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レディ・アシュリーは踊らない  作者: 癒華
幼少期篇
39/52

兄の帰還

「来い」


伸ばされたしなやかな指に誘われるままに女はその男の手をとり、跪いた。


男は満足げに笑うと、俯いた女の顎を持ち顔を上げさせた。


女は、うっすらと微笑んでいた。


「分かっておるな?」


何を、とは言わない。

だが、女は心得ているとばかりにうっとりと微笑み頷く代わりに男の手の甲に口づけを落とした。


自分の下で忠誠を誓う女の髪を撫でるとやはり女は微笑むのだった。


「お前の忠誠を私に見せておくれ」


「はい。心得ておりますわ、旦那様」


女は胸元から小瓶を取り出すと、男の膝に跨り見せつけるように中の液体を揺らした。


いきなり自分の胸元を妖しげに往き来する女の手とその色香に男の喉が鳴る。


それに気づいていないのか女の手は更に下に伸びる。


「全ては神の思し召しですわ」


女がまた感情のない微笑みを男に向けた。



********


アシュリーは三度ぱちぱちと瞬きをしてからこてんと首を傾げた。


姉が嫁いでいっても相変わらず食事は自室で取ることになっていたが、運ばれてきた食事は何故か二人分。


ついこの間帰ってきたナンシーに理由を聞く。


「ねえ、ナンシー、今日はナンシーと朝食がいただけるの?」


使用人が共に食事だなんて聞いたことはないが、アシュリーとしてはそれほど抵抗はないことだった。


「いいえ、アシュリー様。私は既に済ませてありますわ」


じゃあ、誰が?と聞く前に部屋の扉が開けられた。


アシュリー、と耳によく馴染んだ声がした方を見ると待ち焦がれていた人が立っていた。


「お兄様…っ!」


はしたないと咎められるのも気にせず兄に駆け寄る。


「久しぶりだね、アシュリー、いい子にしていた?」


くすりと笑いながら兄は頭をくしゃりと撫でてそのまま強くアシュリーを抱きしめた。

久々に感じる兄の暖かさに安心感を覚える。


「おかえりなさい…お兄様」


兄がいない間、帰ってきたらこれを話そうあれを話そうと考えていたというのにいざ、兄を目の前にすると出てきたのはそんな単純で面白みのない言葉だった。


「さあ、食べようかアシュリー、冷めてしまうね」


そのための朝食だったのかと納得し、席に着く。


「私は外で控えております。何かあればお申し付けください」


ナンシーは気を遣ってくれたのか部屋を出て行った。


「ごめんね、アシュリー。予想していたより長く空けてしまって。それに何も言わずに出ていってしまったことも」


「お兄様がお気になさるようなことでは…」


兄が出ていった日を思い出しチクリと胸が痛む。

母に面と向かって嫌悪を向けられ、ツヴァイにあんなに冷たい目で見放されてしまった。


それを思い自然と暗い顔をしていたのか兄が訝しげに声をかけてきた。

慌てて取り繕うが、うまい取り繕い方を知らず結果的に兄に大きな溜息をつかれてしまった。


「アシュリー、何かあったのなら教えてほしいな。実の兄に遠慮する必要はないだろう?」


兄はそう諭すが、いつまででも縋るわけにはいかないのだ、と自分を律して兄を見据えた。


「大丈夫です、お兄様、なんでもありま、せん」


目を合わせながら言うが結局、最後は逸らしてしまった。兄の鋭い瞳が向けられていたから。


肝心なところでいつも駄目にしてしまう自分をひどく恨んだ。


兄は予想に反してそう、とだけ相槌をし、次には違う話題を話していた。


いつもならここで追及されそうなものだったが…

意外に上手に隠せていたのだろうか。


その後も普段通りの様子に安堵し、久しぶりの兄との時間を楽しんだ。


だから、この時の兄の沈んだ瞳に私が気づくことはなかった。






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