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11.炎の海すら越え行く駿馬(スレイプニル)

 ベイツタウンの者達は必死の思いで大鴉(ネバーモア)を探し回っていた。

 あの化け物じみた賞金稼ぎが連れ去ったという少女の事などどうでも良かった。彼らは、ベイツの使者という奇天烈な二人組が約束した報酬にこそ興味があった。貰える額は魅力的で、等分されてしまってからは流石に半生とまでは行かなかったけれど、それでも暫くは汗水流して働く事無く、豪奢な暮らしを愉しむ事が出来るだろうからだ。

 それは西部の者ならば誰しもが多かれ少なかれ持つ願いである。

 だが、そんな願いを抱いて熱心に探索しているにも関わらず、二人は見つけられなかった。

「あん畜生、全然見えやしねぇぞっ。」

「まさかもうこの街から出たんじゃねぇんだろうな?」

「それは無ぇよ、もしそうだったら、どっかでそう言ってるだろうさ。誰かが。」

「だな、だが本当に何処に行ったんだあいつら。」

「どっかの家にでも忍び込んでるんじゃねぇか?」

 人々は口々にそう言い合い、辺りを見渡すも大鴉の影の形も無く、彼らは首を傾げた。

 

 彼が語り合う中、その直ぐ側の小路から抜け出、通りを横切る影があった。

 アリスを小脇に抱えたケインである。

 大通りを真っ直ぐに行けぬ彼らは、そこを跨いで、向かい側へ、そこから別の小路へと入る。

 その姿を垣間見ている者は、幸いだが誰も居なかった。

 別の所を向いているか、そもそも人自体居なかったからだ。

 けれども、それは決して偶然では無い。

「……いいわ、ケイン行って……。」

 耳の下から囁かれるアリスの声に誘われ、ケインは直走る。

「……待って、そこで曲がって……。」

 途中で左折し、別の小路へと身を潜ませれば、向かいから幾人かが走って来た。

 そうして、改めて元来た道を行こうとするケインを、

「……このままここを、行って……。」

 そうアリスが制し、彼は今居る小路の奥へと駆ける。


「……ケイン、貴方は……熱中すると、周りが見えなくなる、みたい……。」

 それが、ジョンの工房から出る時にアリスが言った言葉だった。

 共に逃げていた彼女は、ずっとそれを感じていた。

 彼は、何か一つの事をやろうとすると、他の事がお座なりになる傾向がある。走る事に意識を集中させれば唯それだけを遂行し、危険が無いかと、何処へ行けば良いのかと、周囲を垣間見る事が疎かになってしまうのだ。

「……それは。」

 上目遣いの視線と共に注がれた言葉に、ケインは口ごもった。

 例の如く、その通りではあっても、という奴だ。

 この性質は長所であれ、短所である。

 今のこの局面では、それは間違いなく後者だろう。逃げる事と守る事を同時にこなさなければならないのだから。どちらかだけを、という訳には行かない。

 だがそれは彼固有の気質であり、おいそれと変えられるものでも無いのだ。

「……うん、解ってる……解ってるわ、ケイン……。」

 唇を閉ざしたケインへ、アリスは首を横に降った後で、彼女はこう言った。

「……だから私が貴方の眼となり耳となる……わ……。」


 義体人形が持つ感覚は、二つに限られる。

 それは視覚と聴覚だ。光と音という多分に他者と共有が可能な刺激を伴う感覚であったからこそ、その二つは出来たのであり、如何に土壱(ドイツ)の技術が優れていようとも、人間の五感、その全ての感覚を機械で再現する事は、未だ不可能な事だった。

 だが、それ故に、人形たるアリスの、その眼と耳は、常人を遥かに越えるものを持っていた。彼女が世界と関わる方法は、その二つだけであったのだから。

 そして彼女は、その機官を存分に活用したかった。

 自分一人では、ここから抜け出し、父の元へ帰る事は出来ない。ケインの力が必要だ。けれども、ただ状況に甘んじているのは、こうして親身になってくれている彼に申し訳ない。

 私にも何か出来るなら。

 そう思い、アリスはケインを見つめる。

 彼もまた、その想いに答える様に瞳を向けた。

 黄金と漆黒の視線が三度絡み合い、そして、

「解った……頼むよ、アリス。」

 ケインは口元を綻ばせ、老人から青年の表情を作り出した。

 

 そうして二人は、互いに互いの欠点を補いながら街を駆け抜けて行く。

 ケインは鳥の飛翔を思わす疾駆を持って。

 アリスは機械で造られた眼と耳を持って。

 それはまるで最初からその為に生み出された二つの歯車の様に、見事に噛み合っていた。

 ただ、そう示されるがままに、ケインは疾駆する。一切の迷い無く、また同時に考える事も無く動かされる脚は実に素早い。小一時間も無かったとは言え、ジョンの工房で休息を入れた事もあって、その勢いは正に疾風怒濤の如くだった。

 そしてまたその勢力は、アリスの言葉を持って、次なる場所へと正確に導かれ、動かされて行く。通りを、小路を、建物の影を、誰が、何人居て、どの様にしているのか、外套(マント)から顔を突き出して彼女はつぶさに捉え、観察し、彼へと仔細に伝えているのだ。何処へどう行けば、或いは行かなければ、敵と遭遇しないのかを。

 ベイツタウンの実に半数以上の者達が彼らを追い掛け始めて、一時間近く経とうとしている。

 にも関わらず、市民達はその姿すら捉えられていなかった。

 それは、あの六人と加えて一人の、七人組にも言える。

 街のあちこちに、異様な風貌を称えた者達が闊歩しているが、誰も二人を見つけていない。

 そしてあの『負け犬達の巣窟(レザボア・ドッグス)』が前の大通りには、

「あぁんの大鴉っ、大鴉の糞野郎、何処に行きやがったっ。」

 昏倒から眼を覚ました水牛男(バッファローマン)が居て、折れた片方の角の付け根から血を垂らしつつ、豪快に叫びながら往来を練り歩いていた。左右の手にはそれぞれロングバレルの拳銃を握り締めており、ケインの姿を一目でも見たら直ぐ様に引鉄を引いてしまいそうである。剣幕の激しさに、一応は同じ志を持つ市民もおいそれと近づこうとはしない。

 尤も、その裏側にある小路を二人が走っていた事を考えると、彼の剣幕は実に滑稽と言えた。


 アリスはその声を聞いて、我知らず微笑む。

 本来なら追われている立場であり、笑っている余裕などある筈も無いのだが、こうして追っ手達を掻い潜り、逃げ遂せているという事実が彼女を心地良くさせた。

 今見えている風景も、またその勘定を助長させる一因である。

 駆けるケインに抱えられて見るそれには、疾走感があった。移動する乗り物に乗っているという意味では馬車と同じだけれど、こうして身を寄せている時の感覚とは段違いだ。あらゆるものが自らの眼前をあっという間に通り、耳に振動の尾を残してさっと消えて行く。それを捕らえ続けケインへと伝えなければならない事は、確かに出来るとは言えなかなかの苦労を強いられはするものの、しかしそれだけ新鮮であり、また興奮を呼び起こした。

 馬を駆っているという時が近いのかしら?

 砂塵舞い上がる風で靡く前髪を邪魔にならぬ様手で押さえながら、アリスは思った。最初は月で次が猛禽、そして今度が馬に例えられて、本人がそれを聞いたらどう思ったかは解らないけれど、事実彼女はそう思ったのである。

 そのケインも、こんなに近くに居るとなれば先程とはまた変わって来る。

 視界を流れて行く家々、道々、人々と共にアリスは彼を感じていた。高鳴る心臓の音を、体の揺れと共に軽く、だが荒く放たれる息遣いを、姿勢低くし砂地を踏み締めて前へと向かう足音を、滴る汗の雫の一つ一つが跳ねて肌に当たる音を、彼女は聞いていたのである。

 ただ、索敵に対してはどちらかというと視覚の方が重要で、進路伝達の為にも文字通り眼を離せなかったから、アリスはケインの方を見る事は出来なかった。

 しかし、耳に入る音だけでも十分であった。

 この人は、私に親身に成ってくれている。

 敵を翻弄している事よりも見知らぬ世界を垣間見る事よりも、アリスにはそれが嬉しかった。

 彼に助けられ、それをまた助ける自分が誇らしかった。

 かつて森の工房の中で、父と共に感じていた喜びの波形が、その脳裏で音を立てて動く。

 そこでアリスは、思わずふふっと笑みを発した。

「アリス、どうした?」

 己を高速の波に乗せながら尋ねるケインに、

「……うぅん、何でも、無いわ……。」

 そこの小路を、とアリスは返す。

 そう、喜びに浸るのは早いのである。まだこの街を抜け出せた訳では無いのだから。

 笑うのは、ちゃんと逃げ終えてからね。

 アリスはそう考えると、勤めて笑いを押さえ込んだ。

 それを察してか、ケインもそれ以上尋ねる事は無く、小路を進む。

 延々と、無益に走り回っているかの様だが、実はそうでも無い。敵を欺く様遠回りしながらも、二人は確かに街の外へと近づいていたのである。

 この小路を抜けて更に行けば。

 そんな期待がやにわに漂い出した時、

「見つけましたよ。」

 音も無く赤い影が、突如として彼らの眼前に降り立った。

「逃げ回るのも、ここで終わりです。」

 更に別の青い影が、同じく音も無く後方へと舞い降りる。

 狭い小路の出入り口を塞がれた。挟み撃ち、である。


 アリスは思った。どうして、と。

「……どうして……。」

 そして我知らず、思考を口に出していた。

 それだけ意外な事だったのである。

 どうして、この双子がここに居るのか。

 前も見ていたし、後ろから来る声も無かった。確かに追っ手は巻いた筈だ。

「物事は俯瞰的に、」

「そして大局的に。」

 もし青褪める事が出来たならばそうしていただろうという表情を浮かべるアリスに、前方に居る赤い衣の男が、次に後方に居る青い男の方が端的にそう応えた。

 漠然とした言葉だが、その種を明かすと、つまり彼らは見ていたのである。当ても無く探し回り、右往左往している群集とその動きを、この街で最も高い教会の屋根の上から。

 周囲の喧騒からして、まだ二人がここに残っている事は解る。それが一向に見つかっていないという事は、逆に言うと、群集が居ない所に、ケインとアリスは居るという事になる。

 そこで彼らは空白を探し、見つけると、屋根を飛び移って、この小路まで来たのだ。

 双子は、大挙して出向いていった街の者達も、自身が連れて来た配下達も、大鴉を捕らえる事は出来ないだろうと、遭遇した瞬間に見越していた。だからこの二人は、白紙に刻まれた線を擦り塗る事で浮かび上がらせる鉛筆の様に、白人を、阿真利火(アメリカ)人を利用したのだ。

 勿論、自分達より早く大鴉を捕らえ、人形を奪還出来たならば、それに越した事は無い。

 その時は、彼らの主人のはした金が少々消費されるのみだ。金で解決出来るならば、した方が良く、そして大抵の事は金で解決出来てしまうものである。

 とは言え、抑えられる出費ならば抑えたいというのが、金の価値を知る者の考えだ。

 それをよく心得ている側近達は、にこやかな笑みを……しかし、丸い縁取りが成された色眼鏡の下の眼光は鋭いままに……浮かべながら、

「さてと、申し遅れましたが私はメンシャン。」

「そして私はヤオシー。以後お見知り置きを。」

 東洋風の、奇妙な作法で一礼すると、すっとケインとアリスへと近付いた。

 ケインの顔が引き締まり、その黄金の瞳が前方の敵を睨み付ける。

「おっと、そう邪険になさらずに。」

 メンシャンは、それを大仰な身振りで制すると、更に一歩踏み込んだ。

「我々は、ただそこに居る令嬢にだけ興味があるのです。」

 それに気を取られている間に、ヤオシーもまた歩み寄る。

「そこに居るアリス嬢は、我らが主人の客人。」

「彼女を渡してくれれば、我々は良いのですよ。」

「何なら、そうですな、幾分かの謝礼も差し上げましょう。」

「或いは主の元へ遣える事も。きっと感激される事でしょう、大鴉が来た、と。」

「解りましたね? 未来は安寧で、その方法は簡単ですよ。」

「その手を離し、こちらへと差し向ける、それだけでいいのです。」

「さぁ。」

「さぁ。」

「「さぁっ。」」

 メンシャンとヤオシーは、そうして交互に話しながら、一歩一歩差し迫る。

 その物腰の柔らかさとは裏腹な意味を含む物言いに、アリスは怯えた。

 脳内の歯車がゆっくりと軋みを上げ、心音が大きく遅くなる。

 彼女は思わず首を上げて、ケインの方を見た。

 彼の表情は硬く、その視線は前と後ろを順々に見据えている。その顔から、簡単に諦めてしまう様な事は無いと解るけれど、如何ともし難そうだった。

「……断る、と、そう言ったならば?」

 ケインの唇がそんな言葉を発するけれど、声は解れず緊張を維持したままである。

「その場合はその場合で考えがあります。」

「どうなるかは解っているでしょう大鴉。」

 警戒してかゆっくりと、だが止まる事無く歩む双子は、ほぼ同時にその右腕を振るった。ぴたりとそれが止まった時、何時の間にか彼らの手には針の様に細いナイフが数本、指の間で握られている。何時の間に、何処から取り出したのか、アリスでも解らなかった。

 ただ、もう駄目だという事は理解出来た。

 現にケインはこの場から動こうとせず、ただ相手が来るのに任せている。というよりも、動けないのであり、そしてそれは自分の所為に違いない。彼はずっと逃げていたが、決して反撃しようとはしなかった。どんな瑣末な事でも、だ。身のこなしからすればまずありえず、つまりはアリスを優先して逃げていた、という事である。

 私のせいで。

 彼女は哀しくなった。

 ただでさえ多大な迷惑を掛けているというのに、この後に及んで更にとは。

 泣けるものなら泣きたいと思ったけれど、しかしどうしようも無く。

 アリスは眼を伏せた後、再びケインの方へと視線を向けた。

 だが、どうした事だろうか。

「……嗚呼、そうだな。」

 今一度見た彼の顔には、苦い笑みが篭っていた。

 どうしようも無い、がどうにかするしか無い、と言った様な笑みである。

 何だろう、と不思議に思っていると、彼はこう続けた。

「俺は大鴉なのだから……。」

 そしてケインは一歩踏み込む。

 前に、では無い。

 横に、である。


 その時、ケインはケインで、アリスに対する申し訳の無さを感じていた。

 今こうして追われている事の大半は、自らの名に理由がある。もし自らが、大鴉と呼ばれる者で無ければ、ここまで苛烈な追撃を食らう事も無かったであろう。

 だが、この双子の出現において、彼は同時に察した。

 大鴉であるからこそ、逃げ切る方法もあったのだ、と。

 そも彼らは何処から来たのか。誰にも邪魔される事無く、易々とここまで。

 ケインは応えの直ぐ側を走っていたのに、完全に失念していた。それ所では無かったのだ。

 だが、もう行ける。

 双子が動揺し、アリスが小さな悲鳴を上げる中、ケインは右の壁を蹴った。

 そこから力を入れて押せば、左の壁へと己を移し、更に蹴り込んで右の壁へと移る。

 交互に左右の壁を蹴り込み、踏み砕き、ケインは上へと進み。

 素早く登り切ると、屋根の上へと到達。

 そして、下の小路から聞き慣れぬ言葉が聞こえてくるのを無視しつつ、彼は走り出した。

 邪魔する者が居ない、真っ直ぐな道を。

 往来を行き来していた連中が、頭上を駆けるケインに気付き叫び声を上げ、その中には銃を撃ってくる者も居たけれど、彼は無視して屋根から屋根へと飛び移って行く。

 その空の道を阻む通りの交差も、全速疾走するケインの前では小川の様なものだ。

 十分な助走を経て、彼は軽々と飛び越える。

 後ろからは、同じ様にして登って来たあの双子が来ているけれど、距離は余りに遠い。

 彼らの投げた奇妙なナイフが通り過ぎて行く中で、ケインは叫んだ。

 いや呼んだ。

指を弾いて鳴らしながら、目前へと迫って来た荒野まで届く様に。

 元は古代祈璃社(ギリシャ)の月の女神を意味するある一つの名前を、彼は高々と上げた。

「セレーネッ。」

 

 突如姿を現した大鴉に注視する群衆の元に、馬の嘶きが届いた。

 それは何処か遠くからだったが、しかしはっきりと耳元に届き、体の芯を震わす。

 一体何だと、彼らは身を捩り、その声の正体を確かめんと、耳を澄ませた。

 嘶きは、大鴉が向かおうとしている荒野の方から聞こえて来る。それも最初は遠かったが徐々に近づいて来た。盛大な、まるで何頭もいるかの様な蹄の音と共に。

けれども、その甲高く荒々しい鳴き声は、一頭だけのものである。決して複数では無い。

市民達は不安に思った。こうしている間にも、音を増させながら近づく何かに。

 だがその不安は長続きしなかった。

 小高い丘を超えて現れた、一頭の怪馬によって、恐怖へと変わったのである。

 超大な拳銃と並ぶ、大鴉の象徴。

 殆ど黒と言って良い並みに覆われた屈強な体格。

それに似付かわしくない疾走を見せる異常な八本の脚。

狂った様に赤い瞳と、不気味な三日月型の白斑を宿す頭部。

 富と名声に目が眩んでいた者達は、その怪馬の姿を見て、はたと気が付いた。

 今思えば簡単に解りそうなのに、詭弁によって完璧に忘れ去っていたのだ。

 自分達が、どんな存在を相手にしていたのかという事に。

 今逃げているからだって、何だというのだ。次があれば、その逆であるかもしれない。

 荒野から猛烈な走りで迫る大鴉の愛馬は、その不安を現実のものであるとした。

 誰もが竦み上がり、動けぬ中、何かは知らないけれど探し当てればお金が貰えると聞いて外に出ていた『金メッキ』のステファニーが、こう呟き、夫に支えられながら昏倒した。

「きょ、恐竜……。」

 当然見間違いである。

 真竜(ドラゴン)であればいざ知らず、恐竜などとうの昔に滅んでいる。

 けれどもその言葉は、怪馬を指し示すのに相応しい説得力を持っていた。

 そして、人々を動かす引鉄となった。

 自称善良な町民達は悲鳴を上げると、我先にと逃げ出した。通りを戻り、物陰に隠れ、家の中に潜めて、少しでも馬から離れようと全力を振り絞った。馬を商売道具として扱うカウボーイ、勇気と無謀の区別のつかぬ無法者は残り、己が獲物を構えて放つも、内心の弱さは狙いを狂わせ、出鱈目な弾丸が怪馬に当たる事は無い。怪馬が街へと至り、目の前に現れると、彼等もまた銃を投げ出し、冗談じゃねぇぞと喚きながら逃走した。

 それでもまだ逃げ出さずにいるそれなりに肝の据わった者、逃げ遅れた一部の者達の前まで走り寄ると、怪馬は上半身を持ち上げ、豪快に嘶いた。そこから身を翻し、四本の蹄を地面へ打ち鳴らしながら反転すると、それは再び盛大な音を立てて走り出す。

 己の主人が居る所へ。

 屋根と地面の違いはあるが、一人と一匹が並ぶ。

 そして騎手は、今走る屋根が途切れた所で、怪馬に向けて何の躊躇も無く跳躍した。

 中空にて吹き荒ぶ風にはためく外套は、巨大な翼の様だ。

 後ろから来る双子が、刃を投げ付けるも、その翼を貫くのみで、何の意味も為さず。

 まるで舞台の台本にそう書いてあったかの様な見事さで、大鴉は己の愛馬に飛び乗った。

 ずしりと掛かる重みを受け止めた馬は、我が意を至りとばかりに一声上げると、後はその逞しい八本脚を駆使して、一目散に街から荒野へと走り出す。

 恐るべき加速で影は直ぐ見えなくなり、ただ立ち上る砂埃だけがその痕跡を残して行った。

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