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夜咲く花は死を招く chapter4

Chapter 4


17


 ふたりは朝食をすませると間もなく、教会に向かって出発した。レトが「みんなに教会へ集まってもらう前に必要な準備がある」と言ったからだ。カラスは教会に入らず、屋根の上で羽を休めていた。

 何をするのだろうとメルルが見ている前で、レトは鞘に挿したままの剣でコツコツと教会の壁を叩きながら歩き回っている。音を聞きつけた神父が顔をのぞかせたが、レトの様子を見ると、首を振りながら再び奥へ引っ込んでしまった。

 「壁の強度を調べているんですか?」

 メルルは尋ねた。ひょっとすると、ここでリザードマンと戦うことを考えているのではないか。

 「壁の強度はそれほど重要じゃないよ。まぁ、ちょっとね……」

 レトがさらに続けようとすると、そこへひとりの兵士が入ってきた。カーラが殺された晩に、ここで会ったタックという駐屯兵だ。レトは口をつぐんだ。

 「こちらにおられましたか。兵長の指示で探しておりました」

 レトは無言でうなずいた。

 「ヴィックさんから何か?」メルルが尋ねた。

 「何か話があるとかで、駐屯詰所まで来てほしいとのことで。詳しくはそこで説明されるとか」

 「わかりました。参りましょう」レトは剣を腰に戻すと歩き始めた。

 メルルは「もう用事は済んだんですか?」と尋ねながら後に続く。

 レトは顔だけメルルに向けて、「もう終わったよ」とだけ答えた。

 ふたりはタックの後ろを歩きながら詰所までの道を歩いていた。あたりはもうだいぶ日が昇り、行き交う人々の数も多い。さまざまな荷を積んだ何台もの荷馬車が、がらがらと大きな音を立てながら、ふたりの脇をかすめるように通っていく。街はすっかり目覚めていた。

 「メルル、君は呪文系の魔法以外は使えるかい?」

レトが後ろをついていくメルルに声を掛けた。メルルは馬車の音が気になって、レトの真横に並んで「何て、おっしゃったんです?」と聞き返した。

 「君は呪文系以外の魔法が使えるのかいって、聞いたんだ」

 「呪文系以外……って、魔法陣を使うものとかですか?」

 レトはうなずいた。

 「魔法陣系は、呪文系より手間がかかるけど、その分強力だし、応用範囲も広い。それに魔名を唱えるだけで魔法を発動できる。呪文の詠唱時間を省けるのが最大の利点だ」

 「……少しだけ使えます」

 「どんなものが?」

 メルルはそこで少し言いよどんだ。

 「……脱力の……陣、です」

 「脱力の陣?」

 「魔法陣の中に入った者の力を下げる陣です」

 「どうして、そんな魔法を覚えたの?」

 「……陣の形が簡単で覚えやすかったから、それだけです。使えるようになっても、実際に使ったことありません……」

 「魔法陣の基礎練習用か」

 「まぁ、そうなんです。いろいろ知りたいのはあったんですけど、先生から教わる時間がなかったんです……」

 「そうか。嫌なこと思い出させてしまったね」

 「いいえ、そんな」

 それからふたりは黙ったまま、駐屯詰所まで歩き続けた。詰所に到着して中へ入ると、タックは兵長がいる部屋まで案内してくれた。

 兵長はやや小さめの部屋でふたりを待っていた。部屋には椅子はあるが、兵長はそれには座らずに立ったまま、ふたりを出迎えた。レトが壁際に目をやると、そこには兵長のほかにあとふたり、見知らぬ人物が立っていた。

 「ご苦労だった、タック。下がっていいぞ」

 兵長の言葉にタックは静かに敬礼すると、部屋を出て行き扉を閉めた。

 「こちらの方がたは?」

 レトは兵長に尋ねた。

 ふたり連れは若い男女だった。どちらも二十代だろう。女は小柄だが、それほど背は低くない。それでも、隣に立っている男が頭ふたつ分大きいので、実際より小さく見える。男は大柄でがっしりとした体格の持ち主だった。ふたりとも腰だけでなく、背中にも武器を装備してるようで、武具の柄が背中からのぞいていた。

 メルルはとっさにふたりの容貌から「狐さんと熊さん」と考えた。

 「自己紹介するよ」

 女が前に進みでて言った。

 「あたしはルピーダ。この界隈で『魔物狩り』を生業にしている者さ」


18


 「『魔物狩り』……」メルルはつぶやいた。依頼を受けて魔物を狩る者。魔物にも、人や家畜を襲うものや、農作物を荒らすもの、さまざまな魔物が存在する。特別な技量のない一般人にはとても退治できるものではない。そこで彼らのような魔物専門に戦う職業ができたのだ。メルルはその存在を知っていたが、実際に目にするのは初めてだった。

 「……そして、こいつはゴーゴリー。あたしの部下さ」

 ゴーゴリーも一歩進み出ると頭を下げた。いかつい見た目と違い、かなり礼儀正しい青年のようだ。

 「『魔物狩り』のかたが何です?」レトは無表情に尋ねた。

 「とぼけんなって」

 ルピーダは自分の肘をレトの胸にぐいぐいと押し付けた。

 「見たよ、あんたたちがリザードマンと戦っているところ。初めて見たよ。人型の魔物。このあたりに出てくるのって、熊系とか狼系とかの魔獣ばっかり。まさか街中で、あんなのがうろついているなんて思ってもみなかったさ。市長も人が悪いよ。あんなの、あたしたちのほうがするべき仕事だろ? そこで、市長の家に押しかけて、あれをあたしたちにやらせろって言ってやったんだ」

 「リザードマン討伐を請け負ったんですか?」

 ルピーダは胸を張った。

 「一応、正式にね。報酬は成果賃だけどね」

 レトはちらりと兵長のほうを見た。

 兵長はぶんぶんと首を振って、

 「もう、街中はリザードマンの話で持ち切りだ。朝から市長宅に、リザードマンに関する情報公開を望む声だとか、討伐の要請だとか、そんな人々がわんさかと押し寄せているんだ。そんな騒ぎの中だから、『魔物狩り』の申し出を断る話なんてできないじゃないか。わかるだろ?」

 「そうですか」レトはため息をついた。そこへルピーダがぐいっと顔を近づけた。いかにも挑発的な表情だった。

 「あぁあら? 何か不満そうね。言いたいことがあるなら言ってごらんよ」

 「不満はありませんが、言いたいことはあります」

 ルピーダから挑発的な表情が消え、目つきが鋭くなった。

 「言いたいことって?」

 「先ほど、あなたは人型の魔物は初めて見た、とおっしゃいました。当然、リザードマンも初めてということになりますね?」

 「それで?」

 「僕が知っている限りのことをお話ししますから、リザードマンに対して備えていただきたいのです」

 「あら、親切ね。何かお望みのものでもあるのかしら?」

 「いいえ。リザードマンは高い知能を持っています。そして、強い。リザードマンのことを知らずに戦いを挑むのは非常に危険なんです」

 「まるで、私が負けることを前提に話していない? あんなトカゲの化け物にやられたりしないわ」

 「まず、それです。彼らに『トカゲ』呼ばわりは止めたほうがいいです。彼らは亜竜族に属するものたちで、自らを龍の子孫だと信じているんです」

 「龍って、神様や悪魔と同じくらいの高位の存在ですよね?」

 メルルが口を挟んだ。

 「龍そのものは、神や悪魔と同様、伝説の存在です。実際にいたという痕跡は化石を含めて存在しません。ですが、伝承の類は山ほどあるし、その伝承が伝える龍の姿は、リザードマンをより巨大にして、さらに翼をつけたようなものです。彼らが龍の子孫だと信じるのは自然でしょう。そして、それを光栄に、誇りに思っているんです。一般的な爬虫類と一緒にされたら……」

 「そりゃ怒りますよね。猛り狂って襲い掛かってきますよ」メルルはうなずいた。

 「あれが誇り高いなんてねぇ」ルピーダの反応はややあきれた感じだった。

 「腕力の強さも注意すべき点です。リザードマンの腕力はわかっているだけでも僕たちの3倍以上あります。それは、握力についても同じです」

 「あら、そうなの」

 「ここに居るメルルさんの先生であるカーラさんがリザードマンに殺されたとき、リザードマンは片手でカーラさんの喉を握りつぶしたんです。首の骨も折れていました。リザードマンと戦うときは、とにかくつかまれないことを意識してください。身体の一部でもつかまれたら、肉ごと千切り取られてしまいます」

 ルピーダはそこで視線を斜め下に落として、「ふーん」とつぶやいた。

 「わかったわ、それは忠告として心に留めておくわ」

 ルピーダはレトに背を向けると、部屋から立ち去ろうとした。ゴーゴリーも後に続こうとする。

 「ちょっとお待ちください」

 「なあに? まだ何かあるの?」

 「今までのはリザードマンという種全体で共通の情報です。今回、街に侵入しているアークリザードはほかの種のリザードマンにはない特徴があります。そのこともお教えしなければなりません」

 「さっさと教えてよ、何?」

 ルピーダは少しいらだったようだった。

 「アークリザードは自らの身体を変形、変質させて人の姿に擬態する能力があります」

 「人に化けるの?」

 「『化ける』と言えば、まるまる姿を変えてしまう変身も含まれます。それと、変化へんげの魔法も。ですが、擬態はあくまで『変形』や『変質』させるものなので、おのずと制約もあるのが変身や魔法と異なります。その制約とは、形を変えるだけで、質量を変えることまではできない、ということです」

 「つまり……どういうことだ?」一緒に話を聞いていた兵長は理解できなかった。

 「今回、僕が戦ったリザードマンは僕より頭半分高いぐらいでした。そこから擬態化しても、例えばここにいるメルルさんに化けることはできないんです。仮に化けたとしても、本人より大柄なメルルさんになってしまいます」

 「そんな私、イヤだ」姿を想像して、メルルがつぶやいた。

 「身長を変えることは、ある程度可能です。背を低くするときは胴体に肉を集めて。背を高くするときは関節を広げたりして。小麦粉を練って、パンを作ることを想像してください。太い形にすれば上下が短く、細い形にすれば長くなる。つまり、もともとの質量が変わらないので、背を低くしたときは太めの体型に、逆に高くした場合はやせ型の体型になってしまうんです。また、アークリザードの手は大きいのが特徴ですが、一般の人間の大きさに合わせるよう無理やり手の形を変えています。そのせいで、アークリザードは人間の姿のままでは思ったほど力を出すことができません。たとえれば、手をひもで縛った状態で使うことになるからです。そのため、本来の力を発揮するためには、元の姿に戻るしかありません。昨夜、アークリザードが正体をさらして現れた理由はそれだったかもしれません」

 「どういう意味だい、そりゃ?」兵長はレトの話に追いつけなかった。

 「あの夜、アークリザードは『月呼草』の種子を採るために、袋を手にして現れました。『月呼草』の実に袋を被せて、実が弾けるに任せて種子を回収しました。ただ、そのままでは袋の口から、せっかくの種子が飛んで行ってしまうかもしれません。袋の口を縛るだけでいいのですが、ひとの姿のリザードマンにはできません」

 「紐を結ぶって、けっこう高度な技術だもんな。人間に近いサルでさえ、紐を結ぶことはできないらしいしな」ようやく兵長も理解が追いついてきた。

 「サルの場合は、訓練次第で可能でしょう。アークリザードも本来の姿であれば紐を結ぶぐらいはできるはずです」

 「ひとには化けられる。しかし、手を極端に変形させているから、人真似するにも限界があるわけだな。じゃあ、疑わしいやつ全員に、目の前で紐を結ばせればいいんだ。それなら一発で正体を暴ける」

 レトは首を左右に振った。

 「紐を結ぶ行為は、人間すべてができる技術ではありません。非常に不器用なかたや、手に機能的な障害を持つかたもおられます。そもそも、紐の結び方を知らないかたもおられるでしょう」

 「そんなひと、います?」メルルが首をかしげた。

 「例えば貴族のかた。ご自身で紐を結んだ経験があるかどうか」

 「……言われると、そうかもです」

 「もし、書き付けにあげた中にそういうかたがおられたら、間違って疑われてしまいます」

 兵長は肩を落とした。「……だめか」

 「ですが、人の姿をしているリザードマンに潔白を迫る、という考え方には賛成です。人の姿でいる間のリザードマンは、手が不自由なせいで人並みの力も出せないことがあります。抵抗力の弱いうちにリザードマンを特定することができれば、本来の姿に戻る前に倒すことができるでしょう。また、人の姿であればリザードマンの捕獲は可能です」

 「おいおい。あんた、あれを捕まえる気でいるのかい?」ルピーダは手に片頬を載せて言った。ルピーダの表情はいつしか小ばかにするようなものになっていた。

 「人喰いの魔族は討伐するしかないのはわかっています。ですが、言葉を解さない魔獣ならともかく、こいつは人間と同じ程度の知性を持っていて、実際に会話もできます。今後再び、街がアークリザードに侵入されないためには、その手口を含めて、いろいろと情報を聞き出すべきだと思うんです」

 「言うのはもっともだけどなぁ。捕獲されたリザードマンがそんな協力をするかぁ?」兵長が頭を掻きながら言った。

 「レトさん。先ほど、討伐するしかないっておっしゃってましたが、リザードマンを捕えたら殺すんですか?」メルルは先ほどのやりとりで疑問に思ったことを口にした。

 レトはメルルを振り返った。しかし、口を開いたのは兵長だった。

 「当たり前じゃないか、人喰いの化け物なんだぜ」

 「兵長の考え方と僕の考え方は少し違います」

 レトはメルルに答えた。

 「普通の獣を例に話しますが、熊は警戒心が強く、人が近寄る物音を聞いただけで逃げ出す『猛獣』です。ですがひとたび人を襲い、人の味を覚えた熊は、以降は進んで人を襲って食べるようになるんです。そうなってしまうと、その熊は殺す以外に人が襲われない危険は取り除けないんです。人喰いの魔族も似たようなものです。人の味を知らなければ、人喰いの種族でも人以外のもので満足して、人を襲わないものなんです。熊と同様に人の味を知った魔族は、決して人を食べることを止めません」

 「刑務所で懲役刑にしても、ですか?」

 「刑務所は罪を犯した者が、罪を償うことと、再犯を行なわないよう矯正するための施設です。人喰いの魔族にとって、人を食べることは犯罪ではありません。僕たちが動物や魚の肉を食べるのにどれだけの罪悪感を抱きますか? 彼らには償いと矯正のための施設である刑務所はまるで意味がありません。彼らは死ぬまで人を襲い続けるでしょう」

 「でも、リザードマンは高い知能があるんですよね? 話し合いは不可能なんですか?」

 メルルが食い下がると、ルピーダが「ハッ」とあきれたように声をあげた。

 「お嬢ちゃん。あんた、身内を殺されたんだろう? リザードマンを刑務所に放り込めたら満足なのかい?」

 「……先生を殺したリザードマンは憎いです。でも、簡単に殺していいのかなって……。それに私、リザードマンを捕まえた後のことなんて今まで考えてもいませんでした」

 「僕だってむやみやたらと殺したいわけではありません。でも、これだけは言えるんです」

 レトは息を吸って、言葉を継いだ。

 「互いをわかり合えることができたとしても、互いを相容れることができるわけではないと」

 メルルはレトの答えに絶句した。それが正しい考え方なのかはわからなかったが、かつて戦争で殺し合いを経験したレトだからこその言葉だとメルルは思った。

 「とは言っても、いきなり殺そうなどと考えていません。まずは捕獲を狙います」

 「捕獲にこだわるねぇ」兵長は首と両手を振った。

 「ただ、今回捕獲を考えるのは、ほかにも理由があるからなのですが」

 「どんな理由があってもいいんだけどね」

 すっとルピーダが身を乗り出した。

 「あたしたちは魔物を退治するのが仕事さ。ほかのことは知らないね。もし、あたしたちに退治させたくなければ、あたしたちより先に捕まえてみせることだね。もちろん……」

 ルピーダは再びレトに背を向けた。

 「先を越させる気なんて、さらさらないけど」

 今度は立ち止まることなく扉の前まで進んだ。

 「じゃあ、あたしたちはこれで失礼させてもらうわ。教会の話は聞いているから、また、そこで会いましょ」

 「ちょっと待ってください、ルピーダさん」

 レトは呼びかけたが、返ってきたのは扉の閉まる音だけだった。

 「まだ、話すべきことはあったのに……」

 「話すべきって……。あの人たちっていわば商売敵にならないんですか? いいんですか、いろいろ教えたりして」

 「僕は探偵で、あちらは『魔物狩り』です。今回探しているものは同じですが、仕事の敵ではありません。それに今話したのは、本当に大事な知識なんです。知識を持ってもらうことで避けられる危険があるのです」

 レトはふたりが去った扉を見つめたまま答えた。

 「しかし、さっきの話だとすると……、あんた、昨夜にそんな危険があるリザードマンと一対一でやりあっていたのか?」

 兵長が不思議そうに言った。

 「一対一じゃありません。メルルさんの魔法支援がありました」

 「でも、大したことなくて済んだんだろう?」

 「リザードマンとの戦いに、どんな危険があるのか承知していればこそです。相手につかまれないよう、ずっと意識していましたから」

 「あんた、以前に討伐戦争に行っていたって話だったな? あのとき戦った相手にアークリザードがいたのか?」

 レトの表情が暗くなった。

 「ええ、アークリザードとも戦いました」

 レトはそれ以上説明しなかった。なんとなく重い空気に、兵長は慌てたようにぽんと自分の拳をもう一方の手に打ち込んだ。

 「……そうか。さてと、話も済んだことだし、教会に行ってひと働きするか。そうそう、さっきは、教会にいたそうだが、朝早くに何をしていたんだ?」

 レトは立ち上がった。メルルも一緒に立ち上がる。

 「それは道々で説明いたします」

 

19


 教会に戻ったころは昼手前辺りだった。約束は午後からだが、教会の前には、すでに何人か集まっているのが見えた。

 その中に背の高い、痩せた男が立っていた。年齢は五十代ぐらい。白く立派な口ひげを蓄えていた。メルルはその人物に見覚えがあった。

 「教授、わざわざ申し訳ありません」

 レトが声を掛けた。その人物はサーストン教授だった。

 「やぁ。本当は今日、ここを発つつもりだったんだがね。ヴィック兵長がどうしても来てほしいと言うのでね……。何でもカーラさんを殺した犯人をあぶりだすつもりだとか。私もここに呼ばれているということは、疑われている、ということなんだろうね」

 レトは頭を下げた。

 「ご迷惑をお掛けします。ですが、ほかのかたの協力を得られるためにも、例外を作るわけにはいかなかったんです」

 「わかってる、わかってる。憲兵がこんな案件に関わったときは、こんなもんじゃないからねぇ、容疑者に対する扱いは」

 教授は鷹揚に手を振って応えた。

 「大して手間を取らせないようにいたします」レトは丁寧な口調で頭を下げた。

 「本当に手間取らせないんだよな?」

 別の所から声が飛んできた。レトは声のしたほうへ目をやると、肩を怒らせたようにのしのしと男が近づくところだった。メルルには見覚えのない人物だ。

 「おかげで店を閉める羽目になったんだ。手短に頼むぜ」

 「ボッブスさんですか。今日はご迷惑を掛けます」

 メルルは男の顔を見上げた。この男が、教授に『月呼草』を見せたという肉屋なのか。結果的に先生が殺されるきっかけを作った人物。しかし、そんなことを言って責めるのは筋違いと言うものだろう。ボッブスは顔の面積はやたらと広いが、糸のように目が細く、ずいぶんと釣り合いの悪い人相になっていた。これも指摘してはいけないと、メルルは口を押えながら思った。ちょっと言葉に出しそうになったからだ。

 「ん? 何だい、お嬢ちゃん」

 ボッブスはメルルに目を向けた。

 「い、いいえぇ」メルルは努めて『いい笑顔』をしてみせた。

 ボッブスは「ふん」と言うと、くるりと向きを変えて教会に入っていった。

 やがて昼が過ぎ、教会には続々と「容疑者」が集まってきていた。メルルはひとりひとりに迷惑をかけることを詫びて頭を下げていた。レトに言われてしているのではない。この中にカーラを殺したリザードマンが紛れ込んでいるかもしれない。何か気づくところがないかと、頭を下げながら観察していたのだ。

 おおよそすべてのものに頭を下げたかと思ったころに、がらがらと音を立てて、大きな黒塗りの馬車が現れた。ホーエンム卿の高級馬車だ。馬車は教会の前に留まると、馭者は恭しく踏み台を扉の前に置いてお辞儀した。扉が開いて、ホーエンム卿の大きな体が現れた。メルルはホーエンム卿を初めて目にするが、ある程度はレトから話を聞いていたので、すぐにホーエンム卿だと気づいた。

 馬車から降りたのはホーエンム卿だけではなかった。続いてホストレイク市長も現れた。ホーエンム卿は市長を連れて、この教会にやってきたのだ。

 「あのひとは来なくてもいいはずなんだけどなぁ。来ちゃったよ、呼ばれてもないのに」

 ホーエンム卿を見ながら、兵長のぼやく声が聞こえた。「何にでも鼻を突っ込むんだ、あのひと」

 教会へのしのしと歩くホーエンム卿はどこか誇らしげであった。わざわざ自分の馬車で市長を送ったりするあたり、相当に自己顕示欲の強いひとなんだろう。メルルはホーエンム卿の人柄をそう考えた。

 ホーエンム卿は目を細めながらあたりを見回していたが、レトの姿を見つけると声をあげた。

 「おおい、君。君はいったい、何を考えてる? 犯罪捜査に市長を巻き込むとは!」

 レトの隣で兵長が首をすくめたが、市長と目が合うや、すぐに直立姿勢になった。

 レトはホーエンム卿の前に進み出て、頭を下げた。

 「このたびは、ご面倒をおかけいたします」

 「君ィ! 私は謝罪を求めてるんじゃないんだ! 何を考えてるのか聞いとるんだ!」

 周りの者たちは近くの者と顔を見合わせた。中にはあきれたように首を振る者もいる。ホーエンム卿の気性は周知のことらしい。「また、卿の干渉癖が出た」とささやく声がメルルの耳に届いた。

 「市長は決してお暇なかたではない! それを、たかが女ひとり殺された件で呼び出すとはどうかしてるぞ、君は!」

 メルルはこれまでのホーエンム卿の言動に大して気にも留めていなかった。しかし、さすがに今の発言は許せなかった。

 「た・か・が、ですってぇ!」

 メルルが進み出ようとするのに気づいた兵長が、後ろからがしっと肩を押さえつけた。メルルは振りほどこうともがく。

 「市長はこの事態を深刻に受け止めておられます。だからこそ、この異例の集まりにご協力いただけているのです」

 レトはまっすぐにホーエンム卿を見返しながら声を出した。凛とした、よく通る声だった。その力強い声に、メルルはもがくのを止めてレトを見つめた。

 「何が深刻と言うのかね!」

 ホーエンム卿はムッとした表情で、レトに噛みついた。

 「被害に遭われた女性は魔族に殺されたんです」

 一瞬、ホーエンム卿はきょとんとした表情になった。やがて、慌てたように市長を振り返る。市長はホーエンム卿が騒いでいる間もどこか冷めた表情で無言のままだった。ホーエンム卿と目が合った市長は、ふぅ、と小さなため息をつくと、やはり無言のままうなずいた。

 「あなたはご存知だったんですか? この件に魔族が関わっていることを?」

 ホーエンム卿はうろたえていた。

 「できるだけ事を荒げずに収拾したいと思っていたのでな、卿にはお教えしなかった。卿は我らにとって大切なかただ。できれば、こういう話をお耳に入れず、心安らかにお過ごしいただきたいと考えていたのです」

 「し、しかし、この街中に魔族が現れたと言ってるんですぞ、こいつは!」

 言いながら、ホーエンム卿は周りの落ち着きすぎている様子に気づいた。

 「……まさか、周りの者たちは、このことを……」

 「ええ、昨日、リザードマンが現れて、少々暴れましてな。街の設備をひとつ壊してしまいました。おかげで、この界隈で知らない者はおりません。まだ、街全体に話が広まっているわけではありませんが、それも時間の問題でしょうな」

 市長は何でもないように答えた。

 「当初は街を不必要に混乱させまいと、私が探偵に内密で捜査するよう依頼しました。しかし、リザードマンが暴れまわったおかげで、内密に捜査というわけにはいかなくなりましてな。彼はこの事態の打開を図るべく、こんな集まりを開いたのです。街の方がたも速やかな事件の解決を願っておりますからな。私もささやかながら協力すべきと考えておるのです。ホーエンム卿、私の支援者であるあなたにとって、私を支持する声が減るのは望まない話でしょう? どうか、穏便に話を進めさせてはもらえんかね?」

 「わ、私は市長の立場を慮ってだな……、いや、そうか。これは、あなたの意向でもあるのですな?」

 「事件の早期解決が私の望みです」市長は静かに答えた。

 「う、うむ。なら、私は離れてここでの推移を見させていただこう。それは構わんだろう?」

 ホーエンム卿はレトに向かって言った。

 「どうぞ」

 レトの返事は短いものだった。

 ホーエンム卿が部屋の隅の椅子へ腰かけるのを見届けると、市長はレトのそばへ近寄った。メルルも兵長の腕を振りほどくと、レトのもとに向かった。

 「市長、お話を合わせていただき、ありがとうございます」

 レトはホーエンム卿に聞こえないように小声で礼を言った。メルルは驚いた。

 「あれ、即興のお芝居ですか?」メルルも小声でささやいた。

 「私に腹芸させるとは大した悪党だ、君は」

 市長は初めて苦々しい表情になった。

 「申し訳ありません。まさか、ホーエンム卿がしゃしゃり出るなんて予想していませんでしたので」

 「事件を聞いて動揺した市民の何人かが、私の屋敷に押し寄せてきてね。難儀していたところを卿が自分の馬車に乗せて連れ出してくれたのだよ。卿は私の隣人でもあるからな。我が屋敷での騒ぎを見て、駆けつけてくれたのだよ」

 市長の屋敷を訪ねたとき、周りにやたらと大きい屋敷が目についていたが、そのひとつがホーエンム卿の屋敷だったのだ。メルルは、今まで見えなかった人間関係のひとつがわかったような気持ちになった。

 「馬車の中で事情のご説明は……」メルルは、やや遠慮がちに尋ねた。

 「あの人は馬車に入るなり、ずっとしゃべりっぱなしだった。事情はおろか、私が口を挟む余地などなかったよ」

 「はぁ……」メルルは、ホーエンム卿の面倒臭さをすっかり理解した。

 「しかし、君。私にこんな芝居をさせたんだ。ちゃんとやってくれるんだろうね?」

 市長はレトに念を押すように言った。

 「市長の立場を悪くしないよう、力を尽くします」

 しっかりとしたレトの言葉に、市長は厳しい表情をやや和らげ、近くの椅子に腰を下ろした。

 「さて、そろそろ時間だぞ」

 兵長の太い声が飛んできた。


20


 教会の中は狭くはない。百名は座って礼拝できるぐらいの広さはある。集められたのは数十名ぐらいである。ほとんどが男性で、女性は大家のマリカひとりだけだった。ただ、マリカは大きな体格のせいで、まるで男性が女装しているように見える。そのおかげで、教会の中はまるで女っ気がない。そのせいか、これだけ男ばかりが集まった教会の中は、息苦しさを感じるような混雑ぶりだった。

 メルルはやや辟易しながらも、男たちをひとりひとり席に案内した。レトは兵長と話しながら台の上に布らしきものを、細かく切り裂いている最中だった。

 そこへ出入り口の扉が開き、ルピーダとゴーゴリーのふたりが入ってきた。無言のまま扉の前で、通せんぼをするように立ちはだかった。ルピーダは口をきりりと結んで、腕を組んでいる。その姿にはどこか鬼気迫るものをメルルは感じた。

……あのひと、なんか殺気立っている?

 「おい、『魔物狩り』だぞ」

 ルピーダたちに気づいた誰かが声をあげた。メルルは声の主を探したがわからなかった。

 「おい、あれは何かね。賞金稼ぎまで呼んだのかね」

 ホーエンム卿が大声を出した。教会内はもともとざわついていたが、ホーエンム卿の「賞金稼ぎ」のひとことで、一層ざわつきだした。

 「何だ、いったい。事件の説明があるんじゃないのかい?」

 「いや、駐屯兵は俺たちの中に犯人がいるって疑っているんだ」

 「駐屯兵団はまだ誰も疑っていない!」

 「嘘つけ! ここに呼び出されているのは不特定多数ってやつじゃねぇぞ。どいつも、どこか見覚えがあるやつらだし。絶対、何かある!」

 「『魔物狩り』って人も狩るのか?」

 「まさか。でも、じゃあ何でここに来てんだ?」

 めいめいが勝手にしゃべり出す。ざわめきが大合唱のようになりだした。

 ルピーダはその様子を静かに見ていたが、やおら一歩踏み出すと、かたわらのゴーゴリーが持っていた鋼鉄のやりをひったくった。そして、その柄の先を床に思いきり叩きつけた。

 どおんという大音響が、ざわめきをかき消すように響き渡った。ざわめきの声は次第に小さくなり、やがて、誰もが無言でルピーダに視線を注いだ。

 「こっちが何の用で教会に来たっていいだろう? それより、みんなはさっさと用事をすませて、ここから出たいんじゃないのかい!」

 ルピーダの大声が教会内に響き渡った。よく通る、きれいな声だった。

 「そ、そうだ。私はまだ仕事を残しているんだ。無駄話をしに来たわけじゃない……」

 メルルが声のしたほうへ顔を向けると、仕立屋の主人、チックだとわかった。背はレトより少し低いが、身体の幅はレトの倍ほどはあるぐらいの肥満体型だ。あんな太った体で一日中、服を仕立てているのだ。腰を痛めるのも無理はない、とメルルはつねづね思っていた。しかし、大家さんにチックさんまで呼ばれているなんて……。レトさんは名簿の人物3名とも会っていたんだ、とメルルは初めて知った。自分がカーラ先生の葬儀などで費やしたあの日で、全員から聞き込みだけはすませていたんだ。

 「おい、早く始めてくれ。いったい、俺たちは何のためにここに呼ばれたんだ?」

 別のところからも声が飛んでくる。このままだと、また教会内が騒がしくなりそうだ。

 「では、皆さんにご説明いたします」

 レトが大声をあげた。

 「どうか、ご静粛に!」隣で兵長がレトを上回る大声をあげた。そこで、再びざわつき始めた場が静かになった。

 「まずは、皆さんにお詫びいたします。お忙しい中で時間を割いていただきまして恐縮です。ですが、これは皆さんもすでにご存じの、ある事件を解決するために必要なことなのです。そのことをどうかご理解ください」

 レトは説教台の前に立った。今や場内は静まり返り、誰もレトに口を挟まなかった。

 「一昨日の夜、この教会の近くにある廃棄物の集積小屋で、ひとりの女性が殺害されました。女性の名前はカーラ・ボルフ。この街で魔法薬剤師をされているかたでした。あちらの壁で控えているメルルさんの魔法の先生でもあります」

 自分に視線が集中するのがわかって、メルルは気まずいようにうつむいた。

 「捜査しているなかで、昨夜、事件現場だった集積小屋で、僕とメルルさんはカーラさん殺害犯と遭遇しました。それが、街に現れたと騒がれているリザードマンです」

 場内でひそひそ声が聞こえてきた。

 「途中、ヴィック兵長からの応援をいただいたのですが、残念ながらリザードマンには逃げられました。リザードマンは今も街の中に潜伏しています。ですが、僕たちは簡単に見つけることはできません。そのリザードマンには厄介な特技があるからなのです」

 レトはひそひそ声のしたほうへ顔を向けた。ひそひそ声が治まった。

 「それは、人間の姿に擬態化するという能力です」

 場内から、おお、というどよめきの声があがった。メルルは市長の顔を探した。市長は明らかに不快そうな表情になって腕を組んでいた。市長にとって一番明かして欲しくない情報だったはずだ。それをレトがあっさり明かしてしまった。でも、仕方ないですよね。メルルは市長にそう言ってやりたかった。

 「現在、そのリザードマンは人の姿で、僕たちの前で何食わぬ顔をしているはずです。また、その擬態化は極めて巧妙なので、見た目で見抜くのは困難なのです」

 「じゃあ、どうやって化け物を見つけ出すって言うんだ!」

 教会の隅からホーエンム卿の大声が聞こえてきた。

 レトは、ちょっと話しづらそうな顔になったが、すぐに落ち着いた表情で答えた。

 「僕たち人間とリザードマンとでは体質がまるで異なります。そこからリザードマンをあぶりだせないかと考えています。リザードマンの体質についてですが、その前にこの世界の魔法の仕組みを説明いたします。実はそれが体質の話につながるのです」

 レトはそこでいったん口を閉じて、あたりに目をやった。周囲は沈黙してレトの話に耳を傾けているようだった。

 「魔法の話と言えば……、メルルさん」

 ふいに話を振られて、メルルはびっくりした。

 「な、何です、レトさん」

 「魔法が発現するために必要な力の源は何と何ですか?」

 「何と何、ですか? ええっと、まずは『魔力』です。身体を動かすのが体力なら、魔法を使うためにあるのが、私たちの身体に存在する魔力です。ですが、私たち人間はそれほど魔力があるわけでないので、本来持っている魔力ではできることは大してありません。そこで、私たち魔法を使う者は、例えば魔法の杖のような道具の力を借りたり、地面に魔法陣を敷いたり、描いたりして、大地が持つ魔力を引き出したりしています。そうして大きな魔法も行使できるんです。ただ、魔力は使えば減る一方のものです。私たちが魔力を回復するために必要なもの。それが『魔素』と呼ばれる物質です。これは空気と同じように目に見えないものです。さらに、空気で言うところの『酸素』のような性質を持っています。例えば、炎に酸素を送り込むとさらに勢いよく燃え上がるように、魔法を行使するときに魔素を消費することができれば、魔法の威力は大きくなります。私たちを含むすべてのものは魔素を吸収して自分の魔力にすることができますが、魔法を使うための燃料にも使用できます。つまり、先ほどの質問の答えは、『魔力』と『魔素』、ですね?」

 「その通りです。で、その『魔素』ですが、濃度の濃い地域と薄い地域があって、私たち人間が住む、例えばここケルン市などは魔素が薄い地域です。逆に濃いのはミュルクヴィズの森……、通称『魔の森』などがそれにあたります」

 「その話とリザードマンがどう繋がるんだい?」どこからか声が聞こえた。

 「魔素の少ない地域で生活している僕たちは、体内にあまり魔素が含まれていません。吸収する魔素そのものが少ないからです。一方で『魔の森』出身のリザードマンはたっぷり魔素を吸収し、体内の魔素濃度は非常に高いのです。そこでです。神父様、あれを」

 レトは脇へ向くと、台の脇で静かに立っていたファレル神父に声を掛けた。神父は手に持っていた水差しをレトに手渡した。それにはなみなみと水が入っていた。

 「この『聖なる水』の浄化の力でリザードマンを見つけようと思うのです」


21


 レトの話に、場内のものは互いの顔を見合わせた。レトの発言の意味がわからないからだ。

 中の一人が声をあげた。

 「浄化の力でって、何をするんです?」

 「ここに小さなナイフと布があります。これを使って、皆さんから少しだけ血液を布に染み込ませます。その布に、この聖なる水をたらして反応を見るのです。魔素を濃く含む血液であれば、浄化作用が働いて布から白い蒸気があがるのです」

 場内が再びざわざわしだした。

 「聖なる水にそんな効果があったのか」

 「いや、初めて聞いたぞ、そんな話」

 そこへ兵長の大声が割り込んだ。

 「タック、ギドー、ベックの3名、前に出ろ!」

 呼ばれた3人の兵士はあたりを窺いながら、兵長の前に進み出た。

 「まずは、お前たち3人から、この試しを受けてもらう」

 3人は動揺したように身体を震わせた。

 「へ、兵長! わ、我々は疑われているのでありますか?」

 タックが代表するように声を出した。タックの声は緊張のせいか震えている。

 「ああ、そうだ」

兵長の答えは簡単なものだった

 「だから、まずお前たちが自分の潔白を証明するんだ。そうして初めて、この場内の警戒にあたらせることができるんだ。わかるな?」

 兵長の言葉に、タックの顔からますます血の気が引いていくようだった。教会の中は涼しいぐらいだったが、タックの額からは大粒の汗が噴き出していた。

 「……りょ、了解いたしました。まず、我々から身の証を立てさせていただきます」

 一瞬だが、タックはギロリとレトの顔を睨みつけると、レトからナイフを受け取った。それから、左の人差し指に傷をつけると、にじみ出た血を布に染み込ませた。

 レトは布とナイフを受け取ると、ナイフは神父に渡した。神父はそれをもうひとつの水差しの水を掛けて刃先を清めた。一方、レトは布を場内の人々に見える向きで持つと、兵長からスポイトを受け取った。先ほど受けとった水差しから聖なる水を吸い上げると、ぽたりぽたりと水を布にたらした。一同は固唾を飲んで静かに見守っている。水は布に触れると布全体に広がるように浸み込んでいった。そのせいで血の跡の輪郭がにじんでぼやけはじめたが変化したのはそれだけだった。それ以上の変化は何も起きなかった。

 レトはうなずいた。「タックさんはリザードマンではありません」

 タックの口から安堵の大きなため息が漏れた。

 「よし、タック。任務に戻れ」

 兵長の声に「ハッ」とタックは敬礼し、持ち場へ戻っていった。その際、レトをもう一度睨みつけていた。

 その様子に背中を押されたように、残りのふたりも続けて『試し』を受けた。やがて、ふたりともタックと同様に左の人差し指に絆創膏を巻いて持ち場へ戻っていった。レトを睨みつけるところまでタックに続いていた。

 レトは兵長に、「まずは身内のかたの潔白が証明されました」とささやいた。

 「当たり前だ。俺はあいつらを信じている」

 兵長は胸を張った。心底安心したようで、口元には笑みさえ浮かんでいた。

 次に『試し』を受けたのはホストレイク市長だった。市民に証明を迫るのであれば、まずは自分からと進み出たのだ。それでも、ナイフを受け取るときの右手はぶるぶると震えていた。

 市長に続いたのは、急いで仕事に戻りたいという仕立屋の主人、チックだった。チックはナイフを扱いなれていなかったらしく、景気よく自分の左手を切ってしまった。これまでメルルが絆創膏を貼っていたのだが、大慌てで包帯を巻く騒ぎになった。ぐるぐると不器用に巻かれた左手を見つめながら、仕立屋の主人は、結局仕事にならなくなったと肩を落として教会を後にした。

 このちょっとした騒ぎのせいか、後に続くものが出てこなくなった。『試し』を受ける順番を任意にしたせいだが、順番を決めてするしかない。レトがそう考えて壇上の前に立とうとすると、神父が手をあげて進み出た。

 「皆さん、臆することはありません。これは皆さんがただ潔白であることを明かすためにあるのです。それに、この水はあなた方の罪を暴くものではありません。人間であるかどうかを調べるためのものなのです。自分が人間であるなら何をためらうことがありましょう? 『試し』を受ける者の中に、私は含まれておりませんが、私は自信を持ってその試しを受けることができます」

 神父はそう言うと、自らナイフを手にした。小さく左手に傷をつけると、血をふき取った布をレトに差し出した。

 「神父様がこんなことをなさらなくても」レトはつぶやいた。

 「あなたは今、皆さんに強要なさろうとしたでしょう? こういうことは自発的にしていただいたほうが良いのです」と、神父はレトの耳元でささやいた。

 レトは神父の布に水をたらした。何も起こらなかった。

 「よし、じゃあ、次は俺がやる」

 神父の様子を見守っていた者の中から、肉屋のボッブスが進み出てきた。ボッブスは神父からナイフを受け取ると、「小さいなこりゃ」と左手でくるくる回しながらつぶやいた。ボッブスの『試し』も反応はなかった。メルルは肉屋の右手に絆創膏を貼った。

 大家のマリカは終始おどおどしていた。ナイフを手にするのも怖がっていた。結局自分で切り傷をつけられないと、メルルにナイフを渡してきた。メルルは右手の人差し指にナイフを近づけると、「家事があるから、こっちにしとくれ」と左手を差し出した。メルルはできるだけ小さい傷で済むようにと慎重にナイフを動かした。大家の『試し』の結果は、「反応なし」だった。そのことを告げられると、大家は自分の胸に手をあてて、ほっと撫でおろしていた。

 その次に進み出てきたのはサーストン教授だった。教授は神父の前で恭しく頭を下げた。

 「思いがけず、ご挨拶して旅立つことができます」

 神父も頭を下げた。

 「本日、ここを離れなさるのですか」

 「ええ、この『試し』を終えると、そのまま街を離れるつもりです」

 「先生、困るよ。それ」

 兵長が話に割り込んできた。

 「リザードマンが特定されるまで、ここに居てもらわないと……」

 「しかしですな、私はラッシュビルで授業をしなければならない。生徒を放っておくわけにはいかないのです」

 教授は穏やかな口調だが、きっぱりと言った。「ここに留まっていられません」

 「何かお聞きすべきことがありましたら、ラッシュビルの魔法学院まで問い合わせさせていただいてよろしいでしょうか?」

 レトが口を挟んだ。

 「もちろんです」教授は鷹揚にうなずいた。

 話がまとまり、教授の『試し』が行われた。教授も「シロ」だった。

教授は左手の人差し指に巻かれた絆創膏に目をやりながら、楽しそうな笑顔をメルルに向けた。

 「この街で5年過ごしました。穏やかながら、刺激的な毎日でした。そして、最後になって、さらに貴重な体験ができましたな。では、皆さん。ごきげんよう」

 教授は再び神父に頭を下げると、周りに手を振りながら教会を出て行った。

 以後、残る者たちも大人しく『試し』を受けていった。メルルは絆創膏を手に、次々と差し出される左手の人差し指に貼っていった。いったん形が出来上がると、『試し』が流れ作業のようになっていた。メルルは黙々と自分の役割をこなしていった。

 「これで最後か」

 列に並んでいた最後のひとりの『試し』が終わると、兵長はやや落胆したようにつぶやいた。

 これまで、聖なる水の『試し』に反応した者はひとりも出てこなかったからだ。メルルも不安になってレトの顔を見たが、その表情は厳しく、硬いものだった。

 「ここにはリザードマンがいなかった、ということか」

 兵長がさらにつぶやくと、

 「おおい、ここにまだひとり残ってるぞ!」

 という大声と共に、ホーエンム卿がひとりの男の腕をつかんで立ち上がった。

 腕をつかまれている男は、ホーエンム卿の手を力づくで振り払った。あたりを見回し、無言で立ち尽くしている。

 「誰だ?」

 兵長が目をこらすように首を伸ばした。

 「こいつはずっとここに隠れるように『試し』を受けることを避けていたんだ!」

 ホーエンム卿は再び男の腕をつかむと、引っ立てて来た。男は何度も振りほどこうとあがきながら引きずられている。

 「ありゃあ、レナード・バーンって奴です」

 タックが兵長の脇に立って説明を始めた。

 「前市長、ステイル・バーンの息子です」

 「前市長の息子?」

 「前市長が急逝してからバーン家は落ちぶれましてね。もともとは上級市民だったのが、今では中級市民です」

 「それで今は西区の住人ということか……」

 兵長はあごに手を掛けた。

 「タック、あいつを知っているのか?」

 タックはうなずいた。

 「兵学校の基礎科時代は同期でした。しかし、親が死んで学費が払えないって、中途退学したんです。ですが、あいつの顔はよく覚えています」

 兵長はレトに顔を向けた。

 「おい、探偵。アークリザードは特定の人間の顔に似せて、擬態化することはできるのか?」

 「……可能だと思います。ですが、頭部の質量がだいたい同じであるとか、似せるために必要な条件はけっこうありますが」

 「可能性はあるんだな」

 兵長はレナード・バーンとされる男の前にずいっと進み出て、そこで仁王立ちになった。

 「おい」

 兵長の呼びかけに、男は縮こまるように黙って立っているだけだった。足ががくがく震えている。兵長は戸惑った。こんなのが、あの凶暴なリザードマンか?

 「なぜ、『試し』を受けようとしない?」

 兵長の問いかけに、男は首を左右にぶるぶると振るばかりで答えようともしない。兵長はタックを振り返った。

 「こいつは本当にレナード・バーンか? 以前もこんな奴だったのか?」

 タックからも戸惑いの表情が現れていた。

 「い、いえ。あのころのあいつは、こんなにおどおどしているような奴じゃなかったです。以前とは別人のようです」

 「別人ねぇ……」

 兵長は腰に差した剣の柄に手を掛けながら、男に近づいていった。

 「君、こっちに来てもらおうか」

 兵長が男の肩に手を掛けようとすると、

 「い、いやだぁああ!」

 男は絶叫すると、ホーエンム卿を振り払って暴れ始めた。ギドーが側面から押さえつけようとしたが、男の振り回す腕がギドーの顔面に命中してしまった。

 ギドーが顔を覆った隙に、男はギドーの腰の剣を抜き取った。

 「しまった!」兵長は叫ぶや、自分も剣を抜いた。

 「おい、早まるな!」自分の鼻先に剣を突き付けられて、ホーエンム卿が慌てたように男をなだめた。

 「違う、違う、違う、俺は違うんだ。俺は悪魔なんかじゃない、悪魔なんかじゃないんだ!」

 「悪魔? 何を言っている、お前?」兵長は剣を構えながら尋ねた。

 「騙されない、俺は騙されないぞ! トカゲ男を探すなんてウソだ! 俺の血を調べて悪魔かどうか調べるためだったんだろ! 俺は人間だ! ウソじゃない!」

 「何を勘違いしている? これはリザードマンを割り出すための捜査だ!」

 「おかしいだろ、こんな。今日に限って、教会に集まれだの、血を調べるだの、俺をはめるためのお芝居だろうが!」男は叫び続けた。

 「いったい、お前こそ何の話をしている?」兵長も男に負けじと大声をあげる。

 男は剣を持ったまま一歩前に踏み出したが、急に持っている剣を落としてしまった。

 「な、何だ、力が入らない?」

 男は不思議そうにさっきまで剣を握っていた右手を見つめ、だるそうな表情になった。男の足元には黄色の光を放つ魔法陣が浮かび上がっている。

 兵長はハッと気づいて振り返った。そこには魔法の杖を男に向けたメルルの姿があった。

 「脱力の陣です。この人にだけ効果があるように術を掛けました」

 「メルルちゃん、でかした!」

 兵長は男が落とした剣を後ろへ蹴飛ばした。剣は通路を滑るように飛んでいった。

 「奴を押さえろ!」兵長の声で、その場に居た全員が動いた。周りの者が男を取り押さえようと押し寄せたのだ。

 男は慌てて兵長に背を向け逃げ出そうとした。しかし、その正面にはルピーダが立ちはだかっていた。男は息を呑んで足を止める。

 メルルの耳に、どすんという鈍い音が聞こえてきた。ルピーダは持っていた槍の柄で、男の腹部に打ち込んだのだ。男は、「げえええ」と何かを吐きそうな声をあげて崩れ落ちた。

 「よし、押さえろ!」

 メルルには、それが誰の声かわからなかった。だが、それを気にしている者などひとりもいない。男は周りの者たちから床に叩きつけられ、喉から「ぐう」といううめき声を漏らした。

 「いったい何だってんだ、こいつは?」

 男が大人しくなるのを見届けると、兵長はずかずかとレトのほうへ近づきながら毒づいた。それから、聖なる水の入った水差しを手に男が押さえられているところへ戻った。男は床に打ち付けられたとき、どうも額を強打したらしい。額の皮膚が破れて血が流れていた。

 「たぶん違うと思うが、な」

 兵長は男の頭に水差しの水を掛け始めた。水は男の額の血を洗い流したが、男の血からは何の変化も見られなかった。

 「お前自身が言った通り、お前は人間だよ」

 兵長は男に声を掛けた。男は気を失っているのか、何の応答もなかった。

 兵長は水差しを演壇まで戻しにやってきた。そこには、レトと神父が並んで立っていた。

 「ご覧の通り、最後のひとりも人間だった」

 「彼はいったい何でこんなにも錯乱したのでしょう?」

 神父は不安そうに尋ねた。

 「さぁ、わかりかねます。ですから、こいつを本部まで連行して、事情を尋問することにいたします。おい、ギドー。お前は大丈夫か?」

 兵長はギドーに声を掛けた。

 「は、大丈夫であります」

 ギドーはさっきまで顔面を押さえて痛がっていたが、どうやら痛みも治まったようだ。元気な声が返ってきた。

 「じゃあ、ギドー。お前はあと2人と共に、このレナード・バーンの身柄を本部拘置所へ連行してくれ。そして、ベック。お前は奴の家に向かえ。こいつが何でこんなに錯乱したのか、そこに理由があるのか確かめてくれ」

 「了解いたしました」ギドーとベックは敬礼すると、すぐさま指示を実行に移し始めた。

 「さぁて、と」

 部下たちがてきぱきと動き始めるのを見届けると、兵長はレトのほうを向いた。あまり、面白くないと思っているのが、表情から見てとれた。

 「これで、捜査は振り出しに戻ったってわけだな」

 兵長は疲れたような声を出した。

 「おい、あんたたち。いつまで、ここにいなくちゃいけないんだ? もう、出て行っていいんだろ?」

 まだ、教会に残っていた者から声があがった。チックやサーストン教授のように教会を退出せず、ほかの者の『試し』を見物していた者たちだった。

 兵長はレトのほうを無言で見つめた。レトは静かにうなずいた。

 「皆さん、退出していただいて結構です」

 レトの声に、場内から疲れたようなつぶやき声と共に、集められた者たちがぞろぞろと教会を出て行く。その人々を順序良く退出させるために、タックをはじめとする残りの兵士たちが誘導を始めた。

 「残念だったねぇ、探偵さん」

 ルピーダはさも面白そうに言うと、教会を出て行った。ゴーゴリーがその後に続く。

 「君、どうするつもりかね、これを」

 市長がレトに詰め寄ってきた。

 「これだけの騒ぎを起こして、何も出てこなかったじゃないか!」

 「この『試し』でリザードマンが見つかる可能性は、そうでないものと五分五分だと思っていました。ですが、今回、この場を設けたのは決して無駄でなかったのではと考えているところです」

 「無駄でなかった、だと? そんな取り繕うようなことを言わんでくれ! このことで私はますます市民から責められることになるんだぞ!」

 「そうですね。そう思われるのはごもっともなことだと思います。実のところ、意外な出来事のせいで、考えがまだうまくまとまっていないところがございます。先ほどまでに目にしたことを整理して、きちんとご説明申し上げたいと思います」

 「説明、というのが言い訳だったら、君の上司にしてくれたまえ。私は今回の依頼を取り下げることを決めた。君は王都へ帰ってもらおう」

 「言い訳ではございません。ひょっとすると手掛かりをつかんだのかもしれないのです」

 「手掛かりだと? 君はこれまでの『試し』で、誰がリザードマンか見破る手掛かりを見つけた、というのかね?」

 「申し訳ありません。今の時点ではまだ『ひょっとすると』の段階です」

 レトは声を抑えるように言った。

 「話にならん。今の話では私の気は変わらんぞ」

 市長は捨て台詞のように吐き捨てると、出口に向かって歩き始めた。そこにはホーエンム卿が待っていた。帰りもホーエンム卿が送るつもりらしい。ホーエンム卿は、市長の肩を抱くように教会の外へ連れ出した。

 「はったりだったんだろ? 聖なる水の『試し』」

 兵長がレトのそばへ寄ると、耳元でささやくように言った。

 「はったり?」メルルはレトの顔を見つめた。

 「聖なる水が魔族の血を浄化するって話さ。リザードマンがそんなことを聞いて、『試し』を受けるわけがない。順番が来るまでに暴れて正体をさらすはずだったんだ。打ち合わせでも、その可能性について話してたしな。だが、リザードマンは肝が太いのか、それとも探偵のはったりに気づいていたのか、何の動きも見せなかった。もちろん、さっきの人たちの中に、もともとリザードマンがいなかったってこともありうるがな」

 「それはもちろんなのですが。……正直、この展開に困惑しています。また別の角度から事件を再検証する必要がありますね」

 レトは何か奥歯に物が挟まっているかのように歯切れが悪かった。

 レトの隣では、神父が静かに立っていたが、兵長から水差しを返してもらうと、

 「では、私は片づけ事をしております」

 と、席を外すように奥へ下がっていった。

 レトは神父を無言で見送っていたが、神父の姿が見えなくなると、再び口を開いた。

 「さっきは『ひょっとすると手掛かりをつかんだ』と言いましたが、あれはウソではありません。か細いものですが気づいたことがあったのです」

 「いったい何をだ?」

 兵長の問いにレトが答えようとすると、ひとりの兵士が飛び込んできた。市民の誘導をしていたタックだった。

 「兵長、魔物狩りが!」

 「はぁあ、今度は何だ?」

 兵長はうんざりしたような声を出した。

 「市民のひとりに槍を向けてにらみ合っています!」

 レトがはじかれたようにタックへ顔を向けた。

 「まさか、ルピーダさんも同じことを考えたか!」

 「だから、何をだ?」兵長は少しいらだったようにレトを振り返った。

 しかし、すでにレトは出口に向かって駆け出しているところだった。

 「肉屋のボッブスがリザードマンだと」

 レトは叫ぶように答えた。


22


 教会の外では、相当数の人だかりが大きな円を形作っていた。レトに続いて教会を飛び出したメルルと兵長は、その輪の中心にルピーダとゴーゴリーの姿を認めた。そして、さらにもうひとり、肉屋のボッブスがいることにも気がついた。

 「だから、お嬢さん。何か勘違いしていると思うんだがね。俺がいったい何かしたかね?」

 ボッブスは両手をあげて、なだめるような声でルピーダに話しかけている。

 「下手なおとぼけは止めなって言ってるのさ、トカゲ野郎」

 ルピーダは構えた槍をピタリとボッブスの胸元に突き付けたまま、低い声で言った。

 「さっきから、何を言われているのか、俺にはわからんと言ってるじゃないか」

 「何なんだ、いったい何をもめている?」

 人だかりから、ひとりの兵士が進み出て、ふたりの間に割って入ろうとした。そこをゴーゴリーの太い腕がさえぎった。

 「お嬢の邪魔をするな」

 ゴーゴリーの声は低く、太く、そして威圧感たっぷりだった。進み出た兵士はたじろいで、じりじりと後退する。

 「トカゲ野郎は人間の言葉が今ひとつ理解できないみたいだねぇ」

 ルピーダはレトにも見せた、あの挑発的な表情でせせら笑うように言った。

 「あの晩にさ、あたしはあんたと探偵が戦っているのを見たんだよ。遠目だったけど、探偵との比較でトカゲ野郎がどんな大きさなのかは把握できてるのさ。探偵が言うには、アークリザードってのは魔法じゃなくて、自分の身体を変形させて人間に化けるってさ。だから、化けることができても質量を変えることはできないってね。だったら、容疑者を一か所に集めたら、探偵の大きさを目安に、リザードマンの体型と近い奴を探せば話は早いじゃない。何で探偵があんなまどろっこしいことをやっていたのかは知らないけど、あたしからすれば、該当者はあんたひとりしかいなかったよ。探偵の茶番は最後まで付き合ってやったけど、魔物狩りは魔物狩りのやり方で狩らせてもらうわ」

 「あんたのやり方って、何なんだよ」

 ボッブスは両手を広げたまま尋ねた。

 「簡単さ。この槍でぶすっとひと刺しさ。あんたが本物のトカゲ野郎なら、さすがに正体を隠せないんじゃない? もし、本当に人間だっていうのなら……、そうねぇ、病院で厚ーい看護でもしてあげるわ」

 「おい、本当に俺を刺すのか?」

 「あたしを甘く見ないことね」

 ルピーダはそう言うと、ぐっと両腕に力を入れて槍を突き出した。槍の刃先は、確実にボッブスの腹を狙っていた。

 「まずい!」レトが叫んだ。

 周りの者たちは、誰もがルピーダが男を刺したと思っただろう。だが、ルピーダは槍の手ごたえの違和感に苦笑を浮かべた。「大当たりってところね」

 槍の先端はボッブスの腹に到達しなかった。緑色の鱗まみれの手が槍をつかんで止めていたのだ。

 「病院で看護だって?」

 ボッブスは徐々に顔を変形させながら、錆だらけの嗤い声をあげた。メルルはその声に聞き覚えがあった。あの夜、レトと共に戦ったリザードマンが発した声。今、聞こえているのは、まさに同じ声だった。

 「看護はいいから、俺のメシになってくれよ!」

 びりびりとボッブスが着ている服の両袖が破れだし、両腕がみるみる厚く、そして太く膨れあがった。顔は完全に人とは別のものに変わっている。それは、まさにリザードマンの顔だった。

 「リ、リザードマンだぁ!」

 周りから叫び声が起こると、その場は恐慌状態になった。我先にと八方へ人々が逃げ惑う。その人の群れは、ルピーダの元へ駆けつけようとするレトと兵長を阻んだ。

 「頼む、道を開けてくれ!」兵長は人々をかき分けながら叫び声をあげた。レトは逃げ惑う人たちの間をすり抜けようとしたが押し戻されてしまった。メルルは大勢の人々がこちらに突進するので、ただ立ち尽くすだけである。周囲の兵たちの中には、突然の出来事で動けない者も見えた。いや、動ける者もただうろたえて右往左往している有様だった。

 ルピーダは槍を引き抜こうと力を入れたが、しっかりと固定されたように動かない。

 「ちぃ!」

 ルピーダは槍から手を放して後ろへ飛びずさると、腰の剣を抜いた。

 「ゴーゴリー、行くよ!」

 ルピーダの声がするより早く、ゴーゴリーは自分の槍をリザードマンに突き入れた。リザードマンはルピーダの槍でそれを弾き返した。

 「ぐっ!」

 ゴーゴリーは数歩後ろへ飛ばされたが、転ぶまいと踏ん張った。

 「なんて力だ!」

 「人間の腕力と較べるな!」

 リザードマンは吠えるように叫ぶと、持っている槍をゴーゴリーに投げつけた。唸りをあげて飛んでくる槍を、ゴーゴリーはかろうじて避けた。槍はまっすぐ飛び続けて、すでに逃げている誰かの脚を刺し貫いた。槍が刺さった男は悲鳴を上げて倒れた。

 リザードマンが横を向いたので、ルピーダは左側面から剣を振りかざして脇を狙った。すると、リザードマンはくるりとルピーダのほうを向いた。

 ガキンという鈍い音が響き渡る。ルピーダの繰り出した一撃は、リザードマンの肘で防がれた。肘は固いうろこで覆われていた。

 「女、さっきから俺のことをトカゲ野郎って何度も呼んでいたよな?」

 リザードマンはゆっくりとしゃべった。まるで確認を取るかのように。ルピーダは自分を見つめるリザードマンの冷たい目に戦慄した。

 「俺たちはトカゲじゃねぇ!」

 攻撃を防いだ腕をそのまま振り上げると、ルピーダはよろめいて二、三歩後ろへ下がった。ルピーダが態勢を整える間もなく、リザードマンが飛びかかってきた。

 「速い!」ルピーダはとっさに剣を盾のように構えた。

 リザードマンが下から突き上げた拳は、ルピーダの剣を粉々に砕いた。その拳はそのままルピーダの腹を捉える。ルピーダの表情がゆがんだ。リザードマンがそのまま拳を振り上げると、ルピーダの身体は簡単に空を舞い、地面に叩きつけられた。

 「お嬢!」ゴーゴリーが叫んだ。

 「さすがに壊れたかな、今の」

 リザードマンは頭を掻きながら、倒れているルピーダに歩み寄った。

 ざくり、と何かが切れる音がした。リザードマンは自分の足元を見つめた。ルピーダは折れた剣をリザードマンの足の甲に突き刺したのだ。ルピーダは口の端から血の泡を吹き出しながらも、目だけはギラギラと闘争心むき出しでリザードマンを睨みつけていた。

 「とっさに後ろへ飛んで、致命傷だけは避けたか。どうりで軽かったわけだ」

 リザードマンは刺された足を気にすることなく、ルピーダに手を伸ばした。そこへゴーゴリーが槍を持って突進した。

 「突っ込むと思ったぜ、お前」リザードマンはゴーゴリーに向き合うと左手を突き出した。リザードマンはゴーゴリーが突き出した槍の切っ先から付け根の部分をつかむや、ぐいっと腕を回した。ゴーゴリーは槍を持ったまま左へ振り回された。ゴーゴリーの身体は大きく飛ばされて、ようやくたどり着いた兵長にぶつかった。

 「いってぇ!」

 うめきながらゴーゴリーと共に崩れ落ちる兵長の脇を、レトが駆け抜けて剣を抜いた。そして、リザードマンからは少し距離を置いて剣を構える。

 「ちょうど良かった。お前だけは殺しておきたいと思ってたんだ」

 リザードマンはレトのほうへ足を踏み出した。ゴーゴリーから奪った槍をくるくる回している。

 「こちらは予定が狂いまくりです。あなたを捕まえるのはもう少し後にするつもりでしたので」

 レトは額に汗をかきながら、苦笑いを浮かべた。

 「ほう、まるで、あの『試し』で俺の正体を見破ったような口ぶりだな」

 レトは少し息を整えるように、ふうと吐き出すと、

 「あなたが手掛かりを与えてくれたからです」と言った。

 「ハァ? 俺がそんなことをしたか?」

 「昨夜から、あなたは僕にたくさん情報を与えています。おかげで、ようやく事件の全体像が見えてきたところです」

 リザードマンはフンッと鼻を鳴らした。

 「お前はずっと鼻につく奴だぜ!」

 リザードマンは槍をレトめがけて突き出した。

 レトは槍の下をかいくぐるとリザードマンの懐まで迫った。リザードマンは槍から手を離すと、両手でレトをつかみにかかった。レトはさらに態勢を低く下げると、リザードマンの右脇を駆け抜けた。レトの剣が閃いた。

 「何!」

 リザードマンの脇から血しぶきがあがった。

 「あいつ一撃入れやがった!」ゴーゴリーともつれるように立ち上がった兵長から驚嘆の声があがった。ゴーゴリーも意外なものを見つめるような目になっている。

 レトはすばやく身体の向きを変えると、そのまま脚の裏を切り裂いた。

 「こいつ! さっきから俺の柔らかいところばかりを!」

 リザードマンは怒りの大声をあげて振り返った。しかし、そこにレトの姿はもうなかった。

 「クソッ。どこだ?」

 瞬間、背中にゾクリとしたものを感じて、リザードマンは前に飛んだ。そのまま向きを後ろに変えると、そこにレトが剣を構えて向かってくるところだった。

 「チクショオ、こいつは何なんだ!」

 リザードマンが太い腕を振り回すと、レトは届かない距離で足を止めた。それから、剣を構えたまま右回りに、背後を取ろうと小走りで移動する。


――昨夜から、あなたは僕にたくさん情報を与えています。


……まさか、こいつは俺の戦いかたを覚えたって言うのか?

 リザードマンは背後を取らせまいと、レトと向きを合わせながら考えた。

……魔物狩りはあっさり捉えることができたのに、こいつはさっきから捉えられねぇ。こっちの動きにくいところから斬りかかってくるし、つかもうとすれば先にかわされている。まるで、次の動きが見えているようだ。

 リザードマンの思考は、そこでひとつの答えに行き着いた。

 「……お前、『討伐戦争』で戦っていたな? 俺たちの種族と」

 レトはうなずいた。

 「あなたがたリザード族とは何度か戦いました。それに加え、あなたの戦い方にはクセが多い。おかげであなたの死角がわかりました」

 「俺のクセ、死角だぁ?」

 リザードマンはあきれたようにつぶやいた。

……いや、これは出まかせじゃねぇ。だから、俺はこいつを捉えられねぇんだ。

 「ついでに考え方もわかりました。あと、あなたは非常に人間臭い。だから、上手に人間に化けることもできた。一方でアークリザードであることにも誇りを持っている」

 レトは言葉を続けた。

 「……俺が人間臭い、だと?」

 「自分が蔑んでいる相手から逆に侮辱されると、とても怒る。これは人間ならではのことで、トカゲにはない感情のはずです。あなたはトカゲよりも人間に近い」

 「お前もトカゲと言うか……」

 リザードマンはずんずんとレトに向かっていった。両目が吊り上がり、怒りでギラギラ光っている。

 ようやく戦いの場に到着したメルルは、はっとしたように立ち止まった。

……レトさんがリザードマンをトカゲって呼んだ?

 レトがルピーダに忠告していたことだったはずだ。リザードマンを「トカゲ」と呼べば怒らせることになる、と。メルルは自分の位置とレトとの位置。そして、リザードマンとの位置関係に考えが及んだ。……そうか、そういうことなんだ。

 「バカにする奴は死ねぇええ!」

 リザードマンはレトの目前で左腕を振り上げた。

 「『火炎剛球インフェルノ』!」

 背後から呪文の声が響くと、巨大な炎がリザードマンの首から後頭部を焼き焦がした。これにはリザードマンも思わず悲鳴をあげた。後ろを押さえて振り返った瞬間、今度は小さな炎が顔面を覆う。

 「『火球衝撃ファイアーボール』!」呪文の主はメルルだった。

 「クソ! また、あの豆チビか!」リザードマンは顔を覆いながら喚いた。メルルの炎でリザードマンは視界を奪われた。

 レトの剣が再び閃くと、リザードマンの左腕が糸を引いて宙を飛んだ。返す剣で、今度は先ほど斬りつけた脚の裏を大きく切り裂く。さすがのリザードマンも膝を落として四つん這いになった。

 「クソっ! クソっ! 俺を怒らせたのは、チビに呪文を唱えるスキを作らせるためか。お前、自分をおとりにしやがったのか!」

 「頑丈なあなたを無力化させるためです」

 レトはリザードマンに剣を向けて言った。メルルも魔法の杖を構えながら、リザードマンに近寄った。

 「念のため、確認します。カーラ・ボルフさんを殺害したのは、あなたですね?」

 レトは静かに尋ねた。

 「さぁな。殺した奴にいちいち名前なんか聞いちゃいねぇよ」

 リザードマンは左腕を失った痛みに呻きながらも、ふてぶてしい態度で答えた。傷口を押さえている右手から、自分の血がどくどく流れているのがわかる。まずい、早くこの場から逃げ出して傷を塞がないと、血の流し過ぎで死んでしまう。

 「質問を変えましょう。狙っていたのはサーストン教授ですね? しかし、あの満月の夜、狩場に現れたのはカーラさんだった。そこで、あなたは獲物を変更してカーラさんを襲った」

 メルルは驚いてレトのほうを見つめた。リザードマンは顔を伏せながら、クククと笑った。

 「わかっているようじゃないか、探偵。サーストンに『月呼草』を見せたのは、あそこにおびき寄せるためだ。だが、当日現れたのは、見たこともない女だった。だが、枯れた中年男より、よっぽど旨そうだったんで、予定を変更したのさ」

……腕を一本斬り落とされちまった。脚もやられている。いや、脚はまだ動く。今なら、まだ逃げられるはずだ。

 「せっかく女を仕留めたってのに、すぐ人の気配が近づいてきやがったんで、獲物を置いてずらかることにしたんだ。悲鳴を聞かれたのはまずかった」

……後ろに探偵。正面は豆チビ。これ以上、探偵とやり合うのは無理だ。だが、正面の小娘はどうだ?

 「獲物はあきらめたが、『月呼草』の薬まであきらめるのは損失が大きいと思った。だから、種が飛び散ってしまう前に取っておこうとしたら、お前らに邪魔されたんだ。お前、ずっと邪魔だったぜ……」

 「あの夜、なぜ、本来の姿で現れた? 人間の姿で採取しても良かったでしょうに」

 「……人間の姿のままじゃあ、うまく袋に種を入れることができねぇんだ。人間の手は俺たちにとっちゃあ小さくて不便なんだよ。時間はかからねぇし、いざとなりゃ林に逃げりゃ、見つかりっこねぇからな。ちょっとの間だと思って元の姿に戻ったのさ」

……正面のチビを捕まえて人質にする。それなら走ることもなく、この街から歩いて逃げられる。近くの森に入れば、もうこっちのもんだ。どれだけ数で来ようと、逆に狩り殺してやることができる。

 「お前、そんなことを聞きたいがために、俺を殺さなかったのか? ご苦労なこった」

……匂いで位置を確認。探偵は相変わらず後ろ。チビが正面なのも変わらず。あたりは兵どもが取り囲んでいる。匂いが多くて数や距離もわからん。だが、これぐらいなら何とかなる。だったら、やるべきことをやるだけだ。

 リザードマンは天を仰いで、大声をあげた。

 「おおい、俺はもうこんなところにいるのは止めにする! この街から出て行く!」

 それから急に声を落とした。

 「だからよ、探偵。俺を見逃しちゃくれねぇかなぁ?」

 「……そんな話、聞けるわけないでしょう」レトはちらりとメルルの両脇に視線を送りながら言った。

 「だよな!」

 リザードマンは飛び跳ねるように身を起こすと、猛然とメルルに向かって右手を伸ばした。メルルの口から悲鳴が上がった。

 だが、突き出された右手は、メルルの目前で止まった。リザードマンの喉に一本、心臓の位置に一本。それぞれに槍が突き刺さっていた。兵長とタックが突き刺したのだ。

 「もう、やらせねぇよ」

 兵長が低い声でつぶやいた。兵長たちはメルルの両脇で、彼女の守備に就いていたのだ。

 リザードマンの口からブクブクと血の泡があふれだした。やがて、そのまま前のめりにどうと地面に倒れこんで動かなくなった。

 レトはリザードマンにかがみこんだ。息の有無、瞳孔の開きを確認すると、ため息をつきながら立ち上がった。

 「死んだか?」兵長は尋ねた。

 レトは疲れた表情でうなずいた。

 「ええ、もう死んでいます」

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