従者ふたり
アインは私を感情のない目で見下ろした後、私の手から剣を奪い取り、そのまま横抱きにした。
「え、ちょっ、きゃあっ!」
一瞬にして辺りが闇に包まれ、あまりの恐ろしさに目を閉じる。
「アシュリー…?」
聞き慣れた声の正体を知るべく、おそるおそる目を開けると驚いた顔の兄がいた。
安堵に力が抜ける。
「アイン、何があったのかな?」
兄の厳しい目が未だ私を横抱きにしているアインに向けられる。
「姫がお目覚めになった後、書庫に向かわれそこでスペンサー家の剣を取り出し、ご自分の腕をお傷つけになられました。それだけでなく、剣を喉にもたてようとなさったので止めたしだいです」
剣を、と言って兄の冷たい目がこちらを見る。慌てて視線を下にしたが、痛い視線がビシバシと当たるのを感じる。
「そう、ありがとう。アイン、ご苦労だったね」
「いえ」
「アシュリー」
びくびくと震えながら兄を見上げる。
起こっている。確実に。
口元は笑っているが目は笑っていないし、部屋の温度がさっきよりも低い気がする。
「お、お兄様…」
近づいてくる兄。逃げたいがそんなことをしたら何が起こるかわからない。
目の前に来た兄はやはり怖くて、ぎゅっと目を閉じる。
すると、ふわふわと温かいものが腕に感じる。
それは、兄が私の腕の傷を癒してくれているものだった。
治癒してくれている間、お互い無言だったが治癒が終わると兄が深い溜息をついた。
「アシュリー」
「は、はい」
「自分から話せるよね」
否定は許さない言い方だった。顔を青くしてこくこくと頷くと無言で私を抱き上げ、ソファに座らせた。
ちなみに、目の前は兄。すぐ近くにはアインがいて逃げ場はない。
「それで?」
「あ、えっと…その」
どこから話せばいいのか分からず言葉がつまる。困る私を兄はただ静かに見つめる。いつもなら、助けてくれるのに。
本当に怒っているんだと改めて感じて、涙が目の前をぼやけさせた。
それでも兄が動いてくれることはない。
「わ、私、アイン様のことを思い出し、て、それで、その、危険な目にあった時は、現れて下さったから、その」
危険な目に合えばまた現れてくれるんじゃないかと思って、という声は聞こえただろうか。
部屋に思い沈黙が流れる。
「…そんなことのために自分を傷つけたの?」
「う、ごめんなさい…」
「アシュリー、何故そんなにアインが気になったの」
冷たい瞳が更に冷気を帯びた気がする。
「む、紫が…」
「なに?アシュリー」
「む、紫の瞳が綺麗だったのです!」
何故か大声で叫び言い切った私に兄だけでなく、アインも呆然としている。
「ぷっ、はははははは!もう限界っ!おもしろすぎっ!」
それを破ったのは、アインとよく似たけれど雰囲気はまるで違う青年だった。
「ツヴァイ、何故ここに」
ツヴァイと呼ばれた男は、笑いがおさまらない様子で兄の側に寄った。
「くくっ、いや、なんか楽しそうなことが起きてる気がして」
「楽しそうなこと…?」
兄が目を細めたのと同時に、ツヴァイが冗談ですよおと首をすくめた。
「お兄様、こちらの方は…?」
「ああっと、はじめてお会いいたします、アシュリー様、私、ヴィンセント様に仕えるツヴァイと申します」
先程とは打って変わり、紳士らしく私の前に片膝つき指先に口づけを落とすツヴァイ。こんな扱いはされたことがないので困ってしまう。
「ツヴァイ、様?」
「どうぞ、ツヴァイとお呼びください」
「はあ、アシュリー、ツヴァイは私の従者だ。安心していいよ」
「は、はい…」
それで、と兄はこちらに再び顔を向けると同時に背筋を正す。
「アシュリー、君が今回したことはとても愚かだと思わない?」
こくこくと頷くと兄は苦笑を浮かべる。
「自分を傷つけるなんて馬鹿なことをしたね」
ふわりと抱きしめられ兄がもう怒っていないことを悟る。
「お兄様、ごめんなさい…」
長い時がたったような気がするが兄は私から離れる様子はない。
無言で私に抱きつく兄。
困惑気味にツヴァイを見るがにこにこしているだけだ。アインは目を閉じている。何故。
「あ、あの、お兄様?」
声をかけると更に力がこもった。もしかしなくても兄はまだ怒っているのだろうか。
「お、怒ってらっしゃいますか?あの、ごめんなさい、もうしません、ええと、あと、お仕事の邪魔もしてしまってごめんなさい」
それから…と思いつく限りの私の謝罪を述べるがやはり兄は離してくれない。
「ちょっと、主〜?姫さん困ってますよ?嫌われちゃいますよ」
ツヴァイが助け舟を出してくれ、ようやく兄が私から離れた。
その目に怒りの色は宿っていない。ホッと息をつく。
「アシュリーに嫌われるのだけはご免だな」
「私がお兄様を嫌うことなんてありえません」
「うん、その言葉そのまま返すよ」
にっこりといい笑顔で返される。
「アシュリー、その腕治癒師にしっかり見てもらって、私は治癒の専門じゃないからね。アイン頼めるかな?」
「御意」
「ちょっ、なんでアインなんすか⁈俺の方が適役っしょ‼︎」
ツヴァイは兄に向かって喚いているが兄に何か言われるとぐったりと項垂れた。
「俺、もう立ち直れないっすよ…」
「姫、参りましょう」
そっと手を差し出される。
姫、という呼ばれ方は何だかむず痒かったがその手をおそるおそる取った。
今度は闇に包まれることはなく、普通に歩いて治癒室に行くようだ。
兄に一礼してから、部屋を出る。
部屋を出る間際、兄は複雑な顔をしていた。兄は私の知らないところでいつも独りだ。
******
「完全に忘れてましたねアシュリーちゃん」
2人が出て行った扉を見つめて仕事に戻る。仕事といっても父の手伝い程度でこれが直接父から自分に下されたものだとは思えないが。
「主、けっこー強い魔力使ったんじゃないんすか?もしアシュリーちゃんが毒慣らしのこと思い出したらどうすんすか?」
終わらない仕事に黙らない従者。
最近はため息の数が増えた気がする。
「…ツヴァイ、邪魔をするなら出て行ってくれないかな」
否定を許さない圧力をかけるがこの男には効き目がないようで飄々としている。
「いつまで騙せるんでしょーかね。アインのことも無理やり引きづり出した子ですよ?思ったより頭が回るみたいだし…」
「騙しているつもりはないよ。その時がきたら…考えるよ」
「考えるってなんすか!『また記憶を消せばいいだろう、へへっ』とか言うんだと思ってました」
その間の台詞は自分の真似だろうか。
なんでこんな従者が側にいるのだろう。アインはあんなに忠実だというのに。本当にツヴァイとアインは双子なのだろうか…
「ツヴァイ、暇なら新しい仕事を出すが…?」
そう言うと、ツヴァイは一変して顔色を変えた。
「か、勘弁してくださいよ主!まだあの女の正体調べも終わってないんですから‼︎」
「だったら、早く終わらせてきてくれ」
ひと睨みすると、ツヴァイは溜息をついて消えた。
急に静かになった部屋で、ひとつ溜息をついてまた仕事をはじめるためペンを握りなおした。
アシュリーはお兄様、お兄様と呼んでいるので滅多に出てきませんがお兄様の名前はヴィンセントといいます。