帰還
ヴィンセント視点です
屋敷を出て4週間がたとうとした夜に漸く、こちらに戻ってくることができた。
真夜中ということもあり、なるべく音を立てないように屋敷に入った。
4週間しか空けていないにも関わらず、屋敷がとても懐かしく感じる。
本当はもっと早くに着いて、最愛のあの子に会おうとしていたが、色々手間取ってしまって着くのが遅れた。
きっとあの子は寝てるだろうから、会うのは明日にしようと階段を上った時、後ろから声がかかった。
「ご苦労でしたね、ヴィンセント」
「…母上」
母はこんな真夜中だというのに、きっちりとした格好をしていた。
待っていたのか。こんな時間まで。
「こんな時間までお身体に障りますよ母上」
「大事な息子が漸く帰って来たのです。待つのは母として当然でしょう」
ふふ、と笑った母。この美しい母は自分の美しさをとことん理解している。昔からそんな母は苦手だった。
「ありがとうございます」
「それにしても、随分長くかかったのね。」
会話を切り上げさせてはくれない母を見ると、苛ついた様子でこちらを睨んでいた。
「貴方もあの人もエリシアの結婚式に出ないだなんて」
そういえば、エリシアの結婚式が行われたとか。随分、急に決まったものだ。
「…申し訳ありません」
「分かっているのですか。ヴィンセント。あの子はいずれ国母となるのです。貴方のエリシアに対する振る舞いは無礼でしょう」
国母、という言葉に顔が顰めてしまう。
「国母…と聞こえましたが」
「ええ。そうです。あの子は次期王妃になるのですから」
「次期王妃はアシュリーでしょう。なぜそのような…」
きっとした目が自分を睨む。
「あの子は災いを生む種でしかありません。それに聞いたでしょう。王がお決めになったことを。全く5年と待たず、あんな子すぐに処分してしまってもよいのに。」
その話はコーマックから聞いていた。
5年以内に国の乱れがあれば、次期国王はエリシアの夫であるエドモンドになる。
それを伝えにきたコーマックのあの下世話な笑いは今でも頭に残り、不快だ。
「母上、口を慎んで下さい。アシュリーは神に選ばれた子です」
「前々から思っていましたが、ヴィンセント、貴方、何故そんなにもあの子を贔屓するのですか」
青い光を宿す瞳が静かな怒りを伝える。
しばらく無言で見つめ合い、ニッコリと笑いかける。
「大事な妹ですから」
母は急に興味を無くしたように顔を背けた。
「ヴィンセント、貴方がこの家を継ぐ日もそう遠くないでしょう。何がこのスペンサー家にとって、いちばんなのかよくお考えなさい」
こちらに背を向けたままそう言い残した母に浅く礼をした。
ようやく解放され、深い溜息が零れる。
本当は明日に会おうとしていた最愛の妹の部屋に勝手に足が進む。
屋敷のいちばん奥。
隠されたようにあるその部屋の主を起こさないようにそっと扉を開ける。
夜目がきくため、暗い部屋の中でも迷うことなく妹の元へ行けた。
穏やかに寝息を立てているその子の寝顔はまだ幼い。
陶器のような頬に触れると真っ黒な睫毛ぴくりとゆれた。
自分の唯一がそこにいたことに安堵し、心の中に暖かいものが広がっていくのを感じた。
いつまででも愛おしい寝顔を見ていたかったが、そんなことをしては恥ずかしそうに拗ねられてしまう気がした。
艶やかな黒髪に口づけを落として、部屋を出ようとした。
「ん…おにいさま…」
驚いて振り返るが起きた様子はない。
寝言かと苦笑を洩らし、驚かせた罰だと今度は額に口づけを落とした。
起きているときは、恥ずかしがってしまうが寝ているときなら何度しても心地よさそうにむにゃりと微笑む妹がひどくいじらしく可愛らしい。
「おやすみ、アシュリー、よい夢を」
朝、自分を見たときの反応を楽しみにしながら今度こそ部屋を後にした。




