ズレはじめる世界
ツヴァイさんが怖いです
まだ起きる時間ではないというのに、目が覚めた。
一度冴えてしまえば、なかなか寝付けなくなる。何度かごろごろと寝返りを打っていると違和感に気付いた。
屋敷の外が騒がしいのだ。
馬の蹄の音や金属が重なり合う音、そんなもの聞こえるはずのない時間であった。
おそるおそる、カーテンから様子を伺うとこの屋敷を警備している兵たち全員が武器を持っていた。そのただならぬ雰囲気に嫌な予感がした。
その中に馬に跨る兄の姿を見つけてしまい。声にならない悲鳴をあげた。
お兄様が何処か遠いところへ行ってしまう、私を置いて!
ネグリジェのままであることや裸足であることなど気にもとめず、大きな音を立てて玄関へ向かった。
途中階段で、裾の長いネグリジェに引っかかってしまい転んだ所で冷たい声がかけられた。
「こんな所で何をしているのです。それに、その姿、どういうつもりですか」
振り返るといつもと変わらない、母の姿があった。
こんな時間だというのに母は、堅苦しいドレスを着て髪はきちんと結われており、後れ毛のひとつもない。
そんなことを考えていると母の冷たい目とかち合う。
「質問に答えなさい、こんな所で何をしているのですか」
その質問に意識が戻り、慌て始める。
「あ、の、外で兵とお兄様の姿が見えたので」
「それならば、貴女が気にするようなことは何もありません。部屋にお戻りなさい」
誰がどう見ても異様な状態だというのに、母は何もないという。だが、こんな時間に母はきちんとした格好をしているのだから何もないだなんて説得力の欠片もない。
「で、では、何故外に兵が武器を持っているのですか?」
初めて母に口答えした気がする。
母は煩わしそうに私を見て、冷たく言い放つ。
「何故そんなに兵が気になるのです。貴女が気にするようなことはないと今しがた告げたばかりです」
「ですが、お兄様は何処かへ向かわれるご様子でした」
お兄様、と口にすると母が鋭く私を睨んだ。
「もう一度言います。部屋に戻りなさい、貴女が気にするようなことはありません」
断固として私の質問には答えず、部屋に返す姿勢を崩さない母。
だが、私だって簡単に譲る訳にはいかないのだ。
「いいえ、戻りません!お兄様の元へ行き事情を聞くまでは!」
母の雰囲気に気圧されながらも、言い放つ。
突然、大声を出し反抗した私に目を見開くが、すぐにその目には怒りが広がった。
「貴女…っ!どれほど、ヴィンセントの手を煩わせるのですか!」
いい加減になさい、と振り上げられた母の手は私の頬を叩いた。
ジンジンと痛む頬。初めて人に叩かれたことへのショックに陥るが今はそんなこと気にしていられない。
ネグリジェの裾を持って、走り出す。
母の鋭い声が聞こえたが、気にしてなんかられない。
玄関の扉を開けようとしたが、それは突如現れた闇によって阻まれた。
「…ツ、ヴァイさん?」
「姫さん、こっからはダメだよ」
それはツヴァイだった。
抱き上げられたが、必死に抵抗する。
「は、離して下さいっ!ツヴァイさん‼︎」
力一杯の抵抗をするがビクともしない。
ツヴァイはそのまま私を抱え、部屋に向かっていく。
「お兄様の所に行かないといけないんです!ツヴァイさん!ツヴァイさん‼︎」
私の言葉なんてまるで聞こえていないという風にツヴァイはその足を進める。
「貴方はヴィンセントの…。ちょうどよかった、そのままその子を部屋に閉じ込めておいて。絶対に部屋から出さないで」
母は憎しみのこもった目で私を睨み、そのまま自分は外へと出て行った。
一瞬で部屋に戻され寝台に転がされる。
「なん、で…なんでですか、ツヴァイさん。どうしていつも私は…どうして肝心なことは誰も何も教えてくださらないんですか!」
「知る必要なんてないからだよ」
抑揚のない声に驚いてツヴァイを見上げると感情のない目で私を見下ろしていた。
いつもの飄々とした雰囲気のツヴァイはどこにもいなく、恐怖を感じた。
「私にだって、知る権利はあります…」
「なぜ?」
「なぜって…」
無表情でこちらに迫ってくるツヴァイに思わず後ずさりしてしまう。
だが、ここはベッドの上。逃げる場所なんてなく、2人の距離はすぐに詰まってしまう。
「君は守られている。君はそれを素直に受け取るべきだ。なんの疑問も持たずね」
「守られてるだけじゃ嫌なんです!だって、私だってお兄様を!」
「勘違いしているよ」
言葉を最後まで言わせずツヴァイは続ける。
「君はあの塔にいた時と何も変わってない。変わったのは周りの環境だけ。君自身は何にも変わってない。自分も変わっただなんてただの錯覚だよ」
「違いますっ!塔にいた時は知らなかった感情を知りました!前はこんな風に自分の意見を言うのだなんて考えられなかった!」
「塔にいた時は、話す相手がいなかったからだ」
「使用人が!」
「君は使用人の名前すら知らないんだろう」
どきりとした。
「使用人だけじゃない、教師たちの名前も。それらに名前があるという事実さえ忘れていた。違うかな」
図星だった。この間、兄がクラウス先生と言った時、私が思ったことをそのままツヴァイは言っていた。
「周りの環境が変われば、思うことも増える、当たり前のことだよ。それは自分が変わったんじゃない、勘違いだよアシュリーちゃん」
全てを否定され、目の前のツヴァイがぼやけて見えた。
だが、ここでみっともなく泣くだなんて絶対に嫌だった。
「知ろうとすることは、ダメなことなんですか…っ」
「ダメじゃない。だけど、知ってどうするの。何かできるわけじゃないだろう。なら、無駄に知って思い悩むより知らずに過ごしていた方が幸せだと思わない?」
「思いませんっ、だって、お兄様は」
「君が大切にしているお兄様はいつだって君を守ろうと必死だ。その思いを無駄にするの?」
兄が守ってくれているのは分かっている。けれど、こんな守り方おかしい。
「君は周りにあるたくさんの矛盾に気付いていながら、黙認しているのにどうして今更気になるの?」
言葉が途絶えた。言い返す言葉が見つからない。
「今まで通り、守られてればいいんだよ。君は。教えられたことをそのまま受け止めて、何も知らないふりして生きていくことほど幸せなことはないよ」
ツヴァイは私にどうして欲しいのだろうか。
守られていればいい、と言いながらその言い方は隠しきれない怒りの色がみえる。果たしてそれは私に対しての怒りなのだろうか。
押し黙ってしまった私をツヴァイは一瞥すると、溜息をついて何処かへ消えてしまった。
私はしばらくどうすることもできず、その場に膝を抱えていた。
耳を澄ませても、もう外からは騒がしい音は聞こえなかった。
アインは次に!




