼女は真に愛の営みの成就を望み、これまでずっと生きて来た。
愛する者と共に暮らし、子供を産んで、家族に見取られながら死ぬ。
嗚呼。その何と素晴らしく、幸福な事なのでしょうか。
数醒紀という、何かを成すには余りに長い間生きられるにも関わらず、彼女はそう願った。何かきっかけや理由があった訳では無い、生まれた時からそう想ってきたのである。
たが、そんな些細な願望は、手痛く裏切られた事がある。
周囲から隔離した熱っぽい感情に森から抜け出たローラは、都市へと赴き、どうにか生活にも慣れた頃に新大陸から来た男と出会って恋に落ち、阿真利火へと旅立って、その地で捨てられた。他の女と出来た男に、娼館へと売り飛ばされたのである。
「たとえ美しくとも、魔女と共には居られない。悪いが、ここまでだ。」
変異を遂げ、魚の鰭の様な耳を引く付かせながら、男はそう最後に言った。
後に、女に売り飛ばされた人面魚の噂をローラは聞くが、それが彼かどうかは定かでない。
ともあれ、こうして身を落とした彼女は、しかしその願望を諦め無かった。
何時か、きっと何時か、私と結ばれる人が現れる。
その想いにしがみ付いたままに、ローラは一醒紀余りも彷徨い続け、男達に体を明け渡した。変わる事の無い美貌こそが、彼女の生きる為の唯一の道具であり、指針だったのである。
そして今、ローラの元には理想とも取れる男性が居た。
ケイン・ザ・ネバーモアその人である。
違う風に生まれ、違う風に育った、人と違う存在。
一ヶ月前程前に出逢った彼は、彼女と同じものを持っていた。
だからこそ、愛するに足る。夫婦として永劫を共に暮らして行ける。確かに気味の悪く、受け入れ難い所はあるけれど、所詮は些細な事。ずっと生活して行く間にどうとでもなる筈。
そうローラは頑なに信じていた。
だがここに来て、予期せぬ邪魔が現れた。
かつて彼女を捨てた男がそうだった様に、別の女が後から割り込んで来たのである。
初めて逢った時から、あの人の心が揺れ動いているのは簡単に見て取れました。
そしてあの酒場での必死さで、もうそれが確たるものに近づいている事も。
でも、だからって、どうして簡単に諦め切れる事が出来ましょうか。
あんな、あんな人形如きに、おいそれと取らせはしませんよ。
今正に、彼女の精神は完全に、完璧に、一つの者のみに集中していたのである。
「突然の来訪、失礼しますわ、我らの市長様。」
そんな意識の流れは、目的の為には手段を選ばぬ程度に強固なものであり、
「けれど取り急ぎの用事があるのですよ。大鴉と、お宅の人形に関して。」
ローラは、その流れの矛先を、大元の源流へと差し向けたのであった。