無音のなか
起こされた時は、まだ頭がぼんやりとしていたが夕食という言葉を聞いて、目が一気に覚めた。家族と食事!と、うきうきしながら案内された所に行くと既に母たちは席についていた。慌てて、空いている席に腰を落ち着けた。それを確認した母がグラスを手に取る。それに続いて兄や姉も食事を始めた。
マナーの家庭教師が言っていた通りに緊張しながらも食事を行儀よく済ませることができた。
全員が食べ終わると、使用人たちが皿を下げ、母が兄と姉に声をかけるとどこかに行ってしまった。兄は私の方を見て、何か言いたそうな顔をしてわ立ち止まったが名前を呼ばれると部屋を出ていってしまった。
また一人になってしまった。そう落ち込んでいる暇もなく帰され、広い部屋で沈んだ気持ちになった。気分を紛らわそうと辺りを見回すがいつもそこにある本はどこを探しても見当たらなかった。悲しくなって、寂しくなってその夜は少しだけ泣いた。
次の日の朝、起こされ支度も全てしてもらい、朝食に向かった。夕食の時と変わったのは日付と食事の内容と着ているもの位だった。食べ終わると、母が声を掛け、また一人になった。以前の暮らしとお城での暮らし。変わったのは一体なんなのだろう。
部屋に戻ったはいいが、何もすることがなかった。いつもなら、この時間は本を読んだり、宿題の見直しをしているが今はそんなものはなかった。溜息を吐いて、顔を上げると綺麗な庭が目に飛び込んだ。同じ色・種類の花がきっちりと整理されており、前の庭に比べてとても人工的な庭だった。ずっと、眺めていると変わり映えのない庭に飽きてしまい、とうとう以前の暮らしの方がよかったかもしれない、と思う様になっていた。
今日何度目か分からない溜息を吐いた時、控えめなノックが聞こえた。驚いて、固まっていたが入室を求める声に応えるべく、扉を開けた。そこに居たのは、兄と紹介された人だった。私よりも幾分も背の高い兄は私を見ると柔らかく笑った。
「はじめまして、ちゃんと話せてなかったから来てしまったんだ。迷惑じゃなかったら、少し話さないかな」
兄のその言葉が嬉しくて思わず頬が緩んでしまう。
「改めてだけどはじめまして、アシュリー。僕はヴィンセント、会えて嬉しいよ」
本当に久しく、自分の名前を呼ばれた気がする。
「わ、私も、お会いできて嬉しいです、」
マナーの先生が言うようにドレスの裾を少し持ち上げ頭を下げた上手く出来ただろうか。恐る恐る顔を上げると目尻が優しく笑っていた。
「アシュリー、昨日はあまり話せなくてごめんね。寂しい思いをしただろう?ただでさえ、今まで一人で過ごしていたのに…」
笑顔だった兄が突然、申し訳なさそうに頭を下げるので慌てて頭を上げさせた。
「謝らないで下さい、昨日は時間もなかったですし、今日、こうして来てくださっただけでも嬉しいです…」
最後の方は恥ずかしくなってしまい声が小さくなったが兄には、しっかり届いたようでまた柔らかく笑ってくれた。
それから沢山、兄と話すことができた。兄は私に今までの生活のことを聞き、私がそれに答えるたびに何故か兄が辛そうな顔をするので何だかいたたまれなくってしまう。そんな私を見て兄は優しく頭を撫でてくれた。人に頭を撫でられるだなんて初めてで固まってしまったが、その手はとても暖かくて優しかった。絵本に出てくる家族とは兄のような人たちだったように思う。
それからお昼のティータイムも私の部屋で兄と共にとると、兄は兄自身のことも話してくれた。実は、今日の朝食に出てきたポタージュは苦手だとか、馬に乗ることや剣術が得意なことなど、一気に兄に近づけた気がして嬉しくなり夢中で聞いた。兄の話は本の中のものとは違い、新鮮で楽しいものばかりだった。
ずっと話しているともう夕食の時刻になっていた。兄と2人で部屋に入ると、母は一瞬驚いた顔をしたがすぐに無表情になり、また食事が始まった。姉は、食事中、私をずっと睨んでいた。やっと、食事から解放され、部屋に戻ろうとすると母が私を呼び止めた。
「アシュリーは少しお話がありますから残りなさい。ヴィンセントとエリシアは部屋に戻りなさい。」
兄が少し心配そうに私を見つめたので、大丈夫だと微笑めば頷いて部屋に戻っていった。
「明日から、また家庭教師をつけます。先生は10時に来ますからそれまでに用意しておくようになさい。いいですね?」
「はい」
それだけを言うと母は出て行ってしまった。本当は兄のように話がしたかったが、まだ機会はいくらでもあるのだと自分に言い聞かせて自室に戻ることにした。
次の日の朝、針が10時を指したと同時にノックが響いた。家庭教師の先生は以前とは違う人だったが、その淡々と物事を教えるだけの行為は変わらなかった。ティータイムまで、びっしりと勉強をし、午後も頑張らないと、と気を引き締めて紅茶を飲み干すと使用人が服を持ってきて部屋に入って来た。
「午後は乗馬と剣術と弓の稽古です。これにお着替え下さい。」
外に出て、実践的な稽古が出来る!これなら、午後は楽しく過ごせそうだ。
乗馬の稽古はまず、馬と触れ合うことから始まった。そもそも動物と触れ合うことがなかったので怖くて触るということに時間がかかってしまった。だが、一度触ってしまえばもう慣れたもので怖いと思っていた馬も可愛いらしいものに見えてきた。その他の剣術と弓は想像以上に楽しく体を動かすことに対して自分は意外にも長けているようで、事務的な先生方も驚いたようだった。そんな様子を見ると自分がほんの少し誇らしくなった。
夕食まで、稽古は続き部屋に戻った時にはくたくただった。ベットに身を沈めながら今日は兄と話せなかったなあ、と1日を振り返っていた時ノックが響いた。
「こんばんは、アシュリー。今日は忙しかったみたいだね。」
「…!こんばんは、どうぞ、入ってください」
思っていた人が現れてくれるだなんて、実は兄は人の心がよめるのだろうか。
「母上も性急すぎる、アシュリーはまだここに来て3日しかたっていないのにね」
「いえ、暇を持て余すばかりでしたもの。それに、初めて馬術と剣術と弓を習いました。とっても楽しかったんです、」
今日の稽古のことを兄に全て話した。私が話している間、真剣に聞いてくれる兄。
「アシュリーはとても、勤勉でいい子だね。エリシアも少しはアシュリーを見習ってくれるといいんだけど」
突然出てきた、姉の名前に驚いてしまった。
「お稽古が嫌いなのですか?」
そう問うと苦笑しながら兄はエリシアのことを話してくれた。
「あまり、真面目には取り組んでいないかな。馬術や剣術なんかは危ないからと8歳の時にやめてしまったよ。勉強も得意ではないみたいでね、先生方を困らせているよ」
「そうなんですか…あまり話したことがなくて」
「エリシアもまだ緊張しているんだよ。もう少ししたらきっと話せるよ」
兄の言葉に頷くと、また優しく頭を撫でてくれた。
「それじゃあ、もう寝る時間だね。おやすみ、アシュリー」
「は、はい、おやすみなさい」
部屋を出て行こうとする兄の手を気付くと掴んでいた。兄は驚いたように私を見たがすぐに笑いどうしたの、と頬を撫でた。
「あの、あ、明日もお話してくださいますか?お、お兄様」
初めて兄と呼んだ。きっと私の顔は真っ赤だ。
「勿論。」
兄は嬉しそうに笑い、再度おやすみ、と言い部屋を出て行った。
今日は良い夢が見れそうだ。