本当のこと
あけましておめでとうございます。
兄が言うには、12年前、バーハティア王国の神が黒の子の誕生を予言した。
けれども、その予言がなされていたのは隣国のパラディン王国も同じことだった。しかもその予言は20年前にもたらされていた。
だが、その事実はドーラ教の中でもごく僅かな人にしか伝わっておらず、今もなおその予言がされていたことを知る人は少ない。
「…知りませんでした…」
「私もツヴァイの報告を受けてやっと知ったよ。どうやら神族は何でも知っているようだ」
「全て、ヴィンセント様のおっしゃる通りですわ」
「…で、君は誰なのか直接聞いてもいいかな」
ナンシーはにっこりと笑って恭しくスカートの裾を掴み上げた。
「私はパラディン王国、国教ドーラ教の聖職者ナンシーと申しますわ」
ナンシーがパラディン王国の…
「それで君の狙いは?」
「私はただあるべきものをあるべき所に、と思ったまでですわ。アシュリー様はパラディン王国の神の御子であらせられる御方、当然、我が国で保護すべきです」
「それなら、国同士で話を通すべきじゃないのかな。手段が可笑しい。パラディンにはその程度の能もないという訳かな」
兄が小馬鹿にしたように鼻で笑うが、ナンシーはまあ、と口に手を当てて笑うだけだった。
「先程、仰られた通り、我が国では神の御子に関する予言は限られた者のみしか知り得ませんもの」
「…なるほど。国王すら知らないってことか」
「ふふ、無能な国王に伝えたところで民に無益が広がるだけ…尊い大司教様はなるべく事を小さく運ぼうとなさっていたのです」
「それで?私が簡単に渡すと思った?」
「いいえ、まさか。ですが、貴方が渡さずともこの国はすんなり渡すでしょう?お飾りのお人形なんて」
お飾りのお人形、とは私のことなんだろうか。
「アシュリー様」
突然、話を振られ思わずたじろぐ。
「アシュリー様、一つ、良い事を教えて差し上げます」
人差し指を顔の前に立て、にっこりと微笑みかけてくる。
ざわり、と嫌な予感に胸が騒ぐ。
「貴女が恋い焦がれた黒の王様はこの12年間、その存在は未だ見つかっておりませんのよ?」
時が止まった気がした。
ナンシーの言葉の意味が理解できない。
頭が真っ白になって何も考えられない、考えたくない。
「それなのに健気で純粋な貴女は周りに言われるがままにひたすら王妃教育を受けた。何の疑いも持たずに…」
くすり、と笑ったナンシーの目が私を捕らえて離さない。
「本当にお可哀想な方」
その一言は私に言い知れない衝撃を与えた。
可哀想?私が?
存在しない王のことを知っていながらみんな、みんな私を騙していたの?
「ですから、アシュリー様、どうか我が国にいらして下さいな。どうか、我が国の救世主に」
ぐいっと強い力で兄が私の身体を引き寄せ長いコートの下に私を隠した。
「長話は終わりだよ」
アイン、と兄が一言言うとアインの気配が近づいた気がした。
「ふふ、ここで私を殺して何もなかったことにする訳ですわね。残忍で冷酷なスペンサー家の得意な手段ですわね」
ナンシーの言葉に何も返さず、兄の手が無言で上がることを察し、慌てて兄の服を力強く引っ張る。
「お兄様っ、待ってナンシーを、」
殺さないで、と続けようとした瞬間、ナンシーが声高らかに叫ぶと強風が吹いた。
風に飛ばされないようにと私の身体を包む兄の腕に力がこもる。
突如、吹いた風は悲鳴をあげる間も無く止んだ。
「申し訳ありません、主。取り逃がしました」
兄の腕に解放され、辺りを見回すとそこにナンシーの姿はなかった。
「ナン、シー」
頭上で溜息が聞こえたかと思うと、抵抗する間も無く兄に横抱きにされた。
そのまま兄の部屋のベッドに下ろされる。
気づけば、去って行こうとする兄の服の裾を掴んでいた。
「あの、」
聞きたいことはいっぱいある。
けれど何から聞けばいいのか分からない。混乱して気分が悪い。
そんな私を見透かしたように苦笑し、兄は両の手で私の頬を包み込んだ。
「アシュリー、喉が渇いてるだろう?水を持ってくるからそれまでに頭の中を整理しておけばいいよ」
最後に二、三度頭を撫でられて兄は部屋を出て行った。
一人残った広いベッドで大きな不安と混乱を振り払うように頬に残る淡い温もりを確かめた。




