スペンサー城塞
城塞にヴィンセントたちが到着したのは、昼近くだった。
このスペンサー家が代々治める、スペンサー城塞は極度の緊張感に包まれていた。
これからパラディン王国の者たちが攻めてくるということも緊張の一つだったが、ここから見える黒い森。魔境の森から奇妙な悲鳴が時々聞こえてくる。そして、それは確実にこちらへ向かって来ていた。
およそ、人の声とは思えないその悲鳴にその場の者は恐怖した。
森の中で何が起こってくるのか。これから自分たちは何と戦うのか。何故、パラディン王国の者たちがいきなり攻めてくるのか。
何も知らない、ということが更に兵たちの恐怖感を煽った。
だが、何も知らないのはスペンサー家の嫡男であるヴィンセントも同じだった。
父が寄越した使いの話を聞き状況もわからないままにこちらへ来ただけであった。
ヴィンセントは実の父であるセルジオにあまり良い印象は持っていなかった。
スペンサー屋敷には、ほとんど来ることはなく、スペンサー当主になってから大半をこの城塞で過ごしている。
幼心に父と戯れた経験も話したことすら、あまりない。
ただ、血が繋がっているだけの親子という感覚だった。
先ほども城塞に着いて早々、ヴィンセントが挨拶しに行くと久しぶりに会った息子だというのにそのただ顔を一瞥しただけであった。
「ヴィンセント様。お久しぶりでございます」
低く落ち着いた声がヴィンセントにかけられた。
「コーマック卿、お久しぶりです」
コーマックと呼ばれた長身の男はこの場に似つかわしくない涼しい表情をしていた。
コーマックはセルジオの昔からの側近であり、誰よりもセルジオを理解している男だった。
ひょろりとした頼りない外見とは反し、大変な策略家であることは貴族間の中では有名で頭のきれる男だった。
「ヴィンセント様がいらしてくださればご当主様もご安心なされるでしょう」
セルジオにそんな様子は微塵もなかったというのに。にっこりと笑ってみせるコーマックの腹は読めない。
「だと良いのですが」
掴み所のない人に対しては適当に笑っておくのがいちばんだと知っていたヴィンセントは貼り付けた笑顔で対応してみせた。
「ヴィンセント様は益々、ご聡明になられていると聞きます、時期ご当主として既に相応しい、と」
世辞はいらない、と言い返そうとしたがぐっと言葉を飲み込み曖昧に笑ってみせた。
そんな様子をコーマックは薄眼を開けて笑った。
つくづく食えない男だ。
実際、父が毛程も自分に当主の座を譲る気がないのは明白であった。
屋敷に送られてくる王家に提出する資料をまとめるのが唯一父に任された仕事であり雑用であった。
そんなことなど知っているコーマックが言う、讃称の言葉はどれも薄っぺらく嫌味にしか聞こえなかった。
嫌味なコーマックを適当にあしらい、森がよく見える展望台に行く。
「様子はどうだい?」
「はっ!先ほどより例の叫び声は聞こえなくなりました」
「…そうか」
昼だというのに禍々しい雰囲気を放つ森を見やる。
魔境の森とはその名に相応しいだなんて、考えていると森から点々とした者が出てきた。あの悲鳴をあげて。
「なっ!森から人が出てきたぞッ‼︎」
「数はッ⁈」
「1000…いや、森からどんどん出てくるぞ、3000…もっといるぞ!」
「なんだあれ⁈兵だけじゃない、女子供もいるぞっ⁈どういうことだ!」
「ほとんど馬に乗ってないじゃないか⁈」「あいつら何考えてんだ‼︎」
敵、なのだろうかという考えが兵たちの頭をよぎった。
しかし、こちらに迫るくる者たちはおかしな悲鳴をあげて武器を持っている。それだけが彼らを敵だとみなす唯一だった。
普通ではない光景が今、目の前にある。
ヴィンセントは驚きで硬直していた体を叱咤し、戦うため城塞の外へと向かっていった。




