morning―10
個人を保存するシステム、これには構造上の限界がある。
昨日の楓の話では、脳とそれに伴った体があって初めて一人前である、という内容だった。それは一番最初、動物が生まれ落ちたその瞬間から、その脳とその体は切っても切れない関係となるからだ。脳は体からの信号を受けて外の世界を認識し、体は脳からの信号を受けて活動する、そこで生まれる相互作用により、動物は経験し成長する。
新たな概念を持つ保険機構は、個人をその肉体と脳内情報に分けて保存する。肉体に関しては、iPS細胞を使って保険加入者のクローンを作り出し、その脳に自我が生まれないように脳への信号を極力抑えながら、成長を促す。そして脳内情報に関しては、PKフォンを応用し脳内に存在する個人の思考パターン、言語、癖、運動機能、記憶、性格、その他全ての情報を網羅的にデジタル信号に変換し、個人のバックアップを取る。そしてこれら2つを組み合わせることにより、保険加入者を再生するのである。しかし脳内情報はあまりにも膨大であるため、量子コンピュータを使っても全ての保険加入者のバックアップをリアルタイムで更新し続けることは不可能で、結果的に就寝中、脳への情報入力が最も少ないタイミングにバックアップを取るのである。だがこれがこの保険システムの限界となる。
事故があったというあの日、就寝前に死んでしまったらしいわたしからは、その日一日の記憶がごっそり抜け落ちてしまった。
何故わたしは死んだのか。思い出そうとしてもこの頭の中には前日までの記憶しかない。
一通り思い悩んだところで自分には強力なエージェントがいたことを思い出した。
「ねえ、アル。あの日のわたしとの会話とか、覚えてない?」
アルの中にある記憶なら、わたしの死に関係なく残っているはずである。
「申し訳ございません。あの日はあの事故の数時間前から、このあさんがPKフォンの電源をお切りになっていたようで、分かりません」
わたしの期待はあっさり砕け散った。強力なエージェントも雇い主がポンコツでは役に立つはずがない。なんで電源切ったんだ、わたし!過去の自分を問い質したい思いに駆られた。
「旅客機に搭載されていた人工知能は、以前にも他の事故に関与していたようですね」
自分の情けなさにうなだれている、いや体は全くもって動かすことはできないのだけれど、うなだれているわたしに、アルは興味深い言葉を投げかけてきた。
「事故ってどんな?」うなだれながらも何とか返事をする。
「一昨年の年末にハイウェイで玉突き事故があったじゃないですか。あれです」
「ああ、あれか」わたしは頭の中で新聞を広げるような気持ちで思い出す。




