踏み出した一歩
目覚めるとよく知った、でもとても懐かしい所にいた。
身体を起こし、ぐるりと辺りを見回すと昔と変わらず私の世界がそこにあった。
本棚にびっしりと収まった本、収まりきらなかった本は山積みにされて、床に置かれている。
枕元には、読み終わった本がそのままに。
深呼吸して思う。
戻ってきたんだな、と。
この塔に。始まりの塔に。
でも、どうして?
誰がここに?何のために…
そこまで考えて記憶が途切れる前のことを思い出した。
悲鳴とお兄様の哀しそうな顔。
あれからどうなったのか、お兄様は?お母様は?屋敷は?
すぐにベッドから降りて、ドアを開けようとするが鍵がかかっていて開かない。
思えば、このドアを潜ったことなんてこの塔から出る日だけだ。
そうして思った。いま私がここを出て行って何ができるというのだろうか。何もできず誰かの足手まといになる位ならここでじっと息を潜めていた方がいい。私をここに連れてきた人もそう思っているに違いない。
今の私には一人でこの扉を出て行く勇気がない。
その考えが頭の中を埋めた途端、急に外の世界が恐ろしいものに感じた。
ベッドに戻り、枕に顔をうずめた。
すると、枕の下に何か固いものがあるのに気づきそれを手に取る。
それは、絵本だった。私がいちばん大好きだった絵本。
囚われのお姫様が王子様に助けてもらい、幸せに過ごすというありきたりな話。
でも、あの頃の私にとってはそれが夢であり、自分の境遇をこのお姫様になぞらえていたりした。
ページをめくると、以前はキラキラした世界が広がり、胸が躍ったものだ。
けれど今は何も感じない。
囚われのお姫様を助ける王子様はいないし、この絵本の中のように優しく慈悲の溢れた人なんていない。おとぎ話は所詮、おとぎ話でしかないのだ。
それでも、この絵本に夢中になっていた無垢で無知な待つことしか知らない自分を思い出し、あの頃と何一つ変われない自分が嫌でベッドから降りた。
顔を上げると、最低限の光を部屋に通すだけの小窓がある。
ここから出るのは難しい、と思い、もう一度ドアの前に立つ。
よく見ると何年も使われていないせいでドアは少し脆いようだった。
思い切り体当たりすると、簡単にドアは開いた。
下へ続く螺旋階段は底が暗く見えない。
ドレスをぎゅっと握りしめ微かに差し込む陽の光だけを頼りに壁伝いに歩き始めた。
底知れない闇と闘いながらやっと外へと続く扉を見つけた。
扉を開けると容赦なく射し込んでくる光によろつきながら、どうにか塔から抜け出せることができた。
これからどうしようか、と辺りを見回すと自分の後ろに黒い服を着た男が膝をついていた。いつの間に、と体を強張らせる。
「…塔にお戻り下さい」
男が発したのはそれだけだった。
こちらに害を加える様子はないので一先ず安心し、息をつく。
「どうして私はここに?誰の指示なの?」
「…後で説明が。今はどうか塔に」
あくまで塔にいろ、としか言わない男の表情は口元まで布に覆われていて分からない。
「…お兄様の指示なのでしょう?また、遠ざけられてしまったんですね…」
やはり、問いかけには応じない。
「ここから屋敷に向かいたいの、お願い、私を助けていただけない?」
頭を下げるが、反応はない。
駄目なのか、と思い顔を上げると男は立ちあがり懐から笛を出し、吹いた。
甲高い音の後に馬の蹄の音がし、すぐに黒い毛並みの立派な馬が目の前に来た。
「ウラヌス…?」
確か、この馬は兄の愛馬だ。
「乗れ」
ウラヌスの手綱を私に差し出し、男は確かにそう言った。
「どうして…?」
「ある人から、アンタ…いや貴女が自力で塔を降りたら行かせてやれ、と言われた。俺はそれに従うまでだ」
「ありがとう、ございます」
「道はその馬が知っている」
男に頷くとそれを合図だったかのようにウラヌスが地面を蹴った。
振り落とされないように、慌てて手綱をしっかりと握りしめ、屋敷へと向かった。




