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夜咲く花は死を招く chapter1

Chapter 1


1


 月の明るい夜のことである。若い女がひとり、ひと気のない街道を歩いていた。この界隈は居酒屋などが並んでいる通りなのだが、夜も更けてきたせいか、たいていの店から明かりが消えていた。景気が悪いわけではない。この街、ケルンでは当たり前の光景だった。

 城塞都市ケルンは、ギデオンフェル王国の中では比較的小さな街である。人口はおよそ15万人あたりで、特に目立った産業があるわけではない。ただ、かつてここは魔族の国マイグランに攻撃されていた過去があり、街をぐるりと囲む城塞はその名残である。数百年前は交通の要衝として魔族にも重要視されていたのだ。今でも交易の中継点として、あるいは冒険者たちが旅の途中に足を休める場所として、「それなりに」栄えている。とは言っても、城塞によって街の規模が固定された状態では、繁栄すると言っても制限があるのだった。そのせいもあって、街に住む人の数も訪れる人の数も、結局、「それなりに」なってしまうのだ。

 そんな街の事情はすでに承知しているから、ひと気のない通りを歩く女に不安な様子はない。むしろ、口の端に笑みさえ浮かべて機嫌よく歩いていた。普段は日中に歩いている通りである。時間が夜になったくらいで心配にならない。ひと気がないとは言え、まったくの無人というわけでもない。ときおり冒険者と思しき者とすれ違ったりもしていた。

 女が歩く先に一軒の酒場に明かりが点いていた。扉が開き、若い男が外に出た。その後ろから見覚えのある中年の男が現れた。その酒場の店主である。若者は女とは逆の方向、つまり街の中心に向かって歩き出していた。おそらく冒険者で、これから宿へ向かうのだろう。

 女はふと足を止め、すれ違う若者を見た。若者は冒険者風のいでたちで腰に剣を差していた。左肩から手の先まで銀色に輝く大きな鎧を着けている。だが、女が足を止めた理由は、その若者の肩に乗っているカラスが目についたからである。カラスは大人しく留まっていた。若者のほうは女に顔を向けることもなく、そのまま歩み去っていった。

 「剣士が使い魔を使役しているの?」

 女はそうつぶやいたが、それ以上興味が湧かなかったようで顔の向きを変えた。その先では、先ほどの店主が店先に吊るしたランプを手に取り、明かりを吹き消しているところだ。店主はそこで女に気づいたように顔を向けた。

 「やぁ、魔女さん。こんばんは」

 女は腰に手を当てて「ちょっとぉ」と不服そうな声をあげた。

 「私は女魔法使い。魔女と違うの。前にも言ったでしょ」

 「おや、そうだったかね。でも魔女も女魔法使いも一緒じゃないのかね」

 店主はにこにこ顔で応じる。反省の色はない。

 「魔法使いは、魔法学校とかできちんと魔道を学んだ魔法の研究者。魔女は伝説の存在。魔法は操るけど、研究者じゃないわ」

 「前にも聞いたことはあったが、やっぱりよくわからんなぁ。ところで、今夜はこんな時間に何の用かね。悪いが店はさっきの客で閉めるところだよ」

 「さっきの話に関係ありよ。私これから『月呼草』の花を採りに行くところなの」

 「『つきよびそう』? 何かね、そりゃ」

 「魔法研究の材料に使うの。いろいろな魔法の薬になるのよ」

 「それをこんな時間にかね」

 店主はややあきれた声を出した。

 「仕方がないわ。満月の出る夜にしか咲かない花なの。だから『月呼草』っていうの。しかも日中は地面の下に潜っているから、昼間じゃ見つからないし」

 「はぁ、そりゃ珍妙な花だねぇ。まぁここいらは魔物が出るところでもないが、それでも女のひとり歩きだ。気をつけなさいよ」

 「そうね、ありがとう。じゃあ」

 女は手を振って店主の前を通り過ぎた。その背中に店主が声を掛けた。

 「たしか、あんた弟子がおったろう。ちっちゃい可愛い女の子。あの子は一緒じゃないのかね?」

 女は顔だけ振り向いた。

 「置いてったわ」

 店主はやれやれと首を振ると店に入り、店内の明かりも消した。

 店主の言う通り、この街は女が夜道をひとりで歩きまわれるほど安全とは言えない。冒険者の中にはゴロツキのようなものもいるし、街の人すべてが善人であるわけでもない。それでも、女は自分の魔法には少々自信があった。ちゃちな腕前のゴロツキ程度であれば、ひとりでどうにかできる。女の弟子は魔法を学び始めて日が浅い。魔法で戦ったことは一度もない超初心者だ。暴漢と戦う羽目になったとき、どれほどの戦力になるだろう? さすがにあの子を守りながら戦う、というのはやりにくい。だからこそ、女は弟子をだますようにして置いて出かけたのだ。あの子には帰ってからよく謝っておこう。

 女が向かったのは、通りのはずれにぽつんと立つ小屋である。その小屋は肉屋がさばいた牛の骨などが一時放り込まれているものだった。骨は肥料に使われるのである。女はぐるりと小屋の背後に歩いて行った。小屋の周りは膝ほどの雑草で囲まれた草原のようになっている。

 探し物はすぐ見つかった。小屋の後ろはちょうど月明かりに照らされている。それほど茂っていない草や低木が月の光を受け、小屋の壁に濃い影を描いていた。その草に紛れるように、ぼうっと青白い光を放つ小さな白い花の姿が見えた。

 「あった」

 女はあっけなく見つかった花に、拍子抜けしたようにうれしくないような声を出した。『月呼草』は、自生すると言われるところでもめったに見つからない幻の花である。まさか、こんなに簡単に見つかるとは思っていなかったのだ。しかも、一輪ではない。いくつもの『月呼草』の花が咲いていたのである。

 女はゆっくりと身をかがめ、花を一輪手に取った。偽物ではないにしても、別の草花の可能性もある。花弁の様子も花びらの形も間違いない。『月呼草』だ。

 ふいに女はぞくりとしたように身を震わせた。「おかしい」と声が漏れる。本物だからこそおかしい。この植物は、こんな街中に自生するようなものでないはずだ。こんなに群生することは自然では難しいのではないか。『月呼草』は薬草として珍重されている。普段は肉食の魔獣も病を得ると、この花を食べて癒すと聞く。そうした効果を狙い、誰かがここに持ち込んで栽培しているのではないか……。

 女は急に自分の居るところだけ陰になっていることに気づいた。誰かが背後に立って、月の明かりを遮っている。最短で唱えられる攻撃魔法、『火球衝撃ファイアーボール』の呪文をつぶやきながら女は立ち上がって振り向いた。そして、背後に立つものと対峙した。

 女にとって致命的だったのは、そこで『驚いた』ことだろう。せっかく唱えかけた呪文を自らの悲鳴で中断してしまった。そして、その悲鳴は長く続かなかった。大きな手が女の首をわしづかみにし、そのまま握りつぶした。一瞬のことである。女の悲鳴は首の骨が折れる音と共に消えてしまった……。


2


 「ね、ひどいでしょ。うちの先生っ!」

 店の明かりがほとんど消えた通りを、ひとりの少女がぷりぷり声をあげながら歩いていた。かたわらには大柄な男を引き連れている。少女はとんがり帽子に濃紺のローブ、手には小ぶりの樫の杖があった。はた目にもわかる魔法使いの装いだ。とんがり帽子からは、くるくるっとした巻毛があふれだしており、月の光を受けて金色に輝いている。背は低く、大柄な男の半分ほどしか身長がなかった。少女は魔法使い見習い。男のほうは大剣を腰に下げた甲冑姿で、街の衛士である。立場はまったく異なるが、ふたりは仕事を通じての顔なじみだった。

 「だからといって、ひとりで追いかけるなんて。君もねぇ、メルルちゃん」

 「『ちゃん』付けはやめてくださいっ。みんな私を子供扱いにしてぇ!」

 メルルと呼ばれた少女は収まる様子がない。

 「今日、先生、すごい話が聞けたって興奮して。『月呼草』が街はずれで咲いているのを見た人がいるって。今夜満月だから、今日確かめに行くんだって。私だって行きたいじゃない。幻の『月呼草』探しに。それなのに、私に用事を言いつけて、こっちが片づけている間にひとりで出かけちゃったんですよっ。これをひどいと言わないで何て言うんですかっ!」

 一気にまくしたてると、すたすたと先を急ぐように通りを早歩きで進む。

 そのかたわらを肩にカラスを乗せた若者がすれ違った。メルルは気づく様子もなく歩いていく。

 「君が怒っているのは、ようくわかったよ。でもね、君の先生もこんな夜更けに君を連れ出すのは良くないと考えたんじゃないかな。わかるだろ?」

 街の衛士、ヴィック兵長は大柄な体を丸めるようにして、メルルの肩に両手を掛けようか掛けまいか逡巡していた。彼は夜道をひとりで歩いているメルルを見かけて後を追ってきたのだ。事情を聞いて家に帰そうとしたのだが、どうも逆効果のようだ。

 「それが子ども扱いって言うんですっ。私もう16歳ですよっ!」

 「それで16?……いや、その、ええと……」

 ムッと振り返ったメルルに、兵長は慌てて両手を左右にブンブンと振った。

 「いや、だからこそ年頃の女の子を夜更けの街でひとり歩きさせられないじゃないか。いいかい、最近、この街は用心が必要なんだ」

 「何がですか」

 彼女は兵長に顔も向けずに聞き返した。


 「この街で、最近、行方不明者が増えているんだ」


 すれ違ってだいぶ先へ進んでいたにもかかわらず、肩にカラスを乗せた若者がぴくりと反応して立ち止まった。そして顔だけ振り返って、遠ざかるふたりを見つめた。


 「行方不明者ですか?」

 あまり興味を示さない様子でメルルは聞き返した。実のところ、先生に追いつきたい一心で、兵長のせっかくの忠告があまり耳に入ってこない。

 「そうさ。たいていが旅人や冒険者らしいがね。最初は街の外で行方不明になったんじゃないかって思われてたんだが、たまたま、門衛の知人が街に入ったまま、そのまま消えてしまったことがわかってね」

 「街から出なかったということですか」

 兵長はうなずいた。

 「ああ。その知人は門衛に二、三日で街を出ると伝えていたそうだが、四日過ぎても街を出た様子がない。そもそも、門衛に挨拶無しに街を出ることがなかったから、そこでおかしいとなったんだ」

 「探しても見つからなかったんですね?」

 「そう、宿屋では予定通り三日の予定で滞在して、宿を出たことまではわかったが、そこから先、プツンと……」

 「足取りが途絶えた」

 ふいに背後から声が飛んできたので、メルルも兵長も飛び上がってしまった。振り返ると先ほどすれ違った若者が近づいて来る。背はそれほど高くないが、目元に涼しさがあり、メルルは見た瞬間に「かっこいい人」と思った。しかし、その印象はすぐに若者の異様な姿に打ち消された。さっきはメルルも急いでいたので気に留めていなかったが、この若者は肩にカラスを乗せている。そして、薄手の胸当て姿にマントを羽織った冒険者風の服装だが、どういうわけか左腕だけすっぽりと覆う巨大な鋼の鎧が、マントの陰から月の光を受けて光っていた。

 「誰だ」兵長は腰に差した剣の柄に手を掛けた。

 若者は両手をあげて、安心させるように穏やかな口調で話し始めた。

 「すみません、突然、声を掛けて。実は僕は、この街で起きている行方不明事件を調べるために来た……」

 しかし、そこで若者は口を閉ざした。突然あたりから女の悲鳴が響き渡ったのだ。しかし、その悲鳴は唐突に途切れた。

 「何だ?」兵長は剣を抜きかけた姿勢のままあたりを見渡した。

 「先生の声です!」メルルが叫んだ。

 「あそこから聞こえました!」

 若者が駆け出しながら叫んだ。肩に留まっていたカラスがばっと翼を広げ飛び立った。

 慌ててメルルが若者の後を追う。気づいたように兵長も後に続いた。

 若者はまっすぐ駆けながら、目はあたりをうかがっていた。街のはずれで人家はないため、ランプのような明かりはない。しかし、月明かりであたりがわからなくなるほど暗くはない。道の左右は原っぱになっていて、膝ほどの雑草が茂っていた。若者の目は、左右どちらにも何者の影も見当たらないことを確認していた。間もなく道沿いに建つ小屋の前に着くと、「小屋の中の声じゃなかった」とつぶやき裏へ回る。メルルも続いて裏に回るため、雑草の群れを踏みしだいて原っぱに入っていった。

 兵長も小屋の裏へ回ると、そこにふたりの姿を見つけた。若者は倒れている女にかがみこんで首のあたりを触っている。その背後でメルルが呆然とした様子で立っていた。女はぴくりと動く様子もない。

 「どうだ?」

 兵長は若者に声を掛けた。

 若者は首を左右に振った。

 「首が折れています。死んでいます」


3


――「魔法使いになりたい? あなたが?」

――「いろいろ知りたいんです、この世界のこと。魔法使いは世界のことわりの探究者だって聞きました。カーラさんも、いろいろ研究をしてるんですよね?」

――「ことわりの研究者は大げさね、私の場合は。私は困っている人を魔法で助けてあげたいだけ。そのための知識を深めたいと思っているの」

――「私もそうしたいって思ってるんです」

――「あら、私たち、ひょっとして気が合うの?」


――「先生、見てください! 新しい魔法を覚えました!」

――「あら、そう? じゃあ次の呪文覚えよっか」

――「えええ。ひと休みできるんじゃないんですかぁ」

――「あなたは魔法学院に行って、ちゃんと勉強したいんでしょ? ここで音を上げてたら、いつまでたっても入れないわよ」

――「ふぇえええ」


――「今夜、ちょっとお留守番をお願い」

――「どうしたんです、先生」

――「この街なかで『月呼草』の花が咲いているのを見たって人がいるのよ。今夜満月だから、ちょっと行って確かめてみるわ」

――「ええ? すごいじゃないですか、それ。私も行きたいです」

――「あなたはダメよ。お留守番して」

――「ぶぅうう。行きたいですぅ、私も見たいですぅ『月呼草』」

――「……しょうがないわね。じゃあ、ひとつ片づけ事お願いするから、それをすませたら連れてってあげるわ」

――「やったぁ。先生、その片づけ事って何です、何です?」

――「もう、せっつかないの」


 「……先生……」

 メルルは力のない声をだすと、がっくりと膝から崩れ落ちた。そして、そのままの姿勢で呆けたように動かない。

 兵長は腰から呼子を取り出すと大きく息を吸い、笛を吹いた。耳が痛くなるような呼子の響きが夜の空気を切り裂いた。

 若者は立ち上がると雑草を押し分けながら足元を調べ始めた。やがて目的のものを見つけ出した。大きな足跡である。足跡はいくつかあったが、女から遠ざかるものを探し出すと、兵長に振り返った。

 「あなたはその子のそばに」短く声を掛けると、剣の柄に手を掛けて再び駆け出した。

 「おい、お前っ!」

 兵長が大声を出したが、若者はそのまま草原の先にある林の中へ消えてしまった。

 兵長は若者が走り去った林とメルルと交互に顔を向けた。やがて、ため息をつくとメルルのほうに向いて、その肩に大きな手を置いた。メルルは頬を涙で濡らしながら、女に覆いかぶさった。


 若者はすぐに戻ってきた。兵長と目が合うと、無言で首を左右に振った。

 「ダメか」

 「林の中は木の根が地面から盛り上がっていて、土が見えないような状態でした。そこで足跡も消えてしまいました」

 「そうか」兵長は腕を組むと唸った。

 「この人は何です? 兵長」

 兵長のかたわらに兵士がひとり立っていた。呼子の音を聞きつけて駆けつけた、巡回中の兵士のひとりだった。名前はタックというその兵士はほっそりとした体格で、甲冑を着ていなければ兵士には見えないような、弱々しい感じの若者だ。あまり背が高くないので、大柄な兵長の横に立っていると、よけい小さく見える。呼子でやってきたのはタックだけではない。数名の甲冑を着た兵士が小屋のかたわらに立っていたし、近くの住民たちの何人かが、ランプを手に小屋の前の道からこちらをのぞいていた。

 「俺も知らん。あんた、いったい何者だ? さっき俺たちに声を掛けてきたが……」

 兵長は組んでいた腕をほどきながら腰に手を当てた。剣を抜くつもりはないようだが、気を許していないことは見てとれた。

 若者はすぐに質問に答えず、空を見上げた。すると、先ほどのカラスがどこからともなく舞い降りてきて若者の肩に降り立った。メルルは女のかたわらで座ったまま、女の顔を見つめ続けていたが、カラスの羽音で後ろを振り返った。

 「僕は、ホストレイク市長の依頼で参りました、『メリヴェール王立探偵事務所』の探偵、レト・カーペンターです」

 若者はそう言うと、胸元から鎖につながれた銀色に光るものを取り出して見せた。ギデオンフェル王国で特別な任務に就いている者の証となる、王国の紋章が刻印された純銀のメダルだった。


 「『メリヴェール王立探偵事務所』?」

 タックが不審そうな声をあげた。

 「……探偵事務所。聞いたことがある」兵長は、レトの首から下げていたメダルが本物であることを確かめると、メダルをレトに返しながらつぶやいた。

 「いったい、それは何ですか、兵長」

 「正式名称『ギデオンフェル王国メリヴェール王立探偵事務所』。何でもルチウス王太子殿下が、事件捜査のために新設した機関だそうだ。今まで憲兵隊が担当していた犯罪事件の捜査を扱うとか」

 「憲兵隊もこれまで通り犯罪捜査に関わっていきますが、『推理』が得意というわけではありません。『メリヴェール王立探偵事務所』はそこを補う部署として設立されたのです」

 レトと名乗った若者は補足するように付け加えた。

 「もう何件か憲兵隊が解決できなかった事件を解決したとかで評判になっている。だが、そのせいでメンツを潰された格好の憲兵隊はあんたたちを目の仇にしてるってことも聞いてるぜ」兵長が後を続けたが、意地の悪そうな声だった。街の駐屯兵も憲兵隊も同じ王国軍の一員であり、仲間である。仲間にとっての仇は自分の仇でもある、という様子だ。

 「メンツで事件は解決できません。適切な捜査を行い、事件の真相を解き明かしていく。探偵はただそうするだけです」

 レトは静かに答えた。しかし、その声の調子にメルルはハッとしてレトの顔を見た。彼はまったくの無表情で、そこから何の感情もうかがえないが、今の受け答えで彼の勝気な一面が見えた気がしたのだ。

 「ほう、じゃあ、あんたはこの件も捜査する気かい?」

 兵長は腕をあげて、メルルのほうに向けた。

 「ついたった今、彼女を殺した犯人を取り逃がしたあんたが」

 レトは表情のない顔ですっとメルルを見つめた。いや、メルルの背後で倒れている女を見ていた。

 「僕は市長の依頼で、この街で起きている行方不明事件の捜査で参りました。ですが、この件は一連の行方不明事件とつながっているかもしれません。当然、この件も捜査いたします」

 「ハッ、じゃあ早速調べてくれよ、この事件。誰が彼女を殺したんだ」

 レトは兵長の挑発的な声には応えず、小屋の前の道を見つめた。あれから少し野次馬の数も増えてきたが、そこへ大きな馬車が一台、がらがらと車輪の音を響かせながら通ってきたのだ。貴族が使用する黒塗りの高級馬車である。兵長たちもそちらに気を取られ、その場の者すべてが馬車を見つめることになった。

 馬車は小屋の前で停まると、黒塗りの扉が大きく開いた。中からはいかにも貴族が着るようなヒラヒラした飾りのついた上着を着た男が現れた。彼は馭者が置いた踏み台をゆっくり踏みしめながら降り立った。

 「ホーエンム卿」兵長がつぶやいた。

 ホーエンム卿はここケルンでは名士として知られている。市長とも親交が厚く、駐屯兵にとって邪険に扱うわけにはいかない人物だった。そのホーエンム卿は周りの野次馬たちに向かって手をあげてうなずいていた。貴族的に挨拶をしているらしい。首の周りがだぶつくほどよく肥えており、うなずくたびにあごが首の中に埋もれていた。

 馬車から降りてきたのはホーエンム卿だけではなかった。続いて、聖職者が着るローブ姿の男が姿を現した。こちらは中肉中背で、頭は白髪で真っ白だった。その下には鋭くあたりをうかがう細い目がのぞいていた。

 「ファレル神父」今度は野次馬の中から声があがった。

 「いったい何事かね、緊急の笛が鳴っていたようだが」

 ホーエンム卿があたりを見回しながら大きな声をあげた。

 兵長が道まで進み出て敬礼した。

 「ケルン駐屯兵団第三部隊所属、ヴィック兵長であります。実は、ここで女性が殺される事件が起きたところです」

 「これは、なんと」

 ホーエンム卿は驚いたような声をあげるとかたわらに立ったファレル神父に顔を向けた。神父はうなずくと、兵長に声を掛けた。

 「で、犯人は捕まえたのかね?」

 「いいえ、まだであります」

 「殺された女性は……」

 「遺体はこの小屋の裏です。現場もそこです」

 「どんなふうに殺されているのかね」

 「……首の骨を折られているようでした」

 兵長の言葉に今度は神父がホーエンム卿と顔を見合わせた。

 「犯人は誰かわかっているのかね?」

 「いいえ、それはまだです。足跡から後を追ったものがいますが、途中で足跡を見失っております」

 「後を追ったのは僕です」

 兵長の背後からレトが姿を現し、ふたりに向かって頭を下げた。ホーエンム卿も神父も、レトの姿をまじまじと見つめた。カラスを肩に乗せ、片腕だけ鋼鉄の鎧を着けたレトの姿に驚いているようだ。

 「君は一体誰かね?」

 ホーエンム卿の言葉に、レトの背後に立ったタックはうんざりしたように上を見上げた。さっき聞いた話の繰り返しになるからだ。

 タックが懸念したようにレトの自己紹介が繰り返される。しかし、反応は兵長とはまったく違っていた。

 「おお、君があの王太子殿下肝いりの探偵かね。噂には聞いているよ。君がこの件に関わってくれるのはありがたい話だ。この街には憲兵隊がいないから、事件が起きると駐屯兵頼みにはなるが、彼らは街の警護が主任務で、人殺しを追っかけるのは専門外だ。彼らの負担が小さくなるよう、協力してもらえるかね?」

 街の名士とはいえ、ここでそんな要請のできる権限などない。それでも、周りの者はそのことに異を唱えることはなかった。レトも「もちろんです」と答え、再び頭を下げた。

 その様子に満足したようにホーエンム卿はうなずくと、踵をかえして馬車に体を向けた。

 「私はこれで失礼するよ。ファレル神父、今夜は一緒に食事ができて良かった」

 神父は微笑みながら答えた。

 「本日はご馳走になり、さらにはこちらまで馬車でお送りいただき感謝いたします。ですが今度、また食事にお誘いいただく際は前もってお知らせください。今日のように、いきなり押しかけてそのまま屋敷まで連れてこられるのは勘弁ですぞ」

 「気を付けよう。じゃが、やっと手に入れた珍味をどうしても神父にも味わってほしくてな」

 「そのお心遣いには感謝いたしております」

 「まぁ、今夜は大目に見てくれ。それでは」

 ホーエンム卿はそう言うと、馬車の中に戻っていった。その後ろ姿に、神父は軽く会釈した。すぐに鞭のぴしりという音が響き、馬車は来た道を引き返していった。馬車がある程度離れるまで神父は会釈した姿勢を続けていた。やがて顔をあげた神父は、「さて」と声を出した。

 「私もこれで失礼するとしよう。しかし、亡くなったかたのご遺体は、私の教会まで運んでくれたまえ。葬儀の準備をするとしよう」

 神父は通り沿いを指さした。

 「私の居る教会はあそこに見える尖塔のある建物だ。すぐ近くだよ」

 そこへレトが進み出た。

 「遺体の様子など、まだ調べることがあります。それから教会へお運びすることになるでしょう」

 神父はうなずいた。

 「どうぞ良しなに」

神父が立ち去るのに合わせ、野次馬も少しずつその場を去っていく。レトはくるりと兵長に顔を向けた。

 「ヴィック兵長。本来、取るべき手続きがあるのは承知していますが、これから、このまま事件の捜査をさせていただいてもよろしいでしょうか」

 兵長はホーエンム卿の登場により、すっかり調子を狂わされた様子だった。レトの言葉にも「ああ」と力なく返事をしただけだ。

 レトは小屋の裏に戻るとメルルの隣でしゃがんだ。メルルはそれまでの間もずっと女の横で座ったままだった。レトはメルルの耳元で声をあげた。

 「君、ちょっといいかな」

 「はい」メルルは急に声を掛けられどきりとした。

 「この人はいったいどなたですか」

 レトの澄んだ静かな声に、メルルはようやく我に返った。それでも、メルルが返事をするには、声を絞り出すようにしなければならなかった。

 「ええと、あの、その、私の魔法の先生です。カーラ・ボルフ。どこの魔法ギルドにも属していない、独立魔法使いです」

 「魔法学院は出ていないのですか?」

 「いいえ、たしかワルギリナ魔法学院で学んでいたと聞いたことがあります。それが何か?」

 「身元の裏付け確認のためです。あなた以外からも確認ができるようにするためです」

 メルルはレトをじっと見つめた。彼女は探偵とはどういうものかさっぱりわからなかった。彼女の故郷に探偵という職業はなかったし、そもそも犯罪捜査なるものがどのように行われるのか見当もつかなかった。次に自分は何を尋ねられるのだろう?

 「で、君は……」

 「私の名前はメルルです。魔法の学校で学んだことはありません。先生から認められれば、魔法学院を受験させていただくつもりでした」

 「先生はどんな魔法の使い手だったんですか?」

 メルルは少し考えながら答えた。

 「魔法学院出ですから、ひと通りの魔法は使えるかたでしたが、得意なのは回復系だったと思います。それと、その延長になるのでしょうが、魔法で作る薬の専門家でもありました」

 「魔法薬剤師だったんですね」

 メルルはうなずいた。

 「ええ、先生はいくさ仕事より、人を助ける仕事をしたいとおっしゃってて。それで、どの魔法ギルドにも所属されなかったんです。ギルドに居ると、どうしてもいくさ仕事もやらなきゃいけないからって」

 メルルの目に新たな涙があふれだした。

 「優しい、ほんとに優しい人でした。そして、研究熱心な人でした」

 レトは静かにうなずいた。

 「ところで、あなたがここに向かっているのを見ていました。先生がここに居るのを知っていたのですね?」

 メルルは黙ったままこくんと頭を動かした。

 「先生はここに何か魔法の研究か、それに関わる何かで来ていたのですか?」

 メルルは再びうなずいた。

 「『月呼草』が街中で咲いているのを見た人がいる。今夜、それをここに探しに行くっておっしゃってたんです」

 「『月呼草』?」

 レトはつぶやくと、夜空を見上げた。

 「ああ、今夜は満月だ」

 それから、倒れている女のかたわらに咲いている花に目を留めた。

 「じゃあ、これが『月呼草』なんですね」

 メルルは改めてレトの顔をしげしげと見つめた。

 「どうしました?」レトが気づいたように声をあげた。

 「だって、あなたは剣士さんでしょ?」

 レトは自分の腰に差している剣に視線を移した。

 「まぁ……。剣士で、そして探偵です」

 「探偵って魔法のこともご存じなんですか?」

 「探偵って職業はいろいろ知っているほうがいいんです」

 レトは短く答え、

 「先生は、この『月呼草』のことを誰から聞いたんです?」

 メルルはかぶりを振った。

 「知りません。先生は『月呼草』を見た人がいる、としか」

 「何かその人物の特徴的なこととかも?」レトが重ねて質問する。

 そこへ、兵長が割って入った。

 「おい、その話が先生殺しと関係あるのか」

 「今は何とも。ですが、可能性はあります」

 「根拠は?」

 「『月呼草』の生えている場所が問題なのです」

 レトは立ち上がって兵長を振り返った。

 「ご覧ください。この花が咲いているのはどこです?」

 「小屋の裏だ」

 「小屋の裏は人が通るような場所ですか?」

 そこで、兵長はううむと声を出した。

 「ただの原っぱだ。裏手の先には林しかない」

 「ここで『月呼草』を見た、という人はどんな用事でここを通ったのでしょうか? しかも満月の夜に。この花は小屋の裏手にしか咲いていません。通りを歩いて偶然見かけた、ということはないでしょう。まるで、あらかじめここに『月呼草』があるのを知っているようではないですか」

 そこで、兵長は「あ」と短く声をあげた。

 「カーラ先生は、何者かに誘い出された?」

 「その可能性はあります」

 「そんな!」

 メルルが立ち上がって大声をあげた。

 「さっきも言いましたけど、先生は優しい人なんです。そんな先生を誰が誘い出して殺そうとするんですか! 何のために!」

 メルルの叫ぶような問いに、レトは静かな口調で答えた。


 「彼女を食べるために」


4


 レトの言葉にその場に居たものすべてが凍り付いたように動かなくなった。

 「……食べるため」

 レトは倒れているカーラの首を指さした。一同の視線は導かれるように示された先へ動く。

 「首の青あざは犯人の手で握りつぶされたことによって生じたものです。跡から見て、片手で握りつぶしているのです。相当握力の強い者でなければできません。僕たちは悲鳴が途切れるのを聞きました。犯人は悲鳴を上げているカーラさんの首をつかんだ瞬間に握りつぶしたんです。それと、このあざの形を見てください。このあざで手の大きさがわかります。どうです、ヴィック兵長? 兵長は体格の大きいかたですが、このあざぐらいの手の大きさはございますか?」

 兵長はカーラのそばにかがみこんで首のあざと自分の手と見比べた。

 「……いや、俺の手よりはるかに大きい」

 「首の後ろには爪が食い込んだ跡もありますが、その跡も見てください」

 兵長は頭をそっと持ち上げて首の後ろに目をやった。

 「なんだ、これは! 人のものじゃない、獣のような爪痕だ!」

 兵長の大声に、周りからどよめいたような声があがった。数名の駐屯兵は、レトがメルルに事情を聴きはじめたあたりから野次馬を追い返していた。その仕事を片付けた兵士たちが先ほどのやりとりを聞いてしまったのだ。

 「おい、探偵! これは何だ。何がここで起きたんだ?」

 焦ったような兵長の声を、メルルはぼんやりとした表情で聞いていた。魔物が先生を襲った? 先生を食べるために? いったい、この人はさっきから何の話をしているんだろう?

 「……これは、あくまで推論です。この街には人喰いの魔族が紛れ込んでいて、獲物を探していた。そして、彼女をここまで誘い込んで襲った。しかし、僕たちがあまりに早く駆けつけたので、犯人は獲物をあきらめ、その場から逃げたのです」

 「魔族がこの街に? しかし、魔族は人と外見が違うだろ。いくら街が広くても、さすがに目につくんじゃないか」

 「魔族は人の姿に似ているものもいます。ですが、今回はおそらく変形型の魔族だと思います」

 「変形型?」

 「人喰いの性質がある魔族は、人の姿とは似つかぬものばかりです。しかし、人を狙いやすくするため、自分の体を人の姿に擬態させられる種族がいるのです」

 「つまり化ける、ということですか?」

 離れたところで話を聞いていたタックが尋ねた。

 「『化ける』は『化ける』なのですが、その場合、魔法で変身する場合も含まれます。しかし、変身する魔法は高度です。そんな魔法が使えるのは『ハイクラス』と呼ばれる高級魔族ぐらいです。ちなみに魔王シリウスがその『ハイクラス』です。さすがに魔王と同じ種の魔族がこの街に人狩りにやってきた、というのは考えにくいです。それに『ハイクラス』は人を食べません」

 「だから、変形型の魔族だ、と?」タックが重ねて尋ねようとしたが、それを兵長の大声がさえぎった。

 「いや、それならそれで、その変形型魔族ってのは一体何なんだ! どんな化け物なんだ!」

 いらいらしたような大声だ。

 「おそらくリザードマンの変異種です」レトは答えた。

 「リザードマン?」

 「リザードマンの中には人喰いの性質を持ったものがいますが、その中の『アークリザード』と呼ばれる種は、顔などの外見を人の姿に自ら変形させることができるのです。鱗も人と同じ肌に変えることができます」

 「じゃあ、この街に人の姿をした化け物が紛れ込んでいるって言うのか!」

 「それが僕の考えです」レトは静かに答えた。

 急にあたりがざわざわしだした。周りで話を聞いていた兵士たちが、動揺したようにめいめい勝手にしゃべりだしたのだ。

 「おい、探偵」

 兵長が声を掛けた。その声は少し震えが混じっていた。

 「カーラさんを殺したのは、たしかに魔物の類だろう。だがな、これだけの痕跡で『アークリザード』だと断定できるのか? ほかの魔物の可能性はないのか?」

 「はい。僕は手の大きさ、形、爪痕から判断しましたが、実は以前、アークリザードにつけられた傷を実際に見たことがあります。それと、現場が街中であることも考慮しました」

 「現場が街なか?」

 「擬態化して人を襲う魔物はいろいろいます。例えば、木や岩に擬態化するものもいます。ですが、こんなひと目につく街なかで堂々と行動が起こせるのは、人に擬態化できるアークリザードぐらいでしょう」

 「しかし、あんた、そのアークリザードなんてもの見たことがあるのか? 俺は、いや、駐屯兵の誰も知らねぇぜ。この街を拠点にしている冒険者たちからもリザードマンと戦ったなんて話は聞いたことがない」

 レトは一瞬、答えるのをためらった。

 「……僕は、かつて、戦争でリザードマンと戦ったことがあります」

 「……戦争で、って。まさか、討伐戦争か」

 レトはゆっくりとうなずいた。

 「当時、僕がいた戦場は、魔族と直接戦うところでした」

 レトの話を途中から聞き入っていた周りの兵たちが、再びざわざわしだした。

 メルルはぽかんとして話を聞いていた。討伐戦争が2年前にあった魔族との戦争であることは知っている。その戦争にこの若者が従軍していた、というのが信じられなかった。メルルは、レトの若々しい容貌から年齢を二十歳前後と予想していた。そんな若者がさらに2年も前に戦争を経験していたなんて……。

 「じゃあ、あんたは戦争時代の経験からも、これがアークリザードの仕業だと判断したと言うんだな?」

 レトはうなずいた。兵長はしばらく言葉が出なかった。やがて、おもむろに口を開いた。

 「あんたの見立てはよくわかった。しかし、その『アークリザード』って化け物を見分ける方法はあるのか。俺たちに、人の姿で街なかを動き回っている魔物を見つけることはできるのか?」

 「外見で見分けるのは難しいでしょうね」

 「じゃあ、どうしたらいい? どうやって俺たちはこの街を守ったらいい?」

 レトは兵長と向き合った。

 「これまで通り、巡回に力を入れてください。この魔族を捕まえるのは僕の役目です」

 「あんた、最初、ここには行方不明者の件で来たって言ってたな。これまでの行方不明者ってのは……」

 「この街に来る前は可能性のひとつとして考えていました。今、だいぶその考えに傾いていますが。ですから、相手が魔族であろうと探し出すつもりで、ここに来たのです」

 「あんたひとりでどうにかなるのか? 探し出せるのか?」

 「やってみます」

 レトは深くうなずいた。

 「ですが、さすがにひとりでできないこともあります。そのときは……」

 「わかった。こちらもできることは協力しよう」

 兵長も深くうなずいた。

 「まずはどうするつもりだ」

 「そうですね」レトは短く答えると、

 「そろそろ、カーラさんを教会まで運びましょうか。遺体から調べられることはまだあるかもしれませんが……。それ以外に手掛かりがないか、この場所をよく調べたいのです」

 レトの少し言いよどんだ口調に、「死体をどかす」という意味合いの言葉を避けたのだと、兵長はメルルに目をやりながら察した。

 「それなら、彼女は俺が運ぼう。それと、町医者も呼ぶとしよう。医者の目で何か調べられることがないか確認したほうがいいしな」

 「おっしゃるとおりです。それではお願いします」

 レトは頭を下げると、すっと左手を上に向けた。すると、左手からポッと小さな炎が立ち上がり、あたりは月明かりより明るく照らし出された。

 メルルは目を丸くした。

 「すごい、いつ呪文を唱えたんですか?」

 「内緒です」

 レトはそう言うと、カーラの倒れているあたりに明かりを向けた。

 「おい、お前たちも手伝ってくれ」

 兵長は部下に声を掛けた。ひとしきりざわついていた兵たちもおしゃべりを止め、兵長と共にカーラを持ち上げた。

 「さっそくですみませんが、三名ほどここに残していただいていいですか? リザードマンがもう戻ってくるとは思えませんが念のためです」

 「そうだな。タック、ギドー、ベック。三人はここに残って警戒に当たれ」

 タックとその両脇に立っていた兵たちは「ハッ」と敬礼すると、小屋の裏手を背に歩哨に立った。レトは「ありがとうございます」と再び頭を下げると、カーラが横たわっていたあたりにかがみこんで手の明かりを近づけた。

 メルルは、自分はどうしたものかと、レトと運ばれていくカーラとを交互に見ていた。しかし、兵長の背中が遠ざかるのを見ると、レトに向かって頭を下げ、無言のまま兵長の後を追った。


5


 教会に着くと、ファレル神父は遺体を載せる台を用意してくれていた。カーラの身体はそこにそっと置かれた。

 教会の中はいくつものろうそくの火で明るく照らされていた。明かりの中で横たわっているカーラは静かに眠っているようだった。

 「カーラさんではないですか」

 ファレル神父は驚いたような声をあげた。そうか、とメルルは初めて気づいたように思った。先ほど神父は、「女が殺された」としか聞いていなかったはずだから、被害者が先生だったなんて知らなかったはずだ。

 「なんとむごいことを」

 神父はカーラに向かって両手を組み、黙とうを捧げた。

 「あまり親交はありませんでしたが、街の人々に薬を渡し、癒していただいていたことは存じております」

 「本当に優しい人でした」メルルは応じた。

 「ところで、探偵のかたがこの事件を調べると聞きましたが、何かわかったんですか?」

 神父はメルルに顔を向けた。

 「それが……」メルルは言いよどんだ。カーラがリザードマンという魔物に殺されたなどという話を、神父にして良いものかどうか。メルルの様子に兵長が気づいた。

 「神父、実はここでのことは他言無用でお願いしたいのです。それと、これから教会に医者がやってきますが、医者の見立ても耳にしないでほしいのです」

 兵長が横から口をはさんだ。

 「どういうことです?」

 「いえ、この事件は下手をすると街を大混乱に落としかねない危ういところがありまして……」

 「ひとりの女性が殺されただけではない、ということですかな? ……わかりました。私はしばらく奥の部屋で外していることにしましょう」

 「勝手を申して、どうもすみません」

 神父は「いいえ」と短く首を振ると、祭壇の右手奥にある扉へ進んでいった。

 「私はこの奥に居ります。教会の居室はこちらなので。それと……」

 神父は左手奥の扉をあごで指した。

 「あちらは地下に通じる扉です。『聖なる水』が湧く井戸があるのです」

 「ほう、あちらに」

 『聖なる水』とは、ギデオンフェル王国の領内のところどころで湧き出す清浄な水のことである。魔を払う効果があるとのことで、その水が湧くところはたいてい教会が立てられている。『聖なる水』は浄めなど、神聖な儀式で使われているのだ。

 「神聖な場所なので、あちらには立ち入らないようにしてもらいたい」

 「お約束いたします」

 その言葉に神父は深くうなずくと扉の奥へ消えていった。


 「ヴィックさん」

 神父が立ち去ると、メルルは不安そうな声で兵長に話しかけた。

 「神父様にあんなことを言うなんて……」

 「しかしだな……。いや、実はまだ混乱して、この事態でどう動けばいいのかよくわかっていないんだ」

 「兵長、我々が魔族を追跡しなくて良いのですか?」

 兵士のひとりが声をあげ、周りの者もうなずいた。

 「お前たちはさっきの話を聞いていただろ? そいつは人の姿をしてるって言うんだぜ。あの探偵の言うことが正しいとすれば、ここ数年起きている行方不明事件の犯人もそいつってことになる。俺たちは、もう数年も奴がすぐそばにいることすら気づいちゃいなかったんだ。今、慌ててあたりを捜したところで見つけられるとは思えねぇよ」

 「それはそうなのですが……」兵たちはきまり悪そうに互いを見やった。自分たちでは役立たずと宣言されたようで、素直に受け止められないのだ。

 「それに、俺たちが騒いで、この話が広まってみろ。街に居る誰かが化け物だなんて知れたら、それこそ街中大混乱だ」

 「部隊長に報告しないんですか?」

 「もちろん報告はする。しかし、そっから先どうする? 魔族を探し出せ、なんて命令が下されても、どうにもできねぇぜ、俺たちは」

 兵長は大きなため息をついた。

 「かと言って、よく知らない探偵野郎に頼っていいものかどうか……」

 「たぶん、あの人は頼りになると思います」

 メルルの言葉に、兵長は不思議そうな目でメルルを見つめた。

 「なんでそう思う?」

 「『月呼草』が小屋の裏に生えていたことから、先生が狙われていたと気づきました。それから、ほんの短い時間に先生の首を見ただけで、『アークリザード』の存在まで指摘してみせました。あれが、『探偵』の力じゃないんでしょうか?」

 「それなんだがな、メルルちゃん。一応、医者の見立ても聞いてみなくちゃ、完全に信用はできないよ」

 今度はメルルがため息をついた。さっきはあの探偵に大人しく従って行動していたのに、時間がたてば「信用できない」ときた。兵長の混乱ぶりは相当なものだ。しかし、それを責めることはできない。なぜなら、メルルもこの事態に当惑していたからである。さっきまでカーラを失った悲しみに胸が押しつぶされるような心地でいたのに、犯人が魔族だと聞いてから、ずっと胸の奥でざわざわする気持ちで悩まされていた。自分の感情がわからなくなっている。悲しいのか、怖いのか、それとも……

 ようやく、そこでメルルはざわざわする気持ちの正体に気づいた。

 「私、悔しいです」

 「何?」メルルの唐突の言葉に、兵長はとまどった。

 「もう少し早く、私が仕事を片付けられたら。もう少し早く、あそこに行くことができたら。もう少し早く、ヴィックさんをあそこに連れていくことができたら……」

……こんなことにはならなかったのに!

 メルルの目に新しい涙があふれだした。

 「……先生」

 メルルは両手で顔を覆った。

 すでに問題山積の兵長には荷が重かった。メルルに声も手も掛けることができず、兵長も周りの兵士も沈黙したまま立ち尽くした。

 そこへ、教会の大扉が開き、兵士のひとりが眼鏡を掛けた白衣の老人を連れて入ってきた。教会に向かう途中で、町医者を呼ぶように命じられた兵士が戻ってきたのだ。

 「いったい何事かね」

 町医者は白髪交じりの頭をかきながら床に鞄を置くと、

 「説明はあんたに聞いてほしいとのことだが……」

 と、兵長に声を掛けた。この医者と兵長は古くからの馴染みだった。さすがに魔族が化けたものとは思っていない。

 「ああ、先生。急に申し訳ない。実はこの方を見てもらいたいんだがね……」

 医者は台の上に横たわるカーラに視線を移した。

 「……もう、亡くなっているようだがね」

 「ええ、ですから診てもらいたいのは、治療のためではなく、何にやられたのかってことなんですがね」

 「何にやられた、だと?」

 医者は眼鏡の位置を直すと、カーラの首に目をやった。大きなあざが目についたのだ。医者は手早く、あざの跡を調べ、頭を動かし、首の後ろにも目をやった。ひとしきり調べ終わると、医者はしばらく無言のまま自分のあごをなでていた。

 「……これは、たしかに人の仕業じゃないねぇ」

 医者はようやく、つぶやくように口を開いた。

 「じゃあ、何だと思う?」

 「ワシは魔族のことはよく知らん。しかし、こいつはたぶん知っておる」

 「だから、何だよ」

 「リザードマンじゃ」医者は答えた。

 周りの兵士が無言のまま、互いの顔を見合わせた。

 「先生、確かですか」兵長は医者に尋ねた。

 「手の大きさ、首の後ろに食い込んだ爪の跡。どちらも奴の特徴が出ている。かなり昔、この街の外でリザードマンに襲われた男がいてな。幸い、そのときはケガだけで済んだが、腕をつかまれて骨が折れておった。すごい握力じゃ。ワシがその男を診たんじゃが、そのときついていたあざと爪痕はまったくこれと同じような形じゃったわい」

 「あの探偵の見立ては間違っていなかったか……」

 「どういうことかね。この女性の遺体はどこで見つかったのかね?」

 医者は不審そうな声で周りに尋ねた。しかし、誰もその問いに答えようとしない。

 「おい、まさか……」

 「先生」

 兵長は両手で医者の両肩を、がしっとつかんだ。

 「申し訳ないが、こちらから正式な発表があるまでは、このことは他言無用にしてほしい。いずれ、こちらからきちんと話をするから。頼むよ、先生」

 明らかに医者は動揺したように震えていた。

 「こ、こ、この街に、リザードマンが潜り込んでいるのか……」

 「頼むよ、先生」兵長は穏やかな声で繰り返した。

 「は、いや、そうか……。わかった。ワシはただ黙っていよう」

 兵長はうなずくと部下のほうに向きを変え、その中のひとりに声を掛けた。先ほど医者を連れてきた兵士だ。

 「先生をご自宅までお送りしてくれ。周囲に気をつけてな」

 兵士はさっと敬礼すると、医者を促し、外へ連れ出していった。教会を出る際、医者は背を丸めたまま鞄を抱えると、少しだけ兵長のほうに顔を向けて小さく会釈した。

 「これで裏付けは取れたわけだ」

 医者が立ち去ると、兵長は疲れたようにつぶやいて、礼拝者が座る長椅子に腰を下ろした。しかし、自分の太ももを両手でどんと打つと、勢いよく立ち上がった。

 「俺はこれから本部に戻り、部隊長に報告する。状況が状況だから、そのまま市長のご自宅までご報告に行かなきゃならんかもな。探偵がこっちに来たら、医者からも裏は取れた、と伝えてくれ。お前たちはこのままこの教会で、この子と一緒に居てやってくれ。探偵から何か指示が出るかもしれん。軍務に反しない限りは、あいつのそばについて指示に従ってくれ」

 腹をくくった様子の兵長はてきぱきと指示を出すと、メルルの頭にぽんと手を置いた。

 「俺はここを離れる。探偵には先生があそこに来た事情をできるだけ詳しく教えてやってくれ」

 「ヴィックさん……」

 「俺たちは、ただやるべきことをするだけさ」

 兵長は茶目っ気たっぷりに片目をつむって見せると、部下たちに手を振り、教会を出ていった。

 レトが教会に現れたのは、それから間もなくだった。

 メルルは兵長のことや医者の見立てのことを短く伝えた。

 「そうですか」

 レトは台に横たわるカーラのほうに目をやりながら、礼拝の長椅子に腰を下ろした。メルルも隣に座った。

 「今回の一件は、いろいろと考えるべき点がありますが、ひとつひとつ確認するしかありません。改めて先生のことを尋ねたいのですが、いいですか?」

 「私にわかることでしたら、何でも」メルルは膝に置いた自分の手の甲に視線を落としたまま答えた。

 「先生は人から『月呼草』のことを聞いた、でしたね。その日、先生はどちらかに出かけていたのですか?」

 「先生は頼まれて調合したお薬を依頼された方がたへ届けに出かけてらっしゃいました。けっこう依頼があって、私だけでなく、先生もお届けをしていたんです」

 「先生がお届けに行ったのは、すべて常連のお客さんですか?」

 「ええ。少なくとも初めてのお客さんはおられなかったです」

 「今日、お届けに行ったお客さんは何人だったとか、どなた宛に行ったとかご存知ですか?」

 「いいえ。先生がどちらへお届けに行ったのか、私は知らないんです」

 「顧客名簿はつけていますか?」

 「ええ。どんなお薬を頼まれていたか、大事な記録になりますから」

 「では明日の朝、見せていただいてもいいですか? もちろん、お客さんの情報を他人に漏らすことはいたしません」

 レトはそこで言葉を区切った。

 「秘密を守るのも探偵の仕事ですから」

 メルルはそこでレトの顔を見つめた。レトの穏やかだがまっすぐな瞳を見て、メルルはうなずいた。

 「明日、ご用意します」

 「では明日、あなたがたのお店を訪ねます。お店はどちらにありますか?」

 「ええと、この街は初めてなんですよね?」

 「ええ」

 「じゃあ、私、いったんお店に戻ろうと思っていたので、ご一緒にどうですか。それなら明日といわず、すぐお見せできます」

 「いいのですか、ここに居なくて」

 レトはカーラが横たわっている台に顔を向けた。

 「ええ、一度は戻って着替えしなきゃ、って思っていたところなんです」

 メルルは足元をたくし上げながら答えた。原っぱに踏み込み、地面に座り込んだりしていたので、服のすそは土まみれになっていた。

 「そうですか、では行きましょうか」

 レトはそう言うと立ち上がり、近くで控えていた兵士に声を掛けた。教会には三名の兵士が残っていたが、そのうちのひとりがメルルたちと同行することになった。メルルたちは教会を後にした。


6


 メルルが店に戻ったのは、もう夜更けと言っていい時間帯だった。あたりはすっかり寝静まり、まるでこの街に人が住んでいないようだとメルルは思った。店の扉を開いたとき、扉のきしむ音が思っていたより大きく響いたので、メルルは少しびくっと身体を震わせた。

 「ど、どうぞお入りください」

 メルルは少しどもりがちに言うと、レトと兵士は無言で店に入った。

 「探偵さんも、兵士さんも、こちらにおかけになってください」

 普段は客に座ってもらう椅子を勧めると、メルルはさらに奥へ続く扉を開けた。そこは台所になっていた。

 待ってもらう間にと、メルルはふたりに薬草茶を用意した。お客に評判の、香りのいいお茶だ。

 「あまり、おもてなしできるものはないんですが。どうぞ、このお茶で温まってください。さすがに夜も更けて、『霜冷え』する寒さになってきました」

 「や、お嬢さん、ありがとうございます」

 兵士は素直にカップを受け取ると、すぐ口をつけようとしたが、「あちっ」と言って口を離した。レトもすぐ口をつけようとせず、カップから立ち上る湯気を嗅いでいる。

 「これは薬草茶ですか?」

 「ええ、冷え性に効き目があるお茶なんです。お茶としても美味しいんですよ」

 お茶を淹れるのには自信がある。メルルはちょっと胸を張って言った。

 「へぇえ、良い香りですよ、お嬢さん」兵士がメルルをほめた。

 「恐れ入ります」

 メルルは会釈すると、奥の部屋へ着替えに入った。

 着替えをすませ、名簿を手に戻ってみると、レトは窓際でカップを片手に外の様子をうかがっている。兵士は椅子に座ったままカップの中を見つめていた。兵士はメルルに気づくと笑顔を向けた。

 「やぁ、お嬢さん。ごちそうさまです。ひと息つけましたよ」

 「良かったです」メルルもにっこりと笑顔になった。

 「いいお茶ですね。何ていうお茶です?」

 「さぁ、何だと思います?」

 メルルはいたずらっぽく言った。色や風味は紅茶に似ている。しかし、これは『カント茶』という、メルルの出身地特産のお茶だった。お茶の淹れ方も、お茶の産地育ちだからこそ身についたものだ。

 「『カント茶』、ですね」

 窓際から答えが返ってきて、メルルと兵士は声のしたほうへ顔を向けた。レトがこちらを向いていた。

 「すごい、よくわかりましたね」メルルは少しうれしくなって弾んだ声をあげた。他愛のないやりとりだが、ようやく沈んだ心に日が差してきた心地がした。

 「探偵は茶の鑑定もできるのか?」兵士は感心している様子だ。

 レトは首を振った。

 「鑑定なんてできません。メルルさんが僕たちに手掛かりをくれていたからわかったんです」

 メルルは驚いた。

 「私が、手掛かりを、ですか?」

 レトはうなずいた。

 「あなたはここに入ったとき、『霜冷え』という言葉を使いました。ケルンのような低地では『霜冷え』なんて言葉は使わない。その言葉はお茶の産地ならではの言葉です。お茶の葉は霜に弱いため、霜が出そうなほど急に冷え込んだ夜には、茶畑の周りにかがり火を焚いて霜を防ぐんです。霜が生活に関わるからこそ、『霜冷え』なんて言葉を使う。あなたがその言葉を口にしたので、まず、あなたがお茶の産地である、北の高地あたり出身だと思いました。次に、いただいたお茶。色も風味も紅茶のようでした。もし、何も聞いていなかったら紅茶だと思ったでしょう。ですが、あなたは『薬草茶』で『冷え性に効く』と言いました。紅茶に似ている別のお茶ということです。あちらの兵士さんがお茶の銘柄を聞いたときに、逆に試験するように尋ねていましたね。あれは自分の出身地で特産のものなのでしょう。特産品に対する誇らしい気持ちから、こちらの知識を試したいと思ったのではないですか? だとすれば、それはイーザリス地方で高級茶として知られる『カント茶』ではないか。紅茶の風味ですが、さらに薬効があるとかで都心部では人気のお茶です」

 「あんた、あのひと言で、そんなところまでわかったのか?」兵士はあきれた声をあげた。

 一方、メルルはレトの話の途中から、今日何度目かのぽかんとした表情になっていた。自分がイーザリスの出身だということまで言い当てられた。自分がイーザリス出身であることは広言していない。なんとなくだが、自分が田舎者だと思われることをメルルは気にしていた。そのため、言葉遣いも方言が出ないよう注意して、街の人間として振舞ってきたのだ。それなのに、レトはメルルのほんのひと言で見抜いてしまった。

……このひとなら、先生を殺した魔物を見つけてくれるはずだ。

 直感的にメルルは思った。このひとの洞察力に賭けてみよう。兵長はどうやって人に化けた魔物を見つけ出せるか、と泣きごとのようにこぼしていたが、レトはそれをやってみせる、と言ってのけた。このひとには自信か、または確信があるんだ。自分がそれを成し遂げるという何かが。ただ、ひとりではできないこともある、とも言っていた。私にも手伝えることがあるのかもしれない。

 そこでメルルは、「あ、そうだ」と思い出したように名簿を胸の前に掲げた。

 「名簿、持ってきました」メルルはレトに話しかけた。

 レトは残りのお茶を飲み干すと、カップをテーブルに置いて名簿を受け取った。そのときメルルは気づいたように声をあげた。

 「探偵さん、肩に乗せていたカラスはどうしました?」思い出してみれば、レトが教会に入ったころにはすでにカラスの姿はなかった。

 「ああ、あの鳥は教会の屋根で休んでいるよ」レトは短く答えながら、名簿を開いた。しかし、数ページめくっただけで閉じてしまった。

 「これを少しの間お借りできますか?」

 メルルはうなずいた。

 「そう言われると思って、明日のお届け予定は控えておきました」

 「助かります」レトはそう言いながら背後を探ると、マントの陰から革袋を引っ張り出した。名簿をそこに入れると、今度は外へ通じる扉へ進みだした。

 「僕はこれから市長を訪ねることにします。本当は明日の朝、挨拶にうかがう予定でしたが、事件の報告であれば、この時間でもお会いできるでしょう。それにヴィック兵長から先に報告もあったでしょうからね、僕から何の連絡もなし、というわけにもいきません」

 「お、おい、俺はどうしたらいいんだ?」

 兵士は慌てたように声をあげた。

 「あなたは引き続きメルルさんのそばにいてもらえませんか。彼女が教会に戻るのであれば、その警護を」

 「お前はひとりで行くのか?」

 「できれば、僕も誰か同行者があればいいのですが、さすがに仕方がないです。もし、リザードマンに出くわしたら、とにかく逃げるようにします」

 少し冗談めかして、レトは答えた。

 「でしたら、市長のところも一緒に行きましょうか?」

 思わずメルルが声をあげた。それにはレトも驚いたようだった。

 「あなたは教会に行ったほうが良くないですか。先生のそばにいたほうが……」

 「そうですね。でも、何かじっとしていられない感じで、先生もそんな私がそばに居ては落ち着いて眠っておられないでしょう。それに三人一緒なら、リザードマンにも襲われないんじゃありません?」

 レトはメルルから兵士へと視線を移した。

 「お、俺はそのお嬢さんが言ってる通りだと思うぜ。それに、この子をひとりにしちゃいけないだけでなく、あんたにもついてろと、兵長に言われているんだ」

 「探偵さん。私、邪魔しません。ご一緒させてください!」

 レトは再びメルルに視線を戻した。メルルはぎゅっと両手を握りしめ、まっすぐにレトを見つめている。

 レトは視線をそらすように目を閉じた。

 「メルルさん。この事件は当たり前の殺人事件じゃありません。魔族がらみの事件です。場合によっては戦うこともありえる。僕とずっと一緒にいると、そんな危険が高くなるんですよ」

 すると、メルルも目を閉じると口の中で何かを小さく唱えだした。

 「『火炎剛球インフェルノ』!」

 メルルが両手ですくうようにすると、そこからボウっと炎の玉が燃えあがった。近くに立っていた兵士は思わず後ずさった。

 「私、魔法使いとしてはまだまだ見習いですけど、簡単にやられるほどじゃないです」

 レトはじっと炎越しにメルルの顔を見つめた。

 「どこまでできるかわかりませんが、私にも協力させてください。私、もう巻き込まれちゃってるんです。私もどうにかしたいんです」

 レトは天井に顔を向けながら目を閉じた。

 一瞬あたりは静寂に支配された。

 その静寂を壊すように、レトはメルルに顔を向けて口を開いた。

 「わかりました。一緒に行きましょう」

 「決まりです」

 炎を消しながら、メルルは力強く言った。

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